番号 | 編曲者 | 出版社 | 編曲の出来 | 備考 |
第1番 | B.Walter | Universal | 極めて邪悪 | 絶版。Universal依頼してのコピー譜作成での入手が可能 |
第1番 | B.Walter | Kalmus=Warner Bro. | 上記に同じ | 現役。上記Universal版のレプリント。ただし編曲者名は未記載 |
第2番 | B.Walter | Universal | 未見・未聴 | 絶版。Universal依頼してのコピー譜作成での入手が可能 |
第2番 | unknown | Kalmus | かなり邪悪 | 絶版。古本屋経路、あるいは図書館経路でのみ入手可能。 |
第3番 | J.V.v.Woss | Universal | 水準の出来 | 絶版。Universaに依頼してのコピー譜作成での入手が可能 |
第4番 | J.V.v.Woss | Universal | 水準の出来 | 絶版。Universalに依頼してのコピー譜作成での入手が可能 |
第5番 | O.Singer | C.F.Peters | 未見・未聴 | 絶版。Petersに依頼してのコピー譜作成での入手が可能 |
第5番 | unknown | Kalmus=Warner Bro. | 水準の出来 | 現役。 |
第6番 | A.v.Zemlinsky | Kahnt | 素晴らしくピヤニスティック | 絶版。Petersに依頼してのコピー譜作成が可能。CDあり |
第7番 | A.Casella | unknown | かなり良い出来 | 絶版。Universalから出ていたらしいのですが詳細不明。CDあり |
第8番 | A.Berg | Universal | 未見・未聴 | 絶版。Universalに依頼してのコピー譜作成での入手が可能 |
第9番 | J.V.v.Woss | Universal | 水準の出来。第3楽章はかなり面白い | 絶版。Universalに依頼してのコピー譜作成ので入手が可能 |
第10番 | E.Ratz | Universal | 水準の出来 | 現役。 |
実に酷い「編曲」。「編曲」と呼べる代物ではありません。極めて邪悪。何せ、管弦楽をそのまま連弾譜に移し替えているだけ。これでは、家族や友人同士でちょっと楽しんだり、パーティの余興で使うのがせいぜいです。それ以外の利用価値は、皆無でしょう。「交響曲の名曲を、一応連弾で弾けるようにした」だけ。しかも、結構弾きにくい! 加えて編曲者名も明記されておりません。実に卑怯です。
そりゃ、移し替えには手間もかかったことでしょう。しかし、ピヤノという楽器の特性をきちんと考慮すれば、もう少しまともな楽譜になった筈です。発想記号から(まあ、これは仕方ないかも知れない)、強弱の付け方、アーティクレーションの付け方を、ほとんどそのまま連弾譜に移しただけ。はっきり言って、何の創意工夫もありません。しかも「ピヤノでの演奏を考慮して・・・」という記述が何カ所かあるだけに、余計に邪悪さが増します
その酷さ、冒頭から表れております。この曲の第1楽章。弦楽による「a音」の、ppまたはpppによる極めて繊細な持続で開始します。ヴァイオリンは9小節、ヴィオラは16小節、チェロは48小節、コントラバスは56小節(注:いずれも複数パートに分かれているため、最長の持続を示した)を、延々ppまたはpppで奏でます。他の楽器に呼応して、持続しながらも音の表情は微妙に変化します。その極めて微細な変化が、この大曲を聴き通す最初の「期待感」を与えてくれます
それがこの連弾版では、単にオクターヴの持続で示されているだけ。楽譜には「ピヤノで弾くと音が減衰してしまうため、反復して音を打つように工夫した」と勿体ぶって注記してあります。で、どれ程「工夫」して書いてあるのかというと、オクターヴの音を2〜4小節ごとに打ち直しているだけ(譜例1−1、1−2)。
この箇所、2〜4小節であっても、ピヤノの鍵盤でpppで打ったら常識的に考えても、1小節超えるか超えないかで、音が減衰して聞こえなくなってしまいます。これが「工夫」と言えますかぁ? 「巫山戯るんじゃない!」というのが、正直な感想です。(注:では、どうしたら「素敵にピヤノで響くのか」を、わたくし自身でも考えてみました。後日、楽譜記述ソフトウエアを入手し、浄書次第こちらにアップします)
ピヤノという楽器の特性を、まったく考慮していない箇所も、続々と。例えば第1楽章の338小節目以降を見てみましょう。プリモは全音符に「ffp」の記号が付いています(譜例2−1)。
これは木管楽器で演奏する部分ですね。管弦楽スコアの強弱表記を、実にそのまま連弾譜にも記載してあります。まあ、これだけだったらペダルをうまく使うことによって、表現することも可能です。
一方のセコンダ。右手は原曲の金管楽器、左手は同じくコントラバスのパートなのですが、いずれも音を減衰させずに「Sempre ff」で演奏するように指定してあります。これも管弦楽スコアの記述通り(譜例2−2)。まあ、これもセコンダ単独なら、極めて容易に処理できるでしょう。
しかし、プリモとセコンダが両方で、指定を守って弾くとなると、非常に厄介。かなりの無理があります。そう、「1つの鍵盤、1組のペダルを2人4手で使う」ということを、完全に無視しているから、厄介なことになってしまうのです。そもそもまともな連弾曲なら、こんな表記はしません。管弦楽の音を、何も考えずに連弾に振り分け、強弱記号もそのままつけてしまったために、こうした演奏上の無理が発生したのです。実に、愚かなことです。
こうした極めて無神経な移し替えが、全曲を被っております。これを「邪悪」と言わずに何でありましょう。まじめな演奏会や研究のため、この連弾譜を購入なさるのは、お勧めできません。がっかりすること、間違いなしです。曲の構造を把握しようとする方には、少しは役に立つかも知れませんが。
こんな酷い楽譜が2940円。なお、この楽譜には編曲者名が出ていません。後から分かったことですが、何と編曲者は大指揮者であるB.Walter。Universalから出ていた楽譜のレプリントです。Walterがこんな邪悪な編曲をするなんて、ちょっと信じられませんが、事実です。
「ご家庭で交響曲の演奏を楽しむ」という用途には、もってこいの1曲です。そのほか、音楽好きが集まった宴会で弾くには、なかなかのネタでしょう。しかし、それ以外の用途には、全く役立たない編曲です。ご丁寧にも、最初から最後まで、原曲をまったくカットしていません。「そのまま」ピヤノに移し替え——というと語弊があって、一部の声部を簡略化し——ただけなのです。全曲続けての演奏は、弾く方も聴く方も苦痛を強いられるだけです。苦痛を味わうことを目的とした会に持ち込むなら、かなりの効果を期待できましょう。
はっきり言って、編曲上には何の工夫もありません。ピヤニスティックな魅力は皆無同然。同じマーラーの交響曲なら、第6番がAlexander von Zemlinsky(アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー)の手で、第7番がAlfredo Casella(アルフレッド・カセルラ)の手で、それぞれ連弾に編曲されています。この2つの編曲は、ピヤノ曲として聴いても——そして恐らく弾いても——実にピヤニスティックで美しく仕上がっています。まるで最初からピヤノ曲であったかのように。両曲ともSilvia Zenker と Evelinde Trenknerの組み合わせによるCDが出ています。CD番号は、前者が「MD+G L 3400」、後者が「MD+G L 3445」です。楽譜が入手できないのが、とても残念なくらいの編曲です。
正直言ってわたくしたちも音にしたのは、終楽章の最後「Langsam, Misterioso」、合唱が無伴奏で歌い出すシーン以降だけです。2人で遊ぶ分にはなかなか盛り上がって楽しいのですが、まじめに第三者に聴かせるのには、ちょっとお勧めできません。
いったい誰が、こんな編曲を作ったのでしょう? 楽譜には、編曲者が明記されておりません。
この曲の連弾演奏を試みようとされる方は、およそ次の2通りではないでしょうか。(1)マーラーが好きで好きで、どうにもならない方。(2)とにかく何でも連弾で征服してしまおう、と言う方。こうした方々に加え、このUniversal版の楽譜を手にしてみようとされる方には、(1)好きか嫌いかは別として、研究なり勉強の都合上どうしても必要になった方、(2)「マーラーの交響曲第10番のアダージョを分析しレポートを書きなさい」という宿題が出て、できるだけ手を抜こうとしている生徒さん…などが考えられます。
確かに美しい曲ではあります。そしてこの編曲は、原曲をかなり「生(なま)」のまま、ピヤノに移し替えています。逆に言えば、曲の骨格(構造)を把握する上で、非常に有意義な資料となることでしょう。もともと薄いオーケストレーションです。連弾譜にすると、その構造がかなり直截的に把握できます。そしてマーラーが、シェーンベルクやベルクと「かなり近い」位置にいることが、譜面から直接伝わります。
しかし、「連弾曲」として見た場合の価値は、はっきり言ってゼロです。個人的にはとても好きな曲なのですが、それでも全曲を通して連弾で弾いてみたい/聴いてみたいとは思いません。弾く場合でも、最初の15小節(ヴィオラによるイントロダクション)で、まず飽きてしまいます。それでも続けると、極めて耽美的な嬰へ長調の主題が終わる30小節目で弾くのを一旦止めて、お茶を頂いたり煙草を口にしたくなり…そして「休憩」が終わった時には、別の楽譜を開いているのです。
わたくしたちが手にしているUniversal版の楽譜は非常に見やすい譜面です。技術的にも、それほど難しいものを要求されません。ソナチネ・アルバム修了程度で十分でしょう。ただし、各声部が非常に輻輳しており、きれいに旋律を出して弾こうとしたら、かなり入念な譜読みと打ち合わせが必要となります。そして、各音の強弱配分は、個々の奏者ごとに相当の検討が必要になります。楽譜にはペダルの指示が一切でていないので、これも両奏者による検討課題となります。ペダルはかなり頻繁な踏み換えや、2分の1、4分の1、ソステヌート・ペダルの多用などが、早くも32小節目から必要になります。(…そこまでして、連弾で弾く曲でしょうか???)
一般に交響曲の連弾版は、ご家庭や仲間内のパーティーで楽しんだり、気取らない楽しい演奏会に持ち出すケースが多いことでしょう——もちろん、大きなホールで聴衆を交えた通常の演奏会も考えられますが——。でも、そこでこの曲を取り出し、にこにこしながら鍵盤に向かう…そんな人たちがいらしたら、ちょっと怖い気もいたします。