中古ゲーム・ソフトの自由流通は合法
東京地裁 99年5月27日判決
【本文は某メディア用に執筆したものに、若干加筆しました】
「古本は自由に売買できるのに、どうして中古ゲーム・ソフトの流通には制限があるの?」。
妻・ゆみこが夫・かずみに疑問を投げかけてきた。「同じ“著作物”なのに、どうして中古品の扱い方が異なるの?」---。このところ新聞や雑誌で中古ゲーム・ソフトの流通問題に関する記事が増えてきた。特に5月27日の「中古ゲーム訴訟・東京判決」ニュースは、翌日朝刊各紙の1面に踊った。それを読んで、さまざま不思議に思ったらしい。普段から知的所有権に関して判例集をひっくり返している夫・かずみなら、納得できる答えを教えてくれると見たようだ。裁判そのものの傍聴も含め、当該事件を追っているようだし---。
●ゲーム・ソフトは特別な著作物?
妻・ゆみこが抱いた中古ゲーム・ソフトの法的取り扱いに関する「一般消費者としての素朴な疑問」を整理すると次のようになる。
(1)書籍もゲーム・ソフトも「著作物」である。
(2)いずれも古物営業法で流通が認められている
(同第15条1項1号、古物営業法施行規則第16条第2項第2号)。
(3)いずれも中古品として流通しても記述/記載された情報そのものは劣化しない
(本のページが破れて読めない、などは問題外だが)。
従って、ニュース記事など即時性を求められるものなどを除けば、
記載された情報そのものの価値は新品でも中古品でも変わらない。
(4)書籍やゲーム・ソフトに限らず、絵画や彫刻、音楽CDソフトであれ、適法に流通させるなら
いずれも著作権法上の扱いは共通なはずで、問題点はない。
--それなのに、なぜゲーム・ソフトだけは特別なのか?
そこで夫・かずみは「著作権法上の頒布権(著作権法第26条)」について説明した。頒布権とは著作者が著作物の流通をコントロールする権利のことである。かずみが妻・ゆみこに説明したポイントは3点。
(1)ゲーム・ソフトを「映画の著作物(著作権法第2条の3)」ととらえている人たちがいる。
主にソフト開発会社だ。
(2)映画の著作物には頒布権が存在し、流通には著作者の許諾が必要となる。
映画の著作物は、一般の著作物と取り扱いが異なる非常に特殊な存在なのだ。
(3)この考え方に従うと、ゲーム・ソフト開発会社はゲーム・ソフトの流通を
コントロールする権利を持つことになる。
●「テレビ・ゲームは映画でない」
「それって、変よ」と妻・ゆみこ。「テレビ・ゲームが、どうして映画なの?」。妻に言わせると、そもそも「映画」とは「1本の連続した映像を作品として鑑賞するもの」という。一般市民の感覚としては、まったくその通りだ。そう、“天才ゲーマー”を自称する身内の大学生も言っていた。「ゲームはゲーム、映画は映画。難しい法律的なことは分からないけど、楽しみ方は全然違うよ」。
さらに夫・かずみ個人として、次の問題を指摘する。そもそも著作権法の頒布権は、ベルヌ条約(第14条の2項:ブラッセル改訂規定:1948年6月26日改訂)から発生している。これは、CD-ROMに収録したような大量生産品の頒布など前提にしていないはずだ。
--こうした妻・ゆみこ(そして一般的な消費者)の疑問にズバリ答えたのが、5月25日の東京地裁判決だ(東京地裁平成10年(ワ)22568号 著作権侵害差止請求権不存在確認請求事件)。東京地裁民事第46部の三村量一裁判長は「テレビ・ゲーム・ソフトは映画の著作物には該当しない。なぜならインタラクティブ性があるからだ。ゲーム・プレイヤの操作によって画面映像の内容や表示順序は各回ごとに異なる」と、バッサリ切った。
そして判決では「ソフト開発会社が頒布権を持たないことは明らか」としている。しかも判決文中では、ベルヌ条約が言う「映画の著作物」の特殊性にまで、極めて詳細に言及している。この判決、テレビ・ゲーム・ソフトには頒布権が及ばないことを明確にした、国内初の判断となる。
もちろん、これは1審判決。加えて当判決とは異なる裁判所判断もある(例えば、東京地裁昭和56年(ワ)第8371号事件:いわゆる「パックマン判決」)。当然だがゲーム・ソフト会社側は、この判決に対し猛烈に反発して控訴の構えを見せている。従って今回の東京地裁判決は確定したわけではない。今後も議論されるべき問題である。
ただし今回の判決、「テレビ・ゲーム・ソフトも“普通の著作物”」と認定した点で、極めて注目すべきものであることは間違いない。少なくとも、一般消費者を納得させる司法判断として。