連弾庵主人日乗
2003年10月


...... 2003年 10月 01日 の日記 ......
■[ NO. 5 ]
良いピヤニストは、いずこ…
いろいろな音楽家の演奏を聴き比べるのは、楽しい。新しい演奏家と出会うのも楽しい。でも、「おおっっっ!」と言える演奏家に出会えるのは稀だ。

先般も、ある若いピヤニストの演奏を聴いた。残念ながら、テレヴィ放送だったが。もっともテレヴィ放送とは言え、拙宅ではステレオ・システムに組み込んであるので、CDほどではないにしても、かなり良い音質で聴くことができる。すなわち、ライヴにはとてもかなわないが、CD程度にはその演奏家の演奏を把握することができるのである。

その演奏家は、最近評判になっている「ユンディ・リー」と言う人だ。この人がNHK交響楽団をバックにChopinの「ピヤノ協奏曲第1番」を弾く…というので、「どんな演奏をする人だろう」と、楽しみにしていた。何せ、評判は高いそうだから。それに、まだ二十歳そこそこなので、きっと若々しく瑞々しい演奏を聴かせてくれると期待した。

結論から言おう。恐ろしくがっかりした。そこそこテクニックはあるのだろうけれど、演奏は最初から最後まで平板そのもの。ただただきれいに弾き流しているだけである。音の粒立ちも良くない。どちらかと言えば、ふやけた音質である。独自の解釈があるのかと思えばそうではないし、演奏に若々しさがあるかと思えばそれもない。強烈な個性も、まったく感じられない。二十歳そこそこなら、それらしい冒険があってもいいだろうが、それもない。

「この年齢のピヤニストに、そうしたことを求めるのは酷だろう」という人がいるかも知れない。いいや、酷じゃない。マルタ・アルゲリッチさまのお弾きになった1965年ショパンコンクールのファイナル、同じ曲を聴いてみよ。アルゲリッチさま24歳の録音である。まさに脳天直撃的な演奏だ。これを超えるChopin「ピヤノ協奏曲第1番」は、そうそうないのではないか、と言い切れる演奏なのである。20歳台の前半だって、これだけ凄まじい演奏ができる人がいるのだ。

管弦楽の出来も最悪だった。何とかいう日本人の指揮者だったけれど、演奏が完全にだらけていた。別の言い方をすれば、澱んでいたとでも表現できようか。東京・足立区の綾瀬川や千葉県我孫子市の手我沼くらい澱んでいる。ふやけたピヤノと澱んだ管弦楽。散々な演奏だった。

テレヴィを消そうかと思ったが、妻が見ているのでそのままにしておいた。聴いていて苦痛だった。本当に低レベルの演奏。こんなものを公共放送が電波で流すな! 害毒である。

まあ、この程度の演奏でも、喜ぶ人はいるらしい。演奏の感じ方は人それぞれだから何とも言えないが。「F.H.」という指がもつれっぱなしのダメ・ピヤニストでも結構な客が入っているのが、日本の演奏会の現状なのである。

ちなみに同じ中国系のピヤニストなら、ラン・ランの方が格段に面白い演奏を聴かせる。表現方法はまだまだだけど、ちゃんと個性が出ているのである。やや演奏が荒いところは見受けられるが、それはそれで好ましい。

で、「お前のところのステレオ、音が悪いんじゃないのか?」という意見も出よう。正直言ってあまりよろしいとは言えない。だがな、そのクズ演奏に続いてネルソン・フレイレ氏の弾いたChopinの2番の協奏曲を放送したのだ。もう、差は歴然。それこそ瑞々しく素晴らしい演奏だった。同じNHK交響楽団だったが指揮はシャルル・デュトア。さっきまで流れていた音楽とは、まったく別物の管弦楽だった。そう、拙宅のステレオ装置でも、この程度の差なら、きちんと把握できるのである。

…とにかく退屈なChopinだった。ユンディ・リーの演奏は。この程度の演奏をするピヤニストなど、それこそゴロゴロいる。なのにショパンコンクールで優勝したというだけで、この程度のピヤニストをヤァヤァと持ち上げるのは、どうにも困ったことである。


...... 2003年 10月 02日 の日記 ......
■[ NO. 6 ]
愛すれど
今日も、晴れ。ちょっと暑かったけど、爽やかなお天気。

だけど、午前の取材は妙に疲れた。自分が殆ど知らない分野の発表会があって、取材してニュースと評論を書かなければならない。まあ、仕事だから何とかこなした。記事はそこそこの出来になっているだろう。

早々にオフィスを辞して、夜は好きな音楽を聴く。今日の音楽はFlrent Schmittの「ピヤノ5重奏」だ。もう20年近く聴いてみたいと思っていたのだが、なかなか「音」が入手できず、最近になってようやくCDが手元に来たのである。

拙者は、いろいろな音楽が好きだ。あえて並べないけれど、ちょっと欲求不満があるので書く。「好きなのに、なかなか音にならない音楽」が、それはたくさんあるからだ。その筆頭がFlrent SchmittとMax Regerだ。フランスとドイツの作曲家。作風も全く異なる。だけど拙者はどちらも大好きだ。この2人の作品がなかなか音にならないのであるのよ。

国も違う、作風も違う。だけど、共通点があるのだ、2人とも「連弾」が大好きだった、ということ。2人とも優れた連弾オリジナルを残しているだけでなく、自身の管弦楽曲や室内楽などを、自らの手で連弾化している。いずれも、素晴らしい出来である。

それなのに、現代になっては、演奏する人も、録音する人もいない。何とも残念なことである。

まだ書きたいが、眠くなった。この続きは、また明日に。


...... 2003年 10月 03日 の日記 ......
■[ NO. 7 ]
沈没
業務多忙のため、疲労困憊で沈没。


...... 2003年 10月 04日 の日記 ......
■[ NO. 8 ]
またも沈没
疲労が溜まって、どうにもならない。

夕方から畏友・井田道範氏が来庵。しばらく仕事の話をする。午後10時、井田氏が辞す。その後やらなければならないことがあって、パソコンに向かうも、机の上で沈没。気がついたら、午前3時。メールチェックして、再び沈没。


...... 2003年 10月 05日 の日記 ......
■[ NO. 9 ]
さらに沈没
Webサイトの「定期更新」をする。そのまま沈没。


...... 2003年 10月 06日 の日記 ......
■[ NO. 10 ]
愛すれど II
曇り、時々雨。肌寒いお天気だった。

さて、Florent Schmittだ。オリジナルの連弾曲は4曲書いている。

・ドイツの思い出
・5つの音で
・旅のページ
・眠りの精の一週間(ヤルマールの夢)

これらは、いずれも連弾曲として傑作である。ところがだ。これらの曲を演奏する奏者の実に少ないことか!何とももったいない次第である。これだけ優れた連弾曲なのに。これだけ、ピヤノデュオが盛んになっているというのに、相変わらず同じような曲ばかりが演奏されるのは極めて残念なことである。Florent Schmittなんか、見向きもされない。CDだって「眠りの精の一週間」がたった1種類出ているだけだ。

演奏者も、聴衆も、音源会社も、「これをやっておけば、無難」という線で、演奏会やCDのプログラミングをするからこういうことになるのだろう。いかに優れていても、ほんのちょっとマイナーというだけで、ステージにも録音にも乗らないのだ。ああ、なんという悲劇。

ちなみにFlorent Schmittは、自身の管弦楽曲や室内楽を、それはたくさん連弾用に編曲している。ちょっと挙げてみよう。

・野外音楽
・サロメの悲劇
・アントニとクレオパトラ 第1組曲
・アントニとクレオパトラ 第2組曲
・小さな妖精は眼を閉じる
・交響的練習曲「幽霊屋敷」
・オリアンヌと愛の王子

 以上は管弦楽曲だ。他に吹奏楽の

・セラミルク
・CL XIIIのための行進曲
・デュオニュソスの祭り

 室内楽曲では
・リードとスケルツオ

こんなにたくさんの曲が連弾用に編曲されているのである。しかも楽譜を見たり、ちょこちょこっと弾いた限りでは、いずれも優れた連弾編曲だ。ピヤノ、そして連弾の扱いが実に見事である。

それなのにだ。これらの曲たちは、今やほとんど省みられなくなってしまっている。誠に残念な次第だ。

どこかに「勇者」はおらんか。これらの曲を録音として残そうとする勇者は。楽譜の半分くらいは入手困難になっている。もし、CDにしたいという勇者があるならば、拙者、喜んで楽譜をお貸ししようではないか。

とにかく、こうした作品が埋もれている・・・というのは、文化的に見ても大きな損失である。


...... 2003年 10月 07日 の日記 ......
■[ NO. 11 ]
ある悲劇への交響的プロローグ
曇り ときどき 雨。ちょっと肌寒いけど湿った空気。あまり健康には良くない。以前パリで、雨、ときどき晴れ、空気は乾燥…というのがあったけど、健康的にはそちらの方が良さそう。ただ、それだと傘を差さずに歩いていると、濡れて乾いて…の繰り返しなので、油断すると風邪をひく。あっという間に、体温を奪われることであるよ。野山のハイキングではなく、街中だというのにね。

さて、今日のお題は「ある悲劇への交響的プロローグ」だ。

これは、拙者が愛する作曲家・Max Regerの、それは素晴らしい管弦楽曲のタイトルなのである。拙者、1970年代からRegerの作品を愛聴しておったのであるが、この曲と出会ったのは、1981年のことだった。国民皆様放送局のFM放送で、80年のベルリン芸術週間のライヴ録音が連続で流されたのであった。その中に、この曲があったのであるよ。

聴いて、衝撃を受けた。おお、何と素晴らしい曲。それこそ「悲劇」を予感させるような序奏、切迫した「何か」を弾き手と聴き手に迫る主要部。目眩く展開。そして最後に現れる安堵感と清冽なまでの昇華。まるで壮大なパノラマを見るような、スケールの大きな曲。拙者、一遍で愛してしまった。一目惚れならぬ、一聴き惚れである。

幸いにして拙者、カセット・テープに録音をしてあったのであるよ。拙者は、何十回となくテープを聴き返した。そのたびごとに、この曲に引き込まれた。まるでデートのたびに、相手に引き込まれるかのように。

単一楽章。約35分に渡って展開される、拡大されたソナタ形式による楽曲。おお、これぞ、真の傑作よ。拙者は、そう感じた。その感覚は20年以上を経た現在でも変わっていない。Regerの作品の中で最高傑作であるばかりでなく、後期浪漫派の、それは素晴らしい残映である。後期浪漫派の管弦楽曲が好きで、この曲を御存知ない方。あなたは人生において、大変な損失をしているのであるよ。

最初に聴いた日から、約20年が過ぎた。ある日、ふと思った。「スコアはないかしら?」と。愛するからには、その心に触れたい。早速、C.F.Petersに連絡を取った。しかし残念ながら「レンタル譜はあるが、販売はしていないことあるね」。レンタル譜の貸し出しは、結構厄介である。拙者、諦めかけた。

ところがどうであろう。偶然出会ったロンドンの古本屋さんで、この曲のスコアが出ているのを見つけたのである。少し高価であったが、昼飯を15日抜けば、スコアは手に入る。早速連絡を取り「それは、拙者の手に渡るべく、現れたものである。他者に渡すと、よろしくないことが貴殿に起こるぞ」とメッセージを送り、無事、スコアを入手したのである。

ああ、何と幸せなことであろう。用紙の劣化から大東亜戦争前の物と推測されたが、実に綺麗に装丁されてあったのである。そう、前の持ち主がPetersからスコアを買っただけでなく、改めて製本屋に出して装丁しなおした、実に立派なものだったのだ。前後見開きには、それは綺麗なバラ柄の用紙が使われていた。拙者は勝手に想像した。この製本を発注したのは、きっと素敵な女性だろうと。そうでなければ、こんな装丁は、まずしない。拙者、死ぬまで大切にしようと思ったしだいである。その楽譜を、思わず抱きしめた拙者であった。ああ、何と愛おしいことよ!

それと前後して、この曲には、作曲者自身による連弾用編曲があることを知った。これは、何としても入手しなければならぬ。あらためてC.F.Petersに相談した。そうしたら、何と言うことであろう。コピー譜を作ってくれるというではないか! それを発注したのは言うまでもない。数ヶ月経って、出来上がってきた立派なコピー譜を、大切に見て、ピヤノで弾いて見た、拙者であった。

1999年の秋。拙者は小雪の舞うウイーンにいた。そこで見つけたのが、この連弾譜の原本だった。コピー譜はあるけれど、やはり原本は欲しい。迷わずその原本を買った、拙者であったことなのである。

さあ、勇者はおらぬか。この連弾用編曲を弾いて、録音にしようという勇者は!


...... 2003年 10月 08日 の日記 ......
■[ NO. 12 ]
迫り来る恐怖
東京は曇り。時々薄日が射すが、肌寒い1日。しかし昨日に続いて、相変わらす湿度が高い。体調は極めて不良である。本来ならば家で寝ていたかった。しかし、しがない安サラリィマンの身、そんなことは出来ぬ。

さて、本日のお題。「迫り来る恐怖」である。人それぞれ、脅威に感じる物は多々あると思う。拙者だって、いろいろある。今日はそのひとつについて語ろうではないか。

「過敏性腸症候群」という言葉を、読者諸兄諸嬢は御存知であろうか。「過敏性大腸炎」とか「過敏性腸炎」とかとも呼ばれる。拙者、何を隠そう、この症状に30年以上も悩まされているのである。この病気にはいくつかの症状が出るが、拙者の場合、困っているのは下痢である。そう、下痢便。これは仕事にも支障をきたすのである。

例えばインタビューの最中に、いきなり「もよおして」きたらどうであろう。空腹は我慢できても、下痢便は我慢できないものである。拙者、何度もある。仕方がないので先方に「申し訳ない。便所はどこですか?」と聞いて、便所に直行するのである。役員応接室で、大会社の幹部インタビューの途中に、こうしたことが起きる。ああ、何と情けないことであろう。でも、応接室でぶっ放してしまうよりは、ましだ。

まあ、こうしたケースでは、まず無事に治まる。拙者の会社における数少ない友人であり、心から尊敬でき、何度も一緒に仕事をした美貌のA編集委員も拙者に語ったことがある。「あれって、我慢できないのよね」。

問題は、記者会見の席上だ。発表者側からの一連のコメントが終わると、質疑応答。さあ、ここからが記者の腕の見せ所である。ところが、挙手して指名され、質問を始めた途端に、腹部に異常を感じてしまったら、どうであろう。

ああ、もうそこからは逃げられないのだ。脂汗をかきながら質問をする。それに対して相手が応える。さらに質問を浴びせる。ああ、一刻も早く便所に行きたい。便所で安堵感を覚えたい・・・そう思っても、逃げられないのだ。しかも、重要なことに限って、質疑応答は延々と続く。この時の、何と苦しいことよ。

頭の中は、真っ二つに割れる。今、仕事としてやらなければならないことは、何か。そして、便所・便所・便所・・・である。ああ、何と苦しいことであろう。意識は混乱する。だけど、場を離れるわけには行かない。時を追うごとに、からだは切迫してくる。

ああ、なんという悲劇であろう。下痢の恐怖が、迫ってくるのである。

不肖かずみ、こうした危機に何度も襲われながら、そのたび、それを乗り切ってきた。この苦しさ、味わったものでなければ、決して分からないであろう。会見場でぶっ放してしまう恐怖。それをやってしまったら、もうお終いなのである。二度と人前には出られなくなってしまうからだ。そうなったら、記者生命はお終いだ。

そう、この恐怖。仕事だけではない。演奏会でも、恐ろしい目にあったことがある。長くなるので次回にしよう。題して「マーラーと下痢便」だ。


...... 2003年 10月 09日 の日記 ......
■[ NO. 13 ]
迫り来る恐怖 II
東京は、爽やかな秋晴れ。しかし体調不良で、からだはちっとも爽やかではない。

今日は、このところある月刊誌にほぼ毎号書いているエッセイの入稿。比較的大手の企業経営者や幹部社員のための雑誌である。拙者に課せられているのは「1ページで完結するIT(情報技術)のトレンドに関するエッセイ。ITに詳しくない人でも気楽に読め、読んでためになる記事」である。簡単なようで、意外と厄介だ。難しいことを易しく表現し、しかも読んでためにならなければいけない…と言うのだ。まあ、この分量なら30分もあれば書ける。だけど事前の準備が大変だ。内容も相当に練らなければならない。

拙者、それでも何号かやってきた。このところ、何だか段々説教臭くなってきたようで、自分でも困っている。何とかしないと、せっかく付いた読者が離れてしまう。うーん、どうしよう。ちなみに、この原稿料は、これまでタダだった。「同じ部局の出版物だ」という理由で。あんまりだ。ようやく今回から原稿料が出ることになった。ただし1300字で、たった1万円。安い。でも拙者にとってみると、もらえるだけでも有り難い。

さて、今日のお題は「迫り来る恐怖」の第2弾だ。

まず前提となるのが、マーラーの交響曲である。第1番を除いて、みんな長い。さらに第2番を除くと、途中休憩なるものは設定されていないのが普通だ。拙者はマーラーが大好きだ。しかし「長くて休憩がない」というのは「過敏性腸症候群」の患者にとって、それは恐ろしいものなのである。そう、「さし込み」が起こっても、途中で退出するわけにはいかないからだ。どんなに素晴らしい演奏であっても、一度退出すると2度と戻れない。しかも退出(もう脱出と言った方が良いかもしれない)すらできないケースもあるのだ。

「それなら、最初に便所に行っておけばいいだろう」という意見も出よう。昨日書いた取材中の「さし込み」に関しても、同じような意見が出るだろう。しかし、そうしたことを言う者は、「過敏性腸症候群」における下痢の発生について全く理解していない。どんなに準備していても、下痢は突然やってくるのである。拙者だって、取材や演奏会の前には、必ず便所に行っている。それでも、ダメなときがあるのだ。

最初に襲われたのは、高校生の時だった。曲は、三善晃氏の「ノエシス」(初演)、そしてマーラーの第2番だった。指揮は尾高忠明氏、演奏は東京フィルだ。この日は最初に不吉な予感がした。東京文化会館に着いて着席する前に、まず便所に行った。演奏会が始まり、「ノエシス」の素晴らしい演奏が終わって小休止。そこでまたも便所に行った。マーラーが始まる。この曲は作曲者の指定で、第1楽章と第2楽章の間で、少なくとも5分の休憩を取るようになっている。スコアを見ると、ちゃんと書いてある。この日の休憩は15分だった。すかさず便所に行く。

さあ、これでもう大丈夫、と思った拙者であった。ところがである。第4楽章でアルトが「O Roeschen roth !」と歌い出したあたりから、雲行きが怪しくなった。腹部に異常を感じたのである。曲の進行にともなって、具合はますます悪くなってきた。それでも我慢していた。席は1階中央真ん中なので、出るにも出られない。

第5楽章、合唱が「Auferstehn, ja auferstehn wirst du,…」と静かに歌い出す本来ならば感動的なシーン。もうその頃には、体調は最悪だ。いつ「爆発するか」と脂汗を流しながら、じっと客席で固まっていた拙者であった。もう、音楽を聴くどころではない。とにかく下痢を我慢しなければ。おお、何と悲劇的なことよ! 我慢に我慢を重ねて、拙者は耐えた。最後の音が鳴り終わり、拍手と歓声が響き渡った途端、拙者は席を立ち、ダッシュで便所に向かった。何とか間に合ったのである。その時の安堵感は、言葉に表せない。

誤解をする者がいるといけないのであえて書く。別に演奏のせいで、下痢をもよおしたわけではない。演奏は立派だった。悪いのは拙者のからだだ。

拙者、それからしばらくは、マーラー恐怖症になってしまった。再度マーラーの演奏会に行ったのは、それから6年後のことである。その時も第2番だった。指揮はベルティーニ氏、演奏は東京都交響楽団だ。このときは、幸い何の事件も起きず、素晴らしい演奏を堪能できた。「もう大丈夫」と思った拙者は、翌週も同じ組み合わせで9番を聴きに行った。この時も大丈夫だった。ただ、同行者が途中で気分が悪くなってしまう…というアクシデントはあったが。

それから、何度かマーラーの演奏会に行った。1回だけ同行者(現在の妻)の気分が悪くなる…という以前あったようなアクシデントはあったが、拙者は大丈夫だった。しかし、油断大敵。またも、下痢の恐怖に襲われるとは、思いもよらなかった。

ベルティーニ氏指揮の東京都交響楽団。場所はサントリーホールだった。曲は第3番。連続100分以上の演奏時間で休憩はなし。体調はさほど悪くなく、むしろ爽快だった。ただ念のため、開演前に便所に行っておいた。さあ、もう大丈夫、演奏を楽しもう。

ところが、である。第1楽章が始まってしばらくしたら、腹部に異常を感じた。そう、「あの感触」である。Universal版のスコアで言うと、練習番号で「24」あたりのところだ。でも「大丈夫だろう」と思っていたら、練習番号「39」あたりで、いきなり「さし込み」が来た。そして20年前の、あの恐怖が脳裏に蘇ったのである。あのときは、あと40分我慢すればよかった。しかし今度は、あと80分以上ある。いかにすべしか。

座席は1階前から4列目。しかもステージに向かってほぼ中央である。おまけに満席。動くに動けない状態だ。もう、これは耐えるしかない。覚悟を決めた。「さし込み」は断続的にやってくる。そのたび、必死で耐えた。脂汗をかきながら。幸い、第6楽章に至って、「さし込みは」治まってきた。これなら何とか耐えられそうだ。音楽も頭に入る。

しかし、練習番号「21」付近で、猛烈な「さし込み」が拙者を襲った。あともう少しだというのに。そして最後の音が鳴り終わったとき、拙者の体内は極限状態になったのだ。もう我慢できない。拙者は妻をその場に残して、便所にダッシュした。便器に腰を下ろした時の安堵感。ああ、忘れられようか。

このときの演奏は、大変に素晴らしかった。拙者が便所から戻ると、熱狂的な拍手と「ブラヴォー!」「きゃーっ」と大歓声が続いていた。この素晴らしい演奏を、心から楽しめなかったのは、残念でならない。恨めしや「過敏性腸症候群」め。

それ以来、拙者、マーラーの演奏会には行っていない。


...... 2003年 10月 10日 の日記 ......
■[ NO. 14 ]
沈没
東京は、晴れ、時々曇り。爽やかな秋の1日。

いろいろあって疲れたので、沈没。


...... 2003年 10月 11日 の日記 ......
■[ NO. 15 ]
続・沈没
連弾庵のまわりは、1日曇り。ちょっと蒸し暑い。半袖Tシャツでもよかったくらい。

髪の毛を切って、さっぱり。

良い香りを漂わせていた金木犀も、もう終わり。秋の虫の声も、少し少なくなってきた。

ちょっと疲れ気味で、沈没。


...... 2003年 10月 12日 の日記 ......
■[ NO. 16 ]
またも沈没
曇り、時々雨。

ちょこっと、ピヤノを弾く。本来ならば「ちょこっと」ではダメなはずなのだが。

この5ヶ月間で入手した楽譜の棚卸しをした。たくさん買ったり頂いたりしたはずなのに、ピヤノ・デュオの作品は20曲ちょっとと、意外と少なかった。スコアなんかもガンガン買っていたので、たくさん買った気になっていたのだろう。

デュオの曲に関しては整理してWebサイトにアップ。相当労力を使ってしまった。このため、書きたいことは山のようにあるが、本日は沈没。


...... 2003年 10月 13日 の日記 ......
■[ NO. 17 ]
大荒れ天気
晴れ、のち曇り、のち豪雨、のち晴れ、のち雨。

午後からは、もの凄い雨。1時間に何と60mmも降ったのだそうだ。雨が止んで、ぱぐぱぐたちを散歩に連れて出た際、「川」を見に行った。連弾庵の坂を下って、100m程のところにある川だ。

川といっても、所詮は郊外の住宅街を流れるドブ川である。覗いて見ると、濁流が渦巻いていた。ぱぐたちなど、この中に落ちたら一発でお終いだ。飛び込まないように、しっかりとリードを持つ。もっとも、犬とは言え、馬鹿ではないので、飛び込むことはないだろうけれど。

帰ってきて、ここに「私流、歌劇・楽劇の楽しみ方」を書こうと思ったのだが、何だかめげた。

今日も沈没である。


...... 2003年 10月 14日 の日記 ......
■[ NO. 18 ]
歌劇の楽しみ
曇りのち、雨。出勤時に自転車で駅まで行ったが、帰りが悲惨だった。やや強い向かい風の雨。上手に傘を挿したつもりだったが、バッグもからだも濡れた。おまけに片手で傘を支えているので、手がいい加減疲れてくる。雨の日は、通勤も一苦労だ。

さて、拙者はピヤノ・デュオほどではないにしても、歌劇・楽劇の類が結構好きなのである。ワーグナーやプッチーニ、ベルク、リヒャルト・シュトラウスなどが好きだな。ところが、かつて拙者の「楽しみ方」を歌劇好きの連中に話したところ「邪道」と非難されてしまったのだ。

拙者のやることが邪道だと?! 失礼な! 拙者は拙者だ。拙者がすべてなのである。文句を言われる筋合いはない。

では何が「邪道」なのか。拙者の「楽しみ方」を諸兄諸嬢に示してみようではないか。

拙者にとって、歌劇・楽劇は、「声楽付きの管弦楽曲」なのである。声楽パートは、あくまでも管弦楽の1パートに過ぎない。それは主役ではないのだ。もちろん、「それなり」の演奏でなければ困るが、声楽が突出しては困るのである。それでは「管弦楽曲」ではなくなってしまう。

ファンがおられたら文句を言われそうだが、例えば、ビルギット・ニルソンやマリア・カラスのような存在は、拙者の聴く音楽としては「邪魔」でしかない。ああやって、突出してしまっては、音楽全体のバランスが崩れるのだ。ああいうのは、困る。あくまでも声楽は曲を構成する1パートに過ぎないのだから。

では、どのような録音が好きなんだって? 例えば、1970年代以降のヘルベルト・フォン・カラヤンが作った録音だ。御山の大将は指揮者。歌手ではない。しかも、管弦楽と声楽のバランスが良く、声楽は突出していない。これがいいのだ。

典型的なのが、カラヤンが振ったプッチーニの「トゥーランドット」。これはいいぞ。古色蒼然たる演奏は、比較的太いがっしりした声のソプラノをトゥーランドット役に持ってくる。これは拙者の好みではない。トゥーランドットには叫(わめ)いてほしくないのだ。カラヤンの録音では、カティア・リッチャレルリが担当している。何とも線の細いトゥーランドットだ。これでいいのである。声楽が管弦楽を邪魔していなから。リュー役は、バーバラ・ヘンドリクス。これも細目の声でいいぞ。カラフはプラシド・ドミンゴがやっているが、がなり立てないところがいい。とにかく主役は指揮者なのだ。ちなみにこの録音、いわゆる「オペラ・ファン」の間では散々な言われようである。

ワーグナーの「指輪」だって、かつてゲオルグ・ショルティが振ったような録音はアウトだ。「大歌手」と呼ばれる連中が「わぁわぁ」叫いていて、五月蠅い。録音の方法にも問題はあるのだろうけれど。拙者は「ラインの黄金」はベルナルト・ハイティンク、「ワルキューレ」はマレク・ヤノフスキー、「ジークフリート」はジェームス・レヴァイン、「黄昏」はカラヤンで揃えている。いずれも歌手が突出していないのが好ましい。歌手は音楽に従属していれば、それでいいのだ。そして、楽曲の表現全体がスマートであることが必須だ。

その他の曲も、CDはいろいろ持っているが、他も似たり寄ったりの傾向だ。

それに、物語だの演出だのには、まったく興味がない。ほとんど歌劇・楽劇の類は聴きに行かないが、行くとすれば演奏会形式で十分だ。下手な演出などいらない。音楽の邪魔になるだけだ。歌手は、ステージでまっすぐ立って歌っていれば、それでいい。

最高の楽しみは、自宅でスコアを見ながら「音楽が、どんなふうに出来ているのか」を感じつつ、好みのCDを聴くことである。

・・・と、これが、拙者の楽しみ方である。これは、本当に「邪道」だろうか?


...... 2003年 10月 15日 の日記 ......
■[ NO. 19 ]
歌手ならば…
晴れ、ときどき地震。16:33分頃、地震を感じる。縦揺れは多少あったが、時間は短く、横揺れまでの時間も比較的あったので、即座に「心配なし」と判断。オフィス周辺と連弾庵周辺は震度4。後から分かったが、M5.0で深さは80km。震源は連弾庵のすぐ近くだけど、この規模でこの深さなら、何も心配することなし。

関東は地震の多発地帯である。しかも50?80kmの深さのところで、非常にしばしば発生している。この地震もそのひとつに過ぎない。

もちろん、連弾庵の被害は一切なし。ただ、寝室のチェストの上に置いてあった、サンタクロースの縫いぐるみとウオンバットの縫いぐるみが、畳の上に転けていた。あ、書斎の棚に置いてあった、小さなクマの縫いぐるみと、ゲランの「チェリーブロッサム」の瓶も転けてたな。

さて、昨日、歌劇・楽劇の楽しみ方について書いた。「なら貴様は、どのような歌手が好みなのであろうか?」という質問も出よう。拙者の好みは、以下の通りだ。

ソプラノなら、キリ・テ・カナワ、バーバラ・ヘンドリクス、カティア・リッチャレルリ。ヒルデガルト・ベーレンスもいいかも知れない。メゾ/アルト系ならば、フレデリカ・フォン・シュターデ、アグネス・ヴァルツアあたりであろうか。テノールはホセ・カレーラスが一押しだ。バリトン/バス系はあまり思い当たらないが、ディートリヒ・フィッシャ=ディースカウ、ヨセ・ヴァン・ダムあたりか。

大変残念なことに、上記の演奏家の生演奏は、全く聴いたことがない。すべて録音による判断であることをご承知おき頂きたい。ソロのリサイタルに行く機会のある歌手もあったが、何となく止めた。やはり拙者は、本当の意味で「歌だけの演奏(ピヤノ伴奏付きも含む)」は好きではないのかも知れない。

ただし、例えば「ベーレンスがベルクの“ペーター・アルテンベルクの絵はがきの文による5つの管弦楽伴奏歌曲”をやる」と知ったら、真っ先に駆けつけるであろう。ヴァルツアあたりが「レーガー:希望に寄せて」を演奏するとなったら、仕事をサボってでもいくであろう。上に挙げた演奏家はたびたび来日している人が殆どだが、拙者が求めるようなプログラムを組んで下さらないのである。まこと、残念なことである。


...... 2003年 10月 16日 の日記 ......
■[ NO. 20 ]
言語は原語で
とても爽やかな秋晴れ。ちょっと疲労気味である。

さて、今日の「お題」は、「原語主義の徹底」だ。

妻は時々「ミュージカルを観に行こう」という。しかし拙者、絶対に首を縦に振らない。何故か? 「日本語訳による外国製ミュージカル」など、芸術に対する冒涜以外の何物でもないからである。ミュージカルだけではない。外国の歌を日本語化して歌うなど、愚劣な行為でしかないのである。

以下にその理由を述べよう。

クラシックであれ、ポピュラーであれ、民謡であれ、「名曲」と言われるものには、ひとつの共通する特徴がある。それは、「旋律」と「歌詞」が、しっかりと結びついていることである。

作曲家が意識する、しないに関わらず、名曲と呼ばれるものは、見事なまでに、旋律と歌詞が一体化している。歌詞の単語における子音の「音質」と母音の長短、歌詞のセンテンスに対する抑揚の変化。これが旋律=音の高低関係と音の長さとがしっかりとマッチしているのだ。すなわち、歌詞と旋律とが一体となって、ひとつの音楽を形成しているのである。

従って、歌詞と旋律との分離は不可能なのである。もちろん例外は、いくつもある。優れた旋律ならば、歌詞なしでも楽しめる。また優れた歌詞なら、歌詞だけでも楽しめる。しかしある旋律に、別の歌詞を乗せることは、できない。音楽そのものを壊してしまうからである。

このことを良く考えると、「日本語による外国製ミュージカル」の上演が、いかに愚かな行為であるかが分かるであろう。単に「分かりやすくするため」に、せっかくの旋律に、愚にもつかない、日本語の歌詞をつけているのである。これでは、音楽は破壊されてしまう。

先日、劇団四季の浅利慶太という男が、「日本語でミュージカルを上演するために」という意味のことを公共放送で話していた。興味があったのでよく見ていたのだが、はっきり言って失望した。浅利は、「原詩の意味をうまく意訳し、日本語を旋律に上手に乗るように工夫した」という。

結果を聴いた。それは悲惨なものだった。原語による上演と日本語による上演を比較したのだが、似て非なる音楽になっていた。まず、日本語の抑揚が、音楽に全然合っていない。これだけでまず失格だ。さらに意訳された日本語は、原詩の持つ微妙なニュアンスをボロボロと取りこぼしている。これは酷い。訳した時点で、その訳が原詩に忠実でなければ、原詩本来の持つ意味は失われる。これでは、音楽としても芝居としても、とても成立するものではない。さらに言えば、原詩をきちんと訳せば訳すほど、元の音楽には乗りにくくなってしまうのである。

とにかく拙者には、日本語訳の「キャッツ」が異様なものに感じた。

「わたしは、異様に感じなかった」と言う人もいるかも知れない。しかし、それは悲しい「慣れ」なのである。そうした「本来あるべき姿」をしっかり聴くことなく、「ニセモノ」ばかりを聴きすぎた結果、耳が「ニセモノ」に慣らされて違和感がなくなってしまったのである。本来、日本語の持つ抑揚は、英語用に作られた旋律には不向きなのだ。何せ、抑揚の付け方が、まったく異なるのだから。

ちょっと喩えをしてみようか。

おなじ「キャッツ」を韓国語で聴いたら、恐らく大半の日本人は、そこに違和感を感じることであろう。広東語で「神々の黄昏」をやったら、それは異様な結果になることだろう。以前、やはり公共放送で、北京語によるベートーヴェンの交響曲第9番を聴いた。その響きの、何と異様だったことか。音楽として、まったく成立していないのである。

折角だから、もう一歩踏み込んで見よう。同じ音楽でも、歌われる言葉によって、印象は全然異なる。先に挙げた「北京語第9」は極端なケースだが、例えばヒンデミットの「レクイエム」には、本来の英語版と別にドイツ語版が用意されている。旋律はもちろん同じだ。しかし英語とドイツ語では歌われ方も聴いた印象も全く異なる。流れるような英語版と比較して、ドイツ語版は相当に音楽が「硬く」なる。

別にクラシックだけでない。英語ともう1カ国語ができる方には、ぜひ試して頂きたい。ビートルズの「Let it be」を、あなたができるもう1つの言葉・・・フランス語でも、ドイツ語でも、ヒンドゥー語でも結構。訳して歌ってごらんなさい。恐ろしく妙な歌になってしまうだろう。そして改めて「Let it be」は、英語で歌わなければ意味ないことが実感していただけるだろう。

そう「歌付きの音楽」にとって、歌詞と旋律とは不可分。別の歌詞を(例え訳文だとしても)付けるのは、音楽に対する冒涜であることが、お分かりいただけるであろう。

では「原語が分からない者は、ミュージカルを楽しむなと言うことか」とのたもう向きもあるかも知れない。拙者はそんなことは言っていない。今は字幕という便利なものがあるではないか。字幕を使えば、音楽も歌詞の意味も、ほぼ完全に伝えることができるのである。自宅のオーディオならば、対訳を用意すれば済むことである。

そう、音楽を聴くならば、そして歌うならば、原語の適用が絶対不可欠の条件なのである。反論があったら、いつでも受けて立つ。


...... 2003年 10月 17日 の日記 ......
■[ NO. 21 ]
ゾウに触った、キリンに触った
とても爽やかな1日。絶好の行楽日和である。行楽日和なので、拙者は仕事をサボった。普段、真面目に働いているから、たまにはいいのである。

で、何処へ行ったか?

拙者、「ゾウ」を見に行ってきた。見ただけではない。触って、乗ってきたのである。拙者、生まれて初めて、ゾウというものに触った。ちょっとゴワゴワしている。でも眼が可愛い。乗ってみたが、それほど高さは感じなかった。拙者が乗ってる馬よりも、ちょっと高い程度にしか感じなかった。ゆっくり歩いていたためか、馬よりも振動は少ない。なかなか快適な乗り物である。

タイやインドでは、ゾウに乗って観光するコースがあるというではないか。拙者、ちょっと興味を惹かれた次第である。ただ、「下痢症」の拙者にとっては、東南アジア地域への旅行は向かないかも知れないが。

キリンにも触った。ゾウと同じく、キリンもとても大きな生き物だ。触った感じは、馬に似ている。なかなか可愛い生き物である。もちろん、キリンに触ったのも、生まれて初めてである。

それはそれで楽しめたのだが、行った施設が貧相だった。他にも大勢動物がいるのであるが、決して飼育上、良い環境とは言えない。そこで飼育されている動物たちを見て、かなり悲しくなった拙者であった。もう少し、何とかならないかと思ったのである。あれでは動物たちが可哀想だ。まこと、よろしくないことである。


...... 2003年 10月 18日 の日記 ......
■[ NO. 22 ]
沈没
曇り、時々雨。

いろいろあって、沈没。


...... 2003年 10月 19日 の日記 ......
■[ NO. 23 ]
東京横断
晴れ。八王子までデュオの演奏会を聴きに行く。“お相手”はメールで何度もやりとりしている、イスラエルのユヴァル・アドモニー氏と金沢多美氏の「デュオ・アドモニー」。曲目は以下の通り

・ラフマニノフ:ロシヤ狂詩曲
・リスト:交響詩「レ・プレリュード」
・リスト:ハンガリー狂詩曲第2番
・ラヴェル:スペイン狂詩曲
・ガーシュウイン:ラプソディ・イン・ブルー

アンコールにグレインジャー「ポーギーとベスによる幻想曲」から数曲。

全て2台ピヤノによる演奏。なかなか楽しいコンサートだった。演奏としても、かなり高度な水準にあると言えよう。

ただ、非常に残念なことに、ピヤノの“鳴り”が今ひとつ。演奏者が折角、微妙な音のコントロールをしようとしているのに、楽器がそれに応えていないのだ。どうも、あまり弾き込まれていない楽器のような気がした。特に客席からステージに向かって右側の音が今ひとつ。これは、断言するが、ピヤノが鳴らないのは演奏者のせいではない。楽器が悪いのだ。

ホールは500人も入る立派なもの。だけど楽器がダメでは話にならない。いったい、このホールで1年に何回、ピヤノが活躍するのだろう。ホールだけ立派でも、備え付けのピヤノが使われないのであれば・・・もちろん、使えばいい、という話ではない。ある程度以上のテクニックを備えた演奏者に弾いてもらうことが必須なのだ・・・折角の“入れ物”も効果を発揮しない。

ホールもピヤノも、ただ用意すればいい、というものではないのだ。演奏を楽しむことはできたけれど、そんなことを考えさせられた演奏会だった。

帰りがけ、雑誌編集者の「うさぴょん」氏、システムエンジニアの「ヒロノフ」氏と落ち合い、調布で軽く1杯。

夜は冷えた。昼間は暖かかったのでやや薄着で出たのが失敗だった。


...... 2003年 10月 20日 の日記 ......
■[ NO. 24 ]
アルゲリッチさまご光臨
晴れ。朝、身体の異変に気付く。頭が痛い、喉が痛い、鼻水とくしゃみが止まらない。どうやら前の晩、アルコールを引っかけて、薄着で帰ってきたのが良くなかったみたいだ。幸い、熱はそれほど高くない。どうしても出社しなければならない用件があったので、家を出た。

金曜日も休んでしまったので、オフィスのメール・ボックスを開けたら400通以上のメールが溜まっていた。もはや全部読むのは不可能である。タイトルと送信者を見て、重要そうなものを除いて「山羊さん郵便」である。全部読んでいたら、日が暮れる。

頭痛はたいしたことはなかったが、鼻水とくしゃみが止まらず、四苦八苦。仕方がないので診療所に駆け込み、薬を処方してもらってくる。

とにかく、やらなければならない仕事をこなす。

夜は、アルゲリッチ様+フレイレ氏の演奏会だ。薬が効いたおかげで、一時的に鼻水とくしゃみが止まる。助かった。夕方までの症状だったら、ホールから叩き出されることであろう。

曲目は以下の通り。
・ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲
・ラフマニノフ:組曲第2番
・ルトスワフスキ:パガニーニの主題による変奏曲
・シューベルト:ロンド イ長調 D.951(連弾)
・ラヴェル:ラ・ヴァルス

アンコールは
・ラフマニノフ:「6つの小品」から「ワルツ」
・チャイコフスキー:「くるみ割り人形」から「金平糖の踊り」
・ラヴェル:「マ・メール・ロア」から「パゴダの女帝レドロネット」
・ミヨー:「スカラムーシュ」から「ブラジレイラ」

今回は、1階4列21番22番という、もの凄く良い席で聴くことができた。ステージに向かって前から4列目、2台のピヤノのほぼ中央という好条件だ。演奏に関しては、別途批評を書くことにしよう。大変に楽しめたコンサートであったことだけを、ここに記載しておく。残念ながらこのコンサートにいらっしゃれなかった方、NHKが11月2日の22:30から教育テレビの「芸術劇場」で、この演奏会の模様を流す。是非、お聴きいただきたい。

気になったのは、ピヤノの音色だ。左右のピヤノで、音色が相当に異なる。調律のバランスも良くない。

もちろん、2台のピヤノをきちんと均等に調律する難しさがあることは分かっている。しかし、超一流のプロの演奏会だ。もう少し何とかならなかったか・・と思った次第である。特に、舞台に向かって右側のピヤノの音が悪い。一緒に聴いていた他の人も同じ意見だったので、拙者だけの気のせいではないようだ。

帰りがけ、妻、妻の友達の「たぬき」女史、「ヒロノフ」氏と落ち合い、ちょっとだけ呑む。


...... 2003年 10月 21日 の日記 ......
■[ NO. 25 ]
沈没寸前
曇り。体調は、相変わらず良くない。薬で症状が収まっているだけのようだ。起きていると辛い。だけど出社せねばならぬ。取材もある。

もう、沈没寸前だ。


...... 2003年 10月 22日 の日記 ......
■[ NO. 26 ]
(無題)
雨。

起床すると、熱っぽい。からだがもの凄くだるい。鼻水も出る、くしゃみも出る。おまけに体中の関節が痛い。

ついに完全に沈没。まる1日寝ていた。


...... 2003年 10月 23日 の日記 ......
■[ NO. 27 ]
不調は続くよ、どこまでも
晴れ、時々、豪雨と雷雨。

体調は、まだ良くない。多少は回復基調にあるのだけど、まことによろしくない状況だ。あまりに良くないので早退しようと思っていたら、拙者が担当していた民事事件の判決が出た。このところ物忘れが酷く、今日がその一審の判決だということをすっかり忘れていた。管轄が大阪地裁だったので、なおさらであろう。東京かその近辺だったら忘れることもなかったろうに。ちゃんと傍聴に行っていたはずだ。しかし、こんな大ポカは、さすがの拙者でも滅多にない。

ただ、幸いなことに、即座に原告・被告の両方に取材ができた。お天道様は、いつも真面目に仕事をしている拙者の味方をして下さるものである。おかげで、どのメディアよりも先に、速報と簡単な評論記事を配信することができたのである。天は正しいこころを持った者に味方するのである。

ところがだ。体調が良くないので、一刻も早く帰ろうと思った拙者に試練が待っていた。

仕事を終えてオフィスを出て、地下鉄に乗り、拙者の最寄り駅まで1本の電車に乗り換えた後である。途中までは順調に来たのだが、ある駅で、突然電車が止まった。その先の方の駅で、電車にお跳び込みになったお方がいらしたとのことである。

普段はろくな放送をしない営団地下鉄であるが、この日の車掌は違った。「お客様、ただいま××駅で死亡事故がありました。この路線はまったく動きません。復旧の見通しはまったく立ちません。恐れ入りますが、速やかにこの車両から降りて、他の路線に乗り換えて下さい。他の路線で、振り替え輸送を始めております」。拙者、何度も同じような状況に遭っているが、ここまで明確で迅速に放送した車掌は初めてだった。

不肖かずみ、即座に電車を降りて、いくつかの路線を迂回して自宅に戻ったのである。普段だったら1時間で帰れるところが2時間以上かかった。でも、あの車掌さんの明確な放送がなければ、何時間たっても家にたどり着くことはできなかったであろう。

久々に感心した、車内放送であった。


...... 2003年 10月 24日 の日記 ......
■[ NO. 28 ]
1週間で3つ目のピヤノ・デュオ
晴れ

相変わらず、不調だ。朝、起きたときから、頭がフラフラする。典型的な脳貧血の症状だ。でも出勤しなければならないので、家を出る。普段なら自転車で駅まで行くのだけど、幸い、妻が駅まで車で送ってくれた。

オフィスに出たら、先に出勤していた編集長が「おい、顔色が真っ青だぜ。お前、大丈夫か?」。「へい、大丈夫です」、と答えたものの、本当は大丈夫じゃない。仕事さえなければ、即座に横になりたい気分だった。

仕事は順調に進み、夜は「Duo T&M」の演奏会だ。拙者、ここでレクチャーをすることになっていた。

小さなホールなので、聴衆は少ないけれど、幸い満席。拙者、拙いながらもレクチャーをさせて頂いた。曲目は以下の通り。

・ワーグナー=ビューロー編曲:タンホイザー序曲
・ドビュッシー(作曲者自編):海
・チャイコフスキー=タニェフ編曲:交響曲第4番

アンコールは、ファリャ:「火祭りの踊り」と、
バーンスタイン:「キャンディード」の終曲だ。

拙者も企画に関わった演奏会なので、詳しい批評をすることは避ける。だた、演奏者も万全だったし、聴衆の方たちから「また来たいね」というお言葉を頂いたことだけは記載しても良いだろう。何人もの方から、そうした言葉を頂いて、嬉しかった拙者である。

しかしながら、ピヤノが不味かった。ベーゼンドルファーなのだけど、「ガタガタ」なのだ。歯の抜けた婆さんが、ゴニョゴニョ言うような音色だ。あれではいくら演奏者がきちんと弾いても、その意図が聴衆に完全に伝わることはないだろう。加えて、会場の音響がデッドなので、「ふんわり」した音がしない。これは、会場選定のミスである。拙者も大いに反省しなければならない。

演奏会では、会場選びも大切なのである。


...... 2003年 10月 25日 の日記 ......
■[ NO. 29 ]
続・東京横断
曇り。いまにも雨が降りそうな天候だ。1週間で4回目のピヤノ・デュオの演奏会に行く。

場所は「横浜みなとみらい」の小ホール。このホール、響きは良いし、ピヤノの状態もすこぶる良好。その面ではデュオを聴くには非常に最適なホールなのだが、何分にも家から遠い。東京を横断せねばならぬ。おまけに桜木町の駅から遠い。ゆっくり歩くと15分はかかる。この日、遅刻しそうだったので、人混みをかき分け、目一杯走った。それでも8分かかった。人混みさえなければ、6分台で着いたことであろう。席を確保した途端、汗がどっと出た。

さて、演奏会である。「秋は素敵にクラシック」というタイトルで、2台ピヤノあり、独唱あり、重唱ありと、盛りだくさんのプログラム。誰でも気軽に楽しめるような曲目ばかりで、なかなか配慮が行き届いており好感が持てる。「気軽に楽しめる」とは言え、2台ピヤノ曲としては、結構な難曲を並べていた。2台ピヤノの曲は

・バッハ=ヘス:主よ人の望みの喜びよ
・三善晃:唱歌の四季
・ビゼー=シム:カルメン組曲

である。「唱歌の四季」は、故・田中瑤子先生の愛奏曲で、拙者も大好きな曲である。ちょっと聴く分には、その難しさは分からないであろう。この曲で綺麗に旋律を出し、かつ2台のピヤノがバランス良く鳴ったら、もう拍手喝采だ。シム編曲の「カルメン」もなかなか華麗な編曲で、2台ピヤノ合奏の腕の見せ所が随所にある。

率直な感想を書こう。演奏会そのものは最初から最後まで、ひととおり楽しめた。ただし、第一ピヤノがダメだ。切れがよろしくない。音も通らない。その上、スタティックなので良い意味での“遊び”がない。覇気もない。そして第二ピヤノは第一ピヤノに終始遠慮がちに弾いているように聞こえた。もちろん第二ピヤノ本人には、その意識はないのかも知れない。でも弾き手の深層心理の中に、どうもその意識があるように聞こえた。あるいは意識的にそうしたのか? 結果的に両者のバランスは良かったのだが---あくまでバランスが・・・である---、第二が本来持つ個性が表れなかったのが、いかにも残念だ。全体を見れば、第二が第一に引っ張られた恰好だ。「水は低い方に流れる」のである。

ちなみに拙者は昨年11月、この第二奏者が別のピヤニストと弾いた演奏会を聴いた。そこで聴いた才気溢れる彼女の演奏は、どこへ行ってしまったのだろう? その個性が聞こえなかったのが、いかにも残念である。また是非、あの個性いっぱいの冴え渡った演奏を聴きたいものだ。

帰りがけ、同じ演奏会にいらしていた拙者の顧問弁護士のM.N先生、J.N先生と呑む。十数年来のお付き合いだが、御両名とも大酒呑みとは知らなかった(ある程度、呑むことは知っていたが)。「明日は、朝からゴルフだから、今日はちょっとだけね」というM.N先生と拙者で焼酎のボトルを1本空けた。J.N先生は麦酒の大ジョッキをいくつも空けてた。

飲み足りないので、帰宅して、1人で、また呑んだ。


...... 2003年 10月 26日 の日記 ......
■[ NO. 30 ]
沈没
晴れ。とても良いお天気。

しかし、ちょっとばかり疲れが出て、昼まで寝ていた。昨夜一緒に呑んでいた弁護士のM.N.先生が朝からゴルフで回っていることを考えると、何とも情けない気持ちになる。

ぱぐたちの散歩に出たほかは、仕立てたスラックスの出来上がりを受け取りに行っただけで、家で倒れていた。もちろんピヤノには触れておらぬ。

やっとのことで、Webサイトの更新をして、後は沈没。

誠に情けない次第である。


...... 2003年 10月 27日 の日記 ......
■[ NO. 31 ]
続・沈没
曇り。

先週のアルゲリッチさまの演奏会批評を書こうと思ったのだけど、どうも乗らない。

月曜日なので、ちょっと疲れている。

たくさん書きたい話題はあるのだけど、今日も沈没。


...... 2003年 10月 28日 の日記 ......
■[ NO. 32 ]
神が宿る手
雨。時折、強く降る。オフィスの窓に打ち付ける雨音は、ショパンの「雨だれ」ではなく、バルトークの「2台のピヤノと打楽器のためのソナタ」だ。

さて、今日の「お題」は、「アルゲリッチ様のピヤニズム」。この十数年、アルゲリッチ様が東京にお越しになると、ツアーのうち必ず1回は御音を拝聴し、御姿を拝見に伺う拙者である。今回のツアーでも10月20日、サントリーホールにおけるフレイレとのデュオ・リサイタルを拝聴した。

感想を全部書くと長大になるので、要点に絞ろう。この十数年におけるアルゲリッチ様のピヤニズムの変化である。

これは、特に今回のコンサートで顕著だった。いちばんの特徴は、弱音がそれはそれは美しくなったことである。もともとアルゲリッチ様の弱音は、輝くように美しい。どんなに小さな音量で弾いても、ホールの隅々まで透き通るように響く(と残響などから感じる。拙者は大抵、1階の5列目から前に座っているのだ)。それだけでも素晴らしいのに、今回の演奏でまず感じたのは、羽毛のような柔らかさが加わった点だ。フレーズでクレッセンドを付けていった頂点の次に現れるピヤニシモ。言葉では巧く言い表せないが、あえていえば、軽やかな羽が「ふわり」と舞い落ちるような感覚だ。別の表現をすれば、深い安堵感。「安息」とも言えようか。

そして、演奏に、どこか柔和な表情が加わった。

この「例えようもない弱音」と「柔和な表情」は、演奏会1曲目のブラームス「ハイドンの主題による変奏曲」の冒頭から如実に表れた。正直言って、電流の走るようなショックを感じた拙者である。そして、まだ演奏会が始まったばかりだというのに、不覚にも目頭が熱くなり、舞台が泪の向こうに揺らいだ。ああ、何と優しいブラームスだろう。

もちろんアルゲリッチ様特有の、あの熱気と素晴らしいダイナミズムは全く失われていない。そこへ、新たな要素が加わったのである。結果、一段と演奏に深みが増した。そのアルゲリッチ様に触発されて、フレイレも絶妙のアンサンブルと音色で呼応する。これはもう、至福そして至高のピヤノ・デュオだ。

また、ラフマニノフ「組曲第2番」では、楽譜にあるダイナミクスの指定をあえて大幅に変更したところが、いくつも聴かれた。特に「序奏」の最後、楽譜ではmfの「縦の和音」になっているが、これをmp(よりちょっと大きめの音)のアルペジオでお弾きになられたのには意表をつかれた。「ワルツ」の中間部、思い切り「これでもか!」というほど歌いに歌い、「ロマンス」に至ってはテンポを揺らし、これ以上浪漫的に行き着くところはないというまでの表情を見せる。「タランテラ」は例によって突進型だが、これまで聴いた演奏以上に、陰影の深さを表現していた。

そう、もう1つの特徴は、「陰影」なのだ。もちろん、これまでのアルゲリッチ様も、曲に於ける表情付けは格別だった。今回の演奏を聴いて感じたのは、「陰影」の深さが一段と加わったことである。このことが曲の表現を、より一層大きなものにしていることは疑いようもない。

他の曲の、個別の批評は、内容が重複するので避ける。しかしアンコールでお取り上げになられたミヨー「スカラムーシュ」の「ブラジレイラ」ですら、底抜けの楽しさの中に、何とも言えぬ陰影を感じたことを附記しておきたい。

曲が終わるごとに、熱狂的な拍手を送りながらも、半ば放心状態になっていた、不肖かずみであった。演奏批評に関しては拙者以上に厳しい妻ですら「世界のどのデュオと比較しても、レベルが上・・・といった問題ではない。次元が違う」と絶賛していたのである。

まさに「神が宿る手」のなせる技なのであろう。もうひとこと言ってしまえば、デュオの相手のレヴェルも、自分と同じところまで引き上げてしまう「魔力」が、アルゲリッチ様には備わっているのである。

聴き終わって席を立つ拙者の心には、「幸せ」が宿っていた。

【注記】先日も書いたが、この演奏会の模様は、11月2日、NHK教育テレビで22:30から放映予定である。演奏会にいらっしゃれなかった方も、ご一緒に楽しもうではありませんか。


...... 2003年 10月 29日 の日記 ......
■[ NO. 33 ]
「それ」が表れるとき
素晴らしい秋晴れ。しかし、体調は最悪。朝起きた途端に「ブラックアウト」になった。もう立ち上がれない。気分が悪く、そのまままた眠ってしまった。次に気が付いたときには、もうずいぶんと時間が経っていた。それでも、からだは動かない。ついに午前中の取材を1本キャンセルする羽目になった。1対1のインタビューでなくて、本当に助かった。取材先に欠席の連絡を入れ、お詫びをする。

それでも、仕事があるので出社せねばならぬ。ぼぉ?っとして全く回らぬ頭で、仕事をこなす。IT関連の刑事事件の取材をして、その後は某社の決算発表だ。いずれも固有名詞や数字の間違いが気になる。頭が回っていないので、往々にしてこう言うときにポカをやるのだ。雑用も含め、何とか仕事を終えて這々の体で帰宅。やっと落ち着く。

今日は、「良いピヤノの音」について、ちょっと書いてみよう。「良いピヤノ」ではなく「良い音」についてだ。

結論から言おう。「良い音」とは、まず「粒立ち」が揃っていることである。強い音であれ弱音であれ、レガートであれ、スタカートであれ、「粒」(ある意味での音質)が綺麗に揃っていないと、「良い音」にはならない。・・・というか良い音として“聞こえて”こない。粒が揃っていないと、それぞれの音が独立にその存在を主張し、1つの音楽としてまとまらず、結果的に「良い音」として聞こえてこないのである。

もう1つ。「ピヤノを芯から鳴らしているか」である。ピヤノは思い切り叩けば、大きな音はする。しかし、芯から鳴らしていない強音は、単なる雑音にしかならないのだ。それから、芯から鳴らしていないと、ピヤニシモのときに聴衆まで綺麗に届かない。いや、フォルテシモで弾いても遠くの聴取まで届かないことだってある。それに無理に叩くと聴いていて耐えられないほど汚い音になる。

ソロやデュオの演奏会でもこのことは如実に把握できるが、面白いことにとてもよく知ることができるのが協奏曲の演奏である。上記2つのポイントのどちらを外しても、独奏ピヤノは管弦楽の中に埋もれてしまい、音は聴衆にまで伝わってこない。

面白いことがあった。フリードリッヒ・グルダ氏が1993年11月に来日したとき。拙者、ある方のご厚意で「売り切れ」になっていた氏のリサイタルの券を入手した。場所は人見記念講堂、席は2階の前から6列目、ステージに向かってやや左側だ。あまり良い席とは言えない。普段、1階の席にしか入らない拙者には、ステージがやけに遠くに見えた。そう、物理的にも遠いのだ。

だが、演奏を聴いて、どうだろう。あのグルダ氏の透徹して愉悦を含んだ幸福感に溢れる音が、しっかりと拙者の耳に飛び込んできたのである。しかも曲はモーツアルトのピヤノ協奏曲第20番だ。管弦楽がどんなにフォルテで突っ込もうとも、グルダ氏の音は決してかき消されることはなかった。むしろ管弦楽の上に、それはきらびやかに浮かび上がってきたのである。本当に楽しいモーツアルト!

続くグルダ氏自作自演の「コンチェルト・フォー・マイセルフ」は、その傾向が一層強かった。グルダ氏は決してピヤノを叩いていない。それなのに柔らかで透徹した音が、舞台からも遠い拙者の耳にまで、しっかりと届くのだ。もちろんタッチや表情の変化もダイナミックに把握できる。

決して無理なことはやっていない。ごく自然にピヤノに向かっている。フォルテシモだってピヤニシモだって、それは綺麗に響く。それなのに、遠くの席まで意図した音がストレートに届くのだ。回りを管弦楽が取り囲んで、一緒に演奏しているというのに。

理想的なピヤノと管弦楽のバランスで、演奏会は終わった。「良いピヤノの音」とは何かを強烈に実感させられた演奏会だった。加えて言えば、この時のグルダ氏の演奏、本当に素敵だった。「音楽する喜び」が全身から溢れていて。この人の手にも、神が宿っていたのである。この演奏会を聴くことができた拙者が、幸せだったことは言うまでもない。今でもグルダ氏のCDを聴くたび、この幸せだった演奏会のことを思い出す。

一方で、必死にピヤノを鳴らそうとするのに、「音の芯」が弱いため、終始管弦楽にかき消されていた演奏もあった。H.Nという女流ピヤニストが弾いた矢代秋雄氏の「ピヤノ協奏曲」である。これはサントリーホールの1階前から10列目くらい、ステージに向かってほぼ中央で聴いた。聴く場所としては、良好なはずである。ここでピヤノが聞こえなければ変だ。

残念ながら、H.N.の独奏ピヤノは終始管弦楽にかき消され気味だった。まともに聞こえたのはカデンツアの部分と、管弦楽がmp以下になるところのみ。フォルテシモの管弦楽に向かうと、叩こうが叫こうが、ピヤノは響いてこないのである。いくら人気ピヤニストとは言え、こうしたところで欠点が露呈してしまうのだ。

ちなみに、その曲の後にメシアンの「トゥーランガリラ交響曲」をやった。この時、ピヤノは野平一郎氏が担当なさった。さっきのH.N.と違って、管弦楽の大音響の中でも、野平氏のピヤノは、きちんと拙者の耳に届いていたのである。

「良いピヤノの音」と「邪悪なピヤノの音」。演奏を聴けば、一目瞭然(一聴瞭然か)なのである。

「ピヤノの音」に関しては、また取り上げることとしよう。


...... 2003年 10月 30日 の日記 ......
■[ NO. 34 ]
あえなく沈没
気持ちの良い秋晴れ。素晴らしく青い空。それに昨日ほど暑くないのが良い。

それはそうと、大規模な「磁気嵐」が吹き荒れているのだそうな。およそ30年ぶりくらいのことらしい。おかげで比較的低緯度のところでもオーロラが見られる。東京辺りでも見えたら面白いのだろうけれど、そんなことになったら、衛星だの通信だの放送だのが、滅茶苦茶になるくらいの影響が出るだろう。面白がっていてはいけない。

ところで諸兄諸嬢は、この「磁気嵐」のバイブレーションを感じたか? ははは、感じる訳はない。みんなから「でくのぼう」と呼ばれている拙者ですら感じなかった。「嵐」といっても磁気の変化であるからね。もし感じるようなら、それは素晴らしい体質だ。もっとも世界は広いので、そうしたお方がいらっしゃるかも知れない。

昨日書いた「良いピヤノの音」の続編を書こうと思ったが、どうにも綺麗にまとまらない。考えているうちに力尽きた。またのお楽しみにさせて頂こう。

情けないが、今日は沈没である。

沈没・・・と言えば、拙者の大好きな映画「日本沈没」が最近DVDになった。もちろん拙者はアマゾンで予約して購入した。これはなかなか良い映画なのである。そのうち、こちらでレビューしようと思う。

・・・・と言うわけで、沈没。


...... 2003年 10月 31日 の日記 ......
■[ NO. 35 ]
「音」に関する感性・その1
晴れ、のち曇り。朝から不調だが、出勤せねばならない。やらなければならないことが山のようにあるのである。

いろいろ厄介なことはあったのだが、どれも奇跡的に無事に終わった。一刻も早く帰りたかった拙者は、記事執筆に使う裁判の答弁書や判決文をバッグに突っ込み、早々にオフィスを辞した。この連休で記事を仕上げないと、間に合わないからである。今日は、畏友の井田道範氏と妙典企画氏から夕食と言う名の飲み会に誘われていた。素晴らしい誘惑だが、それすら断って帰宅した。

判決文を読んでいて、だいぶくたびれたので、これを書き出した。今日のお題は「身近な騒音・その1」である。

拙者は「騒音」が嫌いだ。まあ、好きな人は、あまりいないであろうが。身の回りにはいくつもの騒音があるが、いま、一番気になっているのは、拙者が通勤に使っている鉄道のアナウンスだ。これはもう、「騒音」と言うしかない。まいにち毎日、拙者の神経を逆撫でする。

「携帯電話をお持ちのお客様にお願いします。優先席では電源をお切りになり、その他の場所でもマナー・モードにして、車内での通話はご遠慮下さい」

「電車は揺れますので、吊革等にお掴まりになるよう、お願いいたします」

「ポイントを通過しますので、電車が揺れます。十分にお気をつけ下さい」

「お手回り品など、お忘れ物のないよう、お気をつけ下さい」

「雨が降っております。傘の忘れ物が非常に多くなっておりますので、お忘れにならないようにしてください」

「お体の不自由な方がいらっしゃいましたら、席をお譲りいたしますようお願いいたします」

「電車から降りましたら、危ないですから電車から離れてお歩き下さい」

・・・とまあ、こんな放送を、のべつまくなしにしている訳だ。いずれも大きなお世話である。五月蠅くてかなわない。何でこんなことまで、いちいち放送するのだ。利用者をバカにしているとしか思えない。電車の中では静かに眠るか、本や資料を読みたい拙者にとっては騒音以外の何物でもない。

電車の中で携帯電話の通話をしないのは、基本的なマナーだろう。もちろん例外はある。何らかの理由で電車の中に閉じこめられ、それが故に誰かに迷惑をかけるようなときだ。こんな時に携帯電話が使えないようでは何のために持っているのか分からない。そういう例外を除いて、電車の中で大声で喋るバカはいないであろう。

それから、電車の中で自分の身の安全を確保するのは自己責任だ。いちいち放送で言われなくてもいい。忘れ物だって同じこと。大きなお世話だ。

からだの不自由な人や高齢者を見かけたら、席を譲るなんて、当たり前のことだ。お前達に言われなくても、そのくらいできる。電車から降りたら、できるだけ離れるなんて常識。これをしなくて事故が起こっても自己責任だろう。事故が起こって電車が止まったら、鉄道会社は、そいつに損害賠償を請求すればいいことだ。

加えて、「次は××」を4回くらい言う。本来、こんな放送は不要なのだが、視覚障害者の人には必要かも知れぬ。でも1回やればいい。

・・・と言うわけで、電車の中は、騒音で満ちあふれているのである。よーく考えてみよう。どれも本来ならば不要な放送である。眠い朝や疲れたときは、五月蠅くて本当にぶち切れそうになる。五月蠅い上に、放送内容は人をバカにしている。乗客諸君は、よくこれに耐えられるものだ。拙者と同じく、じっと耐えているのだろうか? それとも聴覚が麻痺しているのであろうか。

東京(日本)の地下鉄は、世界に誇れるほど安全で清潔で、車内も駅も明るい。それなのに、この車内放送だけはいただけない。欧州のいろんな都市で何度も電車に乗ったが、これほど五月蠅いアナウンスをすることろはない。アナウンスなんてほとんどないくらいだ。それでも拙者、目的地にたどり着けなかったことはない。電車が揺れて転けたこともない。忘れ物をしたこともない。マヌケでドジな拙者ですらである。

こんな騒音を流し続けている日本の鉄道会社の連中は、「音」に対する敏感性を失っているとしか考えられない。あるいは乗客をバカにしているかだ。

ひょっとして、日本中がこうした「騒音」に対して耳がバカになっているのであろうか。そうでないことを願う拙者である。