間違っても男性同士のデュオで弾く曲ではありません。見て聴いて絵にはならないし、心理的な抵抗感があります。異様な雰囲気作りをしようと意図するなら別ですが。
オリジナルはピヤノ独奏曲です。奇妙なことに、オリジナルがピヤノ曲であることを知っている人が割と少ない。こんなに著名な曲であるのに。さて、作曲者自身によるこの編曲、総じて見れば実に効果的に出来ています。非常にピヤニスティックで演奏効果も上がります。演奏会のアンコールにもってこいの1曲です。もっとも原曲がピヤノ独奏なので、連弾にしてもある程度の効果は期待できますが。
原曲との差違は、音がやや厚くなっている点、および、若干の装飾音が付いている点のみ。それでも、連弾ならではの独特の演奏効果が出るところが不思議です。
旋律はプリモが一方的に受け持ち、セコンダは伴奏に徹します。両パートともに、かなり易しいですが、特にプリモはバイエル修了程度でも弾くことが可能です。弾いていて気持ちが良いですよ、このプリモは。
逆にセコンダは、実につまらない。ハーモニーとリズムだけを一手に引き受けて、自分は表に出る場がありません。オーケストラにおいて「地味」と言われるビオラだって、時には旋律を受け持つでしょう。ところが、このセコンダは一生浮かばれないのです。「鳥のつくねが美味しい」と評判の飲み屋の裏方で、一所懸命になって「つくね」のネタを作っている雰囲気です。自慢のタレも、セコンダが作ります。そして、作ったネタをきれいに焼いて、美味しいタレを付けてお客様に出すのがプリモです。お客様には、目の前で「つくね」を焼いているプリモしか、目に入らないのです。
両奏者間での手の交差はありません。ただし、両奏者の手は頻繁に接近します。セコンダの右手は、指定された音価で弾くと、プリモの弾く旋律を遮る場所があちこちに。そうでなくとも、ソロの要領で鍵盤上に手をかざしているとプリモの邪魔になる場所がたくさんあります。セコンダには、相当の気遣いが必要です。
こうした背景からセコンダは、余程プリモへの「愛」があるか、「仕事」と割り切った奏者でなければ、つとまらない。そんな小品なのです。