このお方の作品、譜面はどれもシンプルですが、弾いてみると、意外と厄介な曲ばかりです。各奏者ごとに見ると、技術的にはそれほど難しくなさそうですが、軽やかに弾こうとしたら、けっこう大変です。どの曲も「切れ」が良くないと、聴き映えがしません。
単に可愛く演奏してしまうと、どれも曲が死んでしまいます。音が濁ったり重たくなったりするような演奏も、ゴミ焼却場行きになってしまうのです。燃えないゴミなので、面倒です。
「二人で楽しく合わせようとするこころ」が心底ないと、聴く価値のない演奏になります。おまけに、余裕を持って楽しく弾けるようでないと、聴く側は、どの曲も、つまらなさが4倍増になるのです。リズムに合わせて、首を振ったり、メロディの受け渡しの際には「アカンベ」できるくらいの余裕がないデュオ(わたしたちみたいなの)は、演奏会で取り上げるべきでないでしょう。
でもね。2人だけで楽しむのなら、どれも素敵ですよ。
とても楽しい行進曲です。タイトルには「道化た(Brlesque)」とありますが、実にエレガント。明るい陽光が、さんさんと照り降る中での、それは楽しい行進です。適度に乾いた空気の中での、それは華やかなフェスティバル。にぎやかに進むパレードと、宙に舞う紙吹雪。大勢の楽隊と、それを取り囲む群衆。楽しい喧噪。犬や猫なんかも、行列の前後をついて回って。
そうした雰囲気を演奏で出そうとすると、かなり苦しいものがあります。例えばセコンダの左手が、けっこう大きな跳躍があって、その上でプリモがレガートで旋律を奏でるところもあります。この曲は拡大された3部形式ですが、トリオの部分が軸ですね。その中核となるトリオのペダリング、ものすごく工夫する必要があります。音が濁ったら最後ですから。そして、トリオでは、セコンダがプリモをあおるくらいの方が、生き生きした演奏になります。
それらを踏まえた上で、両奏者が余裕をもって各人の演奏を楽しみ、なおかつアンサンブルを楽しむ・・・。奏者が楽しまなければ、聴衆も楽しめない。そんな難しさを含んだ、それは素敵な曲でしょう。
南仏の保養地に現れたリヒャルト・ワーグナが、燦々と降る陽光の中で、酔っぱらってお祭り騒ぎに高じている−−この曲のイメージをひとことでまとめると、このようになります。確かにすべてのモティーフは「トリスタンとイゾルデ」に端を発します。しかし、あの楽劇が内包する様々な要素−−愛、官能、淫靡、不倫、憎悪、破滅・・・を一切取り払い、闇の世界からモティーフを一気に引きづり出して、陽気なお祭り騒ぎを展開するのです。もう、愛欲も苦悩もあったものではありません。トリスタンもイゾルデもマルケも、みんな手に手をとってのどんちゃん騒ぎ。シャンパンやクラッカが炸裂します。
ただし、そこで着目すべきは、このお祭り騒ぎを非常に品よく纏めている点。たまらなくエレガント。これはもう、シャブリエの感性がなせる技でしょう。楽劇からモティーフのみを取り出して、思い切り単純化した和声で彩る。極上のユーモアで溢れています。
譜面は極めて単純です。しかし曲の魅力−−特に軽快さ−−を出そうとすると、相当のテクニックが必要となります。これまで何種類もの演奏を聴いておりますが、満足できたのはChristian
Ivaldi& Noel Leeの演奏のみ(Arion ARN 268170)。ところが、このCDのテンポで弾こうとすると、個々のテクニックは当然のことながら、非常に高度な合奏能力が要求されます。意外と厄介ですよ。ちなみにわたくしたちは、「下手くそな方」が、このテンポではまったく指が回りませんでした。しかも歯切れが良くないと、アウト。各奏者に要求される技術レヴェルは、ソナタ・アルバム終了程度。
両奏者の手、交差はありませんが、頻繁に接近します。
なお、表題のカドリール(quiadrille)は、18世紀に発生したダンスの形式。音楽は6/8拍子と2/4拍子が交互に現れ、5部(5曲)で構成します。ただし、この曲では第3曲のみが6/8拍子。曲の構成は下記の通り。
1 | パンタロン | Pantalon | ハ長調 |
2 | 夏 | Ete | ト長調 |
3 | 雌鳥 | Poule | ハ長調 |
4 | パストゥーレル | Pastourelle | ニ長調 |
5 | ギャロップ | Galop | ヘ長調 |