チャイコフスキの作品 
Peter Ilich Tschaikovsky
(1840〜1893)



☆ 交響曲第6番 ロ短調 「悲愴」 ☆
Symphony No.6 in B-minor 「Pathetique」
作曲年代:1893
演奏形態:れんだん
原曲:管弦楽曲
編曲者:作曲者
参照楽譜:Kalmus
参考CD:Claves CD 50-8805:Duo Crommelynck

 「交響曲を連弾で弾く」と言った場合に、絶対にお勧めの1曲です。この素晴らしく壮麗な作品を弾くとき、わたくしたちはいつも、最初から連弾曲だったのではないか、という感を受けます。もともと連弾曲で、それをオーケストレーションして「交響曲第6番」としたかのように。それほど、ピヤニスティックな魅力に溢れた作品です。

 わたしたちの敬愛する連弾コンビ「デュオ・クロムランク」の故・Patrick Crommelynck氏によれば、スケッチとして連弾楽譜が書かれ、そしてオーケストレーションされたとのこと(Claves CD 50-8805のメモより)。もちろん交響曲第6番の「下書き」として書かれた連弾譜ではあります。しかし、楽譜を見れば見るほど、そして弾けば弾くほど、大規模に展開される4楽章形式の連弾ソナタの感を強くせざるを得ないのです。

 この「連弾交響曲」、あの有名な管弦楽版とは、まったく別物と捉えて演奏する方が、曲本来の魅力を引き出せるようです。「ここは第一ヴァイオリン、このあたりはビオラ、たしかこの声部はクラリネットだったな」などという「邪念」を排して、純粋な連弾曲として弾いた方が、演奏する側も聴く側も楽しめることでしょう。ピヤノで無理に弦や管の表現をするのは百害あって一利なしです。そんなことをしなくても、この曲はピアノ連弾曲として、本当に魅力的です。「最初から連弾曲だった」と割り切って弾くと、この曲の持つ「別の美しさ」を引き出すことができます。ちなみに、この曲の持つ「壮麗さ」を肌で感じたのは、「デュオ・クロムランク」の演奏をCDで聴いてから。そして自分で弾いてから。もちろん、管弦楽曲として聴いたときの魅力はありますが、それはピヤノで演奏した(された)ときのものとは、まったく別物なのです。

 ピヤノ曲として見た場合、各パートごとには、弾きづらいところは、ほとんどありません。ただし、両奏者の手の接近と交差は頻繁にあります。他の交響曲の連弾版と同様に、ひとつの旋律の中での両奏者の受け渡し、といったことも実に頻繁に発生します。ペダリングにしても同様。演奏に際しては、奏者間での綿密な打ち合わせが必須です。わたくしたちは、この曲をレパートリーにすべく、少しずつ練習していますが、弾けば弾くほど悲愴感に襲われます(受け狙いのギャグではありません。実感です)。いつ、この曲の、連弾としての魅力を引き出せるような演奏ができるのか、と。

 ちなみに、最初にこの連弾曲の魅力を教えてくれたデュオ・クロムランクが、あの悲劇的な最後を遂げた日、わたくし(夫・かずみ)は、彼らが演奏するこの曲のCDを、一晩中かけました。涙が後から後から溢れるのを拭いながら。そして、自分が死ぬ前に一度でいい、こんな素敵な演奏ができたら、と願いながら。




☆ バレエ「眠れる森の美女」 作品66a ☆

作曲年代:1890
演奏形態:れんだん
原曲:管弦楽曲
編曲者:Sergei Vassilievich Rachmaninoff
参照楽譜:Forberg
参考CD
Katia & Marielle Labeque:Philips 442-778-2
永井幸枝 & Dag Achats:BIS CD-627

 原曲の持つ空間的な広がりと躍動感、そして色彩感を引き継いだまま連弾曲に編曲した注目すべき作品です。あたかも最初から連弾曲として存在していたかのような、ピヤニスティックな魅力に溢れる編曲。素晴らしく演奏効果が上がります。演奏会のメイン・プログラムとして相応しい作品です。

 作曲者自身が管弦楽曲をピヤノ・ソロあるいは連弾に編曲したケースはともかく、他人の管弦楽作品を元からピヤノ用であったかのように編曲する、という点では、完成度から見てバラキレフ作曲=グラズノフ編曲の「交響詩・タマーラ」と並ぶ、希有の成功例と言えましょう。ただ、グラズノフの編曲を見ると「バラキレフが書いたら、恐らくこんなふうに書いただろう」と、原曲作曲者のピヤノ書法を模擬していることに対し、ラフマニノフの編曲は「自分だったら、こう書く」と、管弦楽作品をピヤノ連弾としてほぼ完全に再構築している点が異なります。いわゆるトランスクリプションの要素は弱いのですが、あくまでも「ピヤノ曲」として書かれているのです。両方のパートを弾いてみましたが、非常に無理のない自然な「ピヤノ曲」として仕上がっています。

 では、どのあたりにラフマニノフ的処理が現れているかを文字で具体的に指摘するのは難しい。しかしながら、ラフマニノフが自身で編曲した「幻想曲 作品7」と、この「美女」の譜面を見れば、その音像処理が極めて酷似していることが明らかです。ただし、それはあくまでもピヤノ書法についてであり、和声に関しては完全にチャイコフスキの原曲そのままです。

 各パートとも、ラフマニノフで言えば「前奏曲 作品3-2(鐘)」が弾けるだけのテクニックが必要です。加えて、交差や接近が頻発するために、連弾テクニックも要求されます。逆に見ると、連弾の練習にはもってこいの作品と言うこともできましょう。両奏者の間には、緊密な連携が要求されます。例えば原曲のハープのカデンツアをプリモとセコンダで「弾き渡し」たり。

 ただし、ペダリングが極めて厄介。セコンダが左手オクターヴでスタカートのパッセージを弾くところでプリモがレガートで旋律を弾いたり、逆にプリモがノンペダルで装飾音を弾くべきところでセコンダはペダルをかけて右手で旋律を弾く方が望ましい、といった「難所」が随所に出てきます。交差・接近と合わせて、入念なペダリングの検討が必須になります。そうした細かい技法上の問題を考慮すると、2台ピヤノで弾いた方が便利でかつ効果的ではないか、という見方もあります。現に、Katia & Marielle Labeque氏や永井幸枝氏+Dag Achats氏の演奏は、2台のピヤノで演奏・録音がなされております。この2つの録音ともに、実に立派な出来で一聴に値します。ただし鍵盤上の書法だけから見ると、ストラヴィンスキーの「れんだん・ペトルーシュカ」や「れんだん・春の祭典」と違って、1台でも十分演奏が可能なように書かれております。

 なお、文献やCD、インターネット(Webページ)の解説によっては「2台ピヤノ用」(for 2 pianos)と書かれているケースも見受けられますが、これは明らかに誤り。連弾用(for 4 hands, a piano)が正しい表記です。楽譜を見れば、一目瞭然です。

 腕に自信のある方、一度は試してみても良い曲ではないでしょうか。そして、デュオ活動をされていらっしゃる方、レパートリーの開発用に、手がけて損はない曲です。




☆ 50のロシア民謡 ☆
50 Russian Folk Songs
作曲年代:1868-69
演奏形態:連弾
原曲:連弾オリジナル
参照楽譜:International
参考CD:Claves CD 50-8805:Duo Crommelynck

 ロシア民謡を素材とした連弾オリジナル曲です。同じ傾向の作品としてM.Balakirevの「30 Russian Folk Songs」がありますが、そちらに比べるとTschaikovskyのこの作品、民謡をかなり生に近い形で使用して連弾作品としています。いわゆるトランスクリプションの類ではありません。「旋律+伴奏あるいは装飾」といった、極めて単純な構造の曲たちです。

 各曲ともに演奏時間は短く、ほとんどの曲が30秒程度か、それ以下。要求されている技術レベルは、ソナチネ修了程度。書法自体は洗練されていて弾きやすく、どれも可愛いくて、すてきでお洒落な小品です。ただし、1番から50番まで、コンサートのステージで連続演奏するのは、少し無理があります。よほどの演奏でない限り、聴衆は飽きてしまいますよ。もし、ステージで演奏するなら、何曲か取捨選択するなり、アンコールに使うなり、工夫が必要でしょう。また、各曲の演奏前に、歌詞の朗読を付けても楽しいかも知れません。日本で演奏するなら日本語で、英語圏なら英語で、と言った具合に。

 なお、ここに収録してある民謡、Tschaikovsky自身をはじめとして、ロシアの作曲家がそれぞれの作品中に取り入れているケースがかなりあります。この曲集を初めて弾いた/聴いた方でも「あれ、この旋律、知ってるよ」という例が、きっとあるでしょう。わたしたちが参照しているInternational版には、当該の民謡が、誰のどの曲に使用されたがが簡単に記載してあります。また第49曲「Song of the Volga Boatman(ボルガの舟歌)」は、旋律自体が日本でも有名ですね。「エイコ〜ラぁ、エイコ〜ラぁ・・・」という、あの曲です。それを下記の表1にまとめておきました。

 なおこの曲のCDには、あの「Duo Crommelynck(Claves CD 50-8805:交響曲第6番“悲愴”=連弾版=と併録)」の、それは素敵な演奏があります。これは一聴の価値あり!

 ちなみにこの曲、曲の番号が版によって入れ替わっております。手元にはInternational版しかないのですが、参考までに「Duo Crommelynck」の演奏順序との対比を表2にまとめました。


表1●収録してある曲が、他曲で使用されている主な例。
International版をベースに若干付加


曲番 曲名 使用作曲者 採用作品
Regrets P.I.Tschaikovsky "Russian Song" from "Album for Young" op.39
A Swinging Paine-Tree I.Stravinsky The Firebird (Finale)
10 The gate P.I.Tschaikovsky 1812 Overture
21 After the Peast I.Stravinsky Petrouchka
24 A little duckling swimming in the sea P.I.Tschaikovsky Chorus of the Young Maiden from the opera "Oprichnik"
25 My Braids P.I.Tschaikovsky Natalie's song from the opera "Oprichnik"
27 Country Place N.Rimsky-Korsakov Operas "NIght in May" & "Snow Maiden"
29 On the green meadows P.I.Tschaikovsky Serenade for Strings op.48
43 Under the apple tree P.I.Tschaikovsky Serenade for Strings op.48
48 Vanya P.I.Tschaikovsky String Quartet op.11


表2●International版の曲番号と他版(Duo Crommelynckの演奏)との対比
「I」はInternational版、「C」はDuo Crommelynckによる演奏順序

       
  11   21 19   31 30   41 40
  12 11   22 21   32 31   42 41
  13 12   23 22   33 32   43 42
  14 13   24 23   34 33   44 43
  15 14   25 24   35 34   45 44
  16 15   26 25   36 35   46 45
  17 16   27 26   37 36   47 46
  18 17   28 27   38 37   48 47
10   19 18   29 28   39 38   49 49
10 48   20 20   30 29   40 39   50 50




☆ くるみ割り人形 作品71a ☆
The Nutcracker Op.71a
作曲年代:1892
演奏形態:連弾/2台ピヤノ
原曲:管弦楽曲
編曲:E.Langer(連弾)/N.Economou(2台)
参照楽譜:Schirmer(連弾)/CPP Belwin, Waner Bro.(2台)
参考CD:2台版:DG 410 616-2:M.Argerich & N.Economou
    連弾版:Koch International 3-7172-2H1:The Malinova Sisters

 言わずと知れた、この作曲家製「3大バレエ音楽」の1つを素材とした管弦楽曲。作曲者は、バレエ音楽の全曲初演に先立ち、こちら組曲を公開初演しています。3管にチェレスタとハープを加えた大管弦楽。原曲のバレエには、児童合唱も入ります(この素敵なシーンは、「組曲」に含まれておりませんが)。その色彩的な管弦楽曲を、ピヤノ連弾としたのが「E.Langer版」(1915年版)。一方、2台ピヤノ用に編曲したのが、「N.Economou版」(1983年版)です。構成は両版ともに、組曲そのままです。一部の繰り返しを除き、省略などは、ほとんどありません。

 さて、この2つの編曲。どちらも「
可能な限り管弦楽の動きを“詰め込み”、さらにピヤノならではの表現をする」ということを念頭に書かれているようです。トランスクリプションの要素は非常に少なく、原曲に忠実で、かつ「ピヤノ曲」として演奏効果が出るように、編曲されております。通しで完全に弾くならば、両版各パートともF.F.Chopinの「練習曲」を弾き切るレベルの技術が必要でしょう。完全に弾くのではなければ、その点を気にする必要はなし。とても楽しく弾けますよ(特に最後の「花のワルツ」)。いずれにしても、素晴らしく演奏効果の上がる編曲です。

小さな序曲 Miniature Overture
行進曲 March
金平糖の踊り Dance of the Candy Fairy
ロシヤの踊り(トレパーク) Russian Dance (Trepak)
アラビヤの踊り Arab Dance
中国の踊り Chinese Dance
葦笛の踊り Dance of the Reed-Flutes
花のワルツ Waltz of the Flowers


 各版の個別評価は、以下の通り。

 連弾のE.Langer版は、「とにかく可能な限り、原曲を連弾で再現しよう」という「
無謀な意気込み」すら見られる「詰め込み編曲」。そのため、各奏者の手が頻繁に交差/接近し、弾きづらいことおびただしい。しかも「可能な限り2人の手を遊ばせておかない」という設計思想があるようです。そのため、実に無様で弾きづらくなっている箇所も

 例えば「花のワルツ」におけるハープのカデンツア(16〜33小節目)。片方の奏者に任せてしまえばいいところを、わざわざ2人に分担させています。この箇所、ハープのパートをピヤノに置き換えるなら、十分1人に任せることが可能です。あえて、2人に分ける必然性はありません。かえって、合奏上の困難が生じます。確かに各奏者の負荷は減りますが、「合わせる」という別の負担が出てくるのです。この箇所を2人できれいに合わせるのは、結構厄介です。
ある意味で「邪悪」ですね。

 一部にこうした「悪所」があるものの、ピヤノ曲という面から見ると、無理な箇所はありません。非常にきれいに響きます。



 もう一方のN.Economou編曲2台版。
眉目秀麗な編曲です。まさに2台用編曲のお手本。技術的にはE.Langer版よりも難しいのですが、こちらの方が実に無理なく、弾きやすい!まあE.Langer版は「連弾」という制限の元に書いたので、ある意味で「弾きにくさ」は仕方がないことなのかも知れません。しかしそれを差し引いても、このN.Economou版の方が、編曲としてはるかに優れております。フレーズを交互に引き渡すなど、2台ピヤノを完全に対等に扱い、この演奏形態でなければ表現できない「原曲以上の美」を引き出すことに成功しております。

 ちなみにE.Langer版で問題とした「無理矢理2人でハープのカデンツア」の箇所、N.Economou版は、第1ピヤノの「ソロ」として扱います。逆に、あまりに模範的編曲のため、不満を持たれる「編曲ヲタク」の方も、いらっしゃるかも知れません。

 なお、このN.Economou版は、N.Economouの息子とM.Argerich様の娘に献呈されております。N.EconomouとM.Argerich様は、この編曲を録音なさっていらっしゃいます(DG 410 616-2)

 これら2つの版に関して、比較譜例を用意しました。ご参照下さい

 さらにこちらでは取り上げませんでしたが、原曲のバレエ音楽の中から主要な曲を抜粋し連弾に編曲。さらに綺麗な絵と物語(和文/英文)をつけた版が存在します。「ピアノ絵本館 くるみわり人形」(宮本良樹編曲=全音楽譜出版社)。これは、初心者でも楽しめる、素敵な「絵本」です。



 ちょっと、余談。みなさん、このバレエ、ご覧になったことありますか? 夫・かずみは、ライヴで見たのは、ただ一度。数年前、レニングラードバレエの公演です。綺麗な舞台でしたが、演出はありきたり。まあ、見ていて綺麗、というレヴェル(もちろん、完成度は非常に高いのですよ)。音楽も、まあ楽しめる、といったところ。帰りの地下鉄で、この演奏会のロシア人楽士さんたちと一緒になりました。たまたま、夫・かずみの隣にチェレスタ奏者の方がいらして。「あなたのソロ、素敵でしたよ」と言って、先方もにっこり。このコンサート、地下鉄での一件の方が、印象に残っております。



 逆に演出で吃驚したのは、ある音楽学者の方が見せて下さったヴィデオ。これが
実に爽快・愉快でした。ベルギー国立バレエの舞台です。場面設定は、現代のニューヨーク。主人公「クララ」は、イカレポンチのヤンキー姉ちゃん。弟は無気力少年。ドロッセルマイヤおじさんは怪しげな中年実業家。その他「怪しい人たち」が続々と登場です。

 ネズミ軍隊と玩具たちの戦いシーンでは、出てくるネズミの大半が、
ラジコンで操作されてるロボット・ネズミ。目玉をピカピカ光らせて、針金のしっぽ(アンテナ)を立てたラジコン・ネズミが、舞台を這い回ります。体長60cmくらいの「金属で出来た灰色のピカチュウ」みたいのが、舞台をぐるぐる回るのです。しかも「ピカチュウ」みたいに可愛くなく、目つきがとても悪い。クララが王子に連れていってもらった「お菓子の国」も、大手食品会社が牛耳る、あまり楽しいところではありません。そして衝撃のフィナーレ。原作では、ネズミと玩具の戦いも、クララと王子のお菓子王国シーンも、全部クララの夢ですね。ところがこの演出、夢ではなくて、クララと兄弟たちが見ている「テレヴィ・ドラマ」となっているのです。ラストシーン。自分たちが出演しているテレヴィ・ドラマを、ポテトチップスを齧りながら、無気力でながめるクララたち・・・。いやぁ、愉快でした。