「狙い撃ち」への怒り

 我々夫婦は、夫の休日になると、必ず「ぱぐ」と「あかね」の散歩に、一緒に出る。夫の出勤日は妻のみが2頭を連れて出ることになるのだが。その散歩の途中で、最近、我々を狙い撃ちにでもするかのような「看板」を見つけた。この団地の其処此処に林立しておる。ちなみにわしらは、この団地の住人ではない。


 見よ! この
邪悪な看板を! 我々を狙い撃ちにしているとしか思えない!



 この団地の管理規約では、「住人は犬・猫を飼ってはいけない」ということになっている。もっとも建前で、団地の住人ですら、家の中で、こっそりと犬猫を飼育している者がいる。まあ、それは規約違反として、責を負わされても仕方ないであろう。

 しかし、この看板が立っているのは
「市道」である。団地の中とは言え、天下の公道だ。税金を投入して建築した道である。一部は団地住人の「持ち分」もあるのだが、それだって「固定資産税免除」の対象になっているのだから、公道といって、差し支えないはずだ。

 それなのに、何だ、この看板は! 同じ市に住み、地方税もきっちり納めている我々が通る道路に、こんなものを立てるとは! 市民としての権利を侵害することに他ならない。



 もちろん、我々はマナーを心得ておる。ぱぐたちが「雲子」をすれば、きれいに取って持ち帰っている。公園や子供達の遊ぶような場所では「疾呼」をさせない。住民に迷惑をかけるようなことなど、していないのだ。それなのに、何だこれは! 実に邪悪だ。

 それなら、わしらも家の回りの市道に看板をかけようか。「
××団地住人、およびその関係者が運転する自動車の進入を禁止する」と。××団地の住人よ。あんたたちが、我々周囲の市道/私道を抜け道に使っているのは明白だぞ。下手くそな運転で、排気ガスをまき散らすのは、充分に迷惑ではないか。すると××団地の住人は言うだろう。「我々一般市民に対する権利の侵害だ」と。

 一見、論理は飛躍しているようだが、
「地方税を払っている市民の権利行使」という点で、問題の根っこは同じだ。わしらは「憩い」のために市道を通行している。一方連中だって「生活の快適に関する利便性」のために市道を通行しているわけだ。「憩い」も生活の中での利便性に他ならない。

 邪悪な看板を立てた××団地の管理者たちよ。このあたりの論理をきちんと踏まえて、あの邪悪な看板を立てたのか? 
しかも「モデル」にパグ犬という犬種を選択したのは、あえてパグ犬の飼い主に、精神的ダメージを与えようとしたのか? とにかく許し難い看板だ。


●「犬猫」以外なら何でもあり、そして道路交通法との矛盾

 なお、この団地では、「犬猫」の飼育は禁止されているが、
その他の規定はないらしい。従って「犬猫」はダメだが、

こんなのや

こんなのなら


飼ってもいいわけだ。
サラブレッドは無理だが、ポニーくらいだったら、家に入るぞ。コビトカバやカンガルー、エメラルド・ボアなんぞも、いいかも知れない。もちろん、こいつらの散歩も自由ということになる。何せ飼育と散歩が禁止されているのは「犬猫」だけだものな。

 馬の通行も良いはずだぞ。
道路交通法によれば、馬(あるいは馬車)は「軽車両」に分類されているからな。つまり、馬の通行は合法なわけだ。

 アナコンダ、オオアリクイ、カバ、カンガルー、馬がよくて、「犬猫」のみがダメ、というのは大きな矛盾である(としか、この看板からは解釈できない---)。この看板を立てた管理人のお偉いお方、いったい何を考えておるのでございましょう。単なる「犬猫飼い主」への嫌がらせですな。わしらには、そう解釈することしかできない。


●社会福祉に無関心な「前近代的精神」

 さらに言えば、この看板を立てた奴、社会福祉に関する配慮がまったくなされていない点
で、前近代的な精神の持ち主である。「盲導犬」や「介助犬」のことを、まったく考慮していないからである。こんないいかげんな看板立てたなら、「盲導犬や介助犬を連れた人は、団地内への立ち入りを禁ず」という意味にもなるぞ。まったく軽率きわまる看板だ。

 そもそも、無意味で不愉快な看板である。でも、どうしてもこんな看板を立てたいなら、どうせ高いお金をかけるのだから、盲導犬や介助犬を必要とする人への配慮を盛り込んだ上で、道路交通法にも矛盾せず、かつ
「侵入してはならない動物」を厳密に定義すべきである。例えば「体高、体長、体幅の合計が××メートル、および装身具を含む体重合計が××キログラムを超過する生物の飼育・散歩を禁ずる。ただし、盲導犬等、障害者の介助をなすべき生物、および道路交通法で認可されている生物に関しては、この限りでない」と。

 この看板を立てた者に告ぐ。どうせ立てるなら、この程度の配慮を組み込んだ看板を立てなさい。でないと、単なる「嫌がらせ」に過ぎないことになりますぞ。
少なくとも、近隣市民の多くは、そのように感じているのである。 (99年12月25日)


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