この作曲家の代表作は、言わずと知れた、壮麗なピヤノ協奏曲。洗練されて、そして豊饒な響きの中に、どこか、孤独感が漂います。中村紘子氏が、この曲を3回録音していますが、すべてテンポから何から、表現が異なっています。矢代氏の代表作の1つである「交響曲」も、同じこと。故・渡辺暁雄氏が2回の録音を行っておりますが、2回ともまったく異質の表現です。それだけ表現の幅がある作品群です。もっと、もっと、さまざまな表現で矢代氏の作品を聴きたい、と思うのは筆者だけでしょうか?
ちなみに筆者のひとり(夫・かずみ)は小学生の頃、矢代氏のピヤノ協奏曲を聴いて深い感動に襲われ、それ以来の愛聴者になりました。
アンコール、特に現代曲が続いたあとに持ち出す曲として、最適です。
氏の残した、数少ない連弾曲の1つ。わずか37小節の小品ですが、フォーレ、ラヴェル、フローラン・シュミットの響きが、かすかに聞こえます。流れるようなフォームの3部形式。この作曲者に、こんな可愛い作品があったのか、と弾くたびに、思い知らされるような、流麗な作品です。
技術的にはバイエル修了程度でも十分に弾くことができます。その意味で、おさらい会のようなところで持ち出しても良いのですが。しかし、ある程度の技術を有した--それも現代曲を頻繁に弾く--デュオが、こころのやすまる小品として、余裕をもって弾くならば、それは素敵に響くことでしょう。
一部に手の接近はありますが、深刻に打ち合わせをするレヴェルではありません。むしろ、いかに旋律をきれいに流せるか、に頭とからだを使うべき作品です。
この作品は矢代氏の「ピアノ小品集(付・協奏曲カデンツァ)」に収録されています。
もっともっと、頻繁に演奏されるべき連弾曲です。
この作曲者22歳の作品。フォーレの作品を思い切り「戦後風」にした、それは流麗で清楚、典雅な組曲です。後年の「ピヤノ協奏曲」のような強烈な個性はまだ表れていませんが、作曲者の作曲という行為に対する「ベクトル」が実に明確に現れた、充実した作品です。
「現代曲」あるいは「邦人作品」という題字を見るだけで敬遠してしまう方もいらっしゃるようです。好き嫌いはあるでしょうけれど、弾かずにあえて作品から遠ざかってしまうのは「損」です。特にこの作品、連弾を手がける方ならば、一度は弾いてみてよい作品です。バロック、後期ロマン派、現代という3つの時代様式が、実に見事に混ざり合った、完成度の高い作品です。
まず、構成面を見ると、各曲とも、以下のように完全なバロック様式で書いてあります。
1 | アントレ | Entree | Grave ma non troppo |
2 | クーラント | Courante | Vivace |
3 | シシリエンヌ | Sicilienne | Andante espressivo |
4 | ブーレ | Bourree | Allegro |
5 | ジーグ | Gigue | Molto vivace |
そして旋律と和声の面では、フォーレとラヴェルの“余韻”を残しながら、作曲者の独創性が響きます。どの曲も、とても上品ですよ。
演奏に必要な技術レヴェルは、ソナタ・アルバム修了程度。中には、もう少し易しい曲もありますが。演奏の支障となる2奏者間の大きな交差はありません。若干の接近はありますが、連弾曲としては、ごくごく普通のレヴェルです。
なお楽譜の冒頭には、ヴェルレーヌ(P.Verlaine)の一節が示されております。
Jouant du luth et dansant et quasi
Tristes sous leurs deguisements fantasques !
竪琴をゆし按じつつ、踊りつつ、さはさりながら
奇怪の衣装の下に、仄仄と心悲しく。(鈴木信太郎・訳)
ちなみにCDは1種類だけ出版されています(連弾:安川加寿子+金沢桂子、CDタイトル:矢代秋雄室内楽全集 I、CD番号:30CM-50)。ただし、聴くに耐えないほど、酷い演奏です。アンサンブルはバラバラ、各奏者の指が回りきっていないとことがあったり。ただ2人で並んで弾いているというだけで、とてもではないけれど「連弾」にはなっていません。はっきり言って、最悪です。この曲の持つ魅力を、まったく伝えていません。このCDを聴いて「なんだぁ、こんな曲なの」とがっかりする人が出なければ良いのですが。