...... 2004年 11月 01日 の日記 ......
■[ NO. 407 ]
大事に使って、いのちを伸ばす
雨。のち晴れ。

午前中、激しく降った雨も、午後には上がる。薄日が射してきたのはいいが、猛烈に蒸してくる。何だか、気力も体力も奪われてしまいそうだ。

さてはて、昨日、雨傘を購入した話を書いた。で、自分でもよく考えてみたら、雨傘を購入するのは、何と10年ぶりのことである。折り畳みの小さい傘は何本かあるが、大きな傘(折り畳みでない普通サイズ)は1本だけ。それを、壊れては直し、壊れては直しして使ってきた。とうとう持ち手のところが破損し始めたので、新しいのものの購入と相成った。この10年使った方も、まだまだ使えそうなので、近所への散歩(パグたちと一緒)や風の強い日には、こちらを使おうと思っている。

・・・と言うわけで、以前にも書いたかも知れないが、拙者、とにかく物持ちが良いのである。パソコンのような進歩の早いものですら、4年以上は使う。手元のスキャナに至っては8年目だ。それでもきちんと動いている。

昨年、通勤バッグを買い換えたが、それまで使っていたのが10年。あまりに毎日使うので、相当に痛んで仕方なく買い換えた。拙者は「まだ使える」と思ったのだが、ゆみこが「みっともないから、買い換えなよ」と言ったので。

今使っているお財布と名刺入れは、今年で丁度10年だ。これも毎日使っているにも関わらず、ほとんど傷もない。まだ10年、いや20年は楽に使えそうである。

身の回りを、ちょっと見てみる。拙者が書斎で使っている椅子は、25年以上、卓上の電気スタンドは30年以上だ。お人形などに至っては、40年超クラスもある。

とにかく、1度購入したら、丁寧に大切に使う。それが拙者のモットーだ。だから、物を購入するときは、いつも迷う。先述の雨傘だって、購入までに3カ月も迷ったもの。雨傘1本買うのに3カ月だ。先月購入したアンプも、10年以上働いて昨年から挙動がおかしくなり始めたのを、騙し騙し使っていたくらいだ。要は購入を1年以上も迷っていたのである。

こうしたいろいろ迷って買い物をするから、物には愛着が湧いて、大切に使うのかも知れない。それから、拙者が出入りしている某ブティックでは、洋服類は別として、バッグや小物などは、「壊れたら絶対に修理する」と言っている。もちろん有償だけど、こういうのって、いいね。何だか、物を大切にしたくなるもの。

拙者の手元にある楽譜。中には150年以上経ったものもある。それも含めて、大切に扱って、次の世代に渡して上げたいな・・・そんなことを考えている拙者だ。

物を大切にするって、いいね。


...... 2004年 11月 02日 の日記 ......
■[ NO. 408 ]
かみ合わない結論
曇り。時々晴れ。

妙に蒸し暑い。何だか気力と体力を消耗する。

さて、そろそろ来シーズンのコンサート・チケットの確保が始まった。拙者、均せば、だいたい月に1〜2回くらいしか演奏会に行かない。今年など、最大で月に3回しか行かない。まったく行かない月もあるので、だいたい月1回ペースか。

行きたいコンサートはたくさんあるのだけど、時間とお金を考えると、無理である。だから、

行くコンサート=(どうしても行きたい)and(((時間に余裕があるとき)or(無理矢理でも時間に余裕がつけられるとき))and(お金が手配できる))

という図式になる。

さて、来シーズンのコンサート。まず目をつけたのが、「炎のコバケン」こと、小林研一郎氏が振る「新世界」と「オルガン付き」だ。管弦楽は日本フィルハーモニー交響楽団である。コバケンが振る「新世界」は、是非とも聴いてみたいし、井上圭子さんがソロを務める「オルガン付き」も魅力。

余談だが、サン=サーンスの「オルガン付き」交響曲は、連弾ピアノが大活躍するのを御存知だろうか? オーケストラの中にピアノがいる曲はたくさんあるけど、連弾ピアノが効果を発揮する管弦楽曲だって、たくさんあるのだ。その代表格が、この「オルガン付き」である。

妻・ゆみこに「日曜の午後だよ。一緒に行こうよ」と声をかけたところ、見事に断られた。

「やだね。面倒だ」。
「コバケンが振るんだよ。面白そうだよ」。
「やだと、言っておるだろうが。行きたければ一人で行くが良い」。
「一人はつまらないよ」。
「じゃ、誰か誘って行けば良い。わたしは、知らんぞ。好きにするが良い」。

シーズン早々から、どうも意見がかみ合わない、拙者たちである。


...... 2004年 11月 03日 の日記 ......
■[ NO. 409 ]
形見分け
晴れ。

気持ちよい1日。ただし、ちょっと暑い。

あることがきっかけで、「遺品」について、ゆみこと話をしていた。そうした話をする必要があったのだ。

「いろいろなコレクションがあるな。あなたが死んだら、これ、どうする?」。

まず、ピアノ・デュオを中心とする楽譜とCDについてだが、これは考えている。散逸してしまっては困るので、どちらかの大学の図書館にまとめて寄贈したい。一応、寄贈したいところは頭にあるのだが、それ以外で「どうしても」というところがあれば考えたい。大学の図書館ならば、最終的にはどなたでも利用できることになるからだ。「うちで是非とも」というところがあれば、大歓迎だ。

折角だから、そちらには、管弦楽のスコアもまとめて引き取っていただいて、「かずみ文庫」でも開いて頂きたい。

もう1つのコレクションは「縫いぐるみ」。これも多数いる。作家手作りの「1点もの」から、世界で数十体というレア物、そこまで行かなくてもコレクターズ・アイテムがかなりある。それほど高価でなくても、コレクションは、全部、拙者がみんな、大切に可愛がっている。どこか、おもちゃの博物館とか、縫いぐるみ博物館にまとめて預かってもらえて「かずみコレクション」みたいにしてもらえれば、いちばんいい。

でも「縫いぐるみ」は、楽譜のようにはすんなり行かないだろう。だったら、希少価値のあるなしに関係なく、「形見分け」として、お友達、あるいはそのご家族に差し上げたい。もちろん、可愛がって下さる、という条件付きで。

・・・と、ここまで書いたが、どれも拙者が死んでからの話である。でも、生前に話を付けておく必要はある。楽譜にCD、それに縫いぐるみ。拙者が死んでも、可愛がって下さる方、いらっしゃるかな???



...... 2004年 11月 04日 の日記 ......
■[ NO. 410 ]
言語明瞭、意味不明瞭
晴れ。爽やかな秋の1日。

妻・ゆみこが「これ、いったい、何を言いたいんだか、全然分からないわい」。差し出したのは、日本経済新聞の本日付けの夕刊だ。

そこには、先日(10月27日)拙者たちが行った、マゼール指揮ニューヨーク・フィルハーモニックの批評が出ていたのである。評者は岡部真一郎氏という音楽評論家だ。

「これじゃ、このコンサートが良い物だったのか、悪かったのか、さっぱり分からないよ」。ゆみこが、こう言うのも無理もない。拙者だって、「なんじゃ、こりゃ」と思った文章だったからだ。言語明瞭、意味不明瞭。ある意味で、典型的な「最悪」の演奏批評の標本だ。

何故って?

この文章の読み手によって、この岡部氏なる人物が、演奏会をどのように受け止めたかの結果がまったく異なったからだ。ゆみこは「この評者にとって、この演奏会が満足できなかったから、こんな訳の分からない文章で誤魔化したんじゃない?」。対する拙者は「これ、一応、誉めているんじゃない?」。

文章の受取手によって、これだけ違うとなると、もう、文章に問題があるとしか言いようがない。ちなみに、ゆみこも拙者も、専門家ではないが、音楽や演奏家について、一通りの知識は持っている。それでも、まったく逆の受け止め方をするような文章だった。

これを最悪と言わなくて何であろう。演奏の受け止め方は、人それぞれでいい。だけど、演奏会の批評が、読み手によって180度異なるようでは、文章として欠陥があるとしか言えない。文学作品ならそれでも良いが、演奏会の批評だ。少なくとも、誰が読んでも同じ受け止め方ができなければ、批評とは言えない。評者が演奏を聴いて、何を、どのように受け止めたかが、読み手にきちんと伝わらなければならないからだ。演奏会をどのように評してもいいけれど、「この評者は、どっちなの???」と思わせたら、アウトだ。

この岡部氏なる人物は、きっとこう言うだろう。「これが分からなければ、読む資格はない」と。でもね、拙者たちだって、たくさんの音楽に接し、たくさんの文章に接しておるのだよ。なにしろ、この演奏会では「現場」にもいた。それでも理解できないような文章、誰が読むのかね。少なくとも一般紙に載せるか?

ちなみに拙者、仕事柄、「悪文」はたくさん読んでいる。メディアのデスクなんかやっていると、嫌でも悪文は飛び込んで来る。そうした悪文を掲載しなければならないときは、ほとんどバラバラになるまで手を入れて、読者に対して提供するのである。

で、今回の悪文だが、この岡部氏なる人物は、いろんな知識を持っているけれど、それをきちんと整理して提示できなかったのだろう。完全に、書き手自身のなかでの「消化不良」が見える典型だ。音楽評論家を称する人たちに見られる、悪文の標本的な例である。

ま、日本における多くの「音楽評論家」の書く文章なんて、所詮はこの程度のものなのである。今更目くじらを立てることもないのかも知れない。ちょっと言わせてもらえば、音楽評論で「お、これは、いいな」とか、「なかなかよく分かる」という文章に出逢うと、その筆者は、大抵、作曲家だったり音楽学者だったりする。「専業評論家」で、まともな音楽評論がコンスタントに書ける(書けた)のは、故・佐々木節夫氏ほか、片手で数えられるほどだ。

それは、それとして、この程度の文章を掲載した日本経済新聞の見識にも疑問がある。この文章を通したのは、担当デスクの責任だろう。ここまで来ると、デスクの責務を果たしていないといってもいい。拙者が担当デスクだったら、筆者に突き返すか、自分でメチャメチャに手を入れてから紙面に出すだろう。

確かに、日本の音楽評論家のレベルは平均すると最悪だ。だけど、それを許しているのは、新聞社や出版社の怠慢でもあるのではないだろうか?


...... 2004年 11月 05日 の日記 ......
■[ NO. 411 ]
晩秋のパリ
晴れ。爽やかな1日。

疲労が一気に出る。帰宅するなり、沈没モードである。

昨日、書けなかったのだが、オンライン楽譜ショップ「di-arezzo」のMutoさんからメール。「お待たせしていた、マスネ“連弾のための組曲第1番”の楽譜、発送しました」とのこと。

Mutoさん、納品の遅いDurandに、せっついて下さったようだ。おまけに、ずっと前に頼んだ、「ショーソン:交響曲」(連弾)についての回答もあった。Salabertにせっついたところ「申し訳ないが、問い合わせの3点の楽譜は時期未定の再プリント扱いになっている」という返答が得られたとのことだ。

これまで、国内外で、いろんなオンライン・ショップとお付き合いしてきた。大半が親切だったが、ここまで親身になって下さるショップはなかった。購入者としては、大変に有り難いショップだ。「どうして、ここまで親身になってくださるのだろう」と思わせるほど、サービス満点のショップである。こうしたサービスを受けると、「また次回も、ここで買いたいな」と思わせられる。

とにかく親身になって、楽譜を調達して下さる。しかも、送料は、注文の多少に関わらず、10ユーロちょっと。これは、絶対にお薦めのショップである。これほど親切なオンラインショップは、まずない。

それに、Mutoさんからのメールが、実に親しげで心地よい。パリが晩秋を迎えたこと。お仕事の帰りには、おでんの屋台にでも寄りたい雰囲気であること・・・などなど。ここまで来ると、一般の店舗で体面販売しているのと変わりない。むしろ、こちらの方が担当営業さんと親しくなれて、親身になっていただけるくらいだ。

そうそう、言い忘れたけど、Mutoさんのメールは、全部日本語である。有り難い次第だ。まだ完全ではないけれど、「di-arezzo」では、日本語で担当者とやりとりができるのだ。その担当者が親切極まりない・・・といったら。やっぱりこのお店を推薦したい。

Mutoさんからのメールに、晩秋のパリを感じた。拙者の大好きな、そして想い出深い晩秋のパリの空気を。


...... 2004年 11月 06日 の日記 ......
■[ NO. 412 ]
秋色
曇り。のち晴れ。

秋が急激に押し寄せている。連弾庵の回りも「秋色」に染まってきた。色付き始めた、欅や公孫樹が美しい。桜並木も、緑から紅に姿を変えつつある。気の早いところでは、落葉も始まった。

天候が不順で、四季の変化が何となく曖昧なこのごろ。でも、季節は冬に向かいつつある。

街も秋色。わしらも染まってるぞ!



...... 2004年 11月 07日 の日記 ......
■[ NO. 413 ]
水郷、晩秋
晴れ。とても気持ちよい、秋の1日。

「どっか、行こうよ」。ゆみこが言う。「じゃ、たまには、都心と反対の方向へ行ってみようか」、と拙者。デズニーランドでも良かったのだが、遊びにハマってしまうと夜まで帰れなくなり、パグたちが可哀想だ。

宿泊を伴う場合は別として、拙者たちの「行楽」は、突然に決まる。もちろん家族以外のメンバーが入るときも別だが。いつものように、今日も突然決まった。行き先は、千葉県の水郷・佐原にした。秋の水郷は、きっと気持ちがいいだろう。

佐原は「地図と測量の神様・伊能忠敬」の出身地で、旧宅や記念館もある。以前行ったことはあるのだが、記念館はその後、新しくなったという。それに、ちょっと調べたら、市内に酒造会社が何件かあって、そのうち「東薫酒造」というメーカーが、日曜日でも酒蔵見学と利き酒会をやって下さるという。

午後から出るには、ちょっと遠いかな・・・と思ったのだが、あっという間に到着。こんなに近かったっけ? ちなみに拙者たちの出発が午後になるのは、パグたちにご飯を与えてから出なければならないからだ。

ところが、である。街の入り口まで行ったら、「本日の市内はお祭りのため、車の乗り入れはできません」。何でも、大きな山車が、たくさん出るのだそうだ。うわぁ、困った。仕方ないので、行けるところまで行って、迷惑にならなそうなところを選んで、車を乗り捨てた。

この街、明治の面影が、そこここに残っており、情緒がある。これが何とも言えない。今日はその街が、人で溢れていた。川(掘り割り)沿いの両岸には、たくさんの山車が、出発を待っている。もう、大変な賑わいである。

明治初期に建てられた、本屋さんの建物


人混みをかき分けて「東薫酒造」へ直行。酒造りの蔵を見せて頂いた。これまでも何カ所か酒蔵は見せて頂いたけど、どこも雰囲気が違って、それぞれに楽しい。大吟醸を除く何種類かのお酒は、お代わり自由で、これも愉快だ。

掘り割りにて


掘り割り沿いをあちこち眺めて街を半周したら、山車の出発に当たった。どの山車にも、大きな人形が乗っている。見ているだけで楽しくなった。拙者、お祭りが大好きなのだ。ただ、あまりの人出で、街の半分しか歩けなかったのは残念だ。でも、これだけ近ければ、またいつでも来ることはできるだろう。

大きな山車が、いくつも通る


秋の水郷、短い時間だけど楽しめた。ちなみに、元・国土地理院・院長の野々村邦夫さんという方が、あるエッセイの中で、佐原を取り上げていらした。野々村さんによれば、「忠敬」という名前のお酒があるとのこと。是非とも買って帰りたかったが、街中人が一杯で歩くこともできない。残念ながら見つけられず、引き上げて来た。今度行ったときのお楽しみにしよう。

皆さんは、秋の1日、どのように過ごされたでしょうか?


...... 2004年 11月 08日 の日記 ......
■[ NO. 414 ]
ブラームスは、お好き?
曇り。ときどき晴れ。

突然だが、ブラームスである。

言わずと知れた、ロマン派の「偉いさん」だ。音楽史をちょとでも勉強した者であれば、その偉大さは十分に分かっている筈である。が、拙者、どうも「苦手」の部類に入っていた。確かに、その偉大さは分かる。音楽史上の重要なマイルストーンのひとりであることも十分に理解している。

でも、どうも、これまで聴いた演奏は、どれも肌に合わなかった。録音もライヴも。ピヤノ・デュオの曲は別として(これらを知らないなどと言うと、「何が“楽しい連弾の部屋”だ!」と訴追されかねない)、比較的良く知っている作品と言えば、4つの交響曲と2つのピヤノ協奏曲、それに若干の室内楽くらい。ピヤノ・ソロの曲に至っては、ソナタの3番とか、パガニーニの主題による変奏曲、作品10の「4つのバラード」、作品79の「2つのラプソディ」、それに作品118の「小品集」くらい。まことに心許ない限りである。ピヤノを中心とする音楽史を囓った拙者としても、何とも情けない。完全に知識と経験の死角になっていた。

どうにも重たくて暗い・・・それが拙者の持つブラームスのイメージだった。だから意識的にも無意識的にも、ブラームスを避けていた嫌いがある。

だが今日は、そうした旧来のブラームス像を払拭するのに十分だった。

伺った演奏会は、中井恒仁氏が主催する、「ブラームス・ピアノ曲・全曲シリーズ」の第1回目である。曲目は以下の通り。

・自作主題による変奏曲 ニ長調 Op.21-1
・ハンガリーの歌による変奏曲 ニ長調 Op.21-2
・愛の歌 Op.52a(連弾)
・ソナタ第3番 ヘ長調 Op.5

「愛の歌」を除いて、ブラームス初期の作品を並べた。ひとことで感想を言おう。実に清冽で爽やかなブラームス。それでいて、作品の本質をがっしりと捉えた構築性の非常に高い演奏だ。作品の持つ、「陰」や「襞」も、くっきりと浮かび上がらせる。なのに決して重苦しく、深刻になることはない。新感覚のブラームスだ。

「愛の歌」の他は、普段だったら、どれも重たい曲ばかり。旧来の解釈でやったらなら、とても最後まで聴いていることはできなかった筈だ。

それが、どうだろう。生き生きとして、粒の揃った輝かしい音。最初の2つの変奏曲では、変奏ごとに見事に表情を変える。それでいて楽曲内の連続性を失わない柔軟性と流動性を兼ね備えた演奏だ。このある意味で相反する2つの要素を、中井氏は非常にバランス良く提示していた。演奏のそこここで見え隠れする微妙な表情は、聴き手を惹きつけて飽きさせない。そして、曲全体が、大きなうねりとなって、聴き手に迫ってくるのである。

大変に説得力がありながら、決して押しつけがましくない。どこまでも爽やか感を失わない。それでいて、細部を見ても、演奏者の工夫に富んでいる。

あの、纏めにくいソナタの3番。本来ならば長い長い曲なのに、演奏時間の長さを感じさせなかったところは凄い。スケールの大きな演奏で、全体を一本芯のあるものとして楽譜を再構築していた。この重厚長大な曲でも、中井氏は“爽やか感”を失わない。それでいて、決して軽い感じで弾き流すわけではなく、曲の構造をしっかり捉え、中井氏ならではの解釈を聴衆に「これでもか!」と提示していた。大変に説得力のある演奏だ。

休憩前に演奏された「愛の歌」。これは武田美和子氏との連弾である。ここでも爽やかさは失われない。「愛の歌」というと、18曲からなる小品のメリハリを付けようとして、ともすれば演出過剰になる。そして、情念籠もった「愛の歌」になるケースも多い。

しかし、中井・武田組には、そうした「愛の歌」の一般論とは無縁である。各曲が持つそれぞれの性格を鮮やかに提示しながらも、ごり押しにならない流麗さ。デュオの楽しさをいっぱいに表現しながらも、しっかりと作品の本質を捉え、的確に、ある意味では冷静に表現したいことを提示する。ただ、ひとこと付け加えれば、ソロとは違って、最愛の武田氏を迎えた中井氏の演奏に、どこか柔らかで穏やかな表情を見たのは、評者だけだっただろうか。この「愛の歌」、世界に誇れる、第一級の演奏である。

こんな素敵なブラームスなら、また、是非聴きたいな。第2回目以降が、本当に楽しみである。それにしても凄い。ソロはもちろん、連弾と2台も含めて、ブラームスの全ピヤノ曲を演奏しようと言うのだから。これからも楽しみだ。

アンコールとして、作品番号なしの「サラバンド」と、作品119-3の「インテルメッツォ」。さりげなくて、とてもチャーミング!

なお、会場では、ピヤノ・デュオ・コンビで、ネットを通じて知り合った山本さん・小平さんに声を掛けられる。久しぶりの対話。楽しかったな。それから、「あの、かずみさんですよね」と、ピヤニストの佐々木素先生が突然お声をかけて下さった。初対面ながら、まるで旧知の間柄のような雰囲気。「よくわたしが分かりましたね」と申し上げたところ、「サイトに写真が出ているのを見て、すぐに分かりました」とのこと。短時間だが、楽しい会話をさせて頂いた。

中井さん、武田さん、そのほかの皆さんに感謝。素敵な夜になりました。


...... 2004年 11月 09日 の日記 ......
■[ NO. 415 ]
マスネ
晴れ。

フランスの楽譜ディーラー「di-arezzo」に頼んでおいた楽譜で、最後に残った2冊のうち1冊が届いた。先日、同社のMutoさんが「やっと入荷しました。エアメールで発送したので、近日中に届きますよ」と、ご連絡下さった1冊である。

曲は、マスネの「連弾のための組曲 第1番」。1882年の作品で、いかにもマスネらしい、大変に美しい小品である。CDを聴いて、ちょっとでも良いから弾いてみたいと思っていた。長らく入手困難だったようだが、過日「di-arezzo」のサイトを探索していたら見つけた。思わず購入してしまった拙者である。

ノエル・リーとクリスティアン・イバルディによる演奏を聴くと、いかにもとっつきやすそうだ。で、ようやく手元に届いた楽譜を見たら…うーん、結構難しそうだ。やってやれないことはなさそうだけど、12月の「望年会」までに間に合うか…というと、かなり疑問。

でも、せっかくMutoさんが出版元のDurandをせっついて捕獲して下さった楽譜だ。さっそくこの週末にでも、連弾庵で音にしてみようと思う。

曲は3つの小品で構成、全部で演奏時間は6分ほど。あまり知られてなくて、秘曲っぽいところがいい。作曲者と題名を伏せて弾いたら、作品名を当てられるのは、ピアノ・デュオに詳しい人でも10人中1人くらいかも知れない。「新たなデュオのレパートリ開拓」という点では、注目の1曲だ。

演奏者のみなさん、レパートリにしておいて損はない曲ですよ。


...... 2004年 11月 10日 の日記 ......
■[ NO. 416 ]
樽酒
曇り。

拙者はアルコールが大好きだ。大して量は呑めないのだが、とにかく好きである。1年のうちで、アルコールを摂取しないのは、体調の悪い日と健康診断の2日前からだけだ。ちなみに「今日はアルコールが欲しくないな」と思うような日は、間違いなく過労か疾病かで、余程ひどい体調不良なのである。従って拙者にとって、からだがアルコールを拒絶するときは、要注意、危険信号なのである。

さて、そんな拙者のところに、面白いニュースが入ってきた。「サントリー」が、樽酒ならぬ「樽ウイスキー」の販売を始めるというのだ。御存知のように、ウイスキーは樽で熟成させるのだが、その樽ごと販売するのである。

今回販売するのは、同社の山崎蒸溜所(大阪府三島郡島本町)と白州(はくしゅう)蒸溜所(山梨県北杜市白州町)で製造したモルト原酒。「サントリー オーナーズカスク」というのが商品名だ。「カスク」というのは、単一の蒸溜所のモルト原酒であるシングルモルト。その中で、ひとつの樽の原酒のみを使用しているものを「シングルカスク」と呼ぶ。

拙者、ちょっと興味を持ったが、値段を聞いて、即座に買うのを諦めた。いちばん安いので50万円、高いのだと3000万円もする。サントリーの話では「何かの記念日に、個人や法人のお客様に購入していただく」ことを狙っているそうだ。

これが、3000万円の「樽」


うーん、50万円ね。同じアルコールを呑むなら、50万円あれば3年くらいは、いろんなお酒を選んで、夫婦2人で楽しみながら飲むのに十分だ。もっとも、アルコール用に、それだけ資金があれば、の話だが。単一のウイスキーを、あえて呑む必要はない。3000万円もあったら、連弾庵を建てた住宅ローンの前倒し返済に、真っ先に充てる。

でも、世の中いろいろ。きっとこの「樽ウイスキー」を購入する方もいらっしゃるのだろう。ご興味のある方は「サントリーの専用サイト」までどうぞ。


...... 2004年 11月 11日 の日記 ......
■[ NO. 417 ]
クリスマスに向けて
曇り、のち雨。夜になって激しく降る。

この時期、欧州の街を歩くと、あちこちでクリスマスの準備をしているのを見かける。ツリーを建てたり、飾り付けをしたり。そうした風景を見ていると、とても楽しいし、「年末も近づいているな」と感じる。

日本でも、最近は似たような雰囲気になってきた。もちろん、欧州のように街中がクリスマスに向けて一斉にベクトルを合わせる、というわけではない。欧州のクリスマス準備が「面」であるとしたら、日本は「点」でしかない。まあ、それは文化の違いがあるから、何とも言えないが。

でも、クリスマスの準備が始まると、何となくワクワクする。ふと、楽しい気分になる。

ただ、今年の日本は、そうした気分になれない、台風や地震の被災者の方もいらっしゃる。それを思うと、何だか自分たちだけ楽しめないような、そんな気持ちになる。

都内のホテルもクリスマスの装飾でいっぱい



...... 2004年 11月 12日 の日記 ......
■[ NO. 418 ]
拍手のタイミング???
雨。ときどき曇り。

先日、ネットサーフィンをしていて、あるブログで、こんな内容が書いてあるのを目にした。

「演奏会に行くのだけど、よく知らない曲をやる。終わったかどうか分からないので、拍手のタイミングが分からない。困った」、という内容である。

50年前ならともかく、未だにこういう人がいると知って、呆れるやら驚くやら。そもそも、拍手云々の前に、「演奏会に行く」というのは「音楽を聴きに行く」のであって、「拍手をしに行く」のではないのである。演奏が楽しめれば、それで良いではないか。拍手をする、しないなどは、極論すればどうでもいいことなのである。

恐らく、このブログの筆者は、演奏会に行ったら、適度なタイミングで拍手をしなければならない、それが「お作法」だと思いこんでいるのだろう。だとしたら、本当に悲しいことだ。だって、そんなこと考えていたら、演奏なんて楽しめないだろう。それにこうした輩、行く演奏会が新作の初演だったら、どうするつもりだろう? 曲の終わりなんて、作曲者と演奏者しか知らないからだ。

演奏会に行くのは、茶道や華道のような「××道」ではないのだ。「道」を追求するのではなく、単に楽しめばいいではないか。もちろん、批評家や学者など専門家、音楽学校の学生さんには、楽しむだけが演奏会に行く目的ではないだろうけれど。それでも、演奏を聴くことに没頭すればいいのは、どんな立場でも同じことである。

そりゃ、演奏会にだって「作法」はある。でも、それは極端に言えば、ただ1つだけ。「他人が演奏を楽しんでいるのを、決して邪魔しないこと」。それだけ。

拍手をするタイミングなんて簡単だ。演奏が終わったら、自然にするだけでいい。「曲を知らなければ、演奏が終わったのが分からない」という人がいたら、それは曲を知らないのではなくて、演奏という行為を知らないのだ。管弦楽や合唱、歌劇だったら、指揮者が聴衆の方を向いたとき。その他の演奏形態だったら、奏者が楽器を降ろし聴衆の方を向いたときだ。(そんなことよりも、演奏が終わったかどうかなんて、ステージの雰囲気で分かるではないかという意見も、当然出よう。拙者は、それに賛成だ)。

拍手なんて、演奏者が聴衆の方を向いたときにすれば十分だ。むしろ、曲が終わった途端に「バチバチ」とやられるのは、時にはせっかくの雰囲気をぶち壊してくれる。その手の愚か者が少なくないことには、怒りすら覚える。

それに、演奏が終わったら、拍手をしなければならない、と決まっているわけではない。演奏が素晴らしければ、熱狂的に拍手をしたり「ブラボー」をかけてもいい。でも、気にくわなかったら、拍手なしでも良いわけだ。拙者たちも、時折そういうことがある。演奏が拙かったり、新作の初演で曲がアウトだったら、遠慮なく「ブー」を言ってもいい。拙者だって、何度かやった。

要は、拍手など、演奏に対する反応なのだ。本当に感動したら、自然に拍手すればいいし、そうでなければしなくたって別段誰も困らない。それを考えたら「拍手をするタイミングが分からない」という輩が、いかに論外かが分かるだろう。はっきり言って、そう言う輩は、音楽を楽しみに演奏会に行っているのではないだろう。まこと、愚かなことである。演奏会なんて、単純に楽しめばいいのに。


...... 2004年 11月 13日 の日記 ......
■[ NO. 419 ]
望年会に向けて
晴れ。東京近郊では、「木枯らし一号」が吹いた。

「もう冬なのか」と思ったけれど、午後から連弾庵の回りを歩いたら、それほど寒くない。むしろ、心地よいくらいだ。

1週間ぶりにピヤノに触れた。12月の「望年会」で弾く曲を練習しなければならないからだ。1曲は決まっている。ルロイ・アンダソンの「そり滑り」を6手連弾にしたものである。2カ所ほど、指かきれいに回らないところがあって苦戦。でも、これは何とかなるだろう。

もう1曲。マスネの「連弾のための組曲第1番」に初見で挑戦。拙者が弾く前に、ゆみこが自分で練習していて「これ、本当に綺麗で良い曲だねぇ」と言っていた。「でも、これ、あなたが他人に聴かせられるレベルで弾きこなすには、望年会まで時間はないぜ」。それでも、やってみる。右手は何とか動くのだが、左手がまずい。こりゃ、必死で練習しなければ・・・と思った拙者である。

・・・何だか、危うそうだなぁ・・・。


...... 2004年 11月 14日 の日記 ......
■[ NO. 420 ]
リンドベルイ、初体験
雨。のち曇り。

何故か、眠くてたまらない。昼近くまで、眠ってしまう。途中、「ぱぐ」が布団の中に潜り込んできたが、一緒に眠る。嫌な夢、恐ろしい夢ばかりを見て、長時間布団にいた割には、眠った気がしない。

夕方からは演奏会。今日はサントリーホールで、サイモン・ラトル氏指揮+ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団である。

曲目は下記の通り。

・リンドベルイ:オーラ
・ドビュッシー:交響詩「海」
・ラヴェル:ダフニスとクロエ 第二組曲

いずれも、大管弦楽が活躍する作品である。演奏会全体の感想を言えば、ベルリン・フィルの持てる力を存分に発揮した、それは鮮烈な演奏会だった。各楽器の音は、やや硬質ながらふわりとした羽毛のような感触。それでいて、芯があり、キラキラ輝いている。合奏となると、もう文句なく完璧。その輝ける音が堆積し爆発すると、凄まじいエネルギが発散される。でもそれは決して粗野になることはなく、あくまでも「ベルリン・フィルの音」という美点を呈していた。それをコントロールするラトル氏の指揮が、また見事。細部の細部にまで、徹底して目を光らせながら、それを大きなうねりへと構築する。恐ろしいまでに作品に切り込んだ姿、そしてそれを音として具現化したのは、ある意味で究極の演奏と言えよう。

このうち、リンドベルイ氏の作品は、完全な初体験。1958年にヘルシンキで生まれ、1980年代からめきめきと頭角を現してきた北欧の俊英だ。演奏会としては、異例のことだが、リンドベルイ氏の「オーラ」が始まる前、ラトル氏とリンドベルイ氏がステージに登場。ラトル氏が軸になって、作品の解説を始めた。これが実に面白い。ラトル氏が主に喋り、リンドベルイ氏がコメントを付ける。ラトル氏はステージ上を歩きながらピヤノの所まで行き、「オーラ」のいくつかのフレーズを弾きながら、この曲の構造を解説する。これは素晴らしい試みだ。多くの人にとって、あまり馴染みのない作品。その構造を解説することで、聴衆のこころは、作品にずっと近づくことができる。

その「オーラ」。実に素晴らしい作品だった。演奏が素晴らしかったからこそ、その神髄に触れることができたのかも知れない。管弦楽のトゥッティとソロの交錯。この対比が絶妙だ。コンチェルト・グロッソの様式を踏襲したところなど、あたかも「管弦楽のための協奏曲」である。そして要所要所で調性に回帰するが、そこに至るときの安堵感。ベルリン・フィルの類い希なる合奏技術と、個々の奏者の力量の高さの両面が、実に効果的に表れたといえるのではないだろうか。それを細部に至るまで徹底的にコントロールするラトル氏。「オーラ」。ベルリン・フィルならではの名演だった。

休憩後のドビュッシーとラヴェル。これも、基本的には「オーラ」の延長線上にある。ベルリン・フィルはドイツの楽団だが、音はいわゆるドイツ的ではない。「ベルリン・フィル」という、独特のインターナショナルな音色である。芯がありながら軽やか、そして、どこまでも透徹している。その音色と合奏力が、どこのものでもない、ベルリン・フィル独自のドビュッシーとラヴェルの世界を構築していた。

軽やかで柔らかながら、どこまでも透明。クリスタルガラスのような輝き。そこから生まれる「海」と「ダフニスとクロエ」。曖昧さを完全に排し、まるでスコアが見えるような精密な演奏。それでいて、流麗さとダイナミクスを決して失わない。そして、演奏後の爽やか感と言ったら! ここに究極の「海」と「ダフニス」を聴いた。

アンコールは、Ravel「マ・メール・ロア」から、「妖精の園」。水が滴るような、流麗な演奏だった。ラトル氏が両腕を下げて、10秒もあっただろうか。しーんとした会場。遠慮がちの拍手が次第に大きくなり、最後は熱狂的な拍手と大歓声だ。

今回の演奏会。ラトル氏は、ベストの状で、ベルリン・フィルを連れてきたようである。どの演奏、どの部分を取っても、「生きていて良かった」と思わせた演奏会だった。


...... 2004年 11月 15日 の日記 ......
■[ NO. 421 ]
流れる水のように
雨。のち曇り。

昨日、ベルリン・フィルの演奏会で、リンドベルイ氏の作品を聴いた。久々に同時代作曲家の作品に触れることができて嬉しかった次第。これまでも積極的に同時代、すなわち自分が生きている時代の作品を聴いてきた。音楽を歴史の産物として聴いたり弾いたりするのも楽しいけれど、自分と一緒に生きている音楽に触れるのは、また格別な「何か」があるからだ。この30年ほど、一貫して「同時代作品に触れる」という姿勢を貫いてきた。

ところが、である。はっと気が付くと、「みんな大家になってしまった」のである。リンドベルイ氏にしても1958年生まれだから、ことし47歳。もう「中堅」の領域を通り越している。

大好きな譚盾(タン・ドゥン)氏。彼も1957年生まれなので、もう46歳。数々の傑作を書き、もはや大家である。

「若い俊英の作曲家だな」と思っていた、野平一郎氏や西村朗氏は、ともに1953年生まれなので51歳。このお二方も、もう大家である。

それ以前に生まれた方で名前を存じ上げている方は、みんな作曲界の大御所になってしまったか、「お星様」になってしまわれた。

それ以降のジェネレーションは、どうなったのか? 大変に不勉強ながら、あまり存じ上げない。いったい今、45歳以下では、どのような方が活躍されていらっしゃるのだろうか?

さっとお名前と作品が浮かぶのは、藤家渓子氏(たぶん1960年代のお生まれだと記憶する)か、田中カレン氏(1961年生まれ:余談ながら、作品も素晴らしいが大変に魅力的な女性。一度だけ、間近にお姿を拝んだことがあるが、あのような素敵な方に「お茶でもご一緒しませんか?」と言われたら、たぶんついていってしまうだろう)くらい。

そのほかには、どのような方が活躍されていらっしゃるのか、一度どなたかにきちんとご教授願いたいものだ。どなたか、お教え下さらないものだろうか?

ただ、そんな中、清水篤さんという作曲家の方から、現代作曲家の2台ピヤノ作品ばかりを集めたCDを頂いた。若い方から大家まで、かなり広いジェネレーションの方の作品を集めている。なかなか面白いCDなので、後日「今週の1枚」で紹介しようと考えている。

そうそう、これを書くに当たってググっていたら、高橋悠治さんのサイトを見つけた。それから先日は水野修孝さんのサイトも見つけた。拙者が中学生のころ、「カッコイイ素敵なお兄さん」と思っていた両先生だが、高橋先生は68歳、水野先生は70歳になられている。高橋先生のサイトを見て、フィリピンの巨匠、ホセ・マセダ氏が今年の5月に亡くなったことを知る。亡くなったことと、それを知らなかったことにショック。

・・・と、人の年齢をとやかく言っている拙者。自分自身も、確実に加齢している。しかし、同時代作品に関する知識は、この20年であまり進歩していないようだ。何とも情けなく感じる、今日このごろである。


...... 2004年 11月 16日 の日記 ......
■[ NO. 422 ]
欲しいなぁ・・・
晴れ。眠いが体調は、すこぶる良い。

オフィスで、デジタルカメラの話題が出た。最近のデジカメは、半年ごとに機能がアップする。このところの話題は「手ぶれ補正機能」である。

拙者がこのサイトで掲載している写真を撮影しているデジカメは、1年半ほど前のもの。なかなか機能的なのだが、暗い場所での撮影や、街頭でいきなり出逢ったものへの撮影にはとても弱い。どんなに頑張っても、手ぶれしてしまうのだ。

うちの部長が使っているデジカメは松下電器産業の300万画素機種だが、お料理や街頭、夜景の写真がとても綺麗に撮影できる。「ほぉら、見てみぃ。三脚なしで、こんなにきれいに撮れるんだぞ」と、作品を見せてくれる。

最近、協力プロダクションのA君が、同社の500万画素機「DMC-FX7」という機種を買って、写真を撮りまくっては自慢している。

何だか拙者の回りは、みんな手ぶれ補正機能を装備した機種を使い始めている。写真の出来映えを見て、思わず欲しくなってしまった。

で、ゆみこに「新しいデジカメ、欲しいなぁ。手ぶれ補正機能があって、きれいな写真が撮れるんだよ」、と言ったところ、「あなた、このところ某ブティックで散財しているでしょ! ろくに賞与も出ないのに、どこにデジカメ買うお金があるのよ。却下!」。

新しいデジカメ、欲しいなぁ・・・。


...... 2004年 11月 17日 の日記 ......
■[ NO. 423 ]
秋の沈没
晴れ。

気分は良いが、疲労感が凄い。いろいろ書きたいことはあるが、沈没である。

ホテル・オークラ正面玄関にある「クリスマス・ツリー」。これは地植のヒマラヤ杉。それに電飾を施したもの。手持ちのデジカメだと、三脚なしではこの程度の写真を撮るのが精一杯だ。



...... 2004年 11月 18日 の日記 ......
■[ NO. 424 ]
人生いろいろ
曇り、のち、雨。

世の中には、平凡な人もいれば、いろんな才能を兼ね備えた人もいる。後者で最近話題の人、といったら、次期米国国務長官に指名されたコンドリーザ・ライス女史だろう。やりたいことは何でも出来ちゃう、スーパー・ウーマンである。もちろんご本人の大変な努力があったからこそ、様々な才能が花開いたのだろう。それでもやっぱり凄いものは凄い。

拙者、この人の対外政策について、大変に興味を持っている。穏健派と言われるパウエル現・国務長官とは正反対。米国への「脅威」に対しては徹底した強攻策を取る。就任後の政策手腕の発揮が見物である。

もう1つ、拙者が興味を持つのは、やはりピアノだ。この方、相当にピアノが弾けるらしい。それも半端でなく巧いとのこと。何せ、15歳でデンバー大学に入ったときの専攻はピアノである。当初は演奏家を目指していたとのこと。巧い訳だ。大学入学後、専攻を国際関係論に変えた後も、ピアノは弾き続けた。ヨー・ヨー・マなど国際級演奏家とアンサンブルまでやってしまう。ソロだけでなく、室内楽の素養もあるのだろう。ただ、連弾の相手としては、ちょっとコワそうである(見かけで判断してはいけないのだろうけれど)。

それはともかく、日本でこうした「スーパー系」の政治家っているのかしら? 政策も一流、趣味も一流という政治家が。どうも、いそうもない。ちょっと(いや、かなり)淋しいね。


...... 2004年 11月 19日 の日記 ......
■[ NO. 425 ]
総退却
雨。

一日中、降り続ける。からだもかなり疲弊。午前1時に業務終了。そのまま沈没。


...... 2004年 11月 20日 の日記 ......
■[ NO. 426 ]
彼方へ…
晴れ。

11時過ぎまで、眠り続ける。途中、いつものように「悪夢」を見るため、何度も目覚め、ろくに眠った感じがしない。でも、横になって、ウトウトしているだけで、疲れは取れる。

途中から、いつものように「ぱぐ」が布団の中に潜ってきて、一緒に眠る。本当によく眠るワンワンで、拙者が起きるまで、一緒に眠っていた。年齢もあるのかも知れないけれど、合計すると半日以上は眠っているのではないかしら。

午後の散歩の後は、ピヤノの練習。年に1度だけ弾く、ヤマテピアノ商会主催の「望年会」まで、あと3週間。かなりまずい状況に追い込まれている。もう、後がないので、集中して練習。

結局、今年弾く曲は、6手連弾編曲のルロイ・アンダソン「橇滑り」と、マスネ「連弾のための組曲 第1番」に決まった。アンダソンは、この間からちょっとづつ弾いていたけど、「今日中に仕上げなよ」というゆみこの一言で、必死になって覚えた。これは何とかなりそうだ。マスネも、まだまだ全然「ずっこけ調」だが、一応格好だけはついた。もちろん、まだまだブラッシュアップしなければならないけど。

アンダソンは、6手連弾なので、旋律を取るところさえ転けなければ大丈夫。マスネは、きっとほとんどの方が知らないだろうから、ちょっとくらい間違えてもバレないだろう。何ともお気軽な拙者である。

それにしても、ちょっと困ったことがある。ゆみこと連弾していると、最近特に言われるのだ。「弾いていて邪魔なんだよね。もっとあっち行きなよ」。「もっと、あっち」に行ったら、ポジションの関係で、とっても弾きにくくなるのだが・・・。うーん。困った。


...... 2004年 11月 21日 の日記 ......
■[ NO. 427 ]
白日夢のように
晴れ。晩秋の小春日和。

午後からは、サントリーホールへ。来日中のワレリー・ゲルギエフ氏+ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の「さよなら公演」を聴くためだ。

去年のちょうど今頃、ティーレマン氏指揮のウィーン・フィルの演奏会に行った折、翌年(つまり今回)の指揮者が発表になった。今をときめくゲルギエフ氏である。その予告を見た人が、「ゲルギ、ゲルギ」と騒ぎだし、「絶対にチケットを入手するように」と、わたくしに厳命を下した。もっとも、厳命など下されなくても、チケット確保に奔走したことは言うまでもない。この組み合わせだったら、わたくしだって聴きたい。

今回のプログラムは、次の通り。

・ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番
・チャイコフスキー:交響曲第4番

ソリストは、中堅どころとしてはトップクラスのイェフィム・ブロフマン氏。

その演奏だが、ひとことで言えば、しなやかで流麗、そして力感があって爆発しながらも上品さを失わないゲルギエフ氏とウィーン・フィル。そしてそれに大輪の華を添えたブロフマン氏のソロ。確かに大物の組み合わせには違いないのだが、演奏者同士が触発し合い、壮絶な名演を展開した。ここまで昇華した演奏になるのは、極めて稀ではないだろうか。

まず、ラフマニノフの協奏曲。この演奏、かつてのホロヴィッツ、アルゲリッチに匹敵する、あるいはそれ以上の、類い希なるすがたを見せた。この曲の演奏として、いや、ピアノ協奏曲というカテゴリの演奏として、ある種の究極のかたちを示したと言っても過言ではないだろう。

ブロフマン氏。録音ではいくつか聴いていて、それにいつも感銘を受けていたが、今日の演奏はそれらを完全に払拭するような、異様な高みに達した演奏だった。恐ろしいまでの高度なテクニックを持ちながら、それを「音楽」するために自在に扱う。強い自己主張がありながら、決して押しつけがましくない。まるで魔法のように、そのテクニックと主張で、聴衆を彼の音楽のなかに引き込んでしまう。奇をてらうところは何もない。実に素直で清冽なラフマニノフだ。それでもブロフマン氏のピアノは、聴き手を彼の世界に巻き込んでしまう。困難なパッセージでも、まるで爽やかな高原を散歩でもするように、楽々と弾ききって。

それでいて、ひとつひとつの音の粒立ちが実に美しい。大変幅広いダイナミクスを持ちながら、聞こえるか聞こえないかの弱音から、爆発するフォルテシモまで、輝かしい粒立ちを失わない。管弦楽がどんなに咆吼しても、決してかき消されることのない、芯のある音。そして、表情がとても豊か。それが会場いっぱいに広がる。

第1楽章冒頭。かなり早めのテンポで音楽が始まる。普通、このテンポで行ったら、途中で演奏に破綻をきたすのでは、と思えるようなペースである。2小節の管弦楽による導入の後に始まる第1主題。その最初のフレーズを聴いただけで、背筋に冷たい物が走り、一気に演奏に引き込まれる。ブロフマン氏、フレーズの作り方が実に自然で、まるで聴衆に語りかけてくるみたいだ。この演奏姿勢は、終楽章まで一貫している。何という素敵な音作りなのだろう。そして、表情を刻々と変えて、聴衆を惹き付ける。

ゲルギエフ氏のウィーン・フィルも、もはや伴奏ではなく、ブロフマン氏と一緒になって音楽の流れを作って行く。随所にゲルギエフ氏の個性が光る。このコラボレーションは絶妙だ。

第1楽章のカデンツア。ライヴだと大抵の奏者は「普通のカデンツア」を弾くが、ブロフマン氏は難しい方の「Ossia」を。その「難しい方」ですら、楽々と弾いてしまうブロフマン氏。まるで、巨大な建築物を構築するかのような、堂々とした構成感のある、どっしりとした演奏だ。

第2楽章。ともすれば管弦楽がゆるみがちな、この曲。それにしっかりとした方向感をつけて、しなやかに纏めたのは、ゲルギエフ氏の力量だろう。

第3楽章は、ソロも、管弦楽も爆発だ。両者のコラボレーションは完璧である。絢爛豪華なピアノと管弦楽の饗宴になる。冴え渡るブロフマン氏のテクニック、それに敏感に反応するゲルギエフ氏+ウィーン・フィル。練習番号42の16小節目の「Piu mosso」で、ブロフマン氏が一気に加速をかける。そこに被さる木管群の鮮やかな連携プレイ。コーダに至っては信じられないほど加速し、最後の小節まで、一気に畳み掛ける。この演奏の構築性は、実に素晴らしい。もはや言葉もない。

まさに、この曲の演奏での、究極の姿である。何も奇をてらわない。それでいて究極の姿を示す。これに、どのような賛辞をしたらよいのだろうか。

演奏も素晴らしかったが、ステージの表情も素敵だった。ブロフマン氏はもちろん、ウィーン・フィルの方々も、実に楽しそうに弾いている。ゲルギエフ氏の元からは「ほら、音楽って、こんなに楽しいんだよ」というメッセージが発せられ、それが舞台から会場全体に伝わる。聴いていて、幸せになる演奏だった。

そして、音も目に見える光景も、この世のものとは思えない。まるで、白日夢を見ているような時間の流れ。

演奏が終わったら、拍手と歓声は止まらない。延々20分以上も続いた。途中、ブロフマン氏はコンサートマスターのライナー・キュッヒル氏と相談して、2曲ほどアンコール。

スカルラティのソナタ・ハ短調(L番不明)と、ショパン「革命」。あまりに素敵だったので、コメントは差し控えたい。

休憩後のチャイコフスキー。美的でしなやかで、そして存在感のある交響曲第4番。ラフマニノフにも増して、熱いウィーン・フィル。やや遅めのテンポ、暗い音色で始まった第1楽章から、熱狂的な爆発に至る第4楽章。そのすべてが、目眩く音の饗宴であり、絹のようなウィーン・フィルの音色と、熱く輝かしいゲルギエフ氏の表現が、幾重にも相乗効果を現した、絶妙の演奏となった。この組み合わせでなければ、決してできないチャイコフスキー。

ゲルギエフ氏は「熱い」けれど、かなり微妙な表現をウィーン・フィルに要求する。それに対してウィーン・フィルは、実に見事に反応するのだ。爆発感としなやかさを兼ね備えるとは、まさにこの演奏のことだろう。

あの、冷静なウィーン・フィルが「燃えていた」。ゲルギエフ氏の、絶妙のコントロールによって。ウィーン・フィルとしては異例なまでに燃えた、熱いチャイコフスキー。そしてコーダの異様なまでの熱狂する燃焼。この曲の、究極の姿を示していたと言っていいだろう。そして、この演奏。楽団員の方の表情が、実に素敵だった。何だかみんな、楽しんで弾いていて。そしてなにより、ゲルギエフ氏の「さあ、弾いてる人も、聴いてる人も、もっともっと楽しもうよ!」という姿勢が、まざまざと見えた。

最後の音が消えたら、もう、会場は熱狂の嵐である。カーテンコールは30分以上も続いた。その合間に、ゲルギエフ氏、ウィーンの曲を2つ。ヨハン・シュトラウスII「シャンパン・ポルカ」と、ヨゼフ・シュトラウス「ポルカ・憂いもなくて」。ゲルギエフ氏もウィーン・フィルも、とっても楽しそう。その楽しさが聴衆に伝わり、聴いていて目頭が熱くなる。

最後にオケが引き上げても、拍手は止まらない。誰もいなくなったステージに、何度も呼び出されるゲルギエフ氏。わたくしたちも、最後まで拍手をと歓声を送ったことは、言うまでもない。

かけがえのない、幸せな時間だった。

赤坂アークヒルズ・カラヤン広場にて


...... 2004年 11月 22日 の日記 ......
■[ NO. 428 ]
検索エンジン最適化
晴れ。

「SEO」(Search Engine Optimization=検索エンジン最適化)という言葉を御存知だろうか? これは、WebサイトがGoogleやYahoo!など検索エンジンの結果表示で、できるだけ上位に来るよう、サイトの記述などを工夫するテクニックだ。

検索サイトで、あるキーワードを入れたとき、検索結果のできるだけ上位に表示されたほうが、そのWebサイトにアクセスされる率は高くなる。そのためのテクニックが、次々と編み出されている。また、それをコンサルティングするビジネスもあるくらいだ。

わたくしたちのやっている「楽しい連弾の部屋」、実はGoogleで、あるキーワードを入れると、6万7000余りのWebサイトの中からいちばんトップに表示される。別に「SEO」のテクニックを意識してサイトを作っているわけではないが、Googleが日本でサービスを始めてから、ずっとトップに表示されている。「SEO」なる言葉を知ったのは、大変不勉強ながら、ごく最近のことだ。

だから、どう、ということもないのだが、検索エンジンでトップに出てくると、やはり嬉しい。

今まで、それをほとんど気にしていなかった。ところが、である。最近になって、Googleで、そのキーワードを入れると、どんどん上位に表示されるようになったサイトが、2つほど出てきた。内容面から言うと、別段競合するサイトではないし、むしろ相互リンクしてもいいな、と思っているくらいである。

だが、ある同僚に言わせると、Googleでトップに出てくるのは、とても良いことらしい。となると、やはりトップは譲りたくない。わたくしは意外と負けず嫌いのところがあり、自分でもバカだとは思いながら、トップを奪われるのはイヤである。

何気なしに作ってきた「楽しい連弾の部屋」だけど、そろそろSEOに取り組んでもいいかな・・・と思う、今日この頃である。

ちなみにサーチエンジンごとにSEOのテクニックは異なる。Yahoo!では、すでに登録サイトでトップに出ているので、とりあえずはGoogle対策をすることにしよう。

銀座で出逢った、パントマイムをする人


...... 2004年 11月 23日 の日記 ......
■[ NO. 429 ]
欅と公孫樹
晴れ。気持ちの良い休日。

朝、いったん目が覚めて、お茶を飲んだ。でも、まだ眠い。再び眠る。途中から「ぱぐ」がやってきて、布団に潜り込む。一緒になって、11時過ぎまで眠った。

午後からは、わたくしたちとしては、普段はあまり行かない、原宿・表参道方面へ出撃だ。

目的は2つ。わたくしがずっと以前お世話になった取材先の方が、久しぶりに作品の展示会をする、という案内を頂いたこと。場所は原宿だ。それから、ゆみこが「神宮外苑の公孫樹の色付きが見たい」とのリクエストがあったからだ。それなら、原宿で展示会を見て、それからウラジミール通りをウインドウ・ショッピングして、ストロガノフ通り経由で外苑まで行けばいい。そのあたりには、ここ数年、ゆみこが入れ込んでいる「KANEKO ISAO」というブランドのショップもあることだし。

元・取材先の「さおり」さん。

日本の超大手家電メーカーと米国の超大手計測器メーカーの折半出資会社に勤務されていた。今を去ること十数年前、わたくしはその会社が取材先のひとつだった。わたくしにはたくさんの取材先があるけれど、その頃、その企業の方たちとは、かなり懇意にしており、よく一緒に呑みに行っていた。ある春のこと、「我が社に入った、デザインエンジニアだよ。武蔵野美術大学出身のエースだ」、と紹介されたのが、さおりさんだった。最初から意気投合して、たくさんお喋りさせて頂いた。

その後、いろいろあって、彼女はデザインの分野から、一時引退。ずっと賀状だけで繋がっていたのだが、久しぶりにアートの世界へ復活。そのお祝いも兼ねて、展示会に出かけて行ったのだ。

もう10年以上逢っていなかったけれど、先方から声を掛けて頂いた。一発でわたくしが分かったらしい。「10年で、顔から体型から、ぜーんぶ変わったのに、よく気がついてもらえたねぇ」(ゆみこ)。

悪かったな、あたしゃ、老けたよ。

ちなみに、彼女は全然変わっていなかった。ただ、以前は立体創作で先鋭的な作風だったのが、今回はとっても穏やかな水彩。きっと内面では、さまざまな変化があったのだろう。何だか幸せな気分で展示場を後にした、わたくしだった。お喋りしたいことは山のようにあったけど、他のお客様の邪魔になってはいけない。

展示場を出て、ウラジミール通りに出たのだが、「KANEKO ISAO」のお店がなかなか見つからない。このお店が見つからないと、それは恐ろしいことになる。ああ、その恐ろしさ、読者諸兄諸嬢は、ご想像できるだろうか? 天も裂け、地も叫ぶ、その壮絶な光景を。

でも、天は正しい者を助けるのである。わたくしの勘違いで、目的のお店はウラジミール通りではなく、ストロガノフ通りにあったのだ。わたくしが、どれだけ安堵したであろうか。

マーラーの交響曲第9番・第4楽章。緊張感が走る、最初の2小節。それに続く安堵の主題。まさに、この雰囲気である。

このお店で気分を良くしたゆみこ、その後、散々歩いて、しかも目的とする神宮外苑の公孫樹がそれほど色付いていなくても、上機嫌だった。もっとも、色付いた公孫樹を見られなかったのは、わたくしたち2人とも残念だったが。

でも、いい休日だった。

色付き始めた、ウラジミール通りの欅


...... 2004年 11月 24日 の日記 ......
■[ NO. 430 ]
晴れ。

天候は、とても良いのだが、夫婦揃って風邪をひいた。わたくしは微熱と喉の痛み、そして関節痛。ゆみこは、鼻水が止まらず喉が痛くてたまらない。熱が出ないだけ幸いである。2人とも診療所で受け取った風邪薬を飲んで、何とか動いた1日だった。

何人かの方から、ご質問を頂いた。「ベルリン・フィルとウィーン・フィルのチケットを入手できるなんて、羨ましい。どうやったのですか?」。

答えは簡単。抽選に当たっただけである。昨今は人気のコンサートとなると、チケット購入も、抽選が多い。しかも、本当に公正な抽選をやっているのか、疑問もある。おまけに抽選だと、席の指定はできない。わたくしたち夫婦は、2人とも視力が弱いので、できるならステージに近いところへ行きたい。でも抽選では、それもできない。先方から席を割り当てて来るだけである。

この2つのコンサートにしたところで、それぞれ4カ所の抽選に申し込み、当たったのはそれぞれ1つづつ。結構ハズレまくっているのだ。ちなみに去年のウィーン・フィルは、みんなハズレてしまい、キャンセル待ちの「敗者復活抽選」に申し込んで、これが当たった。

10月に行ったニューヨーク・フィルも、ハズレまくり。いちばん行きたかったコンサートは、ハズレの連続で全然買えず、電話攻撃でも買えなかった。やっとのことで、別のコンサートのチケットが買えたのだ。それ以外のコンサートも、これまで結構ハズしまくってきた。申し込みの総数と買えたチケットを勘案すると、圧倒的にハズレが多い。しかも、ハズレたコンサートは、電話攻撃でも、まず買えない。

噂に聞くところによると、コンサートのチケットなど、いくつも「裏ルート」での入手ができるらしい。残念ながらわたくしはそうしたルートを知らない。仮に知っていたとしても、立場上使うことはできない。それは、メディアで働く者の良心があるからだ。「だから、あなたは馬鹿正直なのよ」という声も聞こえてくるが、わたくしはそれでいいと思っている。

今回は、たまたま幸運だっただけだ。何々? もし、全部当たったらどうしたって? わたくしのお友達にも、行きたい方はたくさんいらっしゃる。そうした方たちに分けて差し上げたよ。どこかのオークションに出して儲けよう、などと言う気持ちは、さらさらない。やはり、馬鹿正直なのだろうか。

年末恒例、銀座・ミキモトのクリスマスツリー。今年は点灯式に行けなかった。



...... 2004年 11月 25日 の日記 ......
■[ NO. 431 ]
未知との遭遇
晴れ。

少し体調が回復したが、本調子ではない。どうも風邪っ気が抜けない。まあ、熱が下がっただけでも、いいだろう。

さて、ある方からのメールに「淋し見舞い」ということばが出てきた。

淋し見舞い。

うぅ、聞いたことのないことば。

What is Samishi-Mimai ?

「広辞苑」には出ていない。こうしたときには、ググるのがいちばん。出るわ、出るわ。344項目も出てきた。

お通夜やお葬式などで、ご遺族を慰めるために、親族や近所の方などが、菓子折などを持っていく習慣とのこと。いろいろな習慣があるものだな。

で、このググりで出てきた結果が興味深いので、いろいろ見ていた。そうしたら、「通夜に5万円、葬儀に5万円、初七日に1万円、それぞれ包んだ」とか、「通夜に香典を持っていったので葬儀で何も出さなかったら、大変に叱られた」とか、にわかには信じられない話が、ぞろぞろ出てきたのである。「淋し見舞い」なら理解できるが、「そこまでやるか?」みたいな習慣が、けっこうあるものだ。

狭い日本と言えども、いろいろある。世の中は広いものだ。

屋根からぶら下がっている人



...... 2004年 11月 26日 の日記 ......
■[ NO. 432 ]
押し寄せる誘惑
晴れ。

体調は、だいぶいい。喉の痛みも取れた。まだ油断は禁物。

帰宅すると、例の某ブティックから「クリスマスのお薦め」なる、きれいな冊子が届いていた。

なになに・・・「・・・大切な方へのプレゼント、また自分へのご褒美を、この1冊の中から見つけていただければ幸いです」。

解脱の境地にあるわたくしでも、こうした冊子を見てしまうと、予算もないのに、いろいろ欲しくなってしまう。だから妻に「ど〜こが、解脱じゃ!」と言われてしまうのだろう。

ネットで、あちこちのサイトをフラフラしていても、欲しいものがゾロゾロと。楽譜に、書籍に、CDに、DVD。やっぱり、まだ解脱していないのかな? まあ、ちゃんと「歯止め」がかかっているからいいけれど。

駅前大通りの欅も色付いてきた



...... 2004年 11月 27日 の日記 ......
■[ NO. 433 ]
躊躇
晴れ。

自宅で2台、オフィスで1台、パソコンを使っている。OSは3台ともWindows XP SP1だ。先般「SP2」なるものが出て、パソコンを立ち上げるたびに、「SP2にバーションアップしましょう」というメッセージが現れる。

バージョンアップしてもいいのだが、SP2にして周辺機器が動かなくなったり、その他もろもろのトラブルが出るのが恐ろしい。何せパソコンは仕事の必需品なので、一時でも動かなくなると致命的だからだ。

それに実は、バージョンアップで痛い目に遭ったことも、SP2導入を躊躇させている。これを書いているパソコン、XPの初期バージョンからSP1にしたとき、サウンド系統がまったくダメになった。最初、原因が分からなかったのだが、サウンド系のドライバに不整合があったのだ。それが判明するまで1日、ドライバを入れ替えるのが半日。散々な目に遭った。

今度、SP1からSP2にしたとき、問題が起こったら、またまた面倒だ。誰か、身の回りでSP2を入れた人が出たら、バージョンアップをしよう、と考えている。だが、身の回りでは、みんな怖がってバージョンアップをしようとしない。

さてはて、わたくしのパソコン、バージョンアップはいつになるやら・・・。

晩秋の午後



...... 2004年 11月 28日 の日記 ......
■[ NO. 434 ]
静養と練習
晴れ。

今日は「ハウルの動く城」を見に行く予定だった。ところが、ゆみこの風邪っ気が抜けない。これで人混みに出たら、また症状がぶり返しそうだ。中止にして、家でのんびりピアノを弾く。

・・・のんびりとは言うが、わたくしにとっては、もう後がない。何とか目標の曲を仕上げなければ。

夕方になって、ゆみこが「シッピングセンターに、遊びに行こうかな・・・」と言いながら、わたくしの顔を見て「やっぱり止めた」。

そのショッピングセンターの一角で、縫いぐるみを販売しており、そこに居たダッフルコートを着たクマさんを、わたくしがいたく気に入っているのを思い出したからだ。「あんなの連れて帰って来られたら、とんでもない!」。

そんなわけで、外出は「散歩」のみ、という地味な休日。

午後の散歩だと、暖かいから、シャツを着なくても大丈夫だ!


...... 2004年 11月 29日 の日記 ......
■[ NO. 435 ]
背景真っ暗、そして沈没
晴れ。

いろいろあって、疲れた。

でも、帰宅して、いろんな方にメールを書くのは楽しい。たくさんメールを書いて沈没だ。

写真の撮り方が下手くそだったので、背景が真っ暗になってしまった。本当は、とてもきれいだったのである。



...... 2004年 11月 30日 の日記 ......
■[ NO. 436 ]
タッグでエッセイ
晴れ。

体調は、あまり良くない。ゆみこは風邪で退却。連弾庵で元気なのは、ぱぐたちくらいなものだ(と言っても、連弾庵には、わたくしたちと、ぱぐたちしかいないのだが)。

放送でも新聞でも雑誌でも、メディアはみんなそうなのだが、3カ月とか、半年とか、1年とかいったサイクルで「番組」の入れ替えを行う。わたくしが本職でやっているメディアも例外ではない。そろそろ来年春の「番組改編」が視野に入ってきた。

そのまま存続させるもの、かたちを変えて再出発、新番組、そして打ち切り。それに合わせて、様々な企画が出る。いま、わたくしが抱えている番組で、「大変に面白いので、このまま続けたいけど、そのままだったら変化がなくて・・・」というのがある。

わたくしは「プロフィール」でも書いてあるように、専門はハイテク産業と経済司法である。しかし、ちょっとした成り行きで、慶応大学講師で音楽学者(ご本人は「音楽物書き」と自称されていらっしゃる)の加藤浩子さんの「音楽エッセイ」も担当させて頂いている。彼女はオペラ関係では、売れっ子の解説者だ。わたくしとは全然違った角度や感性で音楽を捉えていらっしゃるので、とても面白い。番組改編時には、これを何とか存続させたかった。でも、そのまま存続させたのでは能がない。

そこで思いついた。加藤さんとわたくしとで「リレーエッセイ」やったら、ちょっと目先が変わって面白いのではないか、と。部内では、認められる方向にある(感触では)が、加藤さんがどのようにおっしゃるか。

そこで、加藤さんに「一緒にタッグ組んで、交互にエッセイ書きませんか?」と話を持ちかけたところ、「それは、面白い。是非やりましょう!」。「あなたとわたしなら、音楽のカバー領域も異なるし、視点も異なります。分野が広がって、面白いと思いますよ」と加藤さん。部署の了解が出れば、そのまま「GO!」だ。

主な分担は、加藤さんがオペラ・声楽それに古楽。わたくしが管弦楽・器楽・近代/現代曲になるだろう。もちろん「相互乗り入れ」はあるが、お互いに興味の対象が違うので、まず重ならないだろう・・・というのが一致した意見。さて、どうなりますことやら。

何だか、またひとつ、自分の仕事を増やしてしまった。自分で自分のクビを絞めているところもなきにしもあらず。だが、この種のエッセイなら、楽しく書けるような気がする。