このクラエヘンビューエル(Kraehenbuehl)というお方。合衆国のピヤニストで作曲家であること、ヒンデミット(P. Hindemith)に師事したこと、子供のための作品をたくさん書いたこと、くらいしか分かりません。あの「The New Grove Dictionary of Music & Musicians」にも、1行の記述すらなし。さすがにC.McGrawの「Piano duet repertoire」には、作品データの記載がありますが、生没年は明記してありません。「1923年生まれ」、というデータも、複数のデータベースを駆使して、ようやく探し当てました。こんな「マイナー」なお方ですが、それは楽しい連弾作品を執筆していらっしゃいます。
わずか70小節、演奏時間にして1分強の小品です。にもかかわらず、構成は非常に独創的。まず、現れるのが、主題に変形を加えた旋律の断片。そして変形した主題を3回繰り返した後−−正確には2回目の出現の途中(これはセコンダが担当)から、それに被さるようにカノン風にプリモが主題の変形を弾き始める−−ようやく31小節目の最後の拍から主題が響き始めます。しかも、これら主題の変形に付けられている和声は、ごく僅かづつ変化します。その変化が、実に魅力的。
そして主題。このとても可愛い主題は、プリモが弾きます(譜例)。この主題は米国民謡の「Rodent Reel」。
技術的には、プリモ/セコンダともに、バイエル50番程度です。ただし、アーティクレーションをかなり細かく指定していること、ダイナミック指定の幅が広いこと、常にプリモとセコンダがカノン風に呼応しあうこと・・・などを勘案すると、ピヤノの初心者で、かつ、まったく連弾の経験のない方には、ちょっと難しいかも知れません。プリモの左手とセコンダの右手がかなり接近し、上手に譲らないと「鍵盤上の喧嘩」になります。またテンポを揺らしたり、思い切り表情を付けたりと、演奏には一工夫必要です。
発表会などで使うのも良いですが、いちばん適切な用途は、連弾コンサートのアンコールではないでしょうか。
日本語タイトルは、夫・かずみの仮訳です。「Rodent」はネズミやビーバーなど、齧歯目(げっしもく)全般を指します。また「Reel」は、イングランドおよびスコットランドに伝わるダンス。ペアを作って、踊ります。で、最初は「英国民族舞踊に興じる齧歯目」とでもやろうか、と迷ったのですが、結局表題のようにしました。そうバッハの有名な作品だって「羊蹄目は精神的安定下に於いて草本を捕食する」とはせずに、「羊は安らかに草を食む」と訳しますものね。
ちなみに楽譜の表紙(右図:copyright by Summy-Birchard)は、ダンスする鼠とコントラバスを弾く鼬(鼬は食肉目ですが、どう見てもこの絵は鼬にしか見えません)の、楽しい絵柄。ただし、何故か、みんなサングラスを着用、怪しげな雰囲気を醸し出しています。
なお、C.McGrawの「Piano duet repertoire」には、作曲(あるいは初出)年代が1969年となっていますが、これは明らかな誤り。69年とは、最初にこの曲を出版したNew
School for Music Study Incから、現在の版元であるSummy-Birchardに版権が移った年。作曲(あるいは初出)は、1965年です。