「罪作りな男」---其の弐

 さて、「罪作りな男---其の壱」に続いて、第2弾です。このお方も、誠に罪作りであります。この不肖かずみのお財布と銀行口座に入っていたお金に翼をつけて、どこかへ逃がしてやるのに多大な貢献をしてくださったばかりでなく、わたくしにとって貴重な有給休暇を消費させ会社と労働組合を大変に喜ばして下さったからであります。もちろん、貴重な睡眠時間を奪って下さったことは、言うまでもありません。

 3年ほど前、「現役外交官が書いた」として話題になった、ある作品がありました。非常に興味をそそられたのですが、ニュースを追っかけ回すという日常の忙しさと、目の前を余りにも多くの書籍が通り過ぎて行くことで、ついつい拝読する機会を逸しました。

 そしてそれから2年たった1999年6月。このお方は、前作の続編となる大著を世に出しました。新聞広告や書評を読む限り、実に面白そうです。その頃は、「インターネット通販」にどっぷりと漬かっていた不肖かずみです。早速「丸善」のネット通販サービスで、前作と新作を一度に取り寄せました。前作から読み始めたことは、もちろんです。

 ・・・そして、わたくしは「はまり」ました。寝る間も惜しんだことは当然のこと、通勤途中の電車の中でも、この3冊を読み続けました。もし、わたくしに「昼休み」というものがあったら、恐らくその時間帯も、これらの本を読むのに費やされていたでありましょう。

 この2編の著者は
「春江一也」氏。ペンネームかご本名か確認してはおりませんが・・。とにかく、この2編はわたくしを久々に「書籍による感動の坩堝」に叩き込んだのです。



プラハの春 最初の1冊の題名は
「プラハの春」(集英社)。1968年8月21日、ワルシャワ条約軍(実際にはソ連軍)がプラハを蹂躙した日々を、在プラハ日本大使館員であった著者が目撃した光景をベースに、その壮絶なる日々に至る「プラハの春」を題材にした「半フィクションの国際政治サスペンス小説」であります。当時のチェコ・スロバキアの外交状況とプラハの街並み、そしてそこに身を置く人々の生きる様子を「これでもか、これでもか」と、微に入り細に入り、それは緻密に描いた作品です。余りにも緻密であるがために、時折、物語の流れが阻害された感がありますが、そんなことは枝葉末節。「ソ連軍、プラハに侵入」の第一報公電を在プラハ日本大使館から東京に打電した張本人でなければ、とても記述できないような緊迫したストーリーが展開されます。そして、最後は悲劇的な結末へ。

 この物語の主人公である「日本人外交官」「東ドイツ女性」の出会いは、外交官がウイーンから車でプラハに帰投する帰り道。
ほんの偶然の出会いが、劇的な物語に発展します。これを読み終えた不肖かずみ、「ウイーンとプラハに行ってみたい」。即座に休暇を申請し、旅行の手配を整えたことは言うまでもありません。はっきり言って、わたしは馬鹿です。ウイーンとプラハへの訪問を抑えきれなかったのです。結局、99年11月、ウイーン−プラハ−ウイーンという行程で出かけて参りました。

 ウイーンもたくさん思い出に残っていますが、圧巻だったのはプラハです。かつてソ連軍が突入し、多数のプラハ市民が犠牲になったヴァーツラフ広場。国立博物館前のヴァーツラフ公の銅像の前に、たくさんの蝋燭が灯っています。もちろん「プラハの春・崩壊」で犠牲になった人々への追悼の蝋燭です。チェコの民主化のために戦い、そして犠牲になった方々を想い、跪いて黙祷を捧げた後、不肖かずみは持っていたライターで、消えているたくさんの蝋燭に、片っ端から火を灯しました。民主化を願いつつも命を落とした方々を追悼するために。蝋燭に火を灯しながら、不肖かずみは心の中で語りかけました。「皆さんが命をかけて願った民主化は、実現されたのですよ」と。



ベルリンの秋 そして続編は
「ベルリンの秋」(講談社インターナショナル)。言うまでもなく、1989年10月の「ベルリンの壁崩壊」がテーマです。前編ではプラハ駐在だった「日本人外交官」、こんどは東ベルリン駐在を命じられます。そこでは前編で生き残った人々が、新たな壮大なる物語を形成します。物語は「これでもか!」と言うまでに、それぞれの登場人物を窮地に追い込むのです。残虐なまでに。ここでも微に入り細に入る著者の筆は衰えません。しかも前作を超える、流れるような筆致。物語の最後、ベルリンの壁崩壊の街の素顔、そして偶然に「その日」に重なってしまった「日本人外交官」と彼の「会いたかった人」との劇的な再会のシーンは、涙無しには読めません。

 実際この「崩壊」の日、在欧中だった両親と日本にいたわたくしは電話で話し、「ついに、来るべきものが来たね」と、お互いテレビの画面を見ながら言葉を交わしたことを、忘れることはできません。この後、わたくしの愚妹が「ベルリンの壁の破片」を拾ってきてプレゼントしてくれたのですが、わたくしの不注意で行方不明になってしまいました。何とも残念なことです。

 さて「ベルリンの秋」を読み終えた不肖かずみ。
「ドイツとやらに行ってみたい」。またまた衝動にかられたのであります。まこと、愚かなことでございます。なけなしの休暇と貯金を叩いて、2000年6月、ドイツを訪問した次第であります。広いドイツです。行きたいところはたくさんありましたが、時間は限られています。「初回」であったため、ベルリンに向かうことを諦め、ミュンヒェン、ノイシュヴァンシュタイン城、ロマンティック街道、古城街道を回って帰ってきました。ベルリンへは出向けませんでしたが、「ドイツを訪問したい」というきっかけを作ったのは、間違いなく春江氏の「ベルリンの秋」でありました。

 次回、ドイツを訪れる際には、ベルリンに立ち寄り、あの
「勝利の女神の像」に登ってみるつもりです。ヴィム・ベンダース監督の名作映画「ベルリン・天使の詩」で、主人公の天使が、女神の翼に腰掛けて、天使のまま生きようか、それとも人間になって愛してしまった人と過ごす人生を選択しようか」と悩んでいた、女神の像です。もちろん不肖かずみは、女神の翼に腰掛けるような無謀なことはいたしません。

 何はともあれ、こうして春江氏は、毎日500円以下のお弁当でお昼を過ごすような貧乏な不肖かずみから、貴重な有給休暇と貯金を消費するのに、多大な貢献をしてくださったのであります。これが「罪作り」でなくて、いったい何でありましょうか。(2000年8月19日記)

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