シベリウスの作品 
Jean Sibelius
(1865〜1957)


☆ 悲しいワルツ Op.44 ☆
Valse Triste
作曲年代:1904
演奏形態:れんだん
原曲:管弦楽曲
編曲者:Otto Taubmann
参照楽譜:Edition Fazer


 あなたの目の前に、限られた、しかし非常に良質な材料が与えられた、とします。例えば、セロリと牛のサーロインだけ。さよりと生姜だけ。あるいは平目と紫蘇の葉だけ。鴨とオレンジだけでも良いでしょう。どれも、ほとんど工夫せずに調理して食しても十分に美味しい。そんな材料をベースに、どんな調味料をいくら使ってもいい。あるいは全然使わなくても良い。調理の方法は全くの自由。調理時間も任意。さて、極めて限られた材料と、無限の調理法を得たら、あなたはどのようなお料理を、わたくしの前に出して下さることでしょう? この「Valse Triste」の連弾版。譜面(ふづら)を眺めていると、「これを、どうやって料理しよう」、そんな気持ちが沸き上がってきます。

 譜面は至って単純。もともと薄いオーケストレーションを、「綺麗」に連弾用へ書き直しただけ。ピヤノ曲としての書法上、まったく無理はありません。曲のエッセンスを連弾にした、と言うと非常に的確な表現と言えます。逆に言えば、いわゆる「トランスクリプション」の類ではなく、単なる「書き直し」であるため、ある程度以上の技術レヴェルを持った方にとっては、弾いていて「面白み」に欠けるでしょう。編曲という点に着目すると、はっきり言って、実につまらない。工夫の跡は皆無です。

 ただしこの連弾版、曲のエッセンスを実に的確にピヤノに移し替えているという面では、非常に高く評価できます。また、別の見方をすれば、演奏上のかなりの部分が奏者の自由に任せられているとも言えます。そう、単純な譜面を見ているだけで「さあ、どうやって弾こうか?」という“創意工夫”をする意欲をかき立たせる何かがあります。

 プリモにとっては、弾いていて非常に楽しい曲であります。特に41小節目(練習番号C)、ピアニシモで儚いワルツが始まる部分。ゾッとするほど素敵です。そして73小節目(練習番号E)から、滑らかなステップを踏み出して、伸びやかな旋律を思い切って歌う・・・。ここに限らず、全曲にわたって、あれやこれやと表情付けをするのは、とても楽しいものがあります。いかにして単純な素材を「料理」しようか、という楽しみ。

 ところがセコンダは、弾いていて全然面白くありません。リズム刻みと下支えの和声弾きに徹します。散々苦労と気配りをして、自分ではまったく旋律を弾く機会がありません。このあたりの感覚、E.ElgarのSalut d'Amourとまったく同じ。むしろ、セコンダに裏方で徹底的に下働きさせるという観点では、このValse Tristeの方が、より露骨です。しかも当然のことながら、プリモの表情付けにセコンダの表現が追従しないと−−いや、まったく同じベクトルを持って弾かないと−−演奏は死んでしまいます。いくら「死」をテーマにした曲であっても、演奏が死んでしまったら何もなりません。さまざまな条件を勘案しても、まことに損なセコンダです

 なお、各奏者間における手の交差は皆無。演奏の妨げになるような接近もありません。ただしペダリングは、かなりの工夫が必要です。セコンダが自分に都合が良いようにペダリングすると、プリモの音が濁ったり「ブチっ!」と途切れたり。ひとつの工夫としては、プリモ/セコンダとも相当厳密に音価の指定を守り、プリモは過剰なくらいにレガートをかける。そしてペダルの使用を最小限に抑える−−といった手段をとることが考えられます。

 なにはともあれ、素敵な曲です。一度手がけてみて、損はないでしょう。表情のコントロールが上手にできれば、受ける演奏に仕上がります。ただ、テーマがテーマだけに、お祝いの場で弾くわけには行きませんが。





☆ 交響詩 フィンランディア Op.26-7 ☆

作曲年代:1899/1900
演奏形態:れんだん
原曲:管弦楽曲
編曲者:F.Ptaschnikoff
参照楽譜:Edition Fazer


 アンコール・ピースとして最適な小品。演奏効果も抜群です。

 Sibeliusと言えばまずこの曲、というくらい、この作曲者にとっての代表作。わたくしたちの手元にあるのは「F.Ptaschnikoff編曲」。かなり「
豪快」に響く、中級者(ソナタ・アルバム修了程度)向けの編曲です。

 編曲手法としては非常に単純。管弦楽の動きをそのまま連弾化しただけ。もっともアーティクレーションなどは、ピヤノで演奏することを考慮して一応付け直してあります。ただし、ちょっと「直し忘れ」も。まあ、
連弾用編曲としては、かなり素直な部類でしょう。

 さて、この編曲。立ち上がりから原曲通り、非常にダイナミック。音そのものには迫力があるのですが、
1小節目からダイナミクス指示の直し忘れが。プリモ/セコンダともに、「f」の全音符にクレッセンドが付いて、第2小節の1拍目で「sf」。確かに原曲(管弦楽)のスコアでは、こうした指示になっていますね。でもピヤノでは物理的に演奏不可能です(譜例:1)。もっとも好意的(?)に受け取れば、「できるだけ音を減衰させないように配慮して、1小節目の1拍目を弾きましょう」という「心がけの指示」とも解すことも可能ではありますが。

譜例:1 上段プリモ/下段セコンダ


 51小節目からは原曲通り、変イ長調に転じ主要主題の登場です(譜例:2)。相当に歯切れ良く弾かないと、重苦しくなってしまうので要注意。運指/ダイナミクス/アーティクレーション上の無理はありません。

譜例:2 上段プリモ/下段セコンダ


 132小節目からは清純なトリオ。ピヤノで弾くと、透明感が相当に強調されて響きます(譜例:3)

譜例:3 上段プリモ/下段セコンダ


 最後は
パワー全開。圧倒的な終結部を迎えます。

 全曲を通じて奏者間の交差は皆無、演奏の支障となる極度の接近もありません。その意味では「素直」なのですが、この編曲における大きな欠点がひとつ。それは主立った旋律を、すべてプリモが担当すること。結構な「力仕事」となる
セコンダは「伴奏」ばかり。非常に損です。同じ作曲者による「悲しいワルツ」の連弾版も、セコンダは裏方でした。ただし主として「ワルツのリズム取り」。面白みはありませんが、大した「仕事」はしません。ところが「フィンランディア」のセコンダは、相当に動き回らせられる上にパワーを要求されます。結構、草臥れます。誠に損なセコンダと言えましょう。

 なお、わたくしたちの手元にある「F.Ptaschnikoff編曲」は、フィンランド「Edition Fazer」から出版。この版と、独Breitkopf & Hartel、スウエーデンEdition Nils-Georg、デンマークEdition Imudicoから出ている連弾用編曲は、すべて同一です。