ケテルビーの作品
Albert William Ketelbey
(1875〜1959)

 

この作曲家、わたしたちは、大好きです。「ペルシャの市場にて」は、オリヴィエ・メシアン(Orivier Messiaen)の「アーメンの幻影」(Visions de l'amen)や、ピエール・ブーレーズ(Pierre Boulez)の「構造 I&II」(Structures I et II)と、同じくらい好きです。英国の20世紀音楽ならば、ベンジャミン・ブリテン(Benjamin Britten)やラルフ・ヴォーン−ウイリアムズ(Ralph Vaughan-Williams)などの諸作品と同じくらい楽しめます。ところが、ケテルビーの作品となると、嫌う人が結構いるのです。「ホーム・ミュージック」だとか「ライト(セミ)・クラシック」だとか言って。わたし(デュオのへたくそな方)の大好きな音楽学者、野中映さん(国立音楽大学講師)が著書「名曲偏愛学」(時事通信社刊)の中で、いわゆる「ホーム・ミュージック」と称される分野に関して「これらを無理に嫌う人たちがいる。その人たちは、よほど難しい野外音楽を聴いているに違いない」と揶揄されていらっしゃいますが、まったくこれには共感いたします。ケテルビーの作品は、そうした「ホーム・ミュージック」の代表作群でしょう。


 

☆ ペルシャの市場にて ☆
In a Persian Market
作曲年代:1920
原曲:管弦楽曲
演奏形態:れんだん、4手2台ピアノ
参照楽譜:Bosworth & Co.Ltd
参照CD:連弾のCDは見あたりません

 

言わずと知れた、この作曲家の代表作です。どうやらこの曲以外にも、「連弾化」されている作品はあるようですが、今のところ未確認です。ただ、れんだん「ペルシャの市場にて」の最後のページが「Sanctuary of the Heart」の連弾譜の出だしになっているところを見ると、この曲も連弾化されているようです。

さて、「ペルシャ」、なかなか良くできた編曲です。ピヤノになってしまうと、色彩感と遠近感が失せてしまいますが、それを補ってあまりある編曲です。ちょっとした、肩のこらないコンサートに最適です。特に、アンコール・ピースとしてもってこいです。

プリモは、かなりピヤニスティックな表現を求められますが、セコンダはそれほど難しくありません。ただセコンダは、そのまま弾くと地べたを這っているような音になってしまうので、プリモといろいろ相談が必要になります。手の交差は1カ所もありません。それに、ほとんど両奏者の手が接近せず、きわめて楽に弾けます。

連弾は以上の通りですが、2台ピヤノだと、連弾以上に演奏効果が上がり、なかなか楽しめます。管弦楽の原曲ほどではありませんが、大変華やかに盛り上がります。

2台版は原曲の通りですが、連弾版は後半の「乞食・・・」と「プリンセスの登場」が、それぞれ1コーラスづつに短縮されています。奏者の好みで、連弾版も楽譜を補っての演奏をしても楽しいでしょう。わたしたちは連弾版にちょっと手を加え、原曲に近い演奏形態にしています。

連弾、2台版ともに、お友達同士の集まりですとか、サロンコンサートのような場でも、結構楽しめそうです。曲に合わせて鈴や太鼓など、打楽器群を任意に参加させると、とても楽しめます。それに「乞食のコーラス」で、周りにいる人みんなで「わぁーわぁーわぁわわ、わわわぁーわーっ!」と歌っても、楽しいでしょう。多少、アンサンブルに難があっても、楽しさでごまかしてしまえば、いいのです。


 

☆ こころの聖域 ☆
Sanctuary of the Heart
作曲年代:1918 ??
原曲:管弦楽曲
演奏形態:れんだん
参照楽譜:Bosworth & Co.Ltd
参照CD:連弾のCDは見あたりません

 

 この作曲家、不幸にして日本では「ペルシャの市場にて」が断然トップの有名で、他の作品はほとんど知られておりません。余談ですが、クラシック音楽とはまったく縁のない、ある銀行のディーラーさんが「ペルシャの市場(しじょう)にて??」と読んだとか、読まなかったとか。その流儀なら、わたくし(デュオの片方であるかずみ)に言わせると「イランの市場(しじょう)」になってしまいます--だって「記事審査基準」で「ペルシャ」と使えるのは、「歴史的事実の表現」または「ペルシャ湾」くらいなものですもの。あ、「ペルシャ猫」もありましたっけ。ちなみに、かずみとゆみこは犬派です。

 余談はさておき。わたくしたちがこの作品の存在(しかも連弾版)を知ったのは、同じ出版社の「ペルシャの市場にて」を購入したときに、この曲のプリモのパート、しかも最初のページが「ペルシャ・・・」の最終ページに印刷されていたからであります。出版社としては、「折り」の関係から複数の楽譜を纏めて印刷すれば、かなりのコストダウンになります。ある楽譜の末尾に、別の楽譜の冒頭がくっついていても、当該楽譜が完結するような印刷状態になっていれば良いわけです。出版や印刷に少しでも足を踏み入れた人には、大笑いで理解できるでしょう。それをこのBosworthは実践しているのですね。(それにしては、楽譜の単価が高いぞ)

 さて作品本題。親しみやすい2つの旋律が交互に現れます。要求される技術レヴェルは両パートともツエルニー30番程度。至って平易ながら、演奏効果は相当に上がります。両奏者の手の交差は皆無。問題となる接近もありません。奏者間での旋律の受け渡しも、まったくなし。演奏上留意すべき点は、両奏者の音量のみです。楽譜のまま弾くと、セコンダにかき消されて、プリモの旋律が浮き出ません。でも、セコンダが遠慮してしまうと、重量感がなくなり、聴いていて楽しくありません。プリモは特に右手を思い切り全面に出し、過剰なくらい歌わせることが要求されます。

 この曲の「用途」としては、演奏会のアンコールが最適です。作曲者名と曲名を出さずに「さらりと」弾いて逃げてしまうのです。作曲家名を出した段階で「なんだぁ」と思われてしまう危険性があります。わたしたちなら「シブイぃ!」と拍手喝采なのですが、どうも、そうは受け取らない人が多いようです。何も言わず、さらりと弾いて逃げてしまうと、曲名を問い合わせる声が殺到することは請負です。「アンコール向けの“隠し玉”」的名曲でしょう。