なぜ、これほどまでに素敵な小品が、なかなか耳にする機会がないのか、わたくしたちは残念でなりません。とても可愛く、あるいは情熱を帯びて、そして親しみやすい旋律と和声。技術的にもさほど難しいレヴェルを要求されず、楽しく弾ける小品なのに。
この曲の普及を妨げる第一の要因は、作曲者であるシェーンベルクに対する一面的な固定観念が多くの人に植え付けられているからだとしか推測できません。曰く「聴いていて難解な12音技法の創案者」「切りつめた厳しい音楽表現」云々。実に馬鹿馬鹿しい限りです。そんな「紹介」の仕方ばかりしていては、聴く方はもとより、弾く方だって一歩下がってしまうではありませんか。そうした、何も知らない人に対する先入観の植え付けについては、別途書くことにいたしましょう。
この小品、演奏会はもとより、教室の発表会や仲間内のコンサートにも、打ってつけの曲集です。流れるような旋律に、ちょっといじけたブラームスといった和声が添えられます。どれも1分〜2分程度の作品。
1 | Andante gracioso | ハ短調 |
2 | Poco Allegro | ハ長調 |
3 | Rasch | イ短調 |
4 | Andante | ホ長調 |
5 | Lebhaft rasch | ト長調 |
6 | Allegro molto | ハ短調 |
各奏者の技術レヴェルとしては、バイエル修了程度からソナチネ・アルバム修了程度で十分に弾くことができます。もちろん、表現を突き詰めれば、他の曲と同じように、奥が深く難しいものがありますが。でも、素人でも楽しんで弾けて、発表会でも十分に「使い物」になる。そんな素敵な曲です。弾いてみるとよく分かるのですが、旋律の多くはプリモが取りますが、セコンダも相当に活躍します。むしろ盛り上げ役はセコンダではないでしょうか。第5曲(ト長調)は、ちょっとリズムが取りにくく、合わせづらいですね。
Belmont Musicが出版する楽譜は、実に見やすい。連弾曲ですが、スコア形式になっています。しかも、全部の小節に「何小節目か」という小節番号がふってあるので、練習のときには、非常に便利です。しかも、ほとんどの曲が見開きで1曲になっており、第4曲はめくりの場面で、完全にプリモの右手が空くようにレイアウトされています。ただ、第6曲のめくり場面ただ1カ所で両奏者の手がふさがってしまいますが、これはいかようにも工夫できます。
この楽譜でたった1つの欠点。それは表紙です。ものすごく怖い顔のシェーンベルクが、こちらを睨んでいる絵なのです。これは、とても怖い。本当に怖い。わたしたちは、ピヤノの譜面立てに楽譜を立てて置くことが多いのです。ところがある晩、この曲の楽譜を置いたまま就寝し、お手洗いに起きたとき、豆電球がついている薄暗い練習室をなにげなく覗いたら、この楽譜の表紙が視野に入って…それは、恐ろしいものがありました。この楽譜を譜面立てに残して、そのまま就寝するのは止めましょう。
それは「怖い」表紙です。 拡大図は こちら (c) Belmont Music Publishers |
出版社のセンスを疑ってしまいます。これでは、売れる物も売れません。こんなに可愛い曲に、こんな怖い表紙を付けるなんて。アンバランスも、いいところです。小学生やそれ以下の小さな子供さんたちにも、たくさん弾いて頂きたい曲なのに、これでは子供たちが寄りつきません。
☆ 室内交響曲 第1番 ホ長調 作品9☆
Kammer-symphonie Nr.1 Op.9
作曲年代:1906年
原曲:室内管弦楽
演奏形態:れんだん(作曲者自編)
参照楽譜:Belmont
参照CD:Harmonia Mundi France QUI 903021
Zoltan Kocsis & Adrienne Hauser(pf. duo)
非常にピヤニスティックで壮麗な連弾ソナタ。原曲の持つ硬質な面が、いっそう強調された編曲です。連弾曲としては、難易度が非常に高い部類に入ります。演奏効果は抜群。ピヤノ曲として見た場合、同じSchoenbergなら、作品25の「組曲(Suite)」や作品33aおよびbの「ピヤノ小品(Klavierstuck)」より、よほど充実していて、弾き甲斐も聴き甲斐もあります。
原曲は、フルート(ピッコロ持ち替え)、オーボエ、イングリッシュ・ホルン、クラリネット(変ホ・変ロ持ち替え)、バス・クラリネット、ファゴット、コントラファゴット--以上各1、ホルン(ヘ)×2、弦楽5重奏−−の編成。拡大されたソナタ形式で、通常の提示部=展開部=再現部の間にスケルツオ部と緩徐部を挿入。構造的には5部で構成する単一楽章で、演奏時間は20分強。Schoenbergがロマン派から表現主義に向かいかけた、その「一瞬」を表現した、壮麗な交響曲。調記号は明確に書かれておりますが、あちらこちらで調性が曖昧になり、「崩壊に向かう美」が随所に見られます。
それを鍵盤上で再現したこの編曲。濃密な浪漫性とその崩壊過程が、夕日に輝く積雪のように、均質かつ硬質な音として響きます。編曲手法としては、原曲をかなり忠実に連弾化しております。いわゆるトランスクリプションの類は施してありません。ただし、どなたかの交響曲の編曲のように、単なる管弦楽から連弾への「移し替え」とは一線を画す、充実した編曲です。音ごとに表情記号をつけるなど、相当に細かい演奏指定がなされております。
14の声部をまったく割愛せず完全に鍵盤上へ移行しているため、当然のごとく声部の輻輳が生じます。特に内声部において顕著。そのため各声部を滑らかに浮き立たせようとすると、非常に厄介。しかも両奏者の手(プリモの左手とセコンダの右手)が頻繁にぶつかります。
一見すると単純そうですが、声部は相当に交錯しています |
このため各パートとも難易度が高い上に、相当高度な「連弾技術」が要求されます。わたくしどもなど、最初からこの曲へのアプローチをあきらめております−−何と言っても、下手くそな方=夫・かずみの手に負える代物ではありませんから)。もっとも、I.Stravinskyの「春の祭典」や、J.S.Bach=M.Reger「ブランデンブルグ協奏曲」のように、演奏者に対して地獄の責め苦を味わせるような、連弾書法上の無理はありません。
ちなみにこの曲の楽譜、米Belmont Music PublishersとオーストリアUniversal Editionの両社から出版されております。両版とも、内容は共通です。わたくしたちの手元にあるのはBelmont版。スコア形式で、全小節に小節番号が振ってある点、同じ出版社が出しているSchoenbergの「連弾のための6つの小品」と同様に、楽譜として演奏者の利便性を考慮した「秀逸な作品」と言えるでしょう。「連弾のための6つの小品」の表紙で、それは恐ろしいデザインでしたが、こちらの表紙はあまりにそっけない。工夫も何もあったものではありません。
なお、Schoenbergには「室内交響曲第2番 変ホ短調 作品38a」(Kammer-symphonie Nr.2:1906/1939)がありますね。実はこちらにも2台ピヤノ用編曲(作品38b:1941〜1942)が存在します。独Schottから出版されていたのですが、最新版カタログでは見当たりません。絶版になってしまったのでしょうか?