フランクの作品 
Cesar Franck
(1822〜1890)


☆ 交響曲 ニ短調 ☆
Symphonie en re mineur
作曲年代:1886〜1888
演奏形態:れんだん
原曲:管弦楽曲
編曲者:作曲者自編
参照楽譜:J.Hamelle
参考CD:見つかりません

 実に壮麗な「連弾ソナタ」。トランスクリプションの要素は、ほとんどありませんが、完璧なピヤノ曲となっています。ピヤノ書法上、まったく無理のない、自然な編曲です。しかも、極めて効果的な響きを醸し出しています。A.Dvorak自編による連弾版「交響曲第9番 ホ短調」と、肩を並べるくらいの名編曲!

 この編曲、「ピヤノで弾くための心配り」が、随所に表れています。例えば、第1楽章の13小節目。原曲ではヴィオラとチェロがトレモロで旋律を、ファゴットとホルンが“後打ち装飾”を、バス・クラリネットとコントラバスが低音の持続を、それぞれ分担します(譜例1-1)。この部分、旋律はセコンダの右手が担当。分散音として編曲処理をしています。まあ、この処理は、弦のトレモロによる旋律をピヤノに移し替える上での「定石」と言えましょう。

 着目すべきは、バス・クラリネットとコントラバスの処理。当該箇所では、Lentoで4小節に渡って、低音の持続が要求されます。しかもピアニシモ。これをそのままピヤノに移し替えたら、音が減衰してしまって、最初の1小節から先は、まったく聞こえなくなってしまいます。すると、低音、しかも基調となる音(D音)の支えが欠けた、締まらない演奏になってしまうのです。ところがFranck編曲では、1小節ごとに音を“打ち直し”て、この音がきちんと持続するように配慮してあります。しかも、オクターヴで弾くことによって、音が可能な限り持続するように工夫しているのです(以上、譜例1-2)

 「何だ、そんなこと」と思われる方がいらっしゃるかも知れませんね。しかし残念なことに、管弦楽曲のピヤノ編曲(連弾もソロも)において、こうした配慮がない編曲が実に多いのが現状です。何小節にも渡って、タイで音を引っ張るだけなら、まだマシ。タイで引っ張ったまま、クレッシェンドをかけるような「暴挙」を平気でやっているような編曲まで散見されます。

 こうした「ちょっとした配慮・工夫」があるかないかで、曲の聞こえ方、あるいは弾く上での演奏負荷が、まったく異なってしまいます。なお、ファゴットとホルンの“後打ち装飾”は、プリモがセコンダの右手を越えた低音域で鳴らします。音域から見るとセコンダです。そう、この箇所(13〜16小節目)は、完全に奏者の手が交差します。でも、音同士のつながりや弾き易さに着目すると、実に自然な処理です。凡庸な編曲者だと、これらの音をセコンダに分担させてしまうことでしょう。もしそうすると、前後の小節における手の動き・配置から見て、声部の受け渡しが両奏者間で頻繁に交わされるなど、実に無様な編曲となってしまいます。結果的に奏者に余計な負担をかけてしまうこととなるのですね。

 この編曲、こうした連弾奏者(ピヤニスト全般といっても良いでしょう)に対する「細かい心配り」が、あちこちに見られるのです。

 また第1楽章末尾、コントラバスを除く弦のトレモロによる3連符(493小節目以降:譜例2-1)、トロンボーンおよびチューバを除く全パートを、プリモの3連符に凝縮しています(譜例2-2)。この3連符による分散和音の中から旋律が浮かび上がる仕組み。下手にすべての声部をピヤノに移すのではなく、完全に書き換えております。この書法、同じFranckの「Prelude, choral et fugue」の冒頭および末尾に見られるピヤノ書法とまったく同じ。ちなみにトロンボーン、チューバ、コントラバスは、セコンダが両手オクターヴで担当しています。

 かといって、原曲そのままで良いところは、変な細工などしていません。例えば第2楽章の第48小節、3拍目以降。8小節に渡って、弦だけの演奏となる箇所です。ここを第1および第2ヴァイオリンをプリモに、ヴィオラ、チェロ、コントラバスをセコンダに、それぞれ振り分けています。これ、実に自然に弾けますよ(譜例3)

 ただし、内声部(この場合、第2ヴァイオリンとヴィオラ)の16分音符による細かい動きを、ヴァイオリンはプリモ左手に、ヴィオラはセコンダ右手に割り当ててあるため、合わせるときは結構厄介。音が薄い箇所だけに、完璧綺麗に合わせないと、ボロボロになります。しかも両者の手が非常に接近するために、上手にポジションを移動させないと、ダメです。喧嘩の素です。

 総じて、全曲の細部にまで「心配り」が見られる、それは秀逸な編曲です。

 なお、本稿を執筆するに当たって管弦楽譜の参考資料としたのは、全音楽譜出版社のミニチュア・スコア。これが、実に邪悪な代物でした。例えば、譜例3に示した箇所。第1ヴァイオリンに対する「dolce cantabile」の指示が、49小節目から入っていますね。これは実に不自然。第1ヴァイオリンが受け持つ旋律は48小節の3拍目から始まって、49小節目の1拍目は前の小節末尾の音をタイで引っ張っています。普通、引っ張った音の途中、しかも最初の音の途中から、いきなり「dolce cantabile」なんて指示しますかね。明らかに、変ですよ、これ。で、連弾版を見ると、プリモ・パートの第48小節の3拍目の上に、きちんと「dolce cantabile」と記載してあります。その他、よく注意して見ると、この全音ミニチュア・スコアには、変なところがあちこちに。

 連弾譜にあって、スコアにない演奏指定の記述もありますが(不思議なことに、逆は、ない)、これはどんな楽譜でも生じることでしょう。でもね、先述の「dolce cantabile」のような、いい加減な記述が散見すると、指定が落ちていても「校閲した上の考慮」ではなく、単なる「マヌケ」に思えてきてしまいます。いずれにしても、信頼性の低い、邪悪なスコアです。