<壱> ジョン・ケージは「凡才」?

 7月23日付け、朝日新聞夕刊(東京本社2版)を読んで、夫・かずみは「爆発」しました。「ピアノ曲にも光 当て」という見出の、作曲家・中田喜直氏のインタビュー記事を読んでしまったからです。誤解無きように最初に言っておくと、中田氏自身は、素晴らしい作曲家であると評価しております。特に歌曲に関しては。しかし、どんなに立派な作品を書いても、新聞紙上で「暴言」を吐くのは、如何なものでしょうか?



 まず、夫・かずみが「カチン」ときたのは、「日本人は、大人になったら煙草を吸うとか、ピアノの大きさはこうだとか、思い込んだら変わらないのね。(以下、略)」。これは氏が提唱する「幅の狭い鍵盤を持つピヤノ」が普及しないことを指して発言しているのです(そうとしか、受け取れない。もし、その意図で発言したのでなければ、記者の力量が足らない)。これは、明らかに暴論です。そりゃ、ヴァイオリンのように、ちいさな(あるいは様々な)サイズがあって、持ち運びもでき、比較的容易に買い換えができる楽器なら、こうした発想も自然に受け止められます。

 しかし、ピヤノの場合、「行った先にある楽器」を使わなければならない、という宿命があります。仮に自宅で「狭い鍵盤のピヤノ」を持っていたとしても、先生のところへ行ったり、演奏会場へ行ったりしたとき、そこに「狭い鍵盤のピヤノ」が用意されていなければ、何にもなりません。それも、自分で持っているピヤノと、同じ鍵盤幅でなければならないのです。もし、これに対応しようとすれば、ピヤノの先生やコンサート・ホールは、あらゆる鍵盤幅のピヤノを用意しておかなければ対応できなくなります。

 もちろん「巨匠級」のような方は自分の楽器を演奏会場に搬入できます。また「いつでも、どこへでも、自分のピヤノを持ち運べるだけの資金力がある」人もいらっしゃるでしょう。でも、こうしたケースは例外の例外。しかも、ヴァイオリンと違って、手が少し大きくなったから、買い換えようか、という行為が容易に可能でしょうか?恐らく、困難ですね。

 こうした「ピヤノという楽器の特殊性」があるのに、持論が受け入れられない理由を「日本人は・・・」で片づけているのです。これが暴論でなくて、何でしょう? そして、もし、「日本人だから・・・」と理由付けるなら、欧米では、ロシアでは、中国では、東南アジアでは、豪州では、これだけ流行っているのに、と対比すべきです。ところが、「狭い鍵盤幅のピヤノ」が、日本以外の地域で頻繁に利用されているという話は、寡聞にして聞きません。もし、中田氏の理屈が正論で実現可能ならば、全世界で「狭い鍵盤幅のピヤノ」が利用されているはずですよね。わたしは、この「日本人は・・・」という論理(というほどの代物でもありませんが)に、「カチン」ときた次第です。



 加えて「爆発」したのは、「ジョン・ケージは凡才」のくだり。「ピアソラは音楽が生きているから天才。ジョン・ケージは凡才」ですって。しかも、その前後の文章が「音楽は楽しくて美しいことが基本」「演奏する人も聴く人も、みんなが分かる現代音楽を書きたい。音楽は、やっぱり、もう一度聴きたいと思われなければ」。「楽しくて美しい」というのは演奏者と聴き手の主観。また音楽や美術などに関して「分かる」「分からない」はナンセンス。「好き」か「嫌い」「どちらでもない」しかない筈です。そもそも、音楽なんて、頭で「分かる」ものではないでしょう。あくまでも「感性」の領域です。しかも、これではケージの音楽が「全部、死んでいる」ことになってしまいます。これで、まず、一発目の「爆発」。

 で、突然「ジョン・ケージは凡才」。それは確かにケージの作品には「何だ? こりゃ?」というのがたくさんあります。しかし、壮麗な「プリペアド・ピヤノの為のソナタとインターリュード」(1946〜48)、とても可愛くて素敵な「季節はずれのヴァレンタイン」(1944)といった傑作を残し、他人がやらない様々な音楽へのアプローチを試みた人を「凡人」呼ばわりは、失礼極まります。氏が「僕は、やっぱりリズムとハーモニーとメロディーがそろわないとダメですね」と発言するのは勝手ですが、自分の感性に合わないから「凡人」呼ばわりするのは、増長もいいところ。「わしは、あいつ、嫌いじゃ」で十分ではありませんか。ちなみに「季節はずれのヴァレンタイン」には、リズムも、メロディーも、ハーモニーも認められます。これで、2発目の「大爆発」。

 結局のところ中田氏は、音楽を感性のよりどころとするものではなく「頭で分かる」ものとしている、さらにご自身の思想に合わない音楽を作る人は「凡人」として認めない。そして知名度に証せて、大新聞のインタビューを利用して世論を誘導する。こうした行為は、創作の発展を阻害する、嘆かわしいものです。爆発すると同時に、素敵な音楽をたくさん作っている人が、新聞の紙面を借りてこのような発言をすることに、悲しくなってしまいました。

(98年7月26日)




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