レーガーの作品 
Max Reger
(1873〜1916)


 「マックス・レーガー」という作曲家。ひとことで表現すると「ひねたブラームス」です。彼のさまざまな作品を聴き、そして弾いて思うのは「何もそこまで、ひねくれなくても良いではないですか」。しかし、その「ひねくれ具合」に絶妙な魅力があるのですね。そんなレーガーという作曲家に魅せられて、20余年が過ぎました。魅力的なのは、やはり「これでもか!」という対位法を駆使した管弦楽曲です。「ベックリーンの絵による4つの音絵」「ある悲劇への交響的プロローグ」、そしてあの有名な「モーツアルトの主題による変奏曲とフーグ」。でも、魅惑的なピヤノ独奏曲、そして素敵な連弾曲があることを、いつも意識させられているのです





☆ クリスマスの夢 ☆
Weihnachtstraum
作曲年代:1902
原曲:ピヤノ独奏曲
編曲:R. Bender
参照楽譜:Schott
参考CD:見つかりません


 クリスマス近辺の演奏会に、最適な曲です。
非常にポピュラーな「清しこの夜」。クリスマスというと、この旋律が脳裏をかすめる方も多いのではないでしょうか。マックス・レーガーは、この旋律をベースに、それは素敵なピヤノ独奏曲「Weihnachtstraum(クリスマスの夢)」を書きました。1902年作曲の「Aus der Jugendzeit(若き日々より) 作品17」という小品集に収録されております。正直申し上げて、わたしたちは、この独奏曲を把握しておりません(ちなみに、リンク集でご紹介している、山形県在住の超絶技巧医師・夏井さんのページで、この独奏曲について言及されていらっしゃいます)。

 この独奏曲をR. Benderというお方が4手用に編曲したのが、現在連弾用として流布しているWeihnachtstraumです。旋律はすべてセコンダの右手が受け持ちます。プリモは一貫して装飾音を弾き続けるだけ。表情付けは、すべてセコンダに任されることになります。プリモはセコンダの奏でる旋律の上で、きらきらと舞う粉雪のような装飾音を付けることになります。両奏者ともに技術的には極めて平易。手の交差はまったくありません。極度の接近も最後の3小節目だけです。ペダルは、連弾奏者のどちらが受け持っても良いでしょう。ちなみに、わたくしたちの経験では、音の動きが細かいプリモが受け持った方が、平和的な演奏(練習も含めて)に終わる可能性が大きいと言えます。

 ただし、このときプリモが歯切れを失うと、地球温暖化で気温が上がり、べっとりとした雪--降るそばから地面に溶けて褐色のクリスマスを誘う--という不幸な近未来の状況を描くことになってしまうので要注意です。誰だって、浦安ベイ・ヒルトンの一階が海水に洗われ、ストックホルムで、しとしとと雨の降るクリスマスを迎えたくはありませんよね。「クリスマスの悪夢」になってしまいます。

 原曲を弾いたことがないので的確な指摘はできませんが、レーガーのお家芸である対位法は、ほとんど目立ちません。強いて言えばセコンダ側で、それらしきものが聞こえる程度です。

 それは清純なクリスマス・レパートリです。




☆ モーツアルトの主題による変奏曲とフーガ 作品132 ☆
Variationen und Fuge uber ein Thema von W.A.Mozart Op.132
作曲年代:1914
原曲:管弦楽曲
編曲:作曲者自編
参照楽譜:C.F.Peters
参考CD 連弾版:Yaar Tal & Andreas Groethuysen (SONY SK47671)
2台版:Juliane Lerche & Ingeborg Herkomer (ETERNA 0031422BC)


 管弦楽による原曲、ピヤノ連弾版、2台ピヤノ版、それぞれ揃って当該分野の傑作である、という希有な例であります。原曲は壮麗かつ緻密、対位法を駆使した後期ロマン派における管弦楽の大傑作。それを作曲者自身が連弾および2台ピヤノ用に編曲しています。

 原曲が著名曲であるため、余分な解説は不要ですが、題名だけ聞いてピンとこなかった方のために、このテーマを(譜例1)

譜例1:W.A.Mozart : Piano Sonata No.11 Kv.331


 そう、あのW.A.Mozartのソナタ(Kv.331)・第1楽章のテーマですね。Mozartの原曲自体が「変奏曲」となっているところへもってきて、そのテーマを拝借して自分で別の変奏曲を作ってしまうなど、Reger大先生は結構大胆なことをおやりになったわけです。余程、ご自身の編曲技法に自信がおありになったのでございましょう。しかも、その管弦楽曲から、連弾版と2台ピヤノ版の傑作を生み出すなど、何と素敵なことでございましょう。

 いずれの編曲も、相当にピヤニスティックであり、単なる「編曲」の域を完全に脱している点が素晴らしい。「編曲」という言葉よりも「再構築」と言った方が、より適切かも知れません。管弦楽からの単なる「置き換え物」とは、明らかに一線を画します。なお、「連弾版には原曲における楽器の指定が記述してある」「2台版は、よりピヤニスティックに編曲してある上、第8変奏は管弦楽版とまったく別の曲を挿入してある」という観点から、前者を「編曲」、後者を「オリジナル」とする見方もあります。

 そうした見方ができないこともありませんが、このページでは、どちらも「編曲(再構築)物」として扱うことに致します。理由は(1)原曲が存在しなければ、連弾版も2台版も存在し得たかどうか不明な点があること、(2)2台版は「作品132a」と別番号がついているとは言え、骨格は管弦楽曲の原曲そのものであること、(3)「2台版は連弾版と比べて、よりピヤニスティックである」といっても、基本的な編曲手法は共通であり、両者の差異は“2台だからこそできること”“1台4手という制限があること”という、編成上の違いによって生じていると見られること---などの根拠が挙げられるからであります。ただし、連弾版、2台版ともに、先に述べたように編曲の域を脱した「再構築版」というのにふさわしいため、それぞれ個別の作品としてとらえることも可能です。

 では、ちょっとだけ、管弦楽版、連弾版、2台版を比較してみましょう。比較した箇所は、第1変奏冒頭の2小節です。管弦楽版は原曲のテーマを、そのままオーボエとクラリネットが奏し、他の楽器はすべて「装飾」に回ります(譜例2)

譜例2:管弦楽版 第一変奏 冒頭


 一方、連弾版は、プリモが左手−右手−左手・・・と交互にテーマを奏し、プリモの「余った手」とセコンダが装飾音を奏でます(譜例3)。連弾(1台4手)という制限の中で、原曲の魅力を失わず、かつピヤノならではの美しさを添えている点、まさに「編曲物の鏡」と言えましょう。これは冒頭だけでなく、最後の部分、フーガの終結に至るまで、この調子で曲が進みます。


譜例3:上段がプリモ、下段がセコンダ


 さらに、2台版。こちらは両奏者がそれぞれに与えられたピヤノを“自由に扱える”ため、音の配分が非常に合理的になされております(譜例4)。加えて8つある変奏の第8変奏は、管弦楽版とまったく異なる変奏に差し替えてあります。なお、Regerの友人であるAugust Schmid-Lindnerが、管弦楽版の第8変奏を2台ピヤノ化した版が、楽譜には挿入されております。ちなみに2台版楽譜は、スコア形式で1冊づつの販売です。演奏には2冊が必要となりますので、購入時に注意して下さい。

譜例4:非常に合理的な2台用編曲


 なお、連弾版/2台版とも、かなり高度な演奏/合奏テクニックを要求しています。聴いていて「おお、面白い」という演奏に仕上げるには、かなりの困難がつきまといます。でも、部分的にちょっと弾いてみて、Regerのロマン性と「ひねくれたまでの対位法」に触れるのも、楽しいものです。CDを聴きながら楽譜を見ても、面白いですよ。

 わがデュオは、弟子の「夫・かずみ」が第1変奏から、すでにギブアップです。技術のなさが、まこと寂しく感じられました。

 なお、筆者らが参考にした連弾版は「Simrock版」ですが、現在はこれとまったく同じものがC.F.Petersから出ております。2台版は、今も昔もPeters版です。ちなみに管弦楽スコアはEulenburgから出ています。