其の拾五 ちょっと良い話し---そしてペダリング

連弾には、思いがけない様々な「効果」があります。そうした「効果」の「ちょっと良い話し」を伺ったので、ご紹介することに致します。そして、ペダリングにまつわるお話も一緒に。


 先だって、「ちょっと良い話し」を耳にしました。いや、ちょっとではなく、とっても良い話しです。お話を伺っていて、心温まるものを感じました。ご本人のご承諾が頂けたので、皆様にご紹介することにいたします。ただし、ご本人とのお約束で匿名とさせて頂きます。

 あるところにAさんという音楽好きの方おりました。彼は大学生の時、不幸にして交通事故に遭遇し、下半身不随になってしまいました。以降、現在に至るまで車椅子の生活を余儀なくされていらっしゃいます。事故後Aさんは「音楽で自分の心を満たす為のみに生きて行こう」と心を決め、ピヤノを猛練習、音楽大学に再入学しました。

 Aさん自身は不屈の魂の男です。下半身不随ではペダルが自由になりません。そこで、左手をずっと鍵盤上に残しておく弾き方などを考案し、勉強を続けました。しかしながら、どうしてもダンパー・ペダルの操作が課題となります。するとAさんは担当教授と一緒に、口に含んだゴムボールを使い、圧縮空気でペダルを操作する装置を開発、ピヤノの演奏に挑みました。この方法自体はある程度成功したのですが、細かいニュアンスを出そうとすると、どうしても限界があります。その他、思うところがあり、Aさんは熟慮の末、ピヤノを諦めチェンバロに転向し、大学を卒業しました。その後Aさんは、ふとしたことから音楽とは別の世界に入り、不屈の精神でその業界において大成功を収めて、現在に至っています。もちろんAさんの音楽好きは変わりません。趣味としてピヤノを弾いたり、一家で音楽を楽しんだりと、音楽を常に傍らにおいた生活を送っています。

 そんなAさんと、ふとしたことで知り合ったのがBさん。Bさんは音楽が専門ではありませんがピヤノが好きで、大学時代からピヤノに向き合っています。このBさん、実は連弾の愛好家であります。現在、決まった相手はいないものの、機会を逃さず様々な方と連弾を楽しんでおりました。

●連弾で思いがけない幸せな効果が・・・

 さて、Aさんと知り合ったBさん。すかさず「連弾をやってみませんか?」。もちろんAさんは「OK!」です。Aさんはほとんど連弾の経験がなく、実質的には本格的なセッションはBさんとが初めてでした。二人で並んで恐る恐る連弾を始めたAさん。しばらくして慣れてきたのか、楽しい演奏が始まりました。

 二人は別々に練習して合わせたのですが、最初にパートを決めるとき、Aさんがプリモ、Bさんがセコンダを、それぞれ担当することになりました。これは
まったくの偶然で、Aさんがペダルを踏めないという事実など、二人の頭のなかには、これっぽっちもありませんでした。単に「やりたかった曲」で、Bさんがセコンダを得意としていたことだけがパート分担の根拠です。

 一般に、連弾でペダルを踏むのはセコンダです。二人の連弾は、自然とBさんがペダルを踏むという結果になりました。そして始まった連弾は・・・ダンパー・ペダルの効果抜群の演奏となったのです。久々にダンパー・ペダルの響きを自分の演奏で聴くことができたAさん。演奏中に
「わぉ! 美しい!」を連発! 二人は、それは素敵な時間を過ごす結果となったわけです。ふとした偶然が重なって、Bさんの足が、自由を失われてしまったAさんの足になって、思いがけない効果を生んだのです。Bさんにとっても幸せを感じる時間だった、とのことでした。連弾が生んだ、それは素敵な「効用」でした。

 誤解のないように申し上げておきますと、Aさんは「誰かに助けてもらってピヤノを弾こう」などということは毛頭考えていないことです。彼自身は人の助けを受けることをよしとせず、何とかして自力で生活して行こうという、不屈の精神の持ち主です。一方のBさんも、別にAさんを補助しようとして連弾を持ちかけたわけではありません。まったくのたまたま、ご自身がセコンダを担当したに過ぎないのです。そして、たまたま自分がペダルを担当することになっただけでした。
お互い、相手の助けを借りよう、相手を補助しよう、などという考えは、全然ありませんでした。結果的に、素敵な効果を生んだだけです。

 しかしながら、連弾が素敵な結果を生みだしたことは、疑いようもありません。Bさんは言います。「偶然の産物だけど、Aさんにとって連弾は、ペダル問題に関する究極の解決策になるかも知れませんね」、と。わたくし(夫・かずみ)はこの話を伺って、ここに連弾の原点を見たような思いでした。二人でピヤノに向かったら、それは素敵な結果となった。二人で一組になって音楽を作るという行為に至った・・・ということです。ペダル云々というのは、その一要素に過ぎません。このお話を伺って、こちらまで何だか幸せな気分になった、夫・かずみでありました。

●ペダルはどちらが踏んでもいい

 さて、このお話を伺った数日後、わたくしたちのページの読者でいらっしゃるIさんからご質問を頂きました。「ペダルは、どちらのパートが踏んだら良いのですか?」。Iさんが現在練習していらっしゃる曲の楽譜には、セコンダにペダルのある箇所、プリモに指示のある箇所があるとのこと。さて、どちらが踏んだら良いのでしょう、というご質問です。

 結論から言えば、
「どちらが踏んでも構わない」というのが、わたくしたちの考えです。踏みやすい方が踏めば、それで十分です。慣例的にはセコンダが踏みます。これは一応の理由があります。連弾の場合、両奏者が僅かに向かい合うような姿勢で弾くことが大半です。すると身体の構造上、セコンダが踏んだ方がペダル操作し易い結果となります。プリモが踏むとなると、若干無理な姿勢になるのも事実です。また「セコンダが踏んだ方が、全体の響きをコントロールし易いケースが多い」(連弾演奏者の豊岡正幸氏)という要素も挙げられます。もちろん例外はたくさんありますが。

 ただし、上記はあくまでも原則論。結果的には踏みやすい方が踏んで、それで響きが美しくなるなら、何の問題もないでしょう。連弾研究の第一人者である松永晴紀先生豊岡正幸さんにお話し伺ったところ、お二人ともほぼ同意見でした。

 その際、注意しなければならないのは、やたらとペダル分担を頻繁に変えないことです。かえって演奏に支障をきたすケースが生じます。もちろん延々十数小節以上に渡って片方がソロをとるときなどは、通常ペダルを担当している奏者がソロを取る側にペダルを明け渡した方が良いケースもありますが。その他、例外もたくさんあるでしょう。

 ちなみに、わたくしたちの場合は、妻・ゆみこが常にペダルを担当します。何故って? 単に夫・かずみのペダリングが下手くそだからです。加えて言えば、ペダル操作を全面的に妻にゆだねることによって、テクニックのない夫・かずみは鍵盤上の指の動きに集中できる、というメリットがあるからです。

 今回は、「連弾の素敵なお話」に、連弾におけるペダリングの話題をからませてみました。このテーマでご意見をお持ちの方、お気軽にメールを下さいませ。(2000年12月25日)



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