...... 2005年 2月 01日 の日記 ......
■[ NO. 500 ]
寒波来襲
晴れ。

日本列島に大寒波が襲来しているという。でも首都圏は。それほど寒くならなかった。

今日のトピックスは、松下電器産業が自社の特許をジャストシステムが侵害しているという裁判の判決。もう、あちこちのメディアで出ているけれど、結果はジャストの負け。東京地裁の判決では、松下の特許をジャストの「一太郎」「花子」が侵害していることを認めた。ただ、松下が求めていた仮執行(製造・販売の中止、在庫の廃棄)を、今回の判決では宣言しなかった。

というわけで、14日以内にジャストが控訴すれば、判決は確定せず、ジャストは「一太郎」と「花子」を売り続けることができるのだ。まだ、分からないけど、ジャストはきっと控訴するだろうな。ジャストにとっては、これらのソフトは生命線だから。

もっとも法的に見ると、あまり面白い事件ではない。単なる特許紛争だから。いつでも、どこでもあり得る事例のひとつに過ぎないからだ。取り立てて新しい判例が出るわけではない。まあ、会社と製品の知名度で大げさになった事例であろう。

今日も、お友達から頼まれた調べ事をして「閉店」の、わたくしである。

気持ちよく寝てるんだ。起こすなよ!



...... 2005年 2月 02日 の日記 ......
■[ NO. 501 ]
どこか、遠くへ!
晴れ。

今日は、久しぶりにお仕事で外出。埼玉のずーっと遠くまで行ってきた。仕事での外出、楽しいな。でも、これが仕事じゃなくて、プライベートの旅行だったら、もっともっと楽しいのに。列車のシートにもたれながら、そんなことを考えていた、今日のわたくしである。

でも、ぱぐたちが、もう老齢。ひとばん家を空けることなんてできない。そんなことしたら、心配で心配で、きっと旅行も楽しめないだろう。ぱぐたちを家に残して外出するのは、9時間が限度だ。それを超えると、もう、心配でたまらない。

ぱぐたちが、もう少し元気だったら、ワンワン・サポータに頼んで、家を空けることができるのだけど。でも、もう、それはできない。心配で。

ワンワンだって、大切な家族なのだから。

「ぱぐの天使」。幸福をもたらしてくれると、いいな。



...... 2005年 2月 03日 の日記 ......
■[ NO. 502 ]
節分の陰謀
晴れ。今日も風が冷たい。

帰宅すると、夕食の用意がしてあった。お皿の上に、でっかい「巻き寿司」が1本。「それ、今夜の夕ご飯だよ〜」(ゆみこ)。

またか、またか。節分になると、これだ。

巻き寿司を、その年の恵方(今年は西南西)に向いて1本丸ごと食べると(部屋の明かりを消して、無言でなければならないらしい)、その年は無病息災になるとのこと。こんな変な習慣、少なくともわたくしの廻りではなかったぞ!

節分と言えば、豆撒きか、鰯の頭+柊だ。これ、常識であるとのことよ。我が連弾庵では、そうした伝統的な行事などない。豆撒きは楽しいけど、後かたづけが面倒。鰯+柊は、仕掛けが面倒。その代わり「巻き寿司」なる珍妙な習慣が入り込んだ。

この「節分の巻き寿司」、わたくしは10数年前に知った。小林信彦氏の名著「唐獅子株式会社」に記されていたからだ。その頃は、関西、それもごく一部の風習だったと記憶している。小林氏の著書を読んで、「こんな妙な風習、本当にあるのかしら?」。最初の頃は、大阪出身の上司や同僚に聞いても「そんなの知らないよ」だった。関西の習慣といっても、ウルトラ・ローカルな風習だったのだ。

わたくしとゆみこが知り合ったのは11年前だが、ゆみこによれば、彼女の周辺ではかなり前から、その妙な習慣があったのだそうだ。ちなみに、ゆみこは東京出身で、しばらく埼玉で暮らしていた。それなのに「節分は巻き寿司」である。一緒に暮らすようになってからは、節分の象徴は「豆撒き」ではなく、「巻き寿司」に変わった。

不肖かずみ、未だに納得がいかない。日本古来の伝統的な風習を踏襲しないのに、どこぞの妙な風習を強要されるとは!

しかし、わたくしだけではなかったのだ。

本欄でしばしば登場する美貌のコレペティトル・のりこちゃん。楽譜授受の連絡メールの末尾に「ただいま、恵方に向かって巻き寿司を食べたところです」。

どうやらこの風習、日本各地を浸食しているようだ。スーパーやコンビニ、テイクアウトの寿司屋でも、みんな「節分巻き寿司、承ります」と宣伝しているし。何かそこに、陰謀を感じるのは、わたくしだけであろうか。宣伝している連中の陰謀を。

はっきり言って、節分に巻き寿司など食べても、わたくしはちっとも嬉しくない! 豆撒きや鰯+柊の方が、どれほど情緒があることか! 妙な習慣が食品業界の陰謀で広まり、古来の風習が薄れるのを、とても悲しく感じる、わたくしである。やるなら、関西の特定の地域だけでやってほしい。

せめて、豆撒き、やりたかったな。

皆さんは、如何ですか?

寒い日は、炬燵に限るぜ!



...... 2005年 2月 04日 の日記 ......
■[ NO. 503 ]
風習と言うもの
晴れ。

立春である。

昨日の「日乗」に、少し付け加え。わたくしは、別に「節分に巻き寿司」が悪いと言っているわけではない。もともとそうした習慣を持った方なら、そうした伝統を楽しむべきである。それはそれで良いことだ。わたくしが奇異に思うのは、その習慣がなかったからである。わたくしにとって親しい「豆撒き」や「鰯+柊」だって、外人の方からは、異様な風習に見えるに違いない。

わたくしが言いたかったのは、ローカルな風習を商売のために広め利用するのは如何なものかと思ったし、それに乗っかる人もどうかと感じたことだ。まあ余所の方が何をやってもいいが、自分に降りかかってくるのは、ちょっと勘弁してもらいたい。

ただし、ゆみこの名誉(?)のために言っておくと、昨夜の夕食は「太巻き寿司」だけではなかった。きちんとおかずも用意されていた。もっとも、でっかい太巻き(サイズを測ったり、写真撮影をしておかなかったことは失敗だ)だけで、おなかがいっぱいになってしまったのには参ったが。

ちなみに昨日の「日乗」をご覧になった方から、何通かメールを頂いた。やはりこの“習慣”、かなりの勢いで国内に広がっているようだ。そして皆さん、「スーパー、コンビニ、テイクアウト寿司屋の陰謀説」に賛同されていらしたのには愉快だった。

やはり、多くの方が、同じように感じていらっしゃるのですね。


...... 2005年 2月 05日 の日記 ......
■[ NO. 504 ]
強引にチケット確保
晴れ。気温はやや上がったが、風が吹いて寒い。

演奏会には、チケットの先行発売時に「よーい、ドン!」で取らなければアウトなものと、一般発売までゆっくりしていても取れるものとがある。ウイーン・フィルやベルリン・フィル、アルゲリッチさまなどは完全に前者。この時の欠点は、ほとんどの場合、自分で座席を選べないことだ。その点、後者だと自分で好きな座席が選べる。もっとも残り物の中から選ぶことになるが。でもこれまでは、なかなか良い席が確保できている。

今日確保したのは、後者。エッシェンバッハ指揮・フィラデルフィア管弦楽団だ。もっともこの楽団を積極的に聴きたかったのではなく、ラン・ランというピヤニストの今回の来日公演で、日曜日に開催されるものが、これだけだったからだ。

ラン・ランは、以前にテレビの中継録画を見て好感を持ち、是非とも生で聴いてみたいピヤニストだった。わたくしにとって、最近の若手で数少ない興味の対象となるピヤニストだ。ゆみこも「ラン・ラン、一度聴いてみたいね」と言っている。

ただ、その公演には、ゆみこが難色を示した。これは1月22日付けの「日乗」に書いた通り。で、押し問答をしていても埒が開かないので、強引に購入することにした。

カジモトeプラスに電話したら、あっけなく1階・最前列・中央の席が確保できた。ゆみこに「ラン・ランのチケット、確保できたよ」と言うと、「例のやつか。仕方ない、かずみに付き合ってあげよう」。「マーラーの5番、途中で眠ってもいいからね」、と付け加えたわたくしであった。

午後になって、どうも胃の調子が良くない。おまけに下痢だ。さらに夕方になって悪寒がしてきた。風邪をひいたのだろうか。もっと書きたいことがあったけど、今夜はこれにて沈没だ。

最近、散歩は疲れるぜ! (撮影:ゆみこ)



...... 2005年 2月 06日 の日記 ......
■[ NO. 505 ]
くるみ割り人形・全曲連弾版
晴れ。

昨日は散々な体調だった。熱があったところをみると、風邪をひいたのだろう。早めに眠ったのが0時20分。主治医の先生から処方された眠り薬を、焼酎のお湯割で飲んだら、あっという間に効いた。次に気が付いたら、午前8時だった。コワイ夢、イヤナ夢をたくさん見ながらも、しっかり眠った。

でも、風邪の治りかけなのか、まだまだ眠い。また眠る。途中から「ぱぐ」が布団に入ってきて一緒に眠っていたら、珍しく「あかね」がやってきて布団に潜った。

ゲルギエフのくるみ割り人形
11時頃、インタフォンが鳴って、やっと起きあがった。「amazon.co.jp」からの荷物が到着だ。宅配便の中身は、ゆみこから頼まれた「屋根の上のバイオリン弾き」の映画のDVDと、ゲルギエフ指揮「くるみ割り人形(全曲)」のCDである。DVDはともかく、CDを買ったのには訳がある。

先日、「アカデミア・ミュージック」のサイトを見ていたら、貧者の味方「Dover」が、チャイコフスキ「くるみ割り人形」の全曲フルスコアを出版したことが紹介されていた。わたくしは、この曲が大好きなのである。一般の方が良く耳にする「組曲」もいいが、聴くとなったら、やはり全曲だ。特に、第1幕の、くるみ割り人形が王子様に姿を変えるシーンから後が素晴らしい。それと第2幕のフィナーレ。うーん、やはりスコアを参照しながら楽曲を聴きたいね。

で、アカデミアでの価格を見たら、6640円! 高い! これでは高すぎて購入できないよ。Doverはわたくしたち貧者の味方で、値段はもっと安いはず・・・と、今度は「amazon.com」に行ってみた。そうしたら、「正価34ドル95セントを大割引! 30%引の23ドル7セント。今なら在庫あり! さあ、すぐに注文しよう!」。迷わず「購入ボタン」をクリックしてしまった、わたくしだった。お調子者のわたくしは、読みたかった「Music Since 1900, 6th Edition」が、アカデミアの半額で買えることも知って、思わず「購入ボタン」をクリックしてしまった。この本のところにも「今なら在庫あり! さあ、すぐに注文しよう!」と出ていたのである。

で、楽譜を買ったなら、やはり音も欲しい。CD1枚だったら、国内盤でもいいかな・・・と思って、探したらゲルギエフのがあった。迷わず購入である。

この演奏、これまで聴いた、どれよりも素晴らしかった。演奏を聴いて、思わず「ほろり」とした、わたくしである。この感想は、またいつか書くことにする。やはりゲルギエフは素敵だ。

さて、「くるみ割り人形」、「組曲」であれば、何種類かのデュオ編曲が出ていて、現在でも容易に入手可能だ。だが、「全曲」の連弾編曲があることは、ほとんど知られていない。しかも編曲者はアレンスキー。わたくしも、たった一度だけ楽譜を見たことがあるのだが、それはそれは、大変に美しい編曲である。

この連弾用編曲、ある大手レコード会社で録音する企画が持ち上がったことがある。それも、大変豪華なデュオ・ピヤニストの演奏で。ところが、企画段階で、これは没になってしまった。理由は、「こんなもの録音して、いったい誰が買うの?」。これは、本当に残念なことである。もし実現していれば・・・と思うのは、わたくしだけではないだろう。


...... 2005年 2月 07日 の日記 ......
■[ NO. 506 ]
雨、ショパン
晴れ、のち曇り。夜になって雨。

連弾庵の雨戸や吹き抜けの窓ガラスに、雨が打ち付けられる音が聞こえる。月曜からフラフラになって帰宅した身が、疲れている。発作的にショパンが聴きたくなった。

CDラックから取りだしたのは、バラード1番、4番、それに幻想ポロネーズ。奏者は、いずれもホロヴィッツだ。こんなもの聴いたら、目と頭がガンガンに冴えて、眠れなくなってしまうのは分かり切っているのだが。雨の音を聞いたら、どうしても聴きたくなってしまったのだ。

何故、ホロヴィッツかって? わたくしにとってショパンの演奏は、ホロヴィッツかアルゲリッチさましかありえないのである。

しかし珍しいな、ショパンを聴きたくなるなんて。雨のせいかな?

立春を過ぎても、やっぱり寒いぜ!



...... 2005年 2月 08日 の日記 ......
■[ NO. 507 ]
遅延
雨。

天気予報では、「午後から上がる」とのことだったが、ほとんど1日、冷たい雨が降り続く。天気予報を信頼して、小降りになった午後、ぱぐたちの散歩に出たゆみこは、途中からどさっと降られ、ずぶ濡れになってしまった。

amazon.com」から誘惑メールが。「ラン・ランの新譜、出ました! ラフマニノフ:ピヤノ協奏曲第2番。いますぐサイトにアクセスだ!」。行ってみたら、あった、あった。協奏曲に加え、「パガニーニの主題による狂詩曲」。「協奏曲」も「パガニーニ…」も、もう何枚、連弾庵のCDラックにあるのか分からない。普通だったら、「まあ、こんなのも出たのか…」で済ますところなのだが、指揮者を見て驚いた。あのゲルギエフではないか! これは、そそられる。でも先日、このサイトで散財したばかり。ちょっと冷静になることができた、わたくしである。

それに、これを買ったら、また欲しいCDを釣られて買ってしまいそうでもある。このところネットでお買い物をしすぎたので、今回は、ぐっとこらえて自粛モードである。でも、この組み合わせだったら、是非とも聴いてみたい。近未来に購入してしまうのは、確実のようだ。

しかし最近のamazon.com、商品が予告期日通りに届いた試しがない。必ず遅延する。ずっと前に頼んだピヤノ・デュオのCD、4枚も遅延通知を2回ももらっていて、まだ発送されていない。サイトによれば、発注から1週間以内に発送されるはずだったのに。2カ月以上待たされている。

おまけに先日発注した「The Nutcracker : Complete Ballet in Full Score」と「Music Since 1900」、いずれもサイトには「Usually ships within 1 to 2 days from Amazon.com」に加えて、「Only 2 left in stock--order soon」と出ていたので慌てて頼んだのに、「アカウント」で調べてみたら、前者は2月11日の発送予定、後者に至っては何と4月7日発送予定になっていた。メールでは2月8日の発送だったのに。

このショップ、最近ちょっとサービスのクオリティが落ちているような気がする。まあ、発注して最終的に届かなかったものはないし、決済上のトラブルも1度も発生していないから、安心と言えば安心なのだが。オンラインショップとして、あまりにも巨大になると、こうした問題が出てくるのだろうか?


...... 2005年 2月 09日 の日記 ......
■[ NO. 508 ]
被害者の責任
晴れ。のち曇り。

先進国で問題になっている「フィッシング詐欺」。やはり日本でも被害者が出ていた。UFJカードがフィッシングと推測される方法で偽造され、カード保有者の関与しないところで現金が引き出されていたというのだ。

前にも説明したが、「フィッシング詐欺」とは、金融機関を騙ったメールに返信させたり偽サイトにユーザーを誘導し、カード番号や口座番号、カードの暗証番号などを不正に取得、このデータを元に悪事を働くことをいう。

もちろんいちばん悪いのは、フィッシング詐欺を企画・実行する輩である。ただ、フィッシング詐欺の被害者にも落ち度があることは言うまでもない。そもそも金融機関が電子メールで顧客情報を問い合わせて来ることなどあり得ない。

ネットを離れて現実の世界で考えてみよう。金融機関がカードの暗証番号を電話で顧客に問い合わせたり、お手紙で聞いたりすることなどあるだろうか? 常識的に考えればあり得ない。そのようなことなど、誰でも分かる。それが、どうしてネットの世界になると、いとも簡単に詐欺に引っかかってしまうのだろう? これは、詐欺に引っかかったネット利用者の情報リテラシが極端に低いことから来ているのは間違いない。ネット上で、どういう情報を、どういうケースに扱ったらいいのか、そうした、ごく初歩的な知識が欠如しているのだ。それを踏まえずに、安易にネットを使っている利用者にも非があるのだ。

確かに、フィッシング詐欺メールは良くできている。わたくしのところにも、最近でこそ減ったが、ある時期など毎日のように来ていた。あまりにきれいで良く出来ているので、大笑いしたくらいである。でも、顧客の大切な秘密情報を聞くのに、金融機関が「お客様各位」などと、顧客個人名を記載せずにメールなど送るだろうか? そもそも、金融機関側から顧客にそうした情報を問い合わせて来ることなどないのに。だから、こんなもの、すぐにフィッシング詐欺メールだと分かる。決してわたくしの情報リテラシが高いのではなく、単に常識レベルで考えれば分かることだ。

もちろん詐欺は犯罪だ。許されるべきことではない。だが、こうしたあまりにも単純な詐欺に引っかかってしまう側にも責任がある。こういう言い方をしてしまうと申し訳ないかも知れないが、引っかかってしまった人も、結果的には犯罪に協力してしまったようなものである。お気の毒だが、「ネットを利用する上で、高い授業料を払ってしまった」のだ。

被害者に落ち度のない「スキミング」などは、金融機関が被害額を補填する必要があるだろう。だが、フィッシング詐欺のように、半分以上被害者に責任があるものに対しては、補償をすべきではない、とわたくしは考える。安易に補償をすると、いつまで経っても、ネット・ユーザーのリテラシは上がらないだけである。ネット・ユーザーを甘やかすだけだ。この際、被害者を突き放して、自己責任を問うべきだろう。

そもそも、フィッシング詐欺に簡単に引っかかる人など、インターネットを利用する資格などあるのか。そう考えるのは、わたくしだけだろうか?


...... 2005年 2月 10日 の日記 ......
■[ NO. 509 ]
感性の欠如
晴れ。ときどき曇り。一時雨。

「何て、格好悪いんだろう」と思っていたら、撤回になった。何のことかというと、町村合併に伴って発足する新しい市の名前を、へんてこな片仮名にする話だ。愛知県美浜町と南知多町が2006年3月に合併し市となるが、法定合併協議会は、その名前を「南セントレア市」とすることを決めていた。それが住民の猛反対で撤回となったのである。

猛反対した人たちの気持ちは、本当によく分かる。わたくしが住民だったら、やっぱり猛烈に反対するだろう。いくら行政体制が新しくなるからと言って、意味もない片仮名で市の名前をつけることはないではないか。しかも感性もへったくれもあったものではない。ちなみに、法定合併協議会は全員一致で、この名前に決めたとのこと。この人たちの言語感覚を疑う。

地名や市名などは、その地域に根ざした名前にするのが、自然な感覚なのではないだろうか。もちろん、住民全員が賛成するような名前をつけることは難しい。でも、住民の大部分から同意が得られるようなものでなければならないだろう。だいたいの場合において、みんなが賛成するのは地域や、その文化に根ざした名前である。合併協議会は、そのあたりを考慮して、新しい市の名前をつけるのが、正常な感覚と言えるだろう。合併協議会の参加者は、そうした感覚が欠如していたのだ。住民の方の反発を喰らっても当然だろう。

こんな名前をつけるような合併協議会では、新しい市の行政も、本当にうまくまとまるのか、そこまで疑ってしまう。何故って? 一事が万事だからである。市の命名時点で躓いているような合併、うまく行くと思う方がおかしいだろう。

みなさんは、どう思いますか?


...... 2005年 2月 11日 の日記 ......
■[ NO. 510 ]
さより
晴れ。

「シッピング・モールの、お魚屋さんで、さより、売ってたよ。下ろしてもらってきた」。ゆみこが、“春の便り”を見つけてきた。これは、美味しいお酒で頂こう。



さよりは うすい
さよりは ほそい
ぎんのうお さより
きらりと ひかれ

つきよの かわに
だれだれ でてる
さざなみ こなみ
ちらりと ひかれ

さよりの うちは
まみずか しおか
つめたい さより
みずのたま はけよ

さよりは うすい
さよりは ほそい
ぎんのうお さより
おねえさまに にてる

   (北原白秋)




さより。春を告げる、お魚。わたくしの大好物である。でも、処理の方法が微妙で、ちょっと油断すると生臭くなってしまう。でも、今日のさよりは美味しかった。昨年は、一度も口にすることはできなかったので、2年ぶりである。

夜は、久々のスコッチ・ウイスキーで、沈没だ。

久々にウイスキー。シングルモルトの「Macallan」



...... 2005年 2月 12日 の日記 ......
■[ NO. 511 ]
ラインベルガー
晴れ。のち曇り。

今日も昨日に続いて、「完全休業」である。

ここ数年で、わたくしがいちばんたくさんCDを購入している「amazon.de」からメール。「ご注文頂いたCD、大変申し訳ありませんが入荷しません。キャンセルとさせて下さい」。このときは、一度に何枚か発注したのだが、その中でいちばん楽しみにしていたディスク。ラインベルガーの「連弾のための大ソナタ」が入っていて、このCDの発注と同時に楽譜まで購入したのに。楽譜は届いて、CDは届かず。楽譜を見る限りは、とても素敵な曲。CDが入手できなかったのは、とても残念である。

一日、のんびり過ごして、沈没。

どこかでちょっぴり、春の香りがするぜ!



...... 2005年 2月 13日 の日記 ......
■[ NO. 512 ]
あまりに遅い新年会
曇り。時々晴れ。

今日は、「あまりに遅い新年会」だ。インターネットで知り合い、仲良くなった仲間(でアルコールが呑める人)が、半年に1度集まるパーティである。夏は連弾庵、冬は外のお店で…というのが、ここ数年定着している。

いつもお世話になっている方ばかりなので、ささやかなプレゼントを用意するため、午前中から買い出しに出る。近所に上品な和菓子屋さんや、変な鯛焼き+お好み焼き屋さんがあって、こちらでプレゼントを捕獲。和菓子屋さんでは、うさぎを象ったお菓子、鯛焼き屋さんでは中身が「こしあん」のと「お好み焼き」の鯛焼きを。それから、とあるところでチョコレートを2人分。こうしたお買い物は楽しい。

今日の会場は、東京駅八重洲北口の「キッチンストリート」という食べ物ゾーンにあるお店。少し早めに出て銀座に回り、行きつけのブティックとヤマハ銀座店に寄ることにした。

地下鉄・銀座線の銀座駅を出て、しばらく歩いたら人だかりが。「何事か!」とデジカメを構えて寄っていったら、いたいた。でっかいワンワンが! それも2つも!

ワシは、グレート・ピレニーズぢゃ!
でっかいぞ! 文句あっか!


体重はわたくしとほとんど変わらない。こう言うのが家の中をウロウロしていたら、とても楽しいだろう。

ブティックは、相変わらず混んでいた。何だかんだ言って繁盛している。わたくしは、いくつか小物が欲しかったのだが、今回は眼鏡ケースだけ。その他は事情があって次回にパス。ただ、ゆみこをけしかけて、ことしの春夏コレクションのバッグを買わせてしまった。とてもセンスが良くて素敵なのだけど予想外の大散財だ。「かずみの買い物に付き合うだけだったのに、思わず買ってしまったではないか!」。何だか、去年の「あまりに遅い新年会」の前にも、同じようなことになっていたような気がする。つくづく学習効果のない、わたくしたちだ。

ヤマハでは、「ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲」を捕獲。「あのさ、今年、手掛けてみたいのだけど、楽譜、あるよね?」、とゆみこ。ところがである。連弾庵には無数の盲点がある。ピヤノ・デュオの超有名曲であっても「楽譜がない」ことが往々にしてあるのだ。この曲もそうだった。

「Petersと全音の在庫があるよ」。「安い方でいい」。結果、全音に。でも、全音の校訂者は、角野裕先生・怜子先生である。これなら安心だ。解説はもとより、丁寧な注釈が付いている。下手に海外の楽譜にするより、国内で出ているものの方が、信頼性が高いケースもあるのだ。ご参考までに。

「ここからだったら、新橋経由で東京駅がいいね」と、ヤマハを出て歩き始めたら、またまた遭遇。きれいなお嬢さんが、こんな可愛いのを連れていた。

ワシは、フレンチ・ブルドッグぢゃっ!
文句あっかっ!


“銀座、そぞろ歩き”では、デジタル・カメラを手放せない。

16:30からは、大宴会の始まりだ。参加者は、「ぽんかん一家」「リスト・マニヤの燐寸先生」「うさぎ連弾隊」「ふらわぁさん」、それにわたくしたちで総勢10名。延々4時間半に渡って、呑むは喋るは大騒ぎ。「ぽんかんご一家」の主、まがもさんが終了宣言を出すまで、大爆発! 楽しいひとときでした。

職業も年齢も違うけど、「ピヤノ」というキーワードで集まれるって、楽しいね。

大爆発の「あまりに遅い新年会」



...... 2005年 2月 14日 の日記 ......
■[ NO. 513 ]
粋なラベル
晴れ。

月曜だというのに、猛烈に疲れた。書きたいことはたくさんあるのだけど、明日送りに。

あるご夫婦からワインが届いた。そのご夫婦の婚姻届の「証人欄」に、ゆみこがサインしたのがご縁である。そのお宅では、ダックスフンドを飼っている。で、送られてきたワインのラベルも、はい、この通り。

なかなか粋だね



...... 2005年 2月 15日 の日記 ......
■[ NO. 514 ]
教育施設にガードマンを!
晴れ。

また、起こった。小学校での殺傷事件である。14日、大阪・寝屋川市の小学校に17歳の少年が乱入。刃物を振り回し、教職員3名を死傷させた。児童が無事なのは不幸中の幸いだが、それでも尊い命が失われたことは事実だ。亡くなられた方の冥福をお祈りする。

こういう事件が起きると、必ず、「地域ぐるみで防犯体制を強化しよう」とのかけ声がかかる。しかし、もう、そんなことを言っている場合ではない。その程度のことで、学校の安全が守られる時代ではないのだ。

そもそも、学校(特に小中学校)や幼稚園は、社会的施設として非常に防御態勢が弱い部分である。なにしろ平均でみると、1人の先生が30人以上の児童・生徒の生命を守らなければならないのだから。よく考えると、実に危ない状況に児童・生徒が置かれていることが分かるだろう。

これだけ物騒なことが起こっている以上、「地域ぐるみで」などというのは、もはや非現実的だ。教職員や地域住民の力だけで、教育施設は守ることが不可能だ。こうなったら、各施設に2名以上のガードマンを配備するほかはない。本当は拳銃で武装した警察官がいいのだけれど、ガードマンだけでも、かなりの防御、あるいは抑止効果があるだろう。

「何もそこまで」などとのたもう向きは、学校の抱える危険性を直視していないか、平和呆けだ。「コストがかかるではないか」って? 当たり前である。水と安全はタダだと思ったら大間違いだ。安全を確保するには、それ相応のコストを覚悟すべきである。「小学校に、そこまでのコストはかけられない」と仰る人など、本当の意味での「安全な学校教育」という環境を軽視しているに他ならない。なぜ、こうした議論がもっと活発にならないのだろう。まことに不思議なことである。

・・・と、ここまで書いたら、今日のニュースが伝えていた。東京都渋谷区では、すべての区立小学校で、この4月からガードマンを配備することにしたそうだ。ああ、やっとそういう意識を持った自治体が出たか。極めてまともな対応と言えよう。ただし、この「まともな対応」がニュースになるようでは・・・やはり日本人の安全意識は、全般に相当低いと言わざるを得ない。もっと、このあたりの意識も高めるべきなのだが。


...... 2005年 2月 16日 の日記 ......
■[ NO. 515 ]
熟睡
雨。

予報では雪になるかも知れない、と言っていたが、1日中、冷たい雨だった。

朝、ゆみこが「かずみ寝室+書斎」に来て、「こっち、大丈夫だった?」。はて? 何のことか分からない。

「いったい、何が起こったの?」
「あの揺れに、気付かなかったのかぁ?」

本日未明、茨城県南部を震源とする、ちょっとばかり強い地震があったのだそうだ。我が連弾庵も、相当に揺れたらしい。震度にして4くらい。コレペティトル・のりこちゃんからも「そちらは、被害、ありませんでしたか? 凄かったけれど、こちらは物が落ちてきたくらいです」とメール。

わたくし、熟睡していて、ちっとも気付かなかった。慌てて見回すけれど、寝室も、書斎も、何ひとつ変化なし。

出勤して同僚と話したのだが、あの揺れで起きなかったのは、わたくしだけだった。大いに笑われたことは言うまでもない。のりこちゃんには「地震があったの、気付かず寝ていた」と返信したところ、「あそこまで揺れて起きないのは凄い」との反応。

ちなみに連弾庵では、わたくし同様、揺れが来ても無反応で大いびきだったのが、約2名。「ぱぐ」と「あかね」だ。「この子たち、予知はおろか、あんな大きな揺れでも、グウグウ寝ていたよ」と、大いに呆れていた、ゆみこである。地震の前には、妙な鳴き方をする犬がいるそうだが(わたくしは、信じないけれど)、「ぱぐ」と「あかね」は、そうしたこととは無縁である。連中の顔を見れば、地震はおろか、泥棒が入ってもグウグウ寝ていることが容易に想像できよう。

ちなみに今回の震源は、太平洋プレートとフィリピン海プレートが北米プレートの下でぶつかっている、地震の多発地点だ。単なる定常現象のひとつである。特段に騒ぎ立てることではないのだ。


...... 2005年 2月 17日 の日記 ......
■[ NO. 516 ]
思わぬ凶器
曇り。

昨日、ちょっとした地震があったので、そちら方面の話題を。

自宅で地震に遭遇したとき、注意しなければならないものはたくさんある。まずは「火」だ。冬や炊事中などは特に要注意。いくら家が耐震構造になっていても、中から火を出してしまえばお終いだ。

それから「倒壊物」。うっかり下敷きになったら、かなり危険・・・どころか場合によっては死んでしまう。

このあたりのことは連弾庵でもかなり考えてあって、「火」についても「倒壊物」についても、完全とは言えないまでも「いざ」というときのことは考慮してある。

案外対処が難しいのは「落下物」である。これについては、正直言って「諦めモード」である。連弾庵の大きめの窓で、雨戸やシャッターのないところはガラスの表裏に飛散防止のフイルムを張ってあるが、落下物への対策はその程度。後は、もう諦めている。いろいろな話を聞くと、落下物を完全にくい止めることは不可能だからだ。

そこで、わたくしたちは、「普段くつろぐ場所」と「寝る場所」には、地震があっても物が落ちてこないような配置にして、次善の策としている。特に「寝る場所」は、大きな揺れがあっても倒壊物が覆い被さって来たり、物が落下してくることがないようにしている。寝床の回りにあるのは、仮に落ちてきて、からだを直撃しても命に別状がないものばかり。もっとも「ゆみこ寝室」では、2メートル以上離れたところにあるテレビ(かなり重い)が直撃したら終わりだが。これだってかなり低い位置にあるので、特定の方向に相当の加速度がかからない限り、寝ている人を直撃することはない。「かずみ寝室」で降ってくるとしたら、縫いぐるみだけである。

ここまでやって、それでもダメなら、不運と思うしかないだろう。

そうそう、いつだったか、どなかたが「ピヤノの下に逃げ込めば?」と仰っていたが、これは非常に危険だ。ピヤノは、あの重たい本体を、わずか3本の華奢な足で支えているに過ぎない。あんな足、相当の加速度がかかったら、すぐにアウトだ。もしピヤノの下に逃げ込んで足の1本でも外れたら、即死の可能性が高い。ピヤノをお持ちの皆さんは、地震の時、絶対にピヤノの下に入らないように。むしろ揺れを感じたら、即座にピヤノから離れることだ。これはアップライトでも同様。倒壊の危険がある。

地震のとき、ピヤノは凶器に早変わりする可能性があるのだ。


...... 2005年 2月 18日 の日記 ......
■[ NO. 517 ]
突然、シンディング
曇り。

帰宅すると、ドイツから小包が届いていた。思い当たることがなかったのだが、発送者は「Muisa.com」で、パッケージの表に「Sheetmuics」のラベルが張ってある。

梱包を解いてみたら、出てきた、出てきた、シンディングが。去年の12月、いろいろ纏めて発注した中で、何の通知もなく「シンディング:2台のピヤノのための変奏曲」が欠品になっていた。もう来ないものだと諦めていたら、突然届いたのである。

「Wilhelm Hansen」という出版社のもので、かつて出していた楽譜のレプリントのようだ。ただ妙な楽譜で、スコア形式なのだが、上が第2、下が第1になっている。しかも第2のパートが小さなサイズになっている。

松永晴紀教授によれば、もともとは、第1用と第2用があるとのことなのだが、どう見ても手元に届いたのは第1用。しかし表紙にも扉にも、第1だか第2だか、何にも書いていない。どうやらこの出版社、「スコア形式だから、どっちか片方をレプリントすればいいや」と考えたのかも知れない。読めないことはないのだが、第2がとても読みにくい。しかも全体に「ゴミ」がいっぱい写っていて、お世辞にもきれいとは言い難い。それでも、この貴重な楽譜が8.95ユーロ(何故か送料はかからなかった)なのだから、よしとすべきか。

さっそく楽譜を参照しながらCDを聴いてみる。シンディング初期の作品で、必ずしも2台ピヤノの書法に熟達しているとは言えないが、なかなか素敵な作品である。後期の「ピヤノ・ソナタ」のような「ズバリ、シンディング」ではないけれど、この作曲家らしいところが随所に現れ、これはこれで面白い。

どなたか、この曲を演奏会やCD録音で取り上げようという「素敵な暴挙」に出る方はいらっしゃらないだろうか?


...... 2005年 2月 19日 の日記 ......
■[ NO. 518 ]
霙混じりのラフマニノフ
雨。時々霙混じり。1日中降り続く。

今日はラフマニノフである。それもデュオではなくて、珍しくソロの曲。

ピヤノ・ソナタ第2番には、3つの版がある。1913年の原典版、1931年の改訂版、それにウラディーミル・ホロヴィッツの手による、いわゆる「ホロヴィッツ版」である。

わたくしは、ずっと以前から「ホロヴィッツ版」を聴いて楽しんできた。LP時代には1968年の演奏を、CDになってからは1980年の演奏を聴いてきた。わたくしは、この2つの演奏が、本当に好きである。それで十分のはずなのだが、ひょんなことから、他の版の録音についても調べることになった。

あくまで個人的な意見だが、1931年の改訂版は良くない。あまりに原典を簡略化してしまい、スケールも小さくなっているし、音も薄い。原典版は確かに冗長な面は否定できないが、いかにもラフマニノフらしい音色で満ちている。

ところが現在出ている録音は、ほとんどが改訂版だ。そこでいろいろ調べてみたら、少なくとも容易に入手可能な4種類の原典版による演奏があることが分かった。それは以下の通り。

クライバーン
ビレット
シェルリー
フレディ・ケンプ

ちなみにビレットは、ご丁寧にも原典版と改訂版の両方を録音している(購入される方、ご注意下さいね)。この中で、買うとなったどれか? やっぱりクライバーンかシェルリーだろうな。ビレットはよく知らないし、それから…おっとこれ以上書くと、また「脅迫メール」が来るかも知れないから止めておこうっと。


...... 2005年 2月 20日 の日記 ......
■[ NO. 519 ]
連弾セレナード
曇り。のち雨。

昨日の予報では、午前中が曇りで、午後から晴れてくるはずだった。晴れ間が現れる…というので、ゆみこは朝から大量の洗濯をするし、わたくしは少し早めに起きて、ぱぐたちの洗濯をしようと待ちかまえていた。

連弾セレナード
ところがどうだろう。雲はどんどん濃くなり、予報とは逆方向だ。一度外に干した洗濯物を取り込んで正解。午後からは雨が降り出した。夜になると霙混じりの冷たい雨になる。おかげで、ぱぐたちの洗濯も中止だ。もっとも冬場なので、それほど匂いがしていないから、来週でもいいだろう。

午後、散歩を終えてから、銀座に繰り出す。目的は、(1)山野楽器で「ぶらぁぼ」をもらう → 某ブティックへ行って、購入を考えていたA5版ファイリング・ノートを受け取る → 伊東屋に寄って、ファイリング・ノートの中身を購入する…である。

御存知の方も多いだろうが、「ぶらぁぼ」は演奏会情報などを集めた月刊のフリーペーパーである。無料だが、中身はなかなか充実している。残念ながら連弾庵のある市内には置いてあるところがない。確実なのは銀座である。無代誌をもらいに行くだけならお金もかかならいのだが、これがCD売場の横に置いてあるところが曲者だ。ついついCD売場を歩き、気が付くと2〜3枚は手に持ってレジに行くことになる。

今日もそうだった。今日に限って、なんだか聴きたいCDばかりが目について困った。ただでさえ、聴かなければならないCD、聴きたくてたまらないCDが、かずみ書斎に山積みになっている。そこで、ぐっとこらえて、2枚だけ購入。

1枚は、これはどうしても買わねばならぬ。ドヴォルザークの2つのセレナード(作品22と44)とチャイコフスキーの弦楽セレナードの、作曲者自身による連弾用編曲を収録したCDだ。「Harmonia Mundi」から2月に出たばかりのCDなのだが、実はこの録音の企画を立てたのは日本人なのである。わたくしの友人の、ゆきひささんだ。彼は大変優秀なプロデューサで、ピヤノ・デュオを中心に数々の名録音に関与している。公平を期すため、「今週の1枚」ではあえてそのことを述べなかったが、彼の手掛けた録音をいくつも紹介しているのだ。

昨年の秋、ゆきひささんから「来年の2月には、面白いCDが出ますよ」と予告を受けていた。それが、今回わたくしが見つけたCDである。早速聴いてみる…うーん、素晴らしい! もっとよく聴き込んでから、あらためて「今週の1枚」でご紹介しよう。乞うご期待!

もう1枚は、グレン・グールドが弾いたベートーヴェンの3大ピヤノ・ソナタ。LPで聴いて感激したのは、はるか昔。たまたま980円で売っているのをみつけて購入した次第。

その後、某ブティック、伊東屋と銀座を回遊し、帰宅したわたくしであった。冷たい霙に当たったのは誤算だったが。

いまは、暖かいお部屋で、連弾版のセレナードを繰り返し、繰り返し聴きながら、アルコールを傍らに、今日の「日乗」を書いている。ささやかながら幸せを感じるね。


...... 2005年 2月 21日 の日記 ......
■[ NO. 520 ]
微熱の月曜日
晴れ。

朝から調子が良くない。からだがだるい。午後2時くらいになって、とうとう我慢できなくなり、オフィスの診療所に駆け込んだ。37度4分。微熱がある。それでも今日中にやらねばならない仕事があるので、薬を処方してもらって、デスクに戻る。

午後8時過ぎまで頑張ったが、疲労が激しいのでオフィスを抜け出し帰宅。サイトの更新で仕掛かり中のものがあるのだが、とてもではないが今日は何もできない。

そうそう、福井晴敏氏の「終戦のローレライ」、映画版「ローレライ」が3月5日から公開だ。日本映画として久々に期待できる作品である。これは楽しみにしている。残念ながら「ハウルの動く城」は、とうとう観に行けなかった。誰も付き合ってくれなかったのである。一人で観に行けって? 確かにそうなのだが、それはつまらない。一人で静かに観るのもいいのだが、折角なら誰かと一緒に行って、感想を言い合うと、楽しさは2倍以上になるから。

・・・とここまで書いたところで、「沈没」だ。まだ月曜だというのに情けない。


...... 2005年 2月 22日 の日記 ......
■[ NO. 521 ]
寂しがり屋が約1名
晴れ。ポカポカ陽気の1日。

気分的には悪くないのだが、体調はいまひとつ(って、どういうことだろう?)。朝からへばっていた。

このところ、「ぱぐ」が妙に寂しがり屋になっている。昼でも夜でも、わたくしやゆみこの後ばかりついてくる。「あかね」など、いつも適当に「自分の場所」で眠っているのに。歳をとったせいだろうか。表情もどことなく寂しげだ。食欲は旺盛なので、あまり気にすることはないのだろうけれど、やはり心配だ。大切な家族だから。

そう、19日の本欄で、ラフマニノフ:ピヤノ・ソナタ第2番の原典版について書いたところ、早速の反応が。ラフマニノフ・ヲタク(失礼!)の「ヒロノフ」さんだ。ヒロノフさんは、恐らく日本でいちばんたくさん、ラフマニノフ:ピヤノ協奏曲第3番を聴かれていらしゃる(はず)の方である。

まず、わたくしがいちばん興味を持った、ヴァン・クライバーンの演奏に関しては「一聴の価値はあるけれど、ロシアでのライヴ録音のため音質がかなり悪い。キンキンします」とのこと。まあ、わたくしなど、ウイリアム・カペルの録音など聴いて喜んでいるので、大丈夫だろう。これをお読みの皆様にとっては、どうだか判断がつきかねるが。まずは、わたくし自身で聴いてみて、こちらに感想をアップするのが筋かもしれない。

それから、わたくしが「シェルリー」と表記したのは、一般には「シェリー」であるとのご指摘。はい、確かにそうでした。スミマセン。そのシェリーの演奏は、「実に堅実な演奏。“優等生的に演奏するとこうなる”典型」だそうだ。

その他の演奏に関しても、たくさんコメントを頂いたが、私信なのでこちらでの紹介は、わたくしのメッセージに対するリアクションだけにさせて頂きたい。

何かを書いたことに関して、反応されるほど嬉しいことはない(だからこそ、18年間も“職業物書き”として、やってくることができたのだ)。ヒロノフさん、ありがとうございました。これをお読みの皆さんで、「ヒロノフさんのサイト」をご覧になったことがない方、ちょっと覗いてみて下さいな。


...... 2005年 2月 23日 の日記 ......
■[ NO. 522 ]
春風は、悲しみを連れて
晴れ。

首都圏では、春一番が吹いた。その春風は、とても悲しい知らせを運んできた。わたくしたちの大切な友人である、Xさんの訃報である。

一瞬、信じられなかった。

つい数日前、みんなでお目にかかったときには、それは楽しくお喋りしたばかりだというのに。そのXさんが、何故?

知らせを聞いて、頭の中が真っ白になった。わたくしに知らせたゆみこも、震えが止まらなかったという。わたくしは、仕事も手につかない状態だった。

夕方になって、Xさんの配偶者であるPさんから、わたくしの携帯電話に連絡が入る。

「Xが、本当にお世話になりました」

XさんとPさんご夫婦。わたくしたちは、ピヤノ・デュオを通じて知り合い、とても良い友人になった。いつも仲睦まじいXさんとPさん。絶妙でお洒落なデュオと、楽しいお喋りで、わたくしたちにたくさんの歓びを与えて下さった。わたくしたちより、ずっと年下のお二人だけど、人間的な魅力に溢れている。連弾庵にいらっしゃるたび、パグたちを可愛がって下さった。わたくしたちは、いつまでもこのご夫妻と素敵なお付き合いをさせていただけると信じて疑わなかった。

それなのにXさんは、忽然とわたくしたちの前から姿を消した。まるで魔法のように。

わたくしたちでさえ、堪えようのない悲しみでいっぱいだ。最愛のXさんを失ったPさんの心を察すると、悲しみは極限にまで広がる。

「お電話、今、どちらから?」
「Xと一緒に、Xの愛した故郷に向かっているところです。お別れの会は、そちらでいたします。お二人にいらして頂けたら、Xも喜びます。ちょっと遠いですが、お時間の許す限り、いらして下さい」

オフィスの通路で会話をしながら、わたくしは涙が止まらなかった。亡くなられたXさんを想い、そして最愛の人を突然失ったPさんの心を想って。

今年の春一番は、わたくしたちの大事な友人を連れ去ってしまった。ああ、もう、あのお洒落なデュオを聴くことはできないのだ。Xさんの軽妙なお喋りも。

わたくしたちは、貴重な音楽仲間を失った。人生に潤いを与えて下さる友人を。


...... 2005年 2月 24日 の日記 ......
■[ NO. 523 ]
想い出だけが流れる部屋で
曇り。のち雨。

朝起きると、目がうまく開かなかった。

「瞼が腫れ上がって、形相が変わっているよ」

わたくしを起こしに来たゆみこが、寂しそうに話しかけてきた。

「たくさん涙を流したんだね。わたしの方は、一晩中、Xさんが夢枕に立っていた」

仕事も早々に切り上げた。

帰宅した連弾庵は、追悼の気持ちで満ちていた。わたくしたちの会話は、Xさんにまつわることばかり。次から次へと、Xさんのことが想い出された。

「Xさん、わたしたちに、素敵な楽しい想い出ばかり、たくさん残して下さったね」

そして

「あのような魅力的な人が、いったい、どうして?」

分からない。いや、分からないのはわたくしたちばかりではあるまい。最愛のXさんを失ったPさんだって、きっと「何故、こんなことに」と思っていらっしゃるに違いない。

Xさんはフォーレが好きだった。追悼するには、フォーレを流すのが良いのかも知れない。でも、わたくしたちにはできなかった。あまりにも悲しすぎるから。抑えている感情が吹き出してしまうに違いないから。

静かな連弾庵に、想い出だけが流れる。ゆみこがピヤノを見ながらつぶやいた。

「Xさん、もう、このピヤノ、弾いて下さることは、ないんだね」


...... 2005年 2月 25日 の日記 ......
■[ NO. 524 ]
穏やかに眠って
曇り。のち、晴れ。

その顔は、穏やかな表情だった。まるで、ちょっと眠ってでもいるかのように。

「こちらまで連れて来るまでに時間が経ってしまったので、表情が硬くなってしまいました。最初は、本当に眠っているような感じだったのですよ。揺り動かせば瞳を開いて目を覚ますかのようでした」。その傍らに立ちつくしているわたくしたちに、語りかけて下さったのは、故人のお父様である。

もう、あの澄んだ瞳を開くことはないのだ。「ねえ、起きて」、と話しかけても。

聞こえていないと分かっていても、わたくしたちは話しかけた。「素敵な想い出、たくさん、たくさん、ありがとう」と。

今日は決して涙を流すまい、と思っていた。喪主のローベルトさんが、ずっと気丈だったから。でも、わたくしは、後から後から溢れてくる涙を抑えることはできなかった。最後に見せた、あの安らかな表情、わたくしたちは絶対に忘れることはないだろう。

さよなら、さくらちゃん。
あなたは、素敵な想い出だけを残して下さいました。
ありがとう。

【追記】
わたくしたしと一緒に、わたくしたちを介して故人とご縁のあった「ふらわぁさん」と「燐寸先生」が、わたくし同様に仕事を放って、往復6時間の道のりを同行して下さった。感謝である。「お別れ会」に参列した方の大半は、仕事を放り投げて駆けつけた。知らせを聞いてシンガポールから急遽帰国したHさんは、焼香の終了間際に飛び込んで間に合った。みんなみんな、涙を流し続けていたことは言うまでもない。


...... 2005年 2月 26日 の日記 ......
■[ NO. 525 ]
放テバ 手ニ充テリ
曇り。ときどき晴れ。

風は冷たい。だけど、空の色も、雲の色も、うっすらと春を感じさせる。見上げた空に向かって、心を放つ。

 放テバ 手ニ充テリ

国際的に著名だった、ある海洋生物学者の方が、わたくしに向けて遺して下さったことばである。さまざまな解釈が可能だろう。わたくしも人生のさまざまな局面において、このことばの持つ意味を考えさせられてきた。

今日のわたくしは、悲しみを放つことで、亡き人の存在が胸にしっかり刻まれる…そのように受け止めた。

髪を切った。春の空気を、少しでも間近に感じられるように。

春は、もう、すぐそこに


...... 2005年 2月 27日 の日記 ......
■[ NO. 526 ]
しなやかなブルックナー
晴れ。

空は春色だが、風は冷たい。街の表情も、どこか春めいている。そうした中、午後からサントリーホールへ出かけた。

まさか、こうした心で、音楽を聴くことになるとは思わなかった。正直、あの日以来、連弾庵のピヤノは鳴らず、スピーカから楽曲が流れることもなかった。何を聴いても耐えられないと思ったからだ。

でも、今日は出かけた。

もし、前から予定していたコンサートに行かなかったら、きっと故さくらちゃんは、「自分のために行けなくなっちゃったんだ」と思うに違いない。彼女は、そうした細やかな心を持っていた。そんなさくらちゃんのためにも、演奏会を楽しんでこようと思った次第である。

今日の演奏者は、ヘルベルト・ブロムシュテット氏指揮:ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。曲目は以下の通り。

・メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリヤ」
・ブルックナー:交響曲第7番(ハース版)

最初のメンデルスゾーン。何と爽やかで、流麗な解釈なのだろう。がっしりとした構成力を持ちながら、少しも深刻にならない演奏。解釈上、とりわけ奇異なことはやっていないのだが、ブロムシュテット氏の個性が存分に発揮されたメンデルスゾーン。

管弦楽は絶好調だが、とりわけ木管のアンサンブルが素晴らしい。各パートごとの掛け合いは絶妙だ。それから第3楽章で聞こえたホルンのアンサンブルが抜群だった。これは特筆に値しよう。

ブロムシュテット氏は、管弦楽に対して、非常に細かい指示を出す。それに対して敏捷に反応する管弦楽。このやりとりは、視覚と聴覚の両面で大変に興味深かった。指揮者のコントロールは抜群。まさに指揮者が管弦楽を完全に掌握していることの証明でもあった。このメンデルスゾーン、ドイツ的でもなく、イタリヤの明るさを表現したものでもない、ブロムシュテット氏独自の、それはモダンで流麗な解釈だ。録音・実演含めて、これまで聴いた中で最上級の「イタリヤ」である。

後半のブルックナーは、それの傾向をさらに強めた、大変に壮麗な演奏だった。重量感と壮大なスケールを持ちながらも、決して重たくなることのないブルックナー。深刻になりすぎず、爽快に流れるブルックナー。どこまでも、どこまでもしなやかだ。

第1楽章冒頭。あのトレモロが、聞こえるか聞こえないか、その限界で始まった。3小節目からホルンの独奏とチェロで沸き上がる第1主題。これ以上、テンポを遅くしたら音楽として成り立たない、その限界を追求した解釈だ。大変に繊細で、微妙な起伏に富んでいる。思い切り旋律を歌いながらも、決して流麗さを失わない。後半、2つの楽章はややテンポを速めたものの、この傾向は全曲を貫いていた。

こうした現代感覚に溢れたブルックナーが、旧来のブルックナー・ファンに受け入れられるかどうか分からない。しかし評者は、ブロムシュテット氏の演奏が、現代で表現可能な、そして求められる限界を突いていたと見た。あの荘重な第2楽章であっても、ブロムシュテット氏は「しなかやさ」を失わない。

しなやかであっても、第3楽章は激烈だし、終楽章の圧倒的パワーは健在だ。ブロムシュテット氏、現在表現しうる最先端かつ最良のブルックナーを体現したと言っても過言ではあるまい。

最後の余韻が消えたら、拍手と大歓声だ。カーテンコールは20分以上にも及んだ。本当に嬉しそうなブロムシュテット氏とゲバントハウス管弦楽団の皆さん。そう、ブロムシュテット氏は、演奏中笑顔を絶やさなかった。それは素敵な笑顔を。「ブロムシュテットさん、よほど演奏が楽しいのだろうね」(ゆみこ)。楽団員が引き上げても、拍手は止まらない。そこへブロムシュテット氏登場。彼、本当に嬉しそうだった。

このコンサート、本欄でも時折登場の「コレペティトル・のりこちゃん」も聴きにいらしていた。1週間ほど前、メールのやり取りをしていたら、「あ、その日、都内に出ます。是非、演奏会にご一緒したいです」。完売だったコンサートだけど、運良くキャンセルがあり、何とかチケットを捕獲できた。

ゆみこと、のりこちゃん


終演後、3人で銀座まで出て、軽く呑みながら食事。今日のコンサートをはじめとして、音楽のお話をたくさん。そして、「お辛いでしょうけど、一刻も早く、心が癒されますように」。

わたくしたちを励まして下さった、のりこちゃんだった。

のりこちゃん、ありがとうございました。


...... 2005年 2月 28日 の日記 ......
■[ NO. 527 ]
午前様
晴れ。

所用にて、帰宅したのが午前0時半。サイトにアップしたい情報はたくさんあるのだが、ちょっと無理。シャワーだけ浴びて沈没。