...... 2004年 4月 01日 の日記 ......
■[ NO. 192 ]
やはり…
晴れ。ときどき曇り。のち雨。

やはり、そうか。「六本木ヒルズ」の、あの痛ましい事故から1週間が過ぎた。そうしたら、出るわ出るわ。自動式回転ドアの事故に関する報告が。死亡事故に至らなかったので、事故を起こした施設側の報道発表もなかったし、警察への届け出もきちんとなされていなかったらしい。そのため我々一般市民は、その危険性を知らされていなかったのである。

やはり、自動式回転ドアは危険な代物だったのだ。拙者のように運動神経の鈍い者にとっては手動式の回転ドアすらコワイ。自動式は、通行者が自分で制御できないだけあってもっとコワイ。その「危険」が放置されていたのだ。「朝日新聞」などの報道によれば、自動式回転ドアを設置している施設では、これを撤去しようとする動きも出ているようだ。現に運転をやめたり、特別に警備員を配置する施設が相次いでいる。

悲惨な死亡事故が起きなければ、こうした危険物は放置されたままだったのだ。またまた怒りがこみ上げてきた拙者である。




あるサイトで、F.リスト「死の舞踏」の2台ピヤノ版が話題になっている。何でも先日行われた「ポロニア・ネットワーク」主宰の角野怜子先生による公開レッスンで、この曲の2台版を弾かれたペアがいらしたとのこと。

普段、この曲はピヤノと管弦楽の組み合わせで(主にCDで)聴いているので、2台版はちょっと想像もつかない。だけど、聴かれた方の話では、かなり効果的な2台ピヤノ曲だったとのこと。

そこで拙者、2台版の楽譜を探したら現役で出ていることが判明。「EDWIN F. KALMUS」から出ていた。ずばり「これ」。是非とも2台ピヤノによる演奏を聴いてみたいと思った拙者である。ちょっとそそられますね。残念ながら2台ピヤノによる録音はない模様。もし御存知の方がいらっしゃったら、是非ともお知らせ願います。

毎晩、帰宅の途中で“夜桜見物”。
でも、ちっとも楽しくない。酒も肴もないからね



...... 2004年 4月 02日 の日記 ......
■[ NO. 193 ]
照る日、曇る日
曇り。時々雨、晴れ。

妙に蒸し暑い日だった。こんな日は、朝から体調が良くない。このところずっと不調だったので、血液検査を受けた。数十項目に渡る検査を受けたのだが、いずれも「シロ」。主治医に言わせると、ここまで体調が崩れたのは、疲労とストレスしか考えられないとのこと。

日乗もそうだけど、どこかでストレス発散したり、猛烈に眠ったりもしている。でもそれだけでは状態は良くなりそうもない。

拙者が北ドイツのどんよりした空の元で取材対象を追っかけ四苦八苦している間、拙者のある友人夫妻は陽光溢れる南仏を中心とする地中海その他で「仲良しバカンス」を楽しんだそうだ。彼女の作った「旅行Web日記」(執筆中、写真多数あり。誰とは言わない)を見て、「バッカヤロゥ」という気分になった(実は羨ましくて仕方ない拙者)。

どんよりとした空の北ドイツは悲しい。ひとりではレストランにも入りづらい(だから日曜日だというのにプレスセンターで不味い飯を淋しく1人で食う羽目になったのだ)。北千住の一杯飲み屋に1人で入る方が100倍楽しい。近日中に「19:54分、北千住発、準急・新栃木行き」よりも悲しい、拙者の「ハノーヴァー見て歩き」をアップしよう。

・・・と言うわけで今夜は沈没だ。

--古い手帳から--
この中に、わし(あかね)がいるぞ。どれだか分かるか?
分かっても、何もやらんけどな。


...... 2004年 4月 03日 の日記 ......
■[ NO. 194 ]
春・メンデルスゾーン
晴れ。

麗らかな春の日。気分もからだも、ぱぐぱぐしていたい雰囲気だ。本当は都内まで出て、行きつけのお店でリュックサックと時計をみたかったのだが、まだ体調が本調子でないので諦める。それに、連弾庵近辺にたくさんある桜、今日が見頃だ。

櫻の樹の下には、何か埋まっていそうだな。
まさか屍體じゃあるまいな。
って、梶井基次郎の読み過ぎか?


連弾庵近辺には「これでもかっ!」というくらい桜の樹がある。並木になっていたり、公園になっていたり。この「春のお祭り」を楽しまない手はないだろう。自宅の近所でこれだけ桜が楽しめる場所がたくさんある。何と贅沢なことであろうか。

確かに、所謂「桜の名所」に比べれば規模は小さい。でも、人出も少なくゆっくりと楽しめるのだから、これでいいと思う次第だ。

まだ7分咲きの樹もあれば、満開で花びらを散らし葉っぱの若芽が出ている樹もある。ああ、もう春も本番なのだ。舞い落ちる花びらを全身に受けながらの散歩。ふと心が安らぐ。そして思う。ぱぐたち、もう12歳と11歳だ。この子たちと、あと何回、こうして桜を眺めながら、散る花びらを受けながら一緒に散歩できるのかな、と。

桜と舞い散る花びらを見ながら、ふと、メンデルスゾーンの「アンダンテと華麗なアレグロ」(連弾曲としては最難曲の1つ)の「アンダンテ」の部分が、この光景に似合う、と思った。




...... 2004年 4月 04日 の日記 ......
■[ NO. 195 ]
フィビヒ、雨、再会
曇り。のち雨。

午後のひととき。ピアノに向かっていた妻が、拙者を呼んだ。「隣に座ってセコンダを弾きなよ」。曲はZ.フィビヒの「連弾のためのソナタ 変ロ長調」の第1楽章である。こんな難しい曲、いきなり弾けと言われても(楽譜は見ているし、曲も知っているので初見ではないが)、拙者などどだい無理である。何せ指が言うことを聞かないのだから。しかしながら無理を承知で鍵盤に向かうことにする。

この曲、拙者が弾けるか否かは別として、大変に素晴らしい連弾ソナタだ。かつて拙者は「今週の1枚」でこの曲の演奏を取り上げ、曲について「初秋の夕暮れを思わせる、非常に叙情的かつピヤニスティックな作品」と評した。今でも曲について印象を語れと言われれば、この言葉以外に例えようがない。

この曲、大変な名曲ながら、ピアノ・デュオ演奏者や愛好者の間でも、ほとんど知られていないのがとても残念だ。もっともっと知られてもよい作品である。楽譜はスイスの「Amadeus」という出版社から出ていて容易に手に入る。是非とも多くの方に手掛けていただきたい作品だ。

妻など「このプリモ、自分で自分の手をひっぱたいちゃうくらい、右手と左手の声部が重なるわ」と文句を言いながらも、結構楽しそうである。




夕刻。日曜日としては珍しくひとりで外出。ある少年に会うためである。待ち合わせたJRお茶の水駅。彼は降りしきる雨の中で待っていた。「やあ!」と手を挙げると、笑顔で近づいてきた。2年ぶりの再会である。

「ゆっくり話そう」と、「山の上ホテル」にある和食料理店「山の上」へ。ここの天麩羅は、大変に美味である(注)。それに天麩羅屋ならば、食べるペースさえ調節すれば、結構長時間お店に居座って、静かに話ができる。彼とは、たくさん話したいことがあった。

わずか2時間だったけど(本当はもっと長く話していたかったのだが、事情があって彼を疲れさせるわけにはいかなかったのだ)、2年間の空白を埋めるだけの会話ができた。何とも幸せな2時間だった。別れ間際、柔らかな春の雨に打たれながら手を振った、彼の姿が脳裏に焼き付いた。

お店でも、帰宅してからも、結構アルコールを摂取してしまった。何か、幸せな気分になったので。・・・そうしたら、あっという間に「沈没」だ。「今週の1枚」も準備不足で書きそびれてしまった。サイトにいらして下さった皆さん、ごめんなさい。次週は書きます。

(注):このレストラン、美味だけに大変に混雑する。ご利用の際には予約されることをお薦めする。ちなみに都内のホテルにある“良さそげな”レストランは、最近どこも混雑だ。たとえば先々週、六本木ヒルズの帰りに帝国ホテルにある中国料理店「北京」で食事をしようとしてふらりと行ったら満席で断られた。17:30の時点である。仕方ないので、有楽町ガード下の飲み屋に入って夕食だ。良いレストランで、ゆっくり楽しく食事をしようと思ったら(下町でも人気の飲み屋もそうだ)、やはり予約が必要なのである。

雨の日の散歩はレインコートが必須じゃっ!
ガサガサするけど、暖かいぞ。
このレインコートは、わしらのネーム入りの特注じゃ。
どうだ、まいったかっ!



...... 2004年 4月 05日 の日記 ......
■[ NO. 196 ]
桜のトンネル
晴れ。昨日とは打って変わったお天気だ。

昨日の雨で、ずいぶんと桜は散った。でも拙者の通勤路では、まだまだ枝に花がついている。春の陽光を浴びながら、桜のトンネルの下をくぐっていくのは楽しい。地面には散った花びらが落ちていて、まるで桜色のカーペットのよう。頭上も地面も桜色。ちょっと幸せな気分になる。

先日、こちらでも「今週の1枚」でも紹介した、水野修孝氏の連弾曲「ミューズの時」の楽譜を入手。自筆譜のファクシミリ出版だが、比較的読みやすい。読んでいてなかなか興味深かった。これに関しては、さまざま書きたいことがあるのだが、本日は体力が尽きた。後日にしよう。

通勤路は、桜のトンネル



...... 2004年 4月 06日 の日記 ......
■[ NO. 197 ]
桜のカーペット
晴れ。

街を抜けると、はらはらと桜の花びらが舞い落ちてくる。それを全身に受けながら通るのも、乙なものである。ほんのわずかな間だけれど、何だか幸せな気分になってくる。

足下を見れば、一面の花びらだ。桜並木の通り沿いのお宅は「お掃除」で大変だろうけれど、まことに勝手ながら通り抜ける側としては風情があって良い。

もう、しばらくの間、街の桜は拙者たちの心を楽しませてくれそうだ。

街は桜のカーペット



...... 2004年 4月 07日 の日記 ......
■[ NO. 198 ]
書きたいことは山のように…
晴れ。のち曇り。

先般頂戴しながら、「1ページ目が別の曲の譜面になっていた」という連弾曲の楽譜が改めて届く。今度は、正しい製本になっていた。この曲に関しては、別途書くことにする。本当はすぐにも書きたいのだが、疲労困憊してしまって、書く元気がない。

比較的早めに帰宅したのだが、いろいろ雑用をやったらからだが辛くて、もう「沈没」である。


...... 2004年 4月 08日 の日記 ......
■[ NO. 199 ]
愛の亡霊
雨。のち晴れ。

拙者の通勤経路、通称「2丁目の桜並木」は、花びらの吹雪である。ここを通り抜けると、拙者のブレーザやバッグ、自転車に桜の花びらがまとわりつく。何とも幸せな気分になるのだが、このところの疲れか、風景が幻のように見える。花びらの吹雪の中を抜ける拙者が、自分でないような錯覚に…正確に言うと、自分が見ている光景でないように思われる。

恐れていたことが起こった。イラクにおいて日本の民間人が現地の反米と見られる“組織”に誘拐・確保されてしまったのだ。組織はイラクからの自衛隊の撤退を要求している。拙者は自衛隊がイラクに派遣された時点で、日本人に対する何らかのテロ行為があると予想していた。それが「誘拐」というかたちであらわれたのだ。

この事件に関して書きたいことは、それこそ山のようにある。しかし、ここでそれを発言するのはあえて差し控える。論述していくと、どうしても政治的発言をしなければならないからだ。拙者は本サイトや日記で、これまでも政治的発言をすることは極力避けてきた。その姿勢を今回も踏襲する。

ただ、ひとことだけ言っておけば、自衛隊のイラク派遣は日本政府としてせざるを得ない選択だったと考えてる。

…かなりの疲労が感じられる。もう一歩で“総退却”になりそうな拙者だ。半分「亡霊状態」の拙者。まるで「愛の亡霊」…って、別に拙者は大島渚氏の支援者ではないのだが(故・武満徹氏が、この映画に付けた音楽は、とても気に入っている)。午前1時半、業務を終えて「沈没」だ。


...... 2004年 4月 09日 の日記 ......
■[ NO. 200 ]
沈没の春
晴れ。

午前中は2カ月に一度通院している某大学病院に「中心性漿液性網脈絡膜症」の検査と治療に行く。大勢の方にご心配をかけたこの病気だが、今回の検査で進行はほとんど止まり、後は網膜の修復に時間をかけるだけになった。

視野がぐんにゃりと歪んで見えるようになるこの病気、進行が止まってから快復までにかなりの時間を要するらしい。そして、視野は完全には元には戻らない。疲れが溜まると、一時的に再発したりもするらしい。先日ハノーヴァーで記事執筆中に、いきなり視野が歪んだのには焦った。「また元の黙阿弥か」と、一瞬恐怖すら感じた。でも、こうしたことは治癒の過程でよくあることとのこと。

視野が完全には元には戻らない。でも拙者は、これでいいのだ。視力が失われなかっただけでも幸いと思わなければならない。世の中にはさまざまな原因で視覚を失ってしまう方だって、たくさんおられるのだから。それに、大勢の方に心配していただけるなんて、幸せ以外の何物でもない。ありがたいことである。

比較的早い時刻に帰宅したものの、いろいろやっていたら午前2時である。またも「沈没」だ。もっとたくさんやりたいことはあるのに、情けない次第。レイチェル・カーソンではないが「沈没の春」である。…あっと、あれは「沈黙の春」だった。


...... 2004年 4月 10日 の日記 ......
■[ NO. 201 ]
水漏れ、素敵なお店
晴れ。

昨夜はよく眠れなかった。4時半頃まで目が覚めていた。気が付くと朝10時である。寝返りを打つと、毛むくじゃらの“物体”がからだに当たった。“物体”は、いびきをかいている。「ぱぐ」だ。いつの間にか、拙者の寝室に潜り込んで来たらしい。まあ休日は毎度のことなので驚かないが、潜り込んできたのにまったく気付かなかったのは珍しい。拙者、余程疲れて眠り込んでいたのであろう。そのまましばらく眠ることにする。

…が、眠りは長く続かなかった。階下(拙者の寝室は2階)で騒ぎが起こっている。「何事か!」と、ぱぐと一緒に行ってみれば、台所の半分が水浸しである。妻によれば、流し台の下から水が溢れたとのこと。調べてみると、配水管が外れている。こりゃ水漏れするわけだ。流し台の下にはお米やぱぐたちのドッグフード、調理器具などが入っている。お米は無事だったが、その他は全部水浸し。

しばらく悪戦苦闘して配管を付け直したところ、水漏れは収まった。これで完全に直っていると良いのだが。




夕方からは久々に銀座に出る。行きつけのブティックで、リュックと時計を見たかったのだ。ブティックに行く前に「山野楽器」で、面白そうなピヤノ・デュオのCD(邦人作品)とブーレーズ様がお振りになった「ラヴェル・ドビュッシー」のCDを捕獲。このデュオのCD、なかなか面白そう。聴いて良い演奏だったら、「今週の1枚」で是非紹介しよう。

銀座は、結構「ワンワン」がたくさん来ている。今日もこんな人に出会った。

銀座ですれ違った人


ブティックへ着くと、拙者の担当のMさんを呼び出して、今年の春夏コレクションとして出たリュックを見せてもらう。パソコンも入りそうで、なかなかしっかりしている。それにお洒落。ついでに既出のリュックも見せてもらうが、やはり新デザインの方がいい。ただ、価格が高かった。ちょっと予算オーバーだ。火急に必要なものではないので、購入を考えさせて頂くことにする。

時計も見せてもらった。「本体」は気に入ったのだがストラップで気に入るものがなかった。担当のMさんによれば、オーダーが集中して受付をストップしているとのこと。うーん残念。ただ再びオーダー可能になったら、すぐに連絡を下さることになった。まあ、オーダーしてから手元に届くまでには1年はかかるのだが。それでも、いいんだ。気に入って長く使う物を購入するなら。しばらくMさんと雑談しながら、新しい春夏コレクションをいろいろ見せて頂く。別に購入するつもりはないのだが、いろいろお喋りしながら手にとって見ているだけでも楽しい。

今回はそのブティックでは何も購入せず、夕食の場所を探す。

妻は「たまには東銀座の方へ入ってみようよ」と言う。歌舞伎座のあたりだ。この方面は拙者もまったくの未開拓である。「何か、良いお店はないかな」と探していたら、こじんまりとしたワインバー兼レストランを見つけた。恐る恐る入ってみたが…。

うん、恐ろしくたくさんのワインが置いてあって、ワイン好きには天国かも知れない。2人なのでフルボトルは取らず、グラスワインをいくつか頂いて、楽しんだ。それに、お料理もとっても美味しかった! お店の人の感じも良かったし。良いお店を見つけた。また来よう。

…と言うわけで、ゆったりしたのか忙しいのかよく分からない休日を過ごし、「沈没」である。ちなみに今日は拙者も妻も、ピヤノに触れなかった。これは良くないことだね。


...... 2004年 4月 11日 の日記 ......
■[ NO. 202 ]
過ぎたるは…
晴れ。

疲れが出たのか、思い切り眠ってしまう。1日のうち合計すると12時間以上は眠ったであろうか。それでも、まだ疲れが取れず、そして眠たい拙者である。

昨日、掘りたての「筍」を山のように頂いた。頂くのはいいが、たった2人で「どうやって食べよう」と、思案を巡らせるほどの量である。すぐに茹でたが、これだけ全部食べるのは、容易なことではない。昨日、夕食に入ったレストランで、前菜の付け合わせに筍を茹でた上に軽く炒めたお料理が出た。普通なら何と言うこともないが、朝、恐ろしい量の筍を見てしまった後であり(そして、これらをたった2人で食さなければならないことを想像した後で)、出てきた筍を見て、妻が「ぎゃぁ!」。

レストランの方は「筍はお嫌いですか?」と心配したが、そう言うことではない。素早く拙者は、今朝方からの“筍攻撃”のことをお店の方に話し、決してお料理がいけないのではないことを理解して頂いた。

…で、その筍が夕食に登場した。今夜は筍の田楽、豚とキクラゲと筍の炒め物、筍入りのお吸い物だ。妻は言う。「明日は筍ご飯に、筍入りの煮付けなど、明後日はチンジャオロース、明後日は…」。いくら旬で美味しいとは言え、これだけ毎日同じ物が続くと、さすがに閉口だ。料理を作る妻ですら、うんざりしている。物事には限度というものがある。…あれだけの筍を消費するとなると…ぞっとした。

さて、最近、ピヤノの練習をサボっている拙者。妻が「さあて、何を一緒に弾こうかねぇ」と練習曲の相談を持ちかけてきた。しかし議論百出。まとまらなかった。さて、これから冬にかけて、何を練習しようかな・・・?

地面は一面、桜色



...... 2004年 4月 12日 の日記 ......
■[ NO. 203 ]
今が盛りの…
晴れ。のち曇り。

異様に暖かい日だった。あまりにも暖かいので、ちょっと気分が悪くなった拙者だ。こんな日は出勤したくない。だけど、一応きちんとした社会人であるため、勤務に出てしっかり仕事をするのも義務である。ちょっとふらつきながら出勤した。

某経済誌に連載しているエッセイの締め切りも今日。短いエッセイなのだけど、毎回取材資料が凄い。今回も一山あって、それが全部自宅にあったので普段使っているのとは別のバッグに詰め込んだ。いつも通勤に使っているバッグは完全に男性用なのだけど、今日持っていったバッグは男女兼用。だけど大きさから言ったら男性用かなぁ。バッグの両サイドにポケットが付いていて、とても機能的で使いやすい。先日はハノーヴァーでの取材で大活躍した。いろいろ入って便利。パソコンなんかも簡単に入るよ。楽譜でも普通のサイズだったら、まず入る。ちなみに試しにワーグナー「トリスタンとイゾルデ」の大判スコアを入れたら楽に入った。ただ、Durandのバカでかいサイズの楽譜は、さすがに無理だったけど。




さて、連弾庵を始め、首都圏の桜はほぼ終わり・・・と思ったら、どっこいこれからが盛りという品種もある。例えば「ヤマザクラ」だ。一般に街路や公園でみかけるのは「ソメイヨシノ」である。これは葉っぱが出る前、あるいは出始めのころに散り始める。ところがヤマザクラは、もうちょっと遅いタイミングで咲き始める。丁度葉っぱが出るのと同時だ。ソメイヨシノに比べ、連弾庵の回りでは3週間くらい開花が遅い。

幸い、連弾庵周辺にはヤマザクラがいくつかあって、今が見頃。ソメイヨシノよりもずっと淡い色をしている。拙者、どちらかというと、ヤマザクラの色の方が好きだな。どこか、そこはかとなさを感じさせる。まだまだ桜は楽しめそうだ。

連弾庵近くのヤマザクラ。
どうも色合いがうまく出なかった。撮影は難しい。



...... 2004年 4月 13日 の日記 ......
■[ NO. 204 ]
今が盛りの…Part II
曇り。

今は盛りの桜。ヤマザクラに加えて、八重桜も満開。連弾庵の先にある「2丁目の桜並木」や「桜公園」には、ソメイヨシノに混じって八重桜が植わっている。「団地の方のバス通り」もそうだ。濃い桜色の花が、本格的な春の到来を告げてくれている。華やかだけど、やっぱり拙者はヤマザクラの奥ゆかしさが好きだな。皆さんは、如何ですか?

今が盛りの八重桜。やっぱり撮影は難しい。



...... 2004年 4月 14日 の日記 ......
■[ NO. 205 ]
盛りの花の
曇り。のち雨。

今日は、MicrosoftのWindows Updateの日だ。セキュリティを確保し、自分に被害が及ぶことを防ぐほか、他人にも迷惑をかけないように、Updateをする。

ところが、サーバーが混んでいるのか、何度やっても途中までしか行かない。いざ、Updateのプログラムがダウンロードできるところまで進んでも、なかなか先に進まない。結局、全部の更新が済んだのは、始めてから1時間後だった。何だか、無茶苦茶頭にきた。

さて、連弾庵のまわり。春の花は桜ばかりではない。様々な花が咲き乱れている。みんな、それぞれの存在を主張しながら、春をいっぱいに謳歌している。

今日は書くネタもあったのだが、Windows Updateで時間をとられてしまった。昼間の疲れも出て、「沈没」である。

公園で見つけた、山吹



...... 2004年 4月 15日 の日記 ......
■[ NO. 206 ]
沈没の春 Part II
晴れ。とても爽やかなお天気である。

・・・といっても、取材で外出するわけでなし、ましてお散歩やお花見に行くわけでもなし。1日を暗く過ごす。ちょっと気分が疲れていたので、友人の井田道範氏(拙者の小学校からの友人でフリーのジャーナリスト。彼の書く記事で、時折拙者はコメンテータをしている)を誘って呑みにでも行こうか・・・と電話をしようと手帳を見ようとしたら、「ない!」。昨日、一昨日と「仕事で運ぶ物」が若干変わっていたので、バッグを替えたのだ(この3日間で3種類替えた)。そのときに手帳をいつものバッグに入れ忘れたらしい。これでは連絡が取れない。どうもついていない拙者である。そこでおとなしく帰宅する。

帰宅したら、どっと疲れが出た。書かなければならないメールを書いて精一杯。今日は写真もない。モデルはいくつもあるのだが、撮る気力が失せた。このところ何だかつまらない「日乗」だが、普通の人はだいたいにおいて同じようなものだろう。書きたいことは山ほどあるが、とにかく疲れた。・・・と言うわけで「沈没」。


...... 2004年 4月 16日 の日記 ......
■[ NO. 207 ]
疲労困憊
晴れ。

午前0時帰宅。疲労困憊。いろいろやって午前3時に沈没である。

ひとことだけ書こう。

イラクで人質になっていた3人。無事解放されたが、インタビューの第一声を聞いて呆れて物が言えなかった。ここまで日本中、いや世界中を騒がせておきながら、「まだイラクに残って活動を続けたい」だと。

連中は、自分たちの置かれた立場がまったく分かっていない。それに、「戦場に出向く」ということの意味を。外務省による再三の退避勧告を無視して戦場に出かけ、それで人質になったわけである。

そもそも戦場など、平時の常識の通用しない場所なのだ。何せ、人間同士が殺し合いをやっている訳だから。ボランティアだか取材だかは知らないけれど、そうした場所に行けば生命に危険が及ぶ可能性が極めて高いのは目に見えている。そんな場所に勝手に行って掴まって・・・。もうそれだけであきれ果てる。

どなたかがおっしゃっていたが、拙者も同じことを言いたい。もしそれほどまでにイラクに行きたいのなら、これまでにかかった経費の全て・・・日本国あるいは他国が連中の解放に向けて費やしたすべての経費。外務省職員の超過勤務手当なども全部含めて・・・を支払って、精算した上で、メディアを通じて「今度、掴まって殺されても、一切文句は言いません。絶対に助けないで下さい」と世界中に宣言してから行け。

本人たちは英雄気取りで、反省の色がまったくない。ただの馬鹿者である。きっと連中は言うのであろう。「わたしたちは、助けて下さい、などと言わなかった」と。だったら、人質になった時点でメディア向けのビデオが撮影されたわけだから、その中で「わたしたちは勝手に行ったので、どうぞ助けないで下さい」と宣言すべきだった。

とにかくこんな連中に日本国が翻弄されることになるなんて、日本国民としては大いに迷惑である。それに“救出”には、我々の税金が使われたわけだからね。


...... 2004年 4月 17日 の日記 ......
■[ NO. 208 ]
春眠
晴れ。気持ちの良い1日。

…とは言うものの、とても疲れていて12時間以上眠ってしまった。ちょこっと仕事をして、お散歩をして、メールの返信を書いたりしていた。ただそれだけの1日。猛烈に眠ったので、起きている間はとても爽やか。久々になんだかほっとした。

連弾庵の近所を散歩して、春を満喫した拙者たちである。

そうそう。とあるところで「北欧のピヤノ・デュオ」をテーマに短い紹介記事を書いた。グリーグやシンディングに関して、初歩的な紹介をしたのである。幸いいろいろな方の目にとまり、ご意見を頂いた。拙文をお読みになって「是非ともいろいろ弾いてみたい」と仰って下さった方がいるのは嬉しい限りである。拙者にとってはグリーグもシンディングも、ピヤノ・デュオ作品として親しい存在だが、世の中は必ずしもそうでないらしい。すてきな作品はたくさんあるので、是非とも多くの方に弾いて、楽しんで頂きたい次第である。




...... 2004年 4月 18日 の日記 ......
■[ NO. 209 ]
邦楽器にふれて
晴れ。昨日に続いて爽やかな日。

今日も眠ってしまった。1度午前8時に目が覚めたのだが、起きあがる気力がなく再び意識不明に。うとうとしていたら「ぱぐ」が部屋に入ってきたので、一緒に眠る。次に気が付いたら11時半だった。午後から外出の予定があるので、あわてて飛び起きる。

さて、その午後からの用事。久しぶりの演奏会である。演奏会といっても普段出向くものとはちょっと変わっていて、邦楽の演奏会だ。

向かったのは、邦楽合奏団「織座」の演奏会。一応「アマチュア」ということになっているが、メンバーは師範級の方もいらして、レヴェルはかなり高い。毎回充実した演奏を聴かせてくれるのだが、今回も楽しむことができた。邦楽の演奏会なんて、何年ぶりだろう?

曲目は以下の通り。

・川崎絵都夫:「花織」
・安達元彦:遊鼓風笛
・長沢勝俊:水と火のまつり
・佐藤敏直:灰色の風のデッサン
・今井重幸:傀儡曼陀羅

この合奏団の演奏会は久しぶりだが、相変わらず個々の奏者の力量は高いし、合奏能力も十分である。特に面白かったのは安達作品と佐藤作品だ。

安達作品は2本の笛と打楽器群のための合奏曲。笛の扱いが大変に個性的だ。ポルタメントを全面的に使用し、まるで風のなかにただよう何かを表現しているよう。一方の佐藤作品は、3本の尺八のための曲。曲の大半が無調で、尺八も古曲では使わないような比較的新しい奏法が要求される。かなりの難曲だが3人の尺八奏者は大変に立派な演奏をしてくれた。

その他の曲は編成の大きな合奏曲だ。確かに聴いて楽しいのだが、どうも後に残らない。これは現代邦楽の比較的大きな編成の合奏曲に共通することなのだが、一部の作品(例えば三木稔氏など)を除くと、どうも没個性なのだ。何だかどれを聴いても同じような曲にしか聞こえない。似たようなハーモニーの上に似たようなメロディーを乗せる。結果、どれも同じような作品になってしまうのだ。このあたり、この種の作品を書く作曲家は作風に関して再考すべき時期に来ているのではないだろうか。

折角、これだけ高度な演奏をする団体がいるのである。そうした意欲的な奏者たちのために、楽想にしても楽器の使い方にしても、もっともっと工夫があってもいいのではないだろうか。10年1日…みたいなことをやっていては、この分野に発展はない。ふと、そのように感じた拙者である。

ちょっと厳しい意見を書いたが、これはあくまでも作曲家に対してだ。演奏は大変に立派だったことを改めて申し上げておく。

終演後、ちょっと時間的に早かったが、ピヤニストの豊岡正幸氏と打ち合わせを兼ねてアルコールを摂取する。欧州にいるとお天道様が出ているうちからアルコールを摂取しても何ともないのだが、日本ではどこか後ろめたい気がする。不思議なものだ。




...... 2004年 4月 19日 の日記 ......
■[ NO. 210 ]
月曜から沈没
曇り。時々雨。深夜になって強く降る。

月曜というのに、疲労困憊。もう口も利けない状態になっている。書きたいことは山のようにあるのだが、残念ながら沈没である。しかし嬉しいことではないか。きちんと職があって、業務も山のようにあるとは。このご時世、とてもありがたいことである。

猫の額ほどの連弾庵の庭とテラスだが、意外といろんな花が咲く。小さな庭だが、季節の移り変わりを感じて楽しい。




...... 2004年 4月 20日 の日記 ......
■[ NO. 211 ]
ウソはばれる
雨、のち晴れ。夜になって風が強く吹く。

ウソなんて、余程うまくやっても、結局はバレるものである。

イラクで人質になった3人。解放前に家族が外国人記者会で会見をした。その際、たくさん出た質問の中に、「あなたたちの背後には、何らかの組織があるのではないか」というのがあった。家族側はそれに対して「そうしたものは、一切ない」と答えた。

これを額面通り取る人が、どれだけいるだろうか? 家族側の発言をまともに受け止めたら、相当におめでたいことである。

3人がイラクから帰国して、メディアに対して肉声をひとことも発しなかったこと。皆さんはどうお思いだろうか。これは極めて不自然なことである。解放直後には「イラクに残りたい」とまで言い放っていた連中である。それがどうだ。帰国後は雲隠れに等しい。おまけに、あれだけ政府やメディアを非難していた家族共も、極端に発言がなくなっている。ついに今日は、ほとんど新しい報道はなされなかった。

メディアにいる側から見ると、これは相当念入りなメディア操作、あるいはマスコミ対策が行われたとしか考えられない。

マスコミ対策とひとことで言うが、これはかなりの経験とノウハウが必要なのだ。とても一般市民が即席で簡単にできることではない。バックにそれなりの組織かコンサルタントでも抱えていないと、こうした対応は、ほとんど不可能だ。分野は違うが、取材する側の立場で見ると、連中のメディア対応は出来過ぎている。そこから判断すると、家族は外国人記者会での会見で、明らかなウソをついているのである。一般市民は誤魔化せるかも知れないけれど、メディアにいる人間は誤魔化せないよ。

バックにある医師が適当な病名をつけて3人を逃がしたようだけど、これって悪いことをした政治家がメディアから逃げるときの常套手段なんだよ。

3人は、雁首揃えて記者会見する必要があるし・・・何せ、国民の税金を“救出”に投入したのだからね・・・あれだけ政府やマスコミを非難した家族も一緒に出てくるべきであろう。それは、多額の血税を使われた一般国民に対する義務である。それが何だ。NPOだか何だか知らないが、まるで3人を何かの被害者のようにかばったりしてメディアから逃がしてしまっている。これは明らかにおかしい。連中はイラクを出るまで、まことに雄弁だったのだから。まあ彼らをかばう“特殊な思想”を持った連中の考え方など、拙者たち一般市民には分からないし馴染まないだろうけどね。

それから、政府。単なる3人の交通費や健康診断の費用だけでなく、費やした全額を国民に明示すべし。拙者が小耳に挟んだところでは億単位になるとか。どうぜ「機密費」の一部から支払われているのに違いないないので全額は明示できないだろうけど。だけど、支払った金額のすべてを、きちんと連中に請求してほしい。それができないと、大勢の国民は納得しない。


...... 2004年 4月 21日 の日記 ......
■[ NO. 212 ]
少しでも眼を…
曇り。時々雨。

疲労困憊。もう、何も書く気がおこらない。

読みたい本は、山のようにある。読まなければならない本も、山のようにある。それらがどんどん連弾庵とオフィスに積み上がって行く。だんだんどうにもならなくなって行くのを感じる。

通勤の電車の中で、何かを読むのも疲れてきた。老眼が日を追って酷くなってきたからである。とにかく今は、少しでも眼を休ませたい。

午前2時に沈没である。


...... 2004年 4月 22日 の日記 ......
■[ NO. 213 ]
2台が合わせるだけでは…
晴れ。

準夜勤+早朝勤務明け。頭が朦朧としている。それでも、夕方の勤務を終えて「サントリーホール」へ向かう。

今日の行き先は「ショパンの青春」と題して、渡辺一世氏と江波有紀氏が、2台のピヤノでF.ショパンの、ピヤノ協奏曲第1番、第2番、作品22の「華麗なるポロネーズ」の部分を弾く…といったコンサートだ。

率直に感想を言おう。

ピヤノ協奏曲を2台のピヤノで演奏することの難しさを、如実に感じたコンサートだった。そもそもピヤノ協奏曲は、ピヤノが管弦楽と1対1で対抗できるように書かれている。音量の差、音質の差を考慮してだ。だから2台のピヤノで、片方が通常のソロパート、片方が管弦楽パートを担うとなると、相当の工夫が必要になってくる。それはバランスの工夫でもあり、音色の工夫でもあったりする。

特にショパンのピヤノ協奏曲の場合、こういう言い方は語弊があるかも知れないが、管弦楽がピヤノに寄りかかった書法をしている。ただでさえピヤノと管弦楽のバランスは難しい。よりによって、この管弦楽をピヤノで弾こうとすると、恐ろしい工夫が必要になってくる。単に管弦楽パートを弾くだけでは、きちんとしたピヤノ・デュオなど成立しないのだ。そこが、この曲を2台ピヤノでやろうとするところの、本当の難しさである。

残念ながら、ピヤノ・デュオという観点からは、聴き応えのしない演奏だった。常にソロ・パートが主、管弦楽パートが従・・・といった関係を打破できなかったからである。これでは2台ピヤノの演奏は成立しない。2台ピヤノであるならば、両者が対等でなければならないからだ。演奏を聴いた限り、管弦楽パートの奏者は、可能な限り管弦楽の音を盛り込もうと努力したみたいだ。しかし、それでもバランス感に違和感を感じた。

それから、両奏者の力量の差も問題だった。渡辺氏(1番では管弦楽パート、その他はソロ・パート)がミスがありながらもしっかりとしたよくよく通る音色できれいにピヤノを鳴らしていたのに対し、もう一方の江波氏はピヤノを鳴らし切らず、芯のない音に終始した。テクニックに関しても歴然とした差がある。これではきちんとしたピヤノ・デュオは成立しない。ピヤノ・デュオというのは、ただ合わせればいいというものではないのだ。両奏者のしっかりしたバランス感があって、初めて成立する。この組み合わせでは、明らかにバランスが悪かった。

もうひとこと言おう。第1番で江波氏がソロ・パートを担当した演奏。あまりにもテンポが遅すぎる。第一楽章で1拍が(4分音符で)85〜90くらいで弾いている。こんなにゴリゴリ弾かれては、聞いている側としては神経が逆立ってとてもやってられない。ちなみに手持ちのスコアのテンポは126である。スコアの指定でも遅いくらいなのに、それを大幅に上回る遅さ。これでは間延びする以外の何物でもない。とてもではないが聴いていられる演奏ではなかった。

丁寧に弾く・・・というのとは、もう別問題だ。確かに、意図的に遅いテンポを取る演奏もある。かつてグレン・グールドが、ニューヨーク・フィルの定期演奏会でバーンスタインと組んだブラームスのピヤノ協奏曲第1番が良い例だ。あの演奏でグールドは、第一楽章をものすごく遅いテンポで弾いていた。しかし、そこにはグールドの強烈な主張があった。だからこそ演奏として成り立っていたのだ。しかも、その曲の、もっとも面白い演奏として。

しかし残念ながら今回の江波氏の演奏には、そうした意図が全く感じられなかった。うがった見方をすれば、彼女は「そのテンポでなければ弾けなかったのではないか」と思わせるほどだ。間延びしきったショパンの第1番。とても聴いていられる演奏ではなかった。

その点、渡辺氏がソロ・パートを取った、第2番と華麗な大ポロネーズは、まだ面白く聴くことができた。聴くに耐える演奏になったのは、渡辺氏のピヤノが雄弁で、きっちりとした主張があったからだろう。彼の表現は、ユーモアもあり、とても面白かった。そのあたりは評価できるのだが、演奏全体を見ると江波氏の音に生気がなく、きちんとした「ピヤノ・デュオ」が成立していなかった。江波氏の程度の演奏であれば、今はアマチュアでも容易に達することのできるレヴェルである。彼女はもしデュオの演奏を続けれるならば、もっと室内楽の勉強をすべきだろう。

ただ演奏会で救われたのは、渡辺氏の演奏とコメントだ。コメントでは曲が作られた背景や、聴くためのポイントなどを楽しくお喋りして、どんな人にでも演奏を楽しんでもらおうという姿勢が見えた。こうしたコメント付き演奏会には賛否両論があるだろうけれど、評者はとても楽しくお話を伺うことができた。こうした試みは、もっともっとあってもいいと思う。


...... 2004年 4月 23日 の日記 ......
■[ NO. 214 ]
疲労困憊
曇り。

かなり疲労。午前2時に業務を終えて、沈没。


...... 2004年 4月 24日 の日記 ......
■[ NO. 215 ]
巨大化
晴れ。ときどき曇り。

今日は朝からチケットの争奪戦だ。ターゲットとしたのは、10月の演奏会。マゼール指揮ニューヨーク・フィルハーモニックである。この組み合わせ、東京では4回の演奏をするが、狙いは10月26日の「オール・プロコフィエフ」だ。「ロメオとジュリエット」「ヴァイオリン協奏曲第1番」それに「交響曲第5番」という素晴らしいプログラム。何としても取りたかった。

実は、先行予約、プレオーダーで、いずれも敗退している。まったく取れなかったのだ。そこで今日の一般発売で何とかゲットを狙う。午前10時の受付開始に向けて、固定電話、携帯電話(2台)、それにWebと4方向からの攻撃である。もうこうなると拙者1人では無理なので、妻に手伝ってもらう。

さあ10時。もうWebは全然繋がらない。携帯電話もダメ。妻の固定電話だけが唯一繋がったものの、順番待ち状態。2分後、ようやくWebでサイトにアクセスできたが、何と「完売」。たった2分だ。8分後、妻の電話にようやくオペレータが出る。しかし、ああ無情。こちらも「完売」。がっかりである。しかし、いったいどんな連中がこのコンサートのチケットを入手できたのだろう? それに、何故この日だけこんなに人気があるのだろう? やはりプログラムかな? 仕方がないので、その翌日のチケットを買った。プログラムは「アイヴズ:ニューイングランドの3つの場所」「マーラー:交響曲第5番」。ま、これでもいいか。こうして演奏会に行けるだけでも幸せなのだから。




さて、午後の散歩の後は、獣医さんにぱぐたちのフィラリアの予防薬を受け取りに行く。フィラリアの薬は、体重によって量が変わる。そこでいつものようにぱぐたちを体重計に乗せたら…あれま、2つとも太ってる! 「ぱぐ」は10.5kg、「あかね」に至っては13.45kgだ。それぞれ1年間で1kg、体重が増加したことになる。

原因は運動不足だ。連中、犬としてはかなり高齢になってきて、あまり歩かなくなった。散歩があまり楽しくなさそうなのだ。それに無理に歩かせると、帰ってきてへばってしまう。そこで適当なところで散歩を切り上げるようになったのだが、これが運動不足になっているようだ。

もっとも、ぶくぶく太っているわけではないし、見た目はがっちりとした体型だ。ま、いいか…と思った拙者たちである。…しかしなぁ、10.5kgと13.45kg。パグ犬としては巨大であることは否定できない。スタンダードのパグ犬だと、だいたい8kgくらいだからである。やっぱり大きいね。

欅並木も新緑!



...... 2004年 4月 25日 の日記 ......
■[ NO. 216 ]
柔らかな響き
晴れ。とても爽やかなお天気。

しかし、例によって疲れて昼近くまで眠っていた。10時くらいに「ぱぐ」が布団に潜り込んできたのは分かっていたけど、そのまま1人と1匹で眠り込んでしまった。でも、正午からは、ちょっと仕事をしなければならいのでノソノソ起きる。

仕事が一段落して、午後の散歩へ。春の日差しが柔らかい。それに湿度が低くて爽快だ。こんな日は、ぱぐたちもお散歩が楽しいようだ。

散歩を終えて、仕事も一区切りつけて、お茶を頂いたら「出撃」だ(とは言っても、帰ってきてから、また仕事をしなければならないのだが)。




向かった先は「サントリーホール」。今日の演奏会は、クルト・マズア指揮・フランス国立管弦楽団だ。プログラムは以下の通り。

・デュカ:魔法使いの弟子
・ハチャトゥリアン:ヴァイオリン協奏曲ニ短調
・ムソルグスキー:展覧会の絵(セルゲイ・ゴルチャコフ編曲)

いずれもライヴで聴くのは、初めての曲目だ。「展覧会の絵」はラヴェル編曲では何度も聴いていたが、ゴルチャコフ編曲は初体験。いったいどんな編曲なのだろう。

確保した席は、1階1列21番・22番。舞台に向かって真ん中の最前列。指揮台のまさに真下である。

演奏はどうだったのか。例によって結論から書こう。

もう、最初から最後まで、満足できる演奏だった。非常に柔らかい音色ながら、底力のある音。そして素晴らしいアンサンブル。言い方を変えれば、音色はお洒落、アンサンブルは綿密・・・といったところか。月並みな言い方だけど、フランスの良い面と、ドイツの良い面が相乗効果を現したような演奏だった。マズアは、この楽団の持つ本来の色合いを十分に引き出し、その上でドイツ的なかっちりとしたアンサンブルで統一した、といっていいだろう。拙者の大好きなブーレーズさまのような「切りつめた美」はないものの、管弦楽がどんなに咆吼しても決して粗野にならない・・・もちろん恐ろしい迫力があるが・・・とてもエレガントな演奏だった。

1曲目の「魔法使いの弟子」は、そつなく綺麗にこなしたといっていいだろう。演奏会としては「前置き」の曲で・・・といっても、この曲のアンサンブルや各パートのバランス作りは非常に難しいのだけど・・・それを、さらりとこなして、「ほら、こんなに楽しくて素敵な曲でしょう?」と、さりげなく聴衆に示していた。

余談になるが、拙者、この曲を聴くと、どうしてもミッキー・マウスがボロカスになる映像が脳裏に浮かんでしまう。デズニーの「ファンタジア」そして「ファンタジア2000」の映像があまりにも強烈だったからだ。まあ、致し方ないことであろう。

それにしても、とてもエレガントな「魔法使いの弟子」だった。

脳天直撃だったのは、ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲。ソリストはセルゲイ・ハチャトゥリアンというヴァイオリニスト。まだ19歳のアルメニア出身の少年だ。この若いヴァイオリニストがどんな演奏を聴かせるか、とても楽しみだった。もちろん、この若さなので、この難曲・・・テクニックのみならず表現の幅・・・を本当にクリアできるのか、一抹の疑問はあった。しかし、どうであろう。第一楽章の第一主題。これを聴いて、ゾクッとした。何という豊饒な音なのだろう。そして豊かな表情。素晴らしく鳴り響くヴァイオリン。正直言って、大変に驚いた。そして第二主題。この息の長い旋律を、朗々としたスラーの連続で深々と歌い上げる。そして時折見せる陰。完璧なテクニックの上に、多彩な表情。

こうした表現の演奏だけだったら、巨匠と言われるひとたちのものを聴けばいい。今回拙者の脳天を直撃したのは、この素晴らしく楽器を鳴らす完璧なテクニックと表現力の上に、この若さでなくてはできない自由奔放な「青春の息吹」を感じたことだ。若い演奏家は、ともすればテクニックがもてはやされる。ところがどうだろう。この少年はテクニックに加え、幅広い表現力、そして「若いからこそできること」の3点を、見事に兼ね備えていたのである。第一楽章の末尾。長いカデンツアがあるが、直接楽器から耳に届く音に加えて、柔らかで豊饒な残響が周囲から聞こえていた。いかに上手に楽器を鳴らしていたかが、分かる演奏である。そう、ホール全体が鳴り響いていたのだ。

この傾向は第二、第三楽章もまったく同じ。第三楽章では、第一楽章の主題が回想されて、第三楽章の主題と平行に歌われるが、そのシーンで、思わず落涙してしまった。マズア率いる管弦楽も素晴らしかった。単なる「伴奏」にならず、ヴァイオリンとがっぷり組んでの演奏だ。

ハチャトゥリアンというと、とかく泥臭くなりがちだが、このオーケストラにはそうした面がまったくない。力強さはあるけれど、エレガントな響きを失うことはない。もちろん独奏・対・管弦楽・・・という構図ははっきり見えていてその立体感が非常に強く感じられたけれど、マズアとONFが、この才能ある少年をサポートして立派な演奏にしよう・・・という、何とも素敵な気持ちが表れていた。アンサンブルがちょっとでも難しいところになると、セルゲイ少年とマズアがしっかりアイコンタクトして。見ているだけで美しかった。これだけのハチャトゥリアンは、なかなか聴けないだろう。

最後の音が鳴り終わって、残響が消えたら、堰を切ったような拍手と大歓声。はにかむようなセルゲイ少年と、嬉しそうなマズア+ONF。普段、演奏会では比較的「冷静」な妻・由美子まで嬉しそうな表情で、力一杯セルゲイ少年に拍手を送っていた(これは異例だ)。何度も何度も舞台に呼び戻されたセルゲイ少年、楽団を舞台に残したまま、J.S.バッハの「無伴奏ヴァイオリンソナタ・第1番・第1楽章」を弾き始めた。それは素敵なバッハ。豊饒の響きのなかに、青春の天かける才気! ホールいっぱいに響き渡るヴァイオリン。楽団のメンバーも、柔らかな表情で聞き惚れている。それは爽やかな演奏だった。

休憩後のムソルグスキー。普段耳慣れたM.ラヴェルの編曲ではなく、セルゲイ・ゴルチャコフという人の編曲。何でもマズア氏は、この編曲を好んで舞台に乗せているのだそうだ。

ひとことで言えば、ラヴェルが「完璧な管弦楽法を駆使」したのに対して、ゴルチャコフは「土俗的でロシア性を追求した編曲」だ。その傾向は、曲が進むに連れて如実になる。ラヴェルを聞き慣れた耳には、新鮮でもあり、また異様にも響く。それがまことに心地よい。楽団も乗りに乗っていて、それは底力のある演奏を聴かせる。特に「殻をつけたひなの踊り」から後は、もう管弦楽がフル回転だ。普段、この楽団がどのような演奏をしているのかは分からないが、完璧なアンサンブルと上品な音色、そしてパワーも加わって万全だ。素晴らしい緊迫感である。最後の「キエフの大門」(これがラヴェルと比べてもっとも大きく違う編曲だ)では、パワー全開! 爆発的なフィナーレである。それでも品の良さを失わないのが、この楽団の特性だろう。

・・・残響が消えて、マズア氏が腕を降ろしたら、嵐のような大歓声。立ち上がって拍手する人たちもいる。楽団員のみなさんも、何だかとても嬉しそう。何度も舞台に呼び出されるマズア氏。

アンコールは「殻をつけたひなの踊り」、そしてグリンカ「ルスランとリュドミラ・序曲」。聴衆はみんな大喜び。楽団も、それは楽しそうに弾いていた。その楽しさが伝わってくるような演奏だった。

・・・アンコールが終わっても、聴衆はそのまま。マズア氏が「さよならだよ」のポースヲとって、ようやく楽団も解散。指揮者も、ソリストも、楽団も、そして聴衆もにこやかなコンサート。これって素敵に幸せだね。

春の日差しは、気持ちがいいぞ!


...... 2004年 4月 26日 の日記 ......
■[ NO. 217 ]
メリハリ
晴れ。

朝から忙しく仕事。昨夜のコンサートがまるで幻のようだ。いきなり現実に引き戻された感じである。外は初夏のような陽気だ。陽光も日々、強くなって行くのを感じる。北国や山の方では、まだ早春なのだろうな。沖縄や奄美は、もう夏がすぐ側まできているのではないだろうか。あちこち行ってみたいな。でも、これだけ忙しいと無理。コンサートに行けるだけでも幸せだ。

そう、職場の同僚から言われた。「よく、そんなにコンサートに行く予算がありますね」。そこで拙者は言ってやった。「あなた、毎日、いくら使ってる?」。すると彼は、「昼食やら飲み物やら煙草などで、1500円くらい」。「だから、ダメなんだよ」と拙者。「拙者なんて、平均で600円も使わないよ。その差は900円だ。毎日900円」。1500円と600円。月に20日働く(帳簿上は)として、1万8000円の差だ。これだけで、1人分の演奏会費用など簡単に出てしまう。演奏会だって毎月行く訳じゃないから、2人分の費用ぐらいすぐ溜まる。それに拙者は、帰りがけに呑みに行くなどはほとんどしない。月に1度、あるかないかだ。飲み代もほとんどかからない。

それに毎月、「年に1度はどこかへ旅行しよう」と、コツコツ貯めている。ところが家には老いたぱぐたちがいるので、旅行には出られない。その費用をコンサートに回しているだけだ。普段の生活など、恐ろしく地味なのである。どこにお金を集中投資するか。ただそれだけである。

ちなみに、昨日のコンサートは割引のチケットだったので1人5000円だった。2人で1万円。



...... 2004年 4月 27日 の日記 ......
■[ NO. 218 ]
疲労困憊 Part.n
雨。時々激しく降る。

やはり疲労は取れていない。かなり辛い。総退却まであと一歩だ。午前2時まで仕事して沈没だ。

信号機の支柱に張り付いている人



...... 2004年 4月 28日 の日記 ......
■[ NO. 219 ]
赤提灯
晴れ。

仕事が早めに上がる。たまには社外の方と喋ろう、と35年近くお付き合いしている、フリー・ジャーナリストの井田道範氏と落ち合って呑む。本来ならば、神田の「みますや」で呑みたかったのだが、満席で断られる。その近所に地鶏と地酒が売り物の飲み屋があるが、そこも満席で断られる。行きつけの料理屋は、ちょっと遠い。仕方ないので、安そうな飲み屋に入って呑む。ここも人で一杯だったが何とか座れた。

2人で酎ハイ1杯ずつ、いろんなお酒(単にお酒と言ったら日本酒だ)を6合づつ呑む。いろいろつまみも取って、合計で6200円だ。一人3100円。たくさん呑んで、たくさん食べた割には安い。もっとも、拙者たちは、この値段でないと呑めないが。

帰ってそのまま沈没だ。


...... 2004年 4月 29日 の日記 ......
■[ NO. 220 ]
レッスン拝見
晴れ。異様に爽やか。

昼近くまで眠る。昼食を食べた後、横になったら、また眠ってしまった。妻の「早く起きてよ」との声で目覚める。

今日は、妻が松永晴紀教授にピヤノ・デュオのレッスンを受ける日だ。普段は1人で行って、先生とデュオをして来るのだが、拙者が休みとあって、一緒に行く約束をしていた。先生にも拙者が伺うことをお伝えしていた。

のそのそと起きあがり、15分の間にシャワーを浴びて、歯を磨いて、髪の毛を乾かして、きちんと着替えをして、さあ出発だ! あまりの手際よさに、妻は驚いている。今更驚くことでもあるまいに。

松永先生とは何度もお話ししたことはあるのだが、レッスンを拝見するのは初めてだ。先生は拙者が横にいるのでいろいろ遠慮なさっていらしたようだが、妻に適切なアドヴァイスを下さっていた。とても合理的なレッスンである。

レッスンが終わった後、先生のお誘いで、お茶とケーキを頂きに出かけた。1時間半ほど、新しく出た本の話や、デュオの話題で盛り上がる。いつもながら思うのだが、これだけ立派な研究業績を上げていらっしゃるのに、とても謙虚で楽しい方である。こういう方は、とても素敵だ。

からだは疲れていたけれど、とても楽しい時間を過ごすことができた1日だった。うん、とても有意義だったよ。


...... 2004年 4月 30日 の日記 ......
■[ NO. 221 ]
眠る
晴れ。今日も爽やか。

昨夜は0時半に眠ったので、朝5時半に目が覚める。だいたい1日4〜5時間くらいしか眠らない(というか物理的に眠れない)ので、目が覚めてしまうのだ。コワイ夢をたくさん見て、目が覚めた。これもいつものことだ。今日は仕事を休むことにして、時計を見て、また眠ることにする。

気が付くと午前10時。いつの間にか、となりに「ぱぐ」がいる。一緒に眠ることにする。正午前、「ごはんが、できたよ」との妻の声で目が覚める。ご飯を食べる。また眠る。14:30に起きて、お散歩だ。1時間ほど歩く。帰ってきて、また眠る。17:30に夕食。その後、また眠る。21時、目が覚める。

いったい今日は何時間眠っていたのだろう。まだまだ眠れそうな気がする。