プログラム・ノート
−− Gropu Two in One ピアノアンサンブルの夕べ −−




piano
「対話」と「対峙」
——— W.A.モーツアルトとS.V.ラフマニノフの2台ピアノ用作品

 ピアノ音楽史において、2台ピアノのための作品は、独奏曲と比較して、その数は圧倒的に少ない。連弾(1台4手)作品と比べても、かなりの少数だ。あのヴォルフガング・アマデウス・モーツアルト(Wolfgang Amadeus Mozart:1756〜1791)の作品ですら、現存する2台ピアノ曲は、わずかに3曲。生涯に18曲(消失した作品を加えると19曲)の独奏用ピアノ・ソナタ、5曲の連弾ソナタを書いたW.A.モーツアルトでありながら。しかも2台用多楽章形式の作品は、本日演奏する「ソナタ ニ長調 Kv.448(375a)」(Sonata D-major for 2 pianos Kv.448<375a>)1曲しか残していない。しかしこのソナタ、「2台のピアノを対等に扱い、相乗効果を生み出す」という点において、ロマン派から現代に至る2台ピアノ作品群の、真の意味での出発点となっている。

 ただしモーツアルトの2台ピアノ用ソナタ、ロマン派以降の2台ピアノ曲とは、決定的に異なる要素がある。それは、2台のピアノを「対峙」させるのではなく、あくまでも両パートの「融合」により、「音を紡ぎ出す」書法をとっている点だ。曲の隅々まで、「対話」と「模倣」が満ちている。第2楽章だけは、第1が旋律、第2が伴奏という構造だ。しかしそこですら第2主題は、第1ピアノの旋律を第2ピアノが、淑やかに模倣する。

 こうした楽曲書法の採用は、W.A.モーツアルトがこのソナタを作曲した時点でのピアノの構造と無縁ではない。作曲時点に彼の周囲で普及していたピアノは、鍵盤数が61、打弦機構がプレルメハニク(Prellmechanik:ウイーン方式)である。この条件の下で2台ピアノによる演奏効果を最大限に引き出すために、華やかな音響効果の創出よりも、対話や模倣の面白さを全面に出すことに重点を置いたのは、当然の帰結と言えよう。

 曲は3楽章で構成。第1楽章:ニ長調(Allegro con spirito)。第2楽章:ト長調(Andante)。第3楽章:ニ長調(Allegro molto)。作曲は1781年5月。W.A.モーツアルト、25歳の作品だ。歌劇「後宮からの誘拐 Kv.384」(Die Entfuhrung aus dem Serail)と、ほぼ同時期に作曲。ピアノ・ソナタ第10〜12番(Kv.330/331/332)執筆の少し前に当たる。(使用楽譜:G.Henle Verlag、Wolf-Dieter Seiffert校訂)



 後期ロマン派から現代にかけて、2台ピアノのための充実した作品が、次々と生み出された(もっとも、独奏曲や連弾曲と比べて絶対数が少ないのは前期ロマン派までと同様だが…)。中でもセルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ(Sergey Vasili'yevich Rachmaninoff:1873〜1943)の諸作品は現代の2台ピアノ・コンサートに於いて、極めて重要なレパートリとなっている。

 「交響的舞曲」(Symphonic dance OP.45:1940)や「前奏曲・鐘」(Prelude c#-minor OP.3-2:1892)など作曲者自身による編曲作品まで含めると、ラフマニノフの2台ピアノ用作品は6曲が現存する(注:「交響詩・死の島」<The isle of the dead OP.29:1909>などの2台用編曲が存在するとの説もある)。これらの作品群は、通常奏法による2台ピアノの演奏効果を、極限まで追求している。特に2台ピアノのためのオリジナル作品「組曲・第1番」(Suite No.1 OP.5)と「同・第2番」(Suite No.2 OP.17)において、その傾向が顕著だ。

 ラフマニノフは、現在我々が手にするものと同じ機構と鍵盤を装備した楽器を前提にピアノ曲を書いた。第1番、第2番ともに、ピアノの全音域をフルに使用。両パートは、対峙と融合を繰り返す。そして2台の現代ピアノを同時に鳴らすことでなければ得られない、「独特の共鳴」による演奏効果を狙っている。とりわけ第2番は、叙情と激情の見事な交錯、幅広いダイナミクス、力感、繊細性をすべて兼ね備える。2台ピアノ曲としての、ひとつの理想型であると言えよう。

 組曲第2番は、4楽章構成。第1曲「序奏」:ハ長調(Introduction:Alla marcia)。躍動感溢れる行進曲。その冒頭に於いて、共鳴効果が著しい。2つのピアノで合計14の音を同時に、連続してフォルテシモで打ち鳴らす。数ある2台ピアノ曲の中でも、非常に「衝撃的」なオープニングのひとつだ。第2曲「ワルツ」:ト長調(Walts:Prest)。3拍子を基調としながら、時折2拍子の旋律が入り込む。第3曲「ロマンス」:変イ長調(Romance:Andantino)。一転して叙情性が全面に出る。第4曲「タランテラ」:ハ短調(Tarantella:Prest)。熱狂的なナポリ舞曲。

 作曲は1900年から1901年にかけて。「ピアノ協奏曲第2番・作品18」と、ほぼ同時期に作曲。番号付きとしては、1896年の「楽興の時・作品16」(Moments musicaux OP.16)以来、ラフマニノフにとって5年ぶりの作品となった。(使用楽譜:Boosy & Hawkes)



piano
1つの鍵盤から ——— G.ガーシュウインとP.I.チャイコフスキ

 管弦楽曲や室内楽などの諸作品をピアノ連弾曲に編曲、積極的にリサイタルで取り上げている「Duo T&M」(豊岡 智子・正幸)。今夜も管弦楽の連弾編曲を携えて登場する。Henry Levin編曲によるジョージ・ガーシュウイン(Georg Gershwin:1898〜1937)の「ラプソディ・イン・ブルー」(Rhapsody in Blue)、そして豊岡正幸自身の編曲によるピヨトル・イリイチ・チャイコフスキ(Pyotr Il'yich Tchaikovsky:1840〜1893)の「弦楽セレナード 作品48」(Selenade for Strings C-Major OP.48)だ。

 ラプソディ・イン・ブルーは、「パリのアメリカ人」(An American in Paris:1928)や「ポーギーとベス」(Pogy and Bess:1935)などと並ぶ、ガーシュウインの代表作。表題の「ブルー」は、「青」転じて「陰鬱」の意。「ブルース」の語源でもある。さらに表題は、曲が「ブルー・ノート」を基調としていることにも引っかけている。ブルー・ノートとは、根音の3度と7度、時には5度に相当する音を、それぞれ半音低くとった音階だ。

 ラプソディ・イン・ブルーには、(1)独奏ピアノとジャズ・バンド用、(2)2台ピアノ用、(3)独奏ピアノと管弦楽用、そして本日演奏する(4)ピアノ連弾版、が存在する。米国人指揮者のポール・ホワイトマン(Paul Whiteman:1890〜1967)が、彼の主宰する演奏会「現代音楽の実験」のためにガーシュウインに委嘱し作曲させたのが(1)。ジャズ・バンド部のオーケストレーションは、当時ホワイトマン楽団の専属アレンジャだったフェルデ・グローフェ(Ferde Grofe:1892〜1972)が担当した。(1)の作曲と平行して、あるいは(1)の完成前(?)に執筆したのが(2)である。ちなみに現在我々が最もよく耳にするのが(3)だ。(3)は(1)の独奏ピアノにはほどんど手を付けず、ジャズ・バンド部をグローフェが再度2管編成の管弦楽に書き直した版である。

 さて(4)の連弾版は、(2)の2台ピアノ版の音を、1台4手で演奏可能なように、ヘンリー・レヴァイン(Henry Levin)が再配分した版である。2台版のような協奏的効果は得られないが、可能な限り音を減らさずに再配分してあるため、原曲の魅力をそのまま維持した連弾編曲となっている。

 しかし連弾で2台ピアノ版と同様の演奏効果を出そうと編曲したため、両奏者の手が頻繁に接近する曲構造となり、演奏をかなり困難なものとしている。また、両奏者間での音の受け渡しも随所で発生。これらの困難を上手に処理しての「奏者2人の呼吸合わせ」が聴きどころとなる。演奏者のひとり、豊岡正幸は「楽譜そのままの演奏でなく、ジャズ的フィーリングをいっそう強く押し出しての演奏を展開する」とコメントしている。

 作曲は1924年。この後ガーシュウインは、ポピュラー曲やミュージカルの名曲に加えて、ヘ調の協奏曲(Concerto in F:1925)、「パリのアメリカ人」と、西洋音楽史に残る傑作を続々と生み出して行く。(使用楽譜:Waner Brothers)



 一方、豊岡正幸の手によるチャイコフスキ「弦楽セレナード ハ長調 作品48」の連弾編曲。この編曲作業は、実に大胆な行為と言えよう。弦楽器(ヴァイオリン族)だけのために作られた曲を、ピアノ連弾用に再構築しようというのだから。確かに、音域と声部だけなら、1台4手に移し替えることは比較的容易。しかし、演奏として、ひいては「音楽」として成り立つかどうかは、楽器の移し替えができるかどうかとは別問題だ。

 弦楽器でもギターやマンドリンのような撥弦楽器はともかく、ヴァイオリン族ならば原理的には一度発した音をいつまでも持続して響かせることができる。もちろん、持続する音に強弱やヴィヴラートのような「変化」をつけることも容易だ。当然、ヴァイオリン族のための作品は、こうした特性を考慮して書いてある。ところがピアノは、一度音を出したら、その音は減衰するだけ。出した音のコントロールは、減衰する間にペダルで、あるいは内部奏法をもって処理するしかない。打弦楽器の宿命だ。

 それでも豊岡は、この曲の連弾化に挑戦した。「何とかして、この素晴らしい曲を、連弾曲として再構築し、鍵盤上で鳴らしてみたかった」と、豊岡は語る。「この曲は、アンサンブル作品として、一種究極的な美しさを備えている。それを楽器としては、ある意味で好対照とも言えるピアノ曲に作り直し、連弾とすることで“新たなアンサンブルの美しさ”の追求と実現を試みた」(豊岡)。なお今回が、この連弾版全4楽章の全曲初演となる。

 楽章構成は、原曲どおり4楽章。第1楽章:Andante non troppo−Allegro moderato。第2楽章:Moderate Tempo di valse。第3楽章:Largetto elegiaco。第4楽章:Andante−Allegro con spirito。 原曲は、1880年9〜11月に作曲。なお「The New Grove Dictionary of Music & Musicians」によれば、この曲にはチャイコフスキ自身の手による1台4手用の連弾編曲が存在するという。編曲者(豊岡)・解説者(田中)とも、99年1月時点で当該楽譜を入手・確認できていない。長期間にわたる絶版あるいは未出版の可能性が高い。(使用楽譜:豊岡正幸自筆譜)




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8手“2題”
——— B.スメタナ、そしてA.I.ハチャトウリアンの作品

 「連弾」の概念をさらに拡張した、その延長上に「2台8手」のための作品が存在する。4手のための作品とは、また異なった魅力を備えた作品群だ。4手作品と比較して、より広いダイナミクス、あるいはハーモニーの変化を聴くことができる。もっとも、鍵盤に触れる手の本数を単に増やせば表現力が増す、というわけではないが−−今夜の演奏者たちには、その心配は無用。充実した演奏が期待できよう。

 2台8手演奏会で頻繁に取り上げられる作品として、ベドルジハ・スメタナ(Bedrich Smetana:1824〜1884)の「青春のロンド ハ長調」(Jugend-Rond)がある。2台8手作品には、管弦楽曲や室内楽曲からの、いわゆる「編曲物」が多い。しかし、この「青春のロンド」は、当初から2台8手を前提に作曲した作品だ。単一楽章、単純なロンド形式だが、明るい主題が次々と交代、祝祭的に盛り上がる華やかな作品。全編にポルカの香りが漂う。曲の主部は一貫してAllegro moderato、コーダに至ってPiu mossoとなり一気にたたみかけて終わる。曲の随所で、4人の奏者による掛け合いが聴き物だ。

 作曲は1850年。なおスメタナは、このロンドの他にも「ソナタ楽章 ホ短調」(Sonatensatz:1949)など、複数のオリジナル2台8手作品を残している。(使用楽譜:C.F.Peters)



 アラム・イリイチ・ハチャトウリアン(Aram Il'yich Khachaturian:1903〜1978)の代表作、バレエ「ガヤーネ」(Gayane:1942)の中で最も著名な音楽「剣の舞」(Saber Dance)は、連弾、2台4手、2台8手用などのピアノ用編曲が複数存在する。今回演奏するのは、レダクツィア A. リュバッカ(Redaktsia A. Rybbakha)とペレドズエニエ C. カガノヴィツィア(Peredozheneie C. Kaganovicha)による2台8手用編曲で、1960年の出版。

 管弦楽の動きを省略せず、ほぼ完全に2台8手用へ音楽を“移植”。かつ、アーティクレーションをピアノ用に付け直した編曲だ。オーソドックスな編曲手法をとり、トランスクリプションの類は施していない。2台のピアノが極めてダイナミックに、そして豪快に鳴り響く。(使用楽譜:Gosudarstvennoe Muzykalbioe Izdatelbstivo)


(かずみ=連弾研究者・ジャーナリスト、ゆみこ=ピアノ講師)


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99年1月18日入校・印刷済

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Yumiko & Kazumi TANAKA 1998