ガーシュウインの作品 
Gerge Gershwin
(1898〜1937)



☆ ラプソティ・イン・ブルー ☆
Rhapsody in Blue
作曲年代:1916
演奏形態:連弾/2台ピヤノ
原曲:独奏ピヤノとヂャズ・バンド
編曲者:Henry Levine(連弾)/作曲者自編(2台)
参照楽譜:Warner Bros.


 「パリのアメリカ人」(An American in Paris:1928)や「ポーギーとベス」(Pogy and Bess:1935)などと並ぶ、この作曲家の代表作。

 この曲には、(1)独奏ピアノとヂャズ・バンド用、(2)2台ピアノ用、(3)独奏ピアノと管弦楽用、そして(4)ピアノ連弾版、が存在します。

 米国人指揮者のPaul Whiteman(1890〜1967)が、彼の主宰する演奏会「現代音楽の実験」のためにガーシュウインに委嘱し作曲させたのが(1)。ヂャズ・バンド部のオーケストレーションは、当時ホワイトマン楽団の専属アレンジャだったFerde Grofe(1892〜1972)が担当しています。この「バンド版」、残念ながら現在ではなかなか聴くことができません。幸いなことに、Gershwin自身がピヤノ・ロールに“録音”したピヤノ・ソロ・パートに、Michale Tilson Thomasが指揮するヂャズ・バンドを“被せた”録音がCDとして出ています(Sony MK 42240)。ちなみにこの録音、事情を知らずに聴くと、“あたかも普通に録音したコンチェルト”みたいに聞こえます。実に見事!

 (1)の作曲と平行して、あるいは(1)の完成前(?)に執筆したのが(2)ですね。ちなみに現在我々が最もよく耳にするのが(3)です。(3)(1)の独奏ピアノにはほどんど手を付けず、ヂャズ・バンド部をGrofeが2管編成の管弦楽に再度書き直した版です。

 さて(4)の連弾版。この版は、(2)の2台ピヤノ版の音を、1台4手で演奏可能なように、Henry Levinが再配分した編曲です。2台版のような協奏的効果は得られませんが、
可能な限り音を減らさずに再配分してあるため、原曲の魅力をそのまま維持した連弾編曲となっています。その点では、実に見事な編曲と言えましょう。

 しかし連弾で2台ピアノ版と同様の演奏効果を出そうと編曲したため、両奏者の手が頻繁に接近する曲構造となり、演奏を
かなり困難なものとしています。また、両奏者間での音の受け渡しも随所で発生。こうした条件を克服し、軽やかに、そしてリズミックに楽しい演奏に仕上げるのは、かなりの困難がつきまといます。はっきり申し上げて、わたくしたちには無理です(原因は、いつものように、夫・かずみの技術不足にあるのですが・・・)。

 そして、ある意味での
欠点。両パートとも同じくらいの難しさなのですが、目立つのはプリモばかり。セコンダは引き立て役に徹します。2台ピヤノ版も第2ピヤノがやや地味な存在ですが、それでも連弾版のセコンダよりは9.76倍くらいマシ。第2が旋律(主導権)を取る場所がいくつもあります。例えば後半、ハ長調からホ長調に転調し静かに歌い出す「Andante moderato」の有名な旋律。2台版では、第2が担当する--といった具合に。ところが連弾版は、ここでもプリモが旋律を取ります(Warner版連弾譜:35ページ参照)

 とにかく
セコンダは、労多くして益僅か。かといって、セコンダの上手なフォローがないと、いくらプリモが頑張っても「死んだ演奏」になってしまいます。まったく報われないセコンダです。ただ1カ所、セコンダによる24小節のカデンツアがあります。Warner版連弾譜の40ページです。ただしこの箇所、ご丁寧にも「省いてもいいぞ(Optional cut from C to D)」という記述があります。しかし演奏でここを省いたら、あんまりです。セコンダが可哀想すぎます。悲惨です。哀れです。

 その他にもこの編曲には「カット可」という場所がありますが、個人的には無省略で演奏するほうが、この曲の魅力を引き出すことができるのではないか---とみております。



(注)表題の「ブルー」は、「青」転じて「陰鬱」の意。「ブルース」の語源でもあります。さらに表題は、曲が「ブルー・ノート」を基調としていることにも引っかけていますね。ブルー・ノートとは、根音の3度と7度、時には5度に相当する音を、それぞれ半音低くとった音階。