ベルリオーズの作品 
Hector Berlioz
(1803〜1869)

☆ 幻想交響曲--ある芸術家の生涯エピソード 作品14 ☆
Symphonie Fantastique -- Episode de la vie d'un artste
作曲年代:1830/31
原曲:管弦楽曲
編曲者:Ch. Banneliner
参照楽譜:Ph. Maouet
参考CD:ありません


 管弦楽曲の「連弾編曲」には、「トンデモ本」ならぬ「トンデモ編曲」が、山のようにあります。Mahlerの「巨人」や「復活」、Brucknerの「浪漫的」などが、その好例です。実は、この「幻想交響曲」も、そうした「トンデモ編曲」かと早とちりして分析を始めたのですが、どうしてどうして。立派な連弾ソナタに仕上がっております。

 トランスクリプションの要素は皆無。極めてオーソドックスな編曲です。原曲の音域を、上手にプリモとセコンダに割り振っております。しかしながら、声部の連結性をきちんと考慮しているため、プリモとセコンダにおける声部の受け渡し--特に内声部--は、必要最小限に抑えられております。この点、実に見事と言えましょう。両奏者の「接近」は頻繁にありますが、交差はほとんどありません。

 それでいて、非常に「きれいに」響きます。演奏効果も満点です。

 第1楽章「夢と情熱」の冒頭を見てみましょう。

第1楽章:冒頭プリモ
第1楽章:冒頭セコンダ


 これをピヤノで弾くと、実に清冽に響きます。全曲を通じて、ダイナミクスおよびアーティクレーションの付け方は、完全に「ピヤノ仕様」となっております。不自然な点は皆無です。編曲(管弦楽からの音の移し替え)は、さほど工夫はありませんが、「ピヤノ連弾」という演奏形態を充分に加味した譜記は、実に見事です。

 迫力も満点。例えば第4楽章「断頭台への行進」のマーチ・テーマ。実に豪快に響きます。ただし、可能な限り音が濁らないように、セコンダ左手は、ティンパニ等の低音楽器が刻む「リズム・セクション」のみを分担させております。下手くそな編曲ですと、音の厚みを増そうとして、セコンダ左手にも余計な音を加えるところでしょう。

第4楽章:断頭台への行進・プリモ--ペダル指示に注目!
第4楽章:断頭台への行進・セコンダ


 この「断頭台への行進」の譜例を、ちょっと注意深く見て下さい。プリモとセコンダの両方に、ペダル指示が記述してありますね。実は、この箇所だけではありません。全曲を通じて、両パートにペダル指示があるのです。

 連弾では「セコンダがペダルを踏む」というのが「常識」となっております。ペダル指示は、セコンダのみに記載してあることが普通です。ところがこの楽譜、両パートにペダル指示。どちらがペダルを制御しても良いように記載してあります。こうした例は、非常に珍しい。

 もし、セコンダを担当する人の足に障害があったら。あるいは、わたくしたちのように片方が滅茶苦茶下手くそで、上手な方が常にペダルを受け持たなければならなくなったら--。多少譜面が「五月蠅く」なっても、プリモとセコンダにペダル指示があったら便利ですよね。もっとも楽譜に書いてあるペダル指示は、あくまでも「参考」ですが・・・。こうした点でも、じつに配慮ある楽譜です。

 ただし、若干演奏上で問題が生じる箇所があります。例えば第2楽章。「舞踏会」のワルツ。セコンダの伴奏上に、プリモが片手で主題を弾き出します。最初は良いのですが、2回目にワルツの主題が出てくるところ。プリモの右手と左手が完全に交差します。プリモ右手が旋律、同左手が後打ち装飾。原曲そのままピヤノに移したので、声部が輻輳します。結果、手が単純に交差するだけではなく、余程うまく考えないと、自分の手がもつれてしまうのです。

 加えて、自分の左手を飛び越えたプリモ右手は、セコンダ右手と相当に接近。打鍵と同時にポジションそのものを移動させていかないと、セコンダ右手の「演奏妨害」となってしまうのです。自分自身の手は絡まるわ、相手の手とは絡まるわ・・・。かなり厄介です。しかし、音の響き自体は、驚くほど美しい! こうした箇所が他にも続出いたします。

 残念ながらこの楽譜、現在絶版です。夫・かずみは、この楽譜を、パリ・コンセルバトワ近くの楽譜屋さんで偶然に見つけました。友人の在仏日本大使館書記官氏が「あの店に行ったら、下の方の段に、ゴミ同然に古楽譜が積まれているよ。その“ゴミ”を漁ると、掘り出し物が出てくるよ」とのガイドで見つけた代物です。100年以上前に印刷/製本された楽譜は痛んで崩壊寸前。ピヤノの譜面立てに置くと、楽譜の端から崩れ、その断片がピヤノの上に飛び散る状態。ページをめくると、端からボロボロ崩れてきます(写真・左)。とても家の外には持ち出せない代物です。