物語は傑作、「道具」は杜撰で興醒め
高嶋哲夫・著「イントゥルーダー」(文藝春秋)



文藝春秋刊
1429円

 このところ読書をさぼっていたわたくし。いったん活字から遠ざかってしまうと、新たな書物を手にとることが億劫になってしまいます。新聞/雑誌を除き、この半年で読んだ本と言えば、著作権法/会計法/民法など法務関連書と電子工学/経営工学関連書くらいなもの。あとは楽理と音楽史か・・・。

 ところがここにきて、文芸書を一気に3冊読破。(1)わたくし自身が熱狂的ファンであることを公言する箒木蓬生・先生の「
安楽病棟」。(2)井上ひさし先生の「東京セブンローズ」。そして(3)サントリーミステリー大賞受賞作・高嶋哲夫氏イントゥルーダー」。いずれも充分に楽しめました。ここでちょっと(3)の寸評を。胸が熱くなるような物語でありながら、背景情報の描写があまりに滅茶苦茶であるため、恐ろしく損をしている作品です。

●徐々に芽生える「父性」に感動

 これは「父と子」物語。しかも「物理的」には父子の会話は、まったくありません。主人公である「父」(日本を代表する世界的スーパーコンピュータの設計技術者)のところに、ある晩、突然電話がかかってくる。「あなたの息子が交通事故だ」。電話の主は、25年前、ほんの一時一緒に暮らしていた女性。しかも「父」は自分に「息子」がいたことなど、初耳だ。病院に駆けつけた「父」の前に横たわっていたのは、意識不明となった「息子」。物語冒頭から、もはや父子は「会話」ができない状態。

 当然、「父」には「父たる実感」などありえません。ところが「息子」には覚醒剤の密売人であるという汚名を着せられている。そして「父」の頭のなかには「いったいどんな息子だったのだろう」という疑問がわき上がり・・・。「父」は行動を開始しますそれまで何もして上げられなかった息子の人生を理解するために。そして息子の汚名をすすぐために。

 物語中で進行する時間は、わずか10日間。しかも「息子」は意識を取り戻すことなく死んでしまう。「父」は自分の命をかけて「真実の探求」に邁進します。息子がいた。もはや言葉を交わすこともできない。
初めは呆然としていた心が徐々に燃え上がり、息子がいとおしい者、かけがえのない愛の対象であることを、「父」が心で徐々に実感していく過程は圧巻です。「父」と「息子」は、一度も言葉を交わすことはなかったけれど。そして「父」は知るのです。「息子」が誰よりも尊敬し信頼していたのは「父」であったことを。ラストシーン近く。「父」は自分の頭の中で「息子」との対話を始めます。涙なしには読めません。不肖かずみ、不覚にも涙で活字が見えなくなりました

 そして「息子」は原子力発電所の建設にからむ巨大な不正を掴んでいた、そして抹殺されたことを知るのです。しかもそれが判明したとき、「息子」はすでにこの世の者ではない・・・。さて、「父」が最後に起こした行動は・・・?

●あまりにずさんで滅茶苦茶な背景描写

 物語としては抜群の完成度です。ちょっと構造上、弱いところはありますが。ただ、問題点もちらほらと。決定的なのは、主人公がスーパーコンの設計者で、その「事実」が物語の大きな柱となっており開発シーンも頻繁にあるにも関わらず、
スーパーコンに関する記述が余りにもお粗末!これには興ざめですね。どうやら著者は、パソコンのことは多少ご存じのようですが、スーパーコンピュータを含むコンピュータ/情報システム全般に関する知識は、あまりないようです。なのに、スーパーコンの話など書くから、せっかく良くできた物語を台無しにしてしまっているのです。

 主人公が責任者となって開発中のスーパーコン「TE2000」は「世界最高速」との設定です。スペックが出てくるのですが、「演算速度、毎秒5兆回」。恐らく浮動小数点演算性能が5テラFLOPSであることを言いたいのでしょう。まあ現状で5テラなら、ほぼ世界最高速クラスといって良いでしょう。ただし、「ピーク時性能」なのか「実効性能」なのか記述がないので、「演算速度、毎秒5兆回」の意味が不明確です。

 悪いのはその後。
「主記憶容量720メガバイト」! これは酷いぞ! 5テラの演算性能で主記憶が720MBなんて、こんなバランスの悪いマシンは存在しえません。仮に存在したとしても、まともには動作しません。マシンのアーキテクチャにもよりますが一般的に言って、5テラの浮動小数点演算性能を引き出そうとするならば、100ギガバイト程度の主記憶容量が必要になってきます。今どき720メガバイトなんて、小型のPCサーバー、あるいはハイエンドのパソコンですよ。続く「最大接続チャネル数73」、このチャネル本数は1世代前のメインフレーム(汎用機)クラスですわ。そもそも、ここでチャネルの本数を出す必然性はありません。さらに「最大運転能力120メガバイト」に至っては、何を意味するのかまったく分かりませんとにかく滅茶苦茶です。

 またスーパーコンをユーザー・サイトでメインフレームに転用する話がでてきますが、これも一般的には
ナンセンス。物語の中でそのシステム規模が書かれておりますが、そのようなシステムなら、スーパーコンをメインフレームとして転用するより新たなメインフレームを入れる、あるいはハイエンドのUNIXサーバーで代替するほうが、はるかに効率的で運用管理もしやすくなります。さらに「36ビット・パソコン」なるものが登場しますが、いわゆる汎用のパソコンで36ビット機は存在しません。一部のオフコンならあるかも知れませんが。その他、おかしな記述がボロボロと。コンピュータが「準主役」でありながら、コンピュータに関する記述が不正確過ぎるのは、問題がありすぎます。せめてちゃんとした取材をすれば、こんなことはおきないのに・・・。フィクションだからといっても、これは酷いね

 さらに、建設中の原発下にあるとする
「活断層」に関する記述もひどい。「震度7の地震を発生させる可能性のある活断層」ですって。そもそも発生しうる地震の震度階を活断層そのものから推定することはできません。しかもその活断層は「新たに発見された」とあります。これも極めて不自然ですね。動くか動かないかは別として、「陸上にあり、動いた場合に、かなりの揺れを発生させる可能性があるような大きな活断層」なら、本州の場合、ほぼ発見しつくされております。もちろん2000年10月に発生した鳥取県西部地震のように、これまで知られていなかった断層が活動する、という例はありますが、本書の事例では、こうした例には該当しません。何せ「新たに発見された」とあるのですから。

 ・・・というわけで、せっかく抜群に面白い物語りながら、あちこちで興ざめしてしまう1冊でした。別に難しい技術の話など挿入しなくてもいいから、書いてある数字をきちんと改めたり、明らかに間違っているところを削除するだけで、この本は100倍くらい楽しめるようになるでしょう。非常に残念です。

【後日談】
 2000年11月の半ば、上記の批評をお読みになった著者の高嶋哲夫さんから、丁重なメールを頂きました。「後日、文庫版を出すときに、数字を修正したいので、ご協力いただけますか?」とのメッセージでした。わたくしは「喜んでご協力させて下さい」と返答したのは、もちろんのことです。自分が読んだ物語の改良に少しでも参加させていただけるなど、嬉しい限りです。そして上記のような、かなり辛辣な評をしたのに、とても丁重なメールを下さった高嶋さんのご厚意に、とても感激しました。技術関連書籍や法律関連書籍の書評はあちこちでしており、著者の方からもご意見を頂いているわたくしですが、文芸書の著者の方から直接メールを頂いたのはこれが初めてです。高嶋さんは、今年(2000年)になってから、「ミッドナイト イーグル」(文芸春秋)、「冥府の虜」(祥伝社)を上梓なさいました。わたくし、「ミッドナイト イーグル」を丁度、読み始めたところです。早くも冒頭から物語に引き込まれている、わたくしであります。(2000年12月5日)



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