ブルッフの作品
Max Bruch
(1838〜1920)

 


 

☆ ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調 作品26 ☆
Vaiorin Concerto No.1 G-minor op.26
作曲年代:1866
原曲:ヴァイオリン+管弦楽
演奏形態:れんだん
編曲者:Richard Kleinmichel
参照楽譜:C.F.W.Siegel's

 大爆笑!の楽譜です。

 なぜ大爆笑ですって? あの流麗なヴァイオリン協奏曲が、あたかも元からの連弾曲であったかのように仕上がっているのですから。一種の壮麗な“お遊び”です。楽譜を読んでいて「よくぞ、ここまで!」と感心せざるを得ません。ピヤノ曲として見た場合、不自然なところは殆どありません。運指や音の持続に関しても、見事に考慮してあります。あまりにも見事であるだけに、楽譜を見れば見るほど、爆笑を誘発してしまうのです。

 これまでも、管弦楽曲や弦楽四重奏などの連弾楽譜をいくつも見てきましたが、編曲の出来としては「」です。全部ではありませんが、ちょっと弾いてみたところ、実にピヤノ曲らしく、そして美しく響きます。もちろん、壮麗な演奏効果が上がります。

 ただし、重大な問題があります。

 セコンダが全然面白くないこと。いや、ピヤノ曲として見れば大きな問題ではないのです。弾いていてセコンダも、それなりに楽しいですよ。「面白くない」というのは、流麗なヴァイオリン・ソロの音を、ほとんどすべてプリモに振り分けてあること。美味しいところは、みんなプリモに持って行かれてしまいます。セコンダが低音域で散々苦労している上で、プリモは涼しい顔をして、あの素敵なヴァイオリン・パートを朗々と弾くのです。しかもプリモは、譜面(ふづら)の割には難しくなく、かつ華々しく響きます。一方のセコンダは、結構音が厚くなるところがあって、そんな箇所では気を抜くと音が濁ったりして、意外と苦労します。これではセコンダ、感情的に面白くありませんわな。これで「面白い」とおっしゃるセコンダは、よほど奇特なお方でいらっしゃいます。

 演奏上の打開策として、楽章ごとにプリモとセコンダを入れ替える、あるいはカデンツアの部分だけプリモがセコンダに演奏を譲る、などの方法が考えられます。一方が「セコンダだけでいいよ」という奇特なお方である以外は、「譲り合いのこころ」で対処するしかないでしょう。

 また、極端な交差はありませんが、両奏者の手は頻繁に接近します。ここでも「譲り合いのこころ」が必要となります。なお、プリモは自分自身の手が交差/接近する場所があります。ヴァイオリンの動きを右手に、管弦楽の動きを左手に振った結果です。音の流れから見ると自然なのですが、ちょっと弾きにくいですね。