晴れ。ときどき曇り。
ジャーナリストというのは、取材して記事を執筆したり映像を残したりするのが仕事である。しかし時として立場が逆転し、「取材する側」が「取材される側」になることがある。大抵の場合、あまり良くない状況だ。それにしても、場所や場面は全く違うけど、相次いで「取材する側」が「取材される側」になってしまった事件が起きた。しかも「取材する側」の端くれとしては、非常に悲しい事件である。
ひとつは、イラクに入っていたカメラマン、橋田信介さんが何者かの襲撃に遭い、甥の小川さんとともに命を落とされたことだ。橋田さんと直接の面識はないが、大変に優秀なジャーナリストで、数多くの戦場取材、それも優れた映像と記事で知られている。危険地域に入る時には、命を落とす覚悟をしながらも、慎重に慎重を期して取材に当たられていたという。橋田さんは生前、取材中にポルポト政権に捕まってしまったときのことを「とても恥ずかしいこと」と、どちらかで語っていらした。そう、ジャーナリストとして、危険地域で危ない目に遭ってしまったことを、「自分のミス」として恥じていらしたのだ。その姿勢、分野が違ってもすべてのジャーナリストにとってお手本と言えよう。「何が自分にとっての失敗であったのか」を冷静に分析し、それを恥ずかしいと感じる謙虚なこころをお持ちだったからだ。これは、なかなかできることではない。
これほどまでに慎重だった橋田さんも、予想外とも言える事態で亡くなられてしまった。橋田さんの取材姿勢は、とても立派だったと思う。そして、ご家族には「こういう仕事だから覚悟しておけ」と常々仰っていたそうだ。橋田さんは、イラクで拘束されて物議をかもした、どこかの「飛び込み(自称)ジャーナリスト」と違って、しっかりした実績を上げられてきた方だ。そうした方が亡くなられて、とても悲しい。
しかも記者会見での、ご家族の立ち居振る舞いが、本当に立派だった。ご夫人は、「夫は戦争をずっと取材してきました。わたしは、いつでも覚悟はしていたつもりです。本人も覚悟はできていたと思います」と、淡々と、そしてしっかりとメディアに対して語っていた。自分の夫が殺害されたというのに、ここまで毅然としたメディア対応ができるなんて、家族としては相当のものである。会見の中継を見ていて、こちらが泪をこぼしそうになったくらいである。橋田さんご本人も立派だったけど、ご家族も立派だった。
もう1つは、長崎県佐世保市で起こった、「小学生、学校内殺人事件」である。被害者のお父様・御手洗恭二さんは、毎日新聞佐世保支局長。もし、被害者がご自身のお嬢さんでなければ、取材の陣頭指揮を執らなければならない。それが一転して、「取材される側」に立たされてしまった。
毎日新聞は、各記事が原則署名である。ところが、この事件に関しては、すべて無署名になっている。どなたがお書きになったのだろうか? 御手洗恭二さん、本来ならばご自身で取材して記事を書かれなければならない、あるいはデスクを担当しなければならない立場。それなのに、被害者は自分のお嬢さん。二重の意味で、どれほどお辛かったことだろう。そのご心境は察するに余りある。
御手洗さんの会見中継を見たが、愛するお嬢さんを殺害された立場ながら、気丈に振る舞われていらした。その表情の中に、「取材する側」と「される側」の立場が同居し、とても複雑な顔色を見たのは、わたしだけだったろうか? 見ていて、とても悲しくなった。本当にお辛かったことだろう。御手洗さんを「取材」する側には、彼の同僚の記者もいたはずだ。その記者だって、本当に辛かっただろう。心の底から傷ついた同僚に対して、質問を浴びせなければならなかったのだから。
・・・「取材する側」の端くれとして、こうした話は、とても悲しい。亡くなられた方の、ご冥福を祈るばかりである。
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