シューマンの作品

Robert Schumann
(1810〜1856)
 
☆ 交響曲第1番〜第4番 ☆
Symphonies No.1 - No.9
作曲年代:第1番(1841)、第2番(1845〜1846)
第3番(1850)、第4番(1841/1851)
原曲:管弦楽曲
参照楽譜の編曲者:作曲者自編(第1番、2番、4番)、Carl Reinecke(第3番)
参照楽譜:Durand

 同じロマン派の交響曲でも、J.Brahmsの4つの交響曲やP.I.Tchaikovskyの4番、5番、6番などは、録音や演奏会でしばしば耳にすることができます。G.Mahlerの6番や7番ですら、素晴らしい編曲の連弾演奏を録音等で聴くことができます。ところが編曲は素晴らしいのだけれど、なかなか聴く機会、そして弾かれる機会に恵まれない曲も、たくさんあります。知名度から見て、その筆頭とも言えるのが、R.Schumannの4つの交響曲です。

 このSchumannの交響曲、わたくしたちが知る限り、3人の編曲者の手による連弾版が存在します。作曲者自身の手による第1番、2番そして4番。C.Reineckeによる第3番。T.Kirchnerが編曲した4曲全部です。このうちT.Kirchner編曲は未見。Petersから出版されていましたが、2000年8月現在絶版です。わたくしたちの手元にあるのは、作曲者自身の編曲による3曲と、Reinecke編曲の第3番が1冊になったDurand版です。これは現役。このDrand版、4曲とも非常にピヤニスティックな編曲です。この編曲に関しては、松永晴紀先生が「お楽しみはピアノ・デュオ」(春秋社)の中で非常に優れた紹介をしていらっしゃいますが、わたくしたちは松永先生のコメントを補足するかたちで、改めてこちらで紹介することにいたします。何しろ、
埋もれさせておくには非常に勿体ない編曲なので。どれも立派な「連弾ソナタ」に仕上がっているのです。ここでは、このDurand版を元に、お話を進めることにいたしましょう。

 Schumannの交響曲というと、そのオーケストレーションが、しばしば批判にさらされたことがありました。どなたがお書きになったのか失念いたしましたが、「茫洋」という言葉を使われた方がいらっしゃいました。これも失念したのですが、「霧の向こうに見えるオーケストレーション」「曇ガラス、あるいは涙で滲んだ瞳を通して見るような管弦楽」と表現されたこともあったようです(申し訳ありません、正確な文献がどうしても出てきません)。従って、Schumannの交響曲はオーケストレーションの見本としては「?」。精神的疾患のために、こうしたオーケストレーションになっちゃった・・・というのが「ぼんやりオーケストレーション主張派」の意見でした。

 これに対し「最初からSchumannは、ぼわぁっとした効果を狙って、こうしたオーケストレーションをしたのだ」という見方もあります。わたくしたちは、どちらかと言えば後者の意見に賛成です。あえて各声部がくっきりと現れないようなオーケストレーションをしたのだ、と言う意見に。根拠は・・・というと確固たるものはありません。ただ、例えば同じ作曲者のピヤノ協奏曲イ短調作品54の管弦楽パートを見ると、かなり各声部がくっきりと浮き出るように書かれているのが分かります。この協奏曲が書かれた時期は、第1楽章が交響曲の1番と4番が、第2〜3楽章が第2番が書かれた時期と重なります。協奏曲と独奏楽器を想定しない管弦楽曲では、もちろんオーケストレーションのアプローチも違うことでしょう。しかし「ほぼ同じ時期に書かれた管弦楽曲」という視点で考慮すると、わたくしたちは交響曲のオーケストレーションは「わざと」としか考えられなくなってしまいます。もっとも最近では、あえて各声部を明確にした、機敏な演奏もなされるようになってきました(例えば、N.Harnoncourt & Chember Orchestra of Europe:TELDEC-0630-12674-2)。

 
閑話休題。連弾版です。作曲者自身の手による3曲とReineckeによる第3番は、非常にピヤニスティック。まるで元からピヤノ連弾曲であったかのように響きます。しかも各声部が非常にくっきりと現れた典型的な編曲手法に加えて、適度にトランスクリプションも施してあって。管弦楽による原曲を聴いていた耳には、かなり硬質に響きます。まずは、Schumann自身による第1番の譜面を見てみましょう。

交響曲第1番 第1楽章 主題提示部冒頭 Primo
交響曲第1番 第1楽章 主題提示部冒頭 Seconda


 この楽譜だけではちょっと分かりにくいかも知れませんが、作曲者自身が編曲した3曲ともども、完全にSchumann独特のピヤノ書法が存分に活かされた、非常に演奏効果の上がる連弾曲となっております。

 一方のReinecke編曲実に優れています。編曲手法そのものは、ごくごく一般的な「管弦楽からピヤノ連弾へ」ですが、音の持続やアーティクレーションの付け方は、完全に「ピヤノ曲」になっております。適度なトランスクリプトがなされている点は、Schumann編曲の他の3曲と同じです。とにかく「ピヤノ曲」としてまったく無理がありません

交響曲第3番 第1楽章冒頭 Primo
交響曲第3番 第1楽章冒頭 Seconda


 これらDurand版に収録された4曲は、演奏面から見て、かなり両奏者の手の接近はありますが、大きな交差はありません。ある意味で、模範的な「連弾曲」と言えましょう。ただし、ペダリングの指示がまったくないので、演奏にはかなり入念なアプローチが必要となることでしょう。

 いずれにせよ、SchumannとReineckeによるこの4曲、
もっともっと弾かれて良い編曲です。ただし、歯切れ良く、かつ流れるように弾くには、かなり高度なテクニックと合奏力、そして表現力が必要です。ご家庭や内輪で楽しむ分には、あまりそれらを気にする必要はありませんが。演奏会でも内輪の楽しみでも、弾いて決して損にはならない、優れた編曲と言えましょう。

 蛇足ながら、楽譜の製本。はっきり言って
最悪です。一応、糸綴じなのですが、作りがヤワで粗末。わたしたちは楽譜を丁寧に扱う方です。しかもこの楽譜に関しては、ちょっと弾いて楽しんだり、譜面を分析したりする程度でした。それでも何故か崩壊寸前。いつバラバラになるかと心配です。ちゃんとした製本にしてくださいなDurandさん。そして、こんな粗悪な作りの楽譜を現地価格の約2倍で売るなよ、銀座某楽譜店!(注:この楽譜は、夫・かずみが「ネット通販」にはまる前に購入した物。今だったら、ネットで買います。)