ドビュッシーの作品

Claude Debussy
(1862〜1918)

オリジナル、自編、他編と、このお方の作品にはたくさんの連弾・ピヤノ2重奏曲があります。オリジナル曲はもとより、自編曲ではあたかも元から連弾曲であったかのように、ドビュッシーのピヤノ書法が光っています。他編でも編曲者がM.ラヴェルやA.カプレといったように、大家が壮麗あるいは緻密なピヤノ書法でもって編曲に当たっています。実に幸せなことです。弾き手にとっても、聴き手にとっても。そして作曲者自身にとっても。もちろん稚拙な編曲はありますが、それはこの際無視しましょう。



☆ 牧神の午後への前奏曲 ☆
Prelude a l'apres-midi d'un faune
作曲年代:1884
原曲:管弦楽曲
編曲者:M.Ravel(れんだん)、作曲者自編(2台ピヤノ)
演奏形態:れんだん/2台ピヤノ
参照楽譜:Jobert(連弾)、Dover(2台)

 連弾版、2台版ともに、もっともっと演奏されても良い筈の非常な名編曲です。大変にピヤニスティックな「傑作編曲」でありながら、何故か演奏される機会に恵まれず、録音もほとんどありません。楽譜の入手が比較的容易であるにも関わらず・・・。とても残念なことです。

 同じ作曲者の「海」同様に、連弾/2台の2つの版がありますが、「海」とは逆に連弾版が「他人編曲」、2台版が作曲者の自編です。これも「海」と同じですが、「元は管弦楽曲だった」ということを頭から拭い去り、連弾曲である、あるいは2台ピヤノ曲であるとの意識で弾く方が、演奏効果も上がります。どちらも、それほど優れた編曲なのであります。ピヤノという楽器の特徴を最大限にまで引き出していると言って過言ではないでしょう。ただ原曲を聴き慣れた耳には、かなり硬質な音楽として響きます。

 さて、まず連弾版編曲ですが、これはM.Ravelの手によるもの。楽譜を見れば一目瞭然ですが、これはもうピヤノ曲以外の何物でもありません。しかも管弦楽のスコアと照らし合わせて連弾譜を参照すると、驚きの連続です。よくもここまで、各声部を極力省略せずに「1台のピヤノ」で弾けるように・・・それも演奏上、まったく無理のないピヤノ書法で・・・収めたものだ、というのが正直な感想です。

 ちなみに原曲の編成、金管がやや少ないものの結構大きいのですよ。フルート3(うち第3はピッコロ持ち替え)、オーボエ2、コールアングレ1、クラリネットとファゴットが各2、ホルン4、ハープ2、弦5部。弦5部は各パートとも最大で2パートに分割されます。これらのパートを殆ど省略することなく連弾化し、かつ「きちんとしたピヤノ曲」として弾けるように編曲してあるのは、Ravel大先生ならではのものでしょう。

 しかも、作曲者自身による2台版では省略されている、重要なパート---例えば冒頭から4小節目と7小節目のハープによるグリッサンド---なども、しっかりと組み入れられております。実に繊細で美しい編曲です。

 ただし、連弾曲としては演奏が相当に難しい部類に入ります。各奏者のテクニックが万全である上に、高度な合奏能力が要求されます。交差はありませんが、プリモ左手とセコンダ右手は頻繁に接近します。もっとも、楽譜の通りに弾けば、決して相手の手を叩かないようになっている点など、「絶句」するほど見事な編曲処理を施してあります

 こんなに素敵な編曲でありながら、わたしたち「ズッコケ・デュオ」は、下手くそな方(夫・かずみ)が葬送・・・じゃなかった早々にギヴアップ。我が家のピヤノで全曲が通しで響くことはないでしょう。「譜読みはとても楽なのだけど、とにかく指が動かない」(夫・かずみ)。

 一方の作曲者による2台版。これは管弦楽パートを上手に2台のピヤノに振り分けて、アーティクレーションを付け直した上で、極めて綺麗にピヤノで弾けるようにした代物。Ravelの編曲同様に、ピヤノ書法として無理なところはまったくありません。極めて「自然な」2台ピヤノ曲です。楽譜も素直。演奏---例えばAlfons & Aloys Kontarskyの録音---を聴いても、非常に雄大に響いています。ただ、連弾よりも編曲の自由度が高いのに、連弾版で組み入れられている音が抜けている点が、若干ですが気になります。ちょっと不思議なことですが、まあ目くじらを立てる程のこともないでしょう。何はともあれ、とても素敵な2台ピヤノ曲ですよ。

 なお、2台版はJobertから「単品」で出ているほか、「貧者の味方・Dover」から「Works for Piano Four Hands and Two Pianos, Series I」に、「海」と共に収録されております。Dover版はJobert版のレプリントで、まったく同じ楽譜です。お求めになるなら、Dover版が、お得でお勧めです。

 これをお読みになった方。連弾版も2台版も、是非挑戦されてみては如何でしょう? 演奏会のステージに乗せるだけの価値はあります。特に、これから連弾/2台ピヤノのレパートリを広げられようとされていらっしゃる方には、お勧めの1曲です。もっとも、両版ともに相当のテクニックが要求されるので、わたしたちのような「片方でも技術なし」のペアが、ご家庭で楽しんで弾く・・・というのはちょっと無理がありますが。


 ☆ 海 ☆
La mer
作曲年代:1905
原曲:管弦楽曲
編曲者:作曲者自編(れんだん)/A.Caplet(2台ピヤノ)
演奏形態:れんだん/2台ピヤノ
参照楽譜:Dover(れんだん)/Durand(2台ピヤノ)

参照CD
Claves CD 50-8508
Duo Crommelync (桑田妙子、Patrick Crommelync)
Europa 350-219
Adriano Bassi , Maurizio Carnelli

 

 ドビュッシーが5線紙に表現する、あらゆるピヤノ書法を駆使した難曲です。難曲といってもさまざまな意味がありますが、ピヤノという楽器が持つ可能性を極端にまで追求した、という点でこの曲の演奏が非常に難しい、と言えます。

 ひとことで「難曲」といっても、管弦楽曲を演奏困難なように編曲した「バッハ=レーガー:ブランデンブルグ協奏曲」の難しさとは明らかに質が違います。あくまでも楽器の特性を引き出そうとしたがために「結果的に難しくなった」のが、この曲です。譜面を見れば分かるのですが、ピヤノという楽器を扱う上で、無理な動きはありません。単純に管弦楽曲を連弾曲に編曲したものではないことは、譜面を参照すれば一目瞭然です。ただ「難しい」ことだけは明らかです。

 さて、原曲。「牧神の午後への前奏曲」と並ぶ、言わずと知れた管弦楽の名曲です。この連弾版は管弦楽版のスケッチとして書かれたという説もありますが、どうしてどうして。非常にピヤニスティックな仕上がりです。管弦楽と比べると、各声部がかなりくっきりと浮かび上がり、硬質な印象を受けます。しかし「元からのピヤノ曲」という視点で見ると、実に表現の幅が広く魅惑的な作品です。はっきり言って、弾くときも聴くときも「管弦楽曲とは別物である」と受け止めた方が良いでしょう。

 譜面(ふづら)は、同じ作曲者の「ピヤノの為に」「子供の領分」などとそっくりです。聴いた響きも非常に良く似ています。

 問題はただひとつ。「非常に難しい」ということだけ。各奏者にかなりの技量を要求しているだけでなく、手の交差や異常接近が頻繁にあります。片方のパートだけでも相当に難しいのに相手がいることで難しさが2乗に増幅します。しかも合奏のレヴェルにも非常に高度なものが要求されています。妻・ゆみこは「頑張れば、何とかなる」と申しておりますが、夫・かずみは「頑張ったところでどうにもならない」と、見解を異にしております。もちろん口には出しませんけれどね。

 わたしたちが参照している楽譜は「貧者の味方:Dover」です。実はこの楽譜、オリジナルのDurand版をそのままコピーして製版しただけ。ちょっと開きにくいのが難ですが、印刷は上々。本家Durand版は「海」1冊で3000円前後ですが、このDover版は「スコットランド行進曲」「舞曲」「白と黒と」が一緒に入って、何と1380円。実にエコノミーです。

 ちなみに「海」にはこの連弾版とは別に、A.カプレが編曲した2台用があります。実に壮麗な編曲で、音の広がりには目を見張るものがあります。CDで複数種の録音を確認しております。長らく絶版でしたが最近Durandから再版されました。最近現物を購入しましたが、楽譜の詳細を分析しておりません。「難しいこと」だけは楽譜を見て分かりましたが・・・。きちんと分析の上、こちらで紹介いたします。・・・しかし高かった、この楽譜。ドイツの良心的なディーラ経由で購入したのですが、第1/第2両パートの楽譜が組でしたが、1万円近くしました。


 

☆ アラベスク 第1番 第2番 ☆
1re et 2eme Arabesque
作曲年代:1888
原曲:ピヤノ独奏曲
編曲者:Jacques Durand
演奏形態:れんだん
参照楽譜:Durand


 久々に、“邪悪”な楽譜の登場です。

 原曲はDebussy最初期のピヤノ独奏曲。この曲だけ聴いていると、この作曲者後年の、リズムを破壊し、和声を破壊することで生成した数々の傑作は、とても想像できません。もっとも注意深く見れば、後年の“破壊傾向”が、うっすらと見え隠れします。人によっては、この曲を“陳腐”と片づけてしまうようですが、わたくしたちは大好きです

 さて、この編曲。ほんの僅か音を厚くして--そう、ほんの僅かです--2手用を4手に振り分けただけ。目隠しして聴いたら、あるいは録音だけで聴いたら、本来の独奏版と区別が付かない方が、91.95%くらいいらっしゃるでしょう。楽譜をそのままMIDIデータに落として自動演奏させたら、恐らく96.27%以上の方が、独奏版と区別がつかないことでしょう。はっきり言って、4手とする意図は、まったく汲み取ることができません

 なるほど、1人あたりの演奏負荷は軽減されていますが--「この曲で、演奏負荷の軽減を図って、どうするのよ?」(妻・ゆみこ)。逆に「綺麗に合わせる」という合奏面で、各奏者にかなりの負荷がかかります。旋律の受け渡しは頻繁に発生するし。例えば第1番。1小節目と2小節目の最初の1音はセコンダが、続く3連符の音型はプリモが受け持つ。3小節目は第1拍がセコンダ、2拍目以降がプリモ、と言った具合。第2番となると、冒頭2小節は、原曲の右手をプリモ、左手をセコンダに振り分けています。しかもプリモは最初の3連符が右手、続く8分音符が左手・・・。

 両奏者の交差や演奏の支障となるような接近は皆無ですが、総じて編曲上の工夫は何も見られません。この程度の“編曲”ならば、ちょっとピヤノが弾ける小学生にもできます。同じように独奏曲を連弾化した作品ならば、Raveの「Le tombeau de Couperin(Lucien Garban編曲)」の方が、余程まとも。もっともLe tombeau de Couperinは、独奏曲を管弦楽化した後の再編曲ですが。

 しかもこのArabesque、綺麗に合わせるの、結構難しいですよ。この楽譜を購入した意図は、気楽に連弾できるかな、と考えたから。ところが、“合わせ”が、ちっとも気楽じゃなかった。「これだったら、一人で弾いた方が、はるかに楽」という、妻・ゆみこの意見も尤もです。こうした意味で、実に邪悪ですね、この編曲。

 しかしながら、この楽譜に効用がないわけではありません。まずは連弾の練習。相手を相互に気遣いながらの曲作りは、それは素晴らしく効果の上がる連弾練習になることでしょう。少しでも気が合わないと、途端に曲がガラガラと崩れてくるので。独奏曲が有名なだけに、弾き手/聴き手、どちらにでも実に的確に“合奏の完成度合い”が手軽に把握できます。連弾練習にもさぞ力が入ることでしょう。もうひとつの効用は、連弾コンサートのアンコール。2人で弾くArabesqueは視覚効果満点なので、受けること間違いなし。さらに利用可能なシーンは音楽宴会。うまく出来ても出来なくても、拍手喝采。逆に言えば、これ以外の用途でお使いになりたい方には、購入をお勧めできません。

 ちなみに、この楽譜、第1番が2100円、第2番が1650円(いずれも税別)。費用対効果を考慮の上、ご購入下さい。値段も邪悪ですね。両方一遍に購入したら、夫・かずみのお昼代7日分です。「ああ、損した」(夫・かずみ)。



 

☆ ベルガマスク組曲 ☆
Suite bergamasuque
作曲年代:1890/1905
原曲:ピヤノ独奏曲
編曲者:Emile Nerini(without "Clair de Lune")/Henri Woollett(only "Clair de Lune")
演奏形態:れんだん
参照楽譜:Editions Jobert


 Arabesqueに続く「1人で弾いた方が、はるかに楽」(妻・ゆみこ)の第2弾。よほど強固な信頼関係を持つ2人組にしか、お勧めできない曲集です。ちょっと「お遊び」でやるなら別ですが。

 Prelude、MenueおよびPassepiedの編曲はEmile Nerini、Clair de Luneの編曲はHenri Woollettですが、どちらもほとんど編曲上の工夫は見られません。ただ単に、「2本の手でやるところを、4本に振り分けた」だけ。若干、音は厚くなっておりますが、作品の表現性を拡張するまでには、とても至っておりません。逆にArabesqueと同様、音楽としてまとめ上げるうえでは、かえって厄介になっています。そうした意味で、実に邪悪な編曲です。

 特にClair de Luneは、2人で弾くと間の取り方が厄介で、綺麗に合わせようとするのは至難の業です。最初から連弾の曲であれば、両奏者の解釈と呼吸が完全に合わなければ演奏として成立しないのは、誰でも理解できます。もちろん、最初はそれぞれ個別に解釈や表現法があっても、すったもんだの末、最良の妥協点を見つけて曲としてまとめ上げるわけです。あるところで“うまいポイント”を見つけなければ、曲そのものを“音”にすることはできません。そうやって曲を作っていくのが連弾の楽しみでもあるのですが・・・。

 ところが、もともとソロの曲だったらどうでしょう? やろうと思えば、自分1人でもできるわけです。そう、好きなように弾けばいい。全体の解釈はもとより、ちょっとした音の強弱/持続に関する配分や間の取り方。自分の呼吸に合わせて曲作りをすればいい。おそらく、どんな曲でも「自分なりの解釈」というものを持っている訳で、時としては譲れない一線もある、というもの。

 しかしながら、それを連弾にしたらば・・・。どんなに仲の良い2人でも、1つの曲に関する解釈が細分至るまで完全に一致する、ということは不可能に近いでしょう。結局のところ「1人で弾いた方が、はるかに楽だわ」ということになりかねません。このBergamasque、そうした2人の解釈の違いを浮き彫りにするには、もってこいの連弾版です。最悪の場合「やっぱり、あたしとあんたは、違うんだわ」と、決裂するケースも想定できましょう。

 ・・・と言うわけで、一般には、あまりお勧めできない連弾版です。効用としては、(1)2人の心遣いの度合いを確かめたい、あるいは逆に(2)この曲を乗り越えることによって強固な関係を作りたい、というくらいでしょうか。それでもやってみたい方、いらっしゃいますか?

 ちなみに、わたしたちは、このBergamasqueで喧嘩しました−−(ええ、ええ、そうですよ。悪いのは、みんな、夫・かずみですよ)。



 

☆ 「ペレアスとメリザンデ」によるピヤノのための幻想曲 ☆
Fantaisie pour le Piano "Pelleas et Melisande"
作曲年代:1911
原曲:歌劇
編曲者:Leon Roques
演奏形態:れんだん
参照楽譜:Durand

 歌劇の抜粋連弾編曲です。歌劇そのものは1895年に第1稿が完成。初演は1902年。約150分の大作を20分前後にまとめてしまおうなど、結構乱暴な話です。しかも創意工夫に乏しいため、全く魅力的な編曲とは言えません。楽譜全体から猛烈な倦怠感が漂って参ります

 もっとも同種の作品で成功例がないわけではありません。例えば
類似作品として、P.A.Graingerの「Fantasy on "Porgy and Bess"」を成功例として挙げることができます。この場合、Gershwinの魅惑的な旋律にGraingerが徹底的に手を加え、それは素晴らしいトランスクリプションに仕上げております。もはやGershwinの作品ではなく、Graingerのオリジナルと言えるくらいに。こちらはGraingerの弾けるような才気が、全曲に溢れております。そう、F.LisztがW.A.MozartやF.Schubertの作品をトランスクリプトした曲たちと同様に。

 ところがこちらLeon Loquesが手がけた「Pelleas et Melisande」は、
単なる歌劇の抜粋メドレー以外の何物でもありません。原曲の一部を複数箇所にわたって切り出して、それを継ぎ接ぎしただけ。よくカラオケにある「加山雄三メドレー」ですとか「山本リンダ・メドレー」と同類ですね。

 しかも「部品の継ぎ接ぎ」を、ピヤノ連弾で「そこそこ弾ける」ように書き換えただけ。いわゆるトランスクリプションの類とは言えません。単なる演奏楽器の移行よりは、多少ましな程度です。
確かに綺麗には響きますが、才気の欠片も感じられません。

 以下にDuran版フルスコア(1907年版)と本編曲作品の対照表を示します。


本編曲 原曲
1〜22小節 第1幕冒頭から練習番号「3」まで
23〜28小節 練習番号「16」から
29〜53小節 練習番号「27」の7小節目から
54〜58小節 練習番号「35」から
59〜61小節 第2幕 練習番号「9」から
62〜86小節 練習番号「13」から
87〜88小節 第3幕 練習番号「8」から
89〜157小節 練習番号「11」から
156〜205小節 第4幕 練習番号「51」から 第4幕末尾までを適宜圧縮


 「素材」は、第1幕から第4幕の音楽を使用。何故か第5幕は、まったく使われておりません。しかも「
出てくる順番そのまま」に、曲を並べただけ。何の工夫もありません。

 なお、楽譜に
明らかな誤記。プリモ/セコンダとも、158小節目に「第4幕第3場」と記載してありますが、これは「第4幕第4場」の誤りです。

 いずれにしても、余程のDebussy好きでなければ、お勧めできない編曲作品です。
はっきり言って、丁寧にスコアを参照しながら分析して損した気分。編曲作品としてあまり面白いものではないので、楽譜の掲載を見合わせました。ちなみに、同じ編曲者によるピヤノ・ソロ版もあります。こちらの楽譜は未参照。


 

☆ 小組曲 ☆
Petite suite
作曲年代:1889年
原曲:連弾オリジナル
参照楽譜:Dover/Durand

 今更解説するまでもない、この作曲家初期の超有名曲です。連弾曲としてだけでなく、アンリ・ビュッセル(Henri Busser:1872〜1973)による管弦楽編曲でも知られています。このビュッセルというお方、この曲を2台ピヤノ用にも編曲しています。

 さて、この超有名曲、
実は中級者(ソナタアルバム学習中)以上のピヤノ奏者にとっては、格好の連弾入門曲でもあるのです。「ある程度ピヤノは弾けるけど、連弾は初めて」という方にぴったりです。

 その理由は、連弾をする上での
基本要素---両奏者の座る位置の決定に始まり、両奏者の手の接近や交差、そして、お互いの音を聴き合わないとアンサンブルが即座に崩れる箇所の続出−−−などが満載だからです。その上で、お互いの主張を十分に盛り込んだ上で、聴衆に対するアピールをしなければならないわけです。超有名曲であるからには、多くの人の耳に触れています。そうした条件下で、「連弾」としていかに自己主張できるか−−−大きな挑戦とも言えましょう。もちろん、連弾愛好者や学習者がアプローチしても−−−そうした方々には通過儀礼のような曲でしょう−−−とても楽しく弾ける曲であります。コンサート・ピースとして連弾演奏会に花を添える「主役」となりうることができるのは、言うまでもないことです。

 では、どこに「連弾演奏」としての特性が要求されるのか。弾いて見れば即座に分かります。最も有名な第1曲「小舟にて」。冒頭からプリモが主題を、セコンダが分散和音を奏します。
8小節目のプリモ、1拍目で左手を持ち上げるか、上手に引っ込めるかしないと、セコンダの演奏を完全に妨害してしまいます。ソロでしたら、当然鍵盤の上に手を置いておくケースなのですが、そのままですとセコンダ右手のポジションとプリモ左手のポジションが完全に重なってしまいます。そしてセコンダは右手のフレーズを弾き終わったところで即座にそのポジションを“空けて”あげないと、プリモは次の音を打つことができません。

 さらに同じ第1曲目の17小節目以降。ここで
プリモの左手とセコンダの右手が、完全に大きく交差します。人それぞれですが、わたくしたちは、プリモが左手を思い切り下げてセコンダの右手の下をくぐらせます。そしてセコンダが上から弾くようにしています。いろいろ試してみましたが、この方がセコンダの分散和音が弾きやすいようです。31小節目以降はプリモとセコンダで旋律の受け渡しが頻発するだけでなく、両者の手が相当に接近し(例えば33小節目など)、相当うまく打ち合わせをしないと、まとまりのある、きれいな演奏にはなりません。こうした箇所が、第1曲に限らず、全曲に溢れております。

 こうしたことは連弾経験者なら「百も承知」でしょうが、初めて本格的な連弾をなさる方には、「びっくりの連続」であるかも知れません。その意味で、「中級者(あるいはそれ以上)の連弾入門曲として最適」とした次第です。

 なお、曲そのものは完全に後期ロマン派の機能和声の範囲で書かれているので、親しみやすくアプローチしやすいことでしょう。ロマン性溢れる旋律と和声、生き生きしたリズム・・・。素敵な曲ですね---素敵な演奏だったらば---。

 楽譜はDrand、Peters、全音、およびDoverから出ています。ちなみにDover版は、Drand版のデッドコピーで、なおかつドビュッシーの様々な連弾曲や2台ピヤノ曲が収録されていて8ドル95セント。実にエコノミーであります。楽譜のタイトルは「Works for Piano Four Hands and Two Pianos Series I」(Series IIもあります)。やはりDoverは、
貧者の味方であります。なお、曲の構成は、以下の通りです。

小舟にて En bateau ト長調 Andantino
行列 Cortege ホ長調 Moderato
メヌエット Menuet ト長調 Moderato
バレエ Ballet ニ長調 Allegro giusto