連弾庵主人日乗
2003年9月

...... 2003年 9月 27日 の日記 ......
■[ NO. 1 ]
行楽日和
絶好の行楽日和だった。だけど、起床が遅くなって、どこにも出かけられなかった。

金がなくなった。別に紛失した訳ではない。貯金が底をついたわけでもない。「音楽用」に確保していた年間予算を使い切ってしまったのだ。このところ、楽譜だの、CDだのを通信販売で買いまくってしまった。いくら海外の通販が国内で買うより安くても、たくさん買ってしまえば、お金はなくなる。おまけに11月2日のコンサート---これはバレエだ:バレンボイム指揮・シカゴ交響楽団:拙者にとっては大変に高価だったけど、まあ、下らんコンサートに5回行くより、質の良いコンサートに1回行く方がためになるのだ---のチケットを買ってしまった。もう、金はない。

今年も、まだあと3カ月もあるというのに、「予算」がなくなってしまったのは、かなり深刻なことである。困った。調子に乗って、あちこちで買い物するのではなかった。

一介の貧乏サラリィマンの使える金など、たかが知れている。こりゃ、アルバイトしないとダメだな。ただし、組織公認のアルバイトだ。

何か、ほかに儲かる手段は、ないか。拙者の属する組織の偉い人は、どこぞの未公開株をもらっていたそうだ。そうでもしないと、まとまったお小遣いは稼げない。まあ、こんなこと拙者のような一般職員がやったら、まず懲戒免職だろうけど。拙者、真面目だから、そんなことやらないよ。

でも、お金は欲しい。まあ、楽して稼げたら、そんないいことはないけれど、そうした都合の良いことなど、ありゃしない。世の中、地道にやらなければならないのである。


...... 2003年 9月 28日 の日記 ......
■[ NO. 2 ]
続・行楽日和
銀座に出た。拙者の家からは40分弱で行けるので、1月に1〜2回は出る。

銀座も、ここ1年で大きく変わった。何が変わったかというと、ブランド物のお店がゾロゾロと出来たことだ。こんなに出来て、本当にやっていけるのか、と他人事ながら拙者が心配するくらい、たくさん出来た。ここまでくると、パリやミュンヘン、ロンドン並だ。いや、それ以上かも知れない。

拙者が時々買い物に行く銀座・並木通りにある某ブランドのお店など、「銀座」の中に大きな店舗が2つもある。フェラガモ、フェンディ、最近ではティファニーまで新しい店舗を構えたな。しかも、そうしたお店に、人がたくさん入っていることよ。拙者など、びっくりしてしまう。

しかも、「日本は不況」と言われながら、こうしたブランドショップは、活気一杯だ。拙者が贔屓の並木通りのお店など、身動きできないほど、人は入っているし、物はじゃんじゃん売れている。

拙者、定期入れが壊れてしまったので、「たまには良い物を買おう」と、並木通りのお店に行ったのだ。「そういう店に行くのは金持ちだ」って? そんなことはない。拙者など、お昼は380円から400円で済ませている。拙者が勤務している東京都千代田区某所で、この金額でお昼を食べるのは、至難の業なのである。そして無駄遣いはしない。勤務が終わっても、外で呑んだりしてこない。付き合い酒など、決してしないのだ。そうでもないと、拙者のような貧乏サラリィマンには、自由に使えるお金などない。

貧乏人には、それなりの生き方があるのだ。

で、その貧乏人が、何故そのブランドのお店に行くのか? それは「こちらでお求めのものは、どんなものでも修理いたします」と言ってくれるからだ。「修理してくれる」。おお、何という心地よい言葉ではないか。「修理」。良い言葉である。エコロジィでエコノミィである。

拙者だって、物は大事に使う。壊れないように大切に使う。それでも、長年使っていれば、自然と壊れてしまうではないか。それを修理してくれるというのである。初期投資は大きいかも知れないが、長期間使え、そして修理してもらえることを考えれば、何と言うこともないのである。拙者、大枚はたいて、定期入れを買った。妻は言う。「それ、定年まで使えるね」。それで、いいのだ。しかし、このところ、並木通りのお店には、ずいぶん貢いでしまった。でも、いいのだ。長く大事に使える物が手に入れば。

帰りは、何故か秋葉原の「万世」に行って、旨い焼き肉を食した。こんな贅沢は、年に何回もない。たまにはいいだろう。


...... 2003年 9月 29日 の日記 ......
■[ NO. 3 ]
疲れがどっと出た
今日も、素晴らしいお天気だった。抜けるように晴れた空。明るい陽光と適度に乾いて透明な空気。オフィスでじっとしていなければならないのが、何ともやり切れない。

そもそも、今朝はあまり気分が良くなくて、出勤したくなかったのだ。休暇は大量に余っているし、代休も消化せねばならぬ。だけど、どうしても出勤しなければならない事情があって、ノソノソと出社したのである。

ところが、連携して仕事をする部署のトラブルで、やらなければならない仕事は1日中停滞した。挙げ句の果てに「今日は、もう、どうにもなりません」と宣言された。

ああ、どうしてくれよう。

企画に協力して下さった方に、「原稿、何とか日曜までに入れて下さい」と懇願し、予定通り日曜の夜に受領して、拙者も日曜日に働いた。

それなのに、だ。

今日中に完成する仕事が、お釈迦になってしまった。一気に疲れが出た。おまけに酷い偏頭痛までしてきた。

ああ、どうしてくれよう。

明日は、良いことあると、いいな。


...... 2003年 9月 30日 の日記 ......
■[ NO. 4 ]
地震予知に関する妄言
今日も首都圏は、素晴らしいお天気だった。ホント、オフィスに釘付けになっているのがもったいない。どこかへ外出したい気分だった。

それはそうとして、このところ「週刊朝日」が「地震予知」をテーマに、特集記事を書いている。昔々、大昔、「そちら方面」にいた拙者としては興味津々で読んだが、はっきり言って妄言か占いの類だった。

八ヶ岳南麓天文台とやらが、「FM電波」を使って地震予知をやるとの話。話としては面白いけど、全然サイエンスになっていないね。

FM電波の異常が地震の前兆になるという。まあ、そうしたこともあるかも知れない。だけど、FM電波の異常がどうして地震の前兆になるのか、きちんとした理論立てが全くできていない。理論立てがきちんと出来ていない物。これはサイエンスではない。因果関係が全く明示されていないのである。これでは「パグ犬が夕日に向かって吠えた。だから西の方で地震があるに違いない」とか「仏壇に向かって拝んでいたら数珠が切れた。これは凶事の前兆」といった占いレベルにとどまるのだ。

 しかも「予知」と言いながら、全然「予知」になっていないのだ。「予知」と言うからには、少なくとも(1)震源、(2)M(マグニチュード)、(3)発生時刻、(4)発震機構、(5)歪み成分の方向性・・・などを明確にしなければならない。それが、どれも明示されていないのだ。

(1)〜(3)は、明示しているじゃないか・・・とする人もいるかもしれない。しかし「震源」というからには、「震央」だけではなく深さまで推定しなければならないのである。マグニチュードだって、0.1違えば規模は全然異なってくる。少なくとも「コンマ1」レベルまで確定しないと予知にはならない。発生時刻に関しても±2日程度でなければ予知とは言えない。加えて(4)と(5)に関しては、全く言及していないのである。これでは「予知」とは言えない。

しかも「週刊朝日」では、「関東直下型が起きると予告した近傍で房総沖にM5の地震が起こったから、予知は的中した」と言っている。

何を言っているのか。

関東直下型と房総沖では、発震機構が全く異なる。おまけに、M5クラスの地震なら、10日くらいに1回は日本のどこかで起こっている。つまりM5クラスの地震が起こると言っても、何の予測にもなっていないのだ。何せ7〜10日に1回、起こっているわけだから。

おまけに関東南部は地震の巣だ。ものすごくたくさんの地震が起こっている。関東南部では、M5クラスの地震なんて、たくさん発生しているのである。これに関しては専門家向け・一般向けのいろいろな書物で解説されているので、いまさら言うことではない。ちなみに拙者も東大のK教授と共著で、とても分かりやすい地震の本を出している。これをお読み頂ければ、関東南部がいかに凄い地震の巣であるかがお分かりいただけるであろう。

地球物理学の初歩を学んだ者であれば、地震予知の難しさ・・・現在の日本で言えば「東海地震」の予知以外、殆ど不可能である・・・ということが分かるはずである。「週間朝日」だって理学系の記者がいるだろう。それなのに、世の中に大きな影響を与えるメディアとして、「妄言」を取り上げ、世間の不安を煽るのは如何なものであろうか。拙者は、憤りを感じた。

もっとも、関東南部を襲う地震は、遅かれ早かれやってくる。これだけは確実だ。十分な対策が必要だろう。しかし、科学的根拠もないものを持ち上げて、世の中を騒がせている報道姿勢には疑問を感じる。はっきり言って、メディアとして、最悪だ。

繰り返して言う。今の科学レベルでは、「東海地震」を別として、地震予知などできないのである。