<四> 日本歌曲の過去を斬る!−−「これでいいのか、にっぽんのうた」


藍川由美・著
文春文庫
197頁:660円

 自分たちが歌っている歌、馴染み深い歌が、実は「インチキ」だったら? 歌詞はすり替えられ、旋律と和声が破壊された代物だったとしたら? 実は「日本歌曲」において、こうした犯罪行為がまかり通っているのです。

 みなさん、唱歌「汽車ぽっぽ」がタイトル・歌詞とも、全面的にすり替えられていた事実をご存じでしたか? 「春が来た」「蝶々」「夏は来ぬ」「春の小川」「村祭り」「我は海の子」などの歌詞が、付け替えられていたこと、知っていらっしゃいましたか? 作曲者がせっかく苦心して、発声と発音とを考慮して旋律を創作したにも関わらず。そして出版社がろくに原典を当たらず、適当(としか考えられない)に再版したため、音と歌詞とが「ずれて」しまっているケースが山のようにあって。とても欧米のきちんとした出版社では起こり得ないようなことが頻繁に発生しているのです。

●「日本歌曲」への愛に溢れた真摯な研究レポート

 こうした愚劣な文化に対する犯罪行為を、白日のもとに暴き出し、目の前でばっさり切り捨てる書が現れました。
藍川由美・著「これでいいのか、にっぽんのうた」(文春文庫)。久々に読む、胸のすくような読後感を抱かせる、画期的な「快著」です。「日本という国」が、世界に誇れる文化的資産である「日本の歌」を、如何に大切に扱ってこなかったかを、痛烈に批判します・・・と書いてしまうと、単なる行政・文化批判の書に見えてしまいますね。ところが実際の内容は、実に真摯な研究レポート

 近・現代に於ける日本歌曲の源流から説き起こし、発声と発音、旋律との相関について詳細に報告。果てはピヤノ伴奏にまで言及します。歌曲という分野にとどまらず、日本国内における音楽の近・現代史に適切な解説となっている点が実に素晴らしい。そしてこれらの事実をベースに、作曲家が丹精込めて5線譜に記述したにも関わらず、心ない歌手によって「いい加減に」歌われてきたこと、出版社が歌曲を実に粗末に扱ってきたこと、そして行政の都合によって無惨にも歌詞をすり替えられたことを、真正面から断罪いたします。

 「自分たちの国の、文化的宝である日本歌曲を、もっと大切に扱いましょう」--著者の主張の核は、これだけです。ただし、「大切に扱う」ということを別の言い方にすると、その曲の持つ表現力/魅力を最大限に引き出す、ということに他なりません。この書の前半3分の1は、明治から昭和にかけての「日本歌曲史」の記述にあてています。これが全書の「通奏低音」ないしは「静かな低音のオスティナート」となって響きます。要は日本歌曲創出のバックグラウンドですね。この「ある意味で不幸な」歴史が、後年になって、いかに歌曲に対する悪影響を与えてきたかが、ページを追うごとに明らかになってきます。

 続く第2章は「日本語の発音」。ここでは歌詞の個別の「音(発音)」について解説するほか、歌詞の流れ(発音の連続性)に着目した旋律の与え方に言及します。「あかとんぼ」や「からたちの花」の旋律が、原詩が持つアクセントと発音によって導かれた・・・など実例を駆使して解説。実に説得力があります。また日本語における「m」「n」など「準母音」の扱い、「ア行のエ」と「ヤ行のエ」の相違と詩(あるいは旋律)に与える効果など、実に詳細かつ平易に解説、論旨を展開いたします。このあたり「山田耕筰歌曲」で博士号を取得した、著者の面目躍如です。

 そして
圧巻は終章「日本のうたへの疑問」。著名歌手によるインチキで自分勝手な歌い方、出版社によるいい加減な歌詞付け、出版社や校訂者あるいは行政の都合による「暴力的」とも言える歌詞の差し替えによって、いかに歌曲本来の持つ魅力を破壊しているかを、譜例を含む詳細な具体例を挙げて次々とあばきます。これは痛快です。そして単なる批判に終わらず、歌手・出版社・行政の暴挙が何故「悪」であるのか、改変前の「原曲」にはどんな魅力があり、これら暴挙が何を破壊しているのか、歌曲と向かい合う者としてはどのような態度をとるべきか・・・詳細に言及している点は、非常に建設的であり、この書の美点であります。実に立派な、そして面白く読めるレポートです

●編集者の怠慢・能力不足が良書にダメージ

 難を言えば、
文章が下手くそなこと。これは酷い! 約200ページの本ですが、どう甘く査読しても100カ所以上に手を入れなければなりません。いくつかのページは、丸ごと書き直す必要があります。とてもではありませんが、「売り物」となる文章ではありません。

 しかし、
これは著者の責任ではありません。著者は声楽の専門家。これだけ真摯な充実したレポートを纏めただけで、充分です。賞賛に値します。問題は編集者。文筆の専門家でない筆者を助けるのも、編集者の仕事。きちんと査読し、不明瞭/不適切な記述は、きちんと手を入れ書き直すのが編集者の役目です。その仕事をしていないこの本の編集者、プロとして失格ですね。文芸作品ならやたらに手を入れることはできないけれど、これは研究レポートですよ。これだけ下手くそな文章を表に出してしまうのは、著者に対して失礼極まりない行為です。お金を出して買う読者を「ナメて」います。

 しかも気になる記載法もちらほらと。例えば著者は、いわゆる「歌謡曲」のことを、すべて「流行歌」と記述しています。しかし現在では「流行歌」と言う表現は使いません。こうした表記をすると、「流行っていないもの」まで「流行している歌」と表現してしまうからです。「流行らなかった流行歌」・・・変ですよね、これ。ちなみに現在、新聞協会および雑誌協会加盟社は、「流行歌」という「不正確」な表記は致しません。まともな編集者なら、きちんと直すべきです。

 こうした点は、一事が万事。編集者の「怠慢」が、この本の中に滲み出ております。もしこの本の編集者が「いや、ちゃんと仕事しました」というなら、業務レベルが非常に低いですわ。わたくし、自分の同僚や部下が(上司であっても)、この程度のことを「仕事をやった」と持ってきたら、その場で「もう、仕事、辞めろよ」と引導を渡してしまいます。その点で画竜点睛を欠く、残念な作品です。(98年12月20日)


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