其の拾八:もっともっと日本の連弾曲を

2001年4月29日、わたくしたちの親友である「DuO T&M」による邦人作品ばかりを集めた連弾演奏会がありました。小さなホールでの演奏会でしたが別宮貞雄先生、田中利光先生もご列席下さり、大変に熱のこもった一時でした。その演奏会で夫・かずみが「日本の連弾曲」に関して、短いレクチャをしました。演奏会後、「この内容を、喋りっぱなしじゃ、ちょっともったいないね」と、何人かの方からご指摘を受けました。そこで若干の編集をしてこちらにアップした次第です。これをお読みになって、少しでも邦人の連弾作品に興味を持って頂いて、そして読者の皆様に演奏していただける機会が少しでも増えることがあれば嬉しい次第です。



 これまで、Duo T&Mによる、この連続連弾演奏会は、欧州やロシアの作品を取り上げてきました。第5回目となる今回は、自分たちの身近にある、すなわち、日本の連弾曲を取り上げることにしました。「邦人作品」というと、何やら難しそうな「現代曲」を想像される方も多いことでしょう。しかし心配は無用です。まずは、そうした先入観を取り払って、気軽にこの演奏会をお楽しみ下さい。

●欧米にはない「1ワード」

 さて、「連弾」という言葉について、ちょっとお話ししておきましょう。「1台のピヤノを複数の人が共有して弾く」と言う演奏行為や演奏形態を1ワードで表す言葉は、欧米にはありません。例えば英語は四手連弾のことを「Music for a piano 4 hands」といいますね。フランス語にしてもドイツ語にしても、ロシア語にしても、表現はみんな同じです。中国語圏はどうか分かりませんが、少なくとも欧米には「連弾」に対応する語はありません。

*** 演奏会直前の夫婦の会話 ***

 (妻・ゆみこ) 「あなたの部署に、中華人民共和国出身の方が何人もいらっしゃるし、中国語に堪能な日本人の方もたくさんいらっしゃるじゃない。その方たちに、“連弾”て中国語で、どう表記するのか、伺ってくればよかったのに」
 (夫・かずみ) 「おっと、うっかりしていた。今度、聞いておくよ」。はい、わたしはマヌケでした。

*** 夫婦の会話 ここまで ****

 先日、イタリーの方とオランダの方から---両方ともそれぞれ連弾演奏をされていらっしゃるプロの方です---偶然にも同じお問い合わせを頂きました。

 「日本語で言うrendanとは、あなたの説明でmusic for a piano, more than 3 hands」のことだ、ということは分かった。ところで、その連弾と日本語の意味する心は?」と。

 で、わたしはこう答えました。「連なりて、弾ずる」

 ・・・これじゃ、禅問答みたいですね。幸い電子メールでのやりとりだったので、うーん、と考える時間がありました。

 そしてわたしは、こう答えました。「連」とは物理的に肩を並べると言う意味に加え、
「心を合わせる」という精神的意味があります。「弾」は「play」を意味します。つまり複数の人が肩を並べ、心を一つにして、一つの鍵盤を使って一つの音楽を作り上げる、という演奏形態ならびに演奏行為を指すのです、と。さらにその「スピリット」まで示す言葉なのです、ということを付け加えるのを忘れませんでした。

 これに対して、イタリーの方もオランダの方も、「非常に面白い」と反応して下さいました。

 さて、その「連弾」という言葉ですが、いつ頃から、どなたが使い始めたのか、実は分かっていません。わたしの調べ方が浅いだけかも知れませんが。もし語源を知っている方がいらっしゃいましたら、後ほど是非お教え下さい。

●最初に日本で連弾曲を書いたのは・・・

 しかし、最初に日本で連弾曲を書いた人は、判明しております。これはキングインターナショナルというレコード会社にお勤めで国内外の連弾曲を発掘し録音企画を立てていらっしゃる
宮山幸久さん、とおっしゃる方が調べて下さったのですが、日本最古の連弾曲は、明治の初め頃、1887年にギヨーム・ソーヴレーという人が作った「明治行進曲」というものです。ソーヴレーは、いわゆる「おやとい外人」と呼ばれる方たちの一人です。明治初期、日本政府は欧米の文化を吸収するために、学問、芸術、さまざまな分野に関して欧米から大勢の人材を招聘しました。ソーヴレーも、そうした人材の仲間です。

 おっと、それでは、日本人の作品ではなく外国人の手によるものではないか、という意見が出そうですね。確かに、日本の領土内で最初に連弾曲を作曲したのは、外国人でした。

 日本人で最初に連弾曲を作ったのは、「
松島つね」という女性です。これもキングインターナショナルの宮山さんの調査によります。曲は「さくら変奏曲」、作曲年代は1917年かそのちょっと前くらいです。松島つねは、有名な童謡「おうまのおやこ」によってのみ、現在では人々の記憶の中にあります。

 「おうまの親子」。みなさん、ご存じですよね。

 お馬の親子は、仲良しこよし
 いつでも一緒に、ぽっくりぽっくり歩く

 この童謡です。

 さて、不思議なことに2台ピヤノ曲は1930年代から精力的に作曲されてきたにも関わらず、連弾曲となるとめぼしい物は僅かのようです。日本で連弾曲が本格的に作曲されるようになったのは戦後になってからなのです。矢代秋雄、三善晃、別宮貞雄、田中利光、中田喜直といった大家はもちろんのこと、大勢の日本人作曲家が連弾曲の作曲に挑んでいらっしゃいます。

●優れた作品が埋もれてしまう文化的損失

 数からすると、かなりの曲が挙げられます。もちろん玉石混合ですが、後世に残る素晴らしい作品が、いくつも生み出されていることは言うまでもありません。ただ、優れた作品でありながら録音がひとつもなかったり---あったとしても満足できる出来でなかったり---楽譜が絶版になってしまったり、そして何より演奏会の曲目としてステージに上げられることが少なかったりするのが、日本人の手による連弾曲の現状です。これは誠に残念なことであり、文化的にも多大な損失であります。

 日本人の手による連弾曲が、もっともっと演奏され、録音され、楽譜も永続的に出版される---。これがわたくしの願いであります。

* 本稿は、2001年4月29日に開催された「Duo T&M 連続連弾演奏会 日本の連弾曲」における夫・かずみのレクチャを再構成し若干の加筆をしたものです。このレクチャをするにあたって多大なご協力を下さいましたキングインターナショナルの宮山幸久さんに改めて深謝いたします。(2001年5月4日記)




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(c) Kazumi & Yumiko TANAKA 2001