マーラーの作品
Gustav Mahler
(1860〜1911)


以下に、わたくしたちが把握しているマーラー交響曲の4手連弾用編曲をリストアップしました。
恐らく、これで4手用の過去の出版物は大半をカバーしているものと考えられます。

番号 編曲者 出版社 編曲の出来 備考
第1番 B.Walter Universal 極めて邪悪 絶版。Universal依頼してのコピー譜作成での入手が可能
第1番 B.Walter Kalmus=Warner Bro. 上記に同じ 現役。上記Universal版のレプリント。ただし編曲者名は未記載
第2番 B.Walter Universal 未見・未聴 絶版。Universal依頼してのコピー譜作成での入手が可能
第2番 unknown Kalmus かなり邪悪 絶版。古本屋経路、あるいは図書館経路でのみ入手可能。
第3番 J.V.v.Woss Universal 水準の出来 絶版。Universaに依頼してのコピー譜作成での入手が可能
第4番 J.V.v.Woss Universal 水準の出来 絶版。Universalに依頼してのコピー譜作成での入手が可能
第5番 O.Singer C.F.Peters 未見・未聴 絶版。Petersに依頼してのコピー譜作成での入手が可能
第5番 unknown Kalmus=Warner Bro. 水準の出来 現役。
第6番 A.v.Zemlinsky Kahnt 素晴らしくピヤニスティック 絶版。Petersに依頼してのコピー譜作成が可能。CDあり
第7番 A.Casella unknown かなり良い出来 絶版。Universalから出ていたらしいのですが詳細不明。CDあり
第8番 A.Berg Universal 未見・未聴 絶版。Universalに依頼してのコピー譜作成での入手が可能
第9番 J.V.v.Woss Universal 水準の出来。第3楽章はかなり面白い 絶版。Universalに依頼してのコピー譜作成ので入手が可能
第10番 E.Ratz Universal 水準の出来 現役。

いずれも、全楽章ノーカットで編曲してあるものに限って掲載してあります。
単一楽章や「聴き所」のみを編曲した事例もいくつかありますが、これは別途ご紹介することにいたしましょう。
例えば、後藤丹氏による「第5番第4楽章・アダージェット」の実にすっきりした編曲などがあります。
なお、編曲者不明の第2番(Kalmus版)とA.Casella編曲の第7番を除き
他の楽譜は比較的容易にどなたでも入手できます。
ただし、絶版のコピー譜を作成するとなると、1ページあたり約100円のコストがかかります。
その代わり、コピーする紙はその出版社が通常使用している楽譜用用紙で、立派に装丁されたものが送られてきます。



☆ 交響曲第1番 ニ長調 ☆
Symphony No.1 D-major
作曲年代:1884年
原曲:管弦楽
演奏形態:れんだん
編曲者:B.Walter
参照楽譜:Kalmus
参照CD:連弾版はありません

 実に酷い「編曲」。「編曲」と呼べる代物ではありません。極めて邪悪。何せ、管弦楽をそのまま連弾譜に移し替えているだけ。これでは、家族や友人同士でちょっと楽しんだり、パーティの余興で使うのがせいぜいです。それ以外の利用価値は、皆無でしょう。「交響曲の名曲を、一応連弾で弾けるようにした」だけ。しかも、結構弾きにくい! 加えて編曲者名も明記されておりません。実に卑怯です

 そりゃ、移し替えには手間もかかったことでしょう。しかし、ピヤノという楽器の特性をきちんと考慮すれば、もう少しまともな楽譜になった筈です。発想記号から(まあ、これは仕方ないかも知れない)、強弱の付け方、アーティクレーションの付け方を、ほとんどそのまま連弾譜に移しただけ。はっきり言って、何の創意工夫もありません。しかも「ピヤノでの演奏を考慮して・・・」という記述が何カ所かあるだけに、余計に邪悪さが増します

 その酷さ、冒頭から表れております。この曲の第1楽章。弦楽による「a音」の、ppまたはpppによる極めて繊細な持続で開始します。ヴァイオリンは9小節、ヴィオラは16小節、チェロは48小節、コントラバスは56小節(注:いずれも複数パートに分かれているため、最長の持続を示した)を、延々ppまたはpppで奏でます。他の楽器に呼応して、持続しながらも音の表情は微妙に変化します。その極めて微細な変化が、この大曲を聴き通す最初の「期待感」を与えてくれます

 それがこの連弾版では、単にオクターヴの持続で示されているだけ。楽譜には「ピヤノで弾くと音が減衰してしまうため、反復して音を打つように工夫した」と勿体ぶって注記してあります。で、どれ程「工夫」して書いてあるのかというと、オクターヴの音を2〜4小節ごとに打ち直しているだけ(譜例1−1、1−2)


* 譜例1−1:プリモ


* 譜例1−2:セコンダ

 この箇所、2〜4小節であっても、ピヤノの鍵盤でpppで打ったら常識的に考えても、1小節超えるか超えないかで、音が減衰して聞こえなくなってしまいます。これが「工夫」と言えますかぁ? 「巫山戯るんじゃない!」というのが、正直な感想です。(注:では、どうしたら「素敵にピヤノで響くのか」を、わたくし自身でも考えてみました。後日、楽譜記述ソフトウエアを入手し、浄書次第こちらにアップします)

 ピヤノという楽器の特性を、まったく考慮していない箇所も、続々と。例えば第1楽章の338小節目以降を見てみましょう。プリモは全音符に「ffp」の記号が付いています(譜例2−1)


* 譜例2−1:プリモ

 これは木管楽器で演奏する部分ですね。管弦楽スコアの強弱表記を、実にそのまま連弾譜にも記載してあります。まあ、これだけだったらペダルをうまく使うことによって、表現することも可能です。

 一方のセコンダ。右手は原曲の金管楽器、左手は同じくコントラバスのパートなのですが、いずれも音を減衰させずに「Sempre ff」で演奏するように指定してあります。これも管弦楽スコアの記述通り(譜例2−2)。まあ、これもセコンダ単独なら、極めて容易に処理できるでしょう。


* 譜例2−2:セコンダ

 しかし、プリモとセコンダが両方で、指定を守って弾くとなると、非常に厄介。かなりの無理があります。そう、「1つの鍵盤、1組のペダルを2人4手で使う」ということを、完全に無視しているから、厄介なことになってしまうのです。そもそもまともな連弾曲なら、こんな表記はしません。管弦楽の音を、何も考えずに連弾に振り分け、強弱記号もそのままつけてしまったために、こうした演奏上の無理が発生したのです。実に、愚かなことです。

 こうした極めて無神経な移し替えが、全曲を被っております。これを「邪悪」と言わずに何でありましょう。まじめな演奏会や研究のため、この連弾譜を購入なさるのは、お勧めできません。がっかりすること、間違いなしです。曲の構造を把握しようとする方には、少しは役に立つかも知れませんが。

 こんな酷い楽譜が2940円。なお、この楽譜には編曲者名が出ていません。後から分かったことですが、何と編曲者は大指揮者であるB.Walter。Universalから出ていた楽譜のレプリントです。Walterがこんな邪悪な編曲をするなんて、ちょっと信じられませんが、事実です。




☆ 交響曲第2番 ハ短調 ☆
Symphony No.2 C-minor
作曲年代:1894年
原曲:管弦楽、ソプラノ/アルト・ソロ、混声合唱
演奏形態:れんだん
編曲者:不詳
参照楽譜:Kalmus
参照CD:連弾版はありません


 「ご家庭で交響曲の演奏を楽しむ」という用途には、もってこいの1曲です。そのほか、音楽好きが集まった宴会で弾くには、なかなかのネタでしょう。しかし、それ以外の用途には、全く役立たない編曲です。ご丁寧にも、最初から最後まで、原曲をまったくカットしていません。「そのまま」ピヤノに移し替え——というと語弊があって、一部の声部を簡略化し——ただけなのです。全曲続けての演奏は、弾く方も聴く方も苦痛を強いられるだけです。苦痛を味わうことを目的とした会に持ち込むなら、かなりの効果を期待できましょう。

 

 はっきり言って、編曲上には何の工夫もありません。ピヤニスティックな魅力は皆無同然。同じマーラーの交響曲なら、第6番がAlexander von Zemlinsky(アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー)の手で、第7番がAlfredo Casella(アルフレッド・カセルラ)の手で、それぞれ連弾に編曲されています。この2つの編曲は、ピヤノ曲として聴いても——そして恐らく弾いても——実にピヤニスティックで美しく仕上がっています。まるで最初からピヤノ曲であったかのように。両曲ともSilvia Zenker と Evelinde Trenknerの組み合わせによるCDが出ています。CD番号は、前者が「MD+G L 3400」、後者が「MD+G L 3445」です。楽譜が入手できないのが、とても残念なくらいの編曲です。

 正直言ってわたくしたちも音にしたのは、終楽章の最後「Langsam, Misterioso」、合唱が無伴奏で歌い出すシーン以降だけです。2人で遊ぶ分にはなかなか盛り上がって楽しいのですが、まじめに第三者に聴かせるのには、ちょっとお勧めできません。

 いったい誰が、こんな編曲を作ったのでしょう? 楽譜には、編曲者が明記されておりません。




☆ 交響曲第10番 嬰ヘ長調「アダージョ」 ☆
Symphony No.10 F-sharp Major
作曲年代:1911年
原曲:管弦楽
演奏形態:れんだん
編曲者:E.Ratz
参照楽譜:Universal
参照CD:連弾版はありません

 

 この曲の連弾演奏を試みようとされる方は、およそ次の2通りではないでしょうか。(1)マーラーが好きで好きで、どうにもならない方。(2)とにかく何でも連弾で征服してしまおう、と言う方。こうした方々に加え、このUniversal版の楽譜を手にしてみようとされる方には、(1)好きか嫌いかは別として、研究なり勉強の都合上どうしても必要になった方、(2)「マーラーの交響曲第10番のアダージョを分析しレポートを書きなさい」という宿題が出て、できるだけ手を抜こうとしている生徒さん…などが考えられます。

 確かに美しい曲ではあります。そしてこの編曲は、原曲をかなり「生(なま)」のまま、ピヤノに移し替えています。逆に言えば、曲の骨格(構造)を把握する上で、非常に有意義な資料となることでしょう。もともと薄いオーケストレーションです。連弾譜にすると、その構造がかなり直截的に把握できます。そしてマーラーが、シェーンベルクやベルクと「かなり近い」位置にいることが、譜面から直接伝わります。

 しかし、「連弾曲」として見た場合の価値は、はっきり言ってゼロです。個人的にはとても好きな曲なのですが、それでも全曲を通して連弾で弾いてみたい/聴いてみたいとは思いません。弾く場合でも、最初の15小節(ヴィオラによるイントロダクション)で、まず飽きてしまいます。それでも続けると、極めて耽美的な嬰へ長調の主題が終わる30小節目で弾くのを一旦止めて、お茶を頂いたり煙草を口にしたくなり…そして「休憩」が終わった時には、別の楽譜を開いているのです。

 わたくしたちが手にしているUniversal版の楽譜は非常に見やすい譜面です。技術的にも、それほど難しいものを要求されません。ソナチネ・アルバム修了程度で十分でしょう。ただし、各声部が非常に輻輳しており、きれいに旋律を出して弾こうとしたら、かなり入念な譜読みと打ち合わせが必要となります。そして、各音の強弱配分は、個々の奏者ごとに相当の検討が必要になります。楽譜にはペダルの指示が一切でていないので、これも両奏者による検討課題となります。ペダルはかなり頻繁な踏み換えや、2分の1、4分の1、ソステヌート・ペダルの多用などが、早くも32小節目から必要になります。(…そこまでして、連弾で弾く曲でしょうか???)

 一般に交響曲の連弾版は、ご家庭や仲間内のパーティーで楽しんだり、気取らない楽しい演奏会に持ち出すケースが多いことでしょう——もちろん、大きなホールで聴衆を交えた通常の演奏会も考えられますが——。でも、そこでこの曲を取り出し、にこにこしながら鍵盤に向かう…そんな人たちがいらしたら、ちょっと怖い気もいたします。