連弾庵主人日乗
2004年3月


...... 2004年 3月 01日 の日記 ......
■[ NO. 161 ]
脅迫メール
雪。

3月に入った途端、東京近辺は雪である。「春の雪」と言えば情緒もありそうで、何だか三島由紀夫御大のタイトルのようであるが、通勤者にとっては迷惑極まりない。おまけに先週まで異様に暖かかったのに、一気に冷え込んだ。何だかまた体調を崩しそうである。

さて、ヤなことがあった。「脅迫メール」が届いたのである。以下にその全文をご紹介しよう。タイトルは「ご忠告」である。




貴方の独特の感性で音楽をどう受け止めようと批判されようとそれはご自由です。しかし、その一人よがりな酷評をネット上で公表されるのは如何なものかと思います。そのコンサートを実際に聞いていない人に対して、ヘンな先入観を植え付けかねません。その演奏者の社会的立場をも傷つけることになります。大きな御世話でもあり迷惑です。独断と偏見の「演奏評」は御自分の心の中で遊ばれたらよいと思います。辛口も度が過ぎると、そのうち名誉毀損で訴えられますよ。




これは、明らかに脅迫である。刑法222条の構成要件に該当している。222条の解釈としては「ここにいう告知する内容としての「害」はそれ自体犯罪を構成するようなものであることを要しないとするのが通説、判例。即ち「上司に通報する」とか「告訴する」等の告知も相手を畏怖させるためならば脅迫罪になる(前田雅英・刑法各論講義2版:東大出版会1995)」というのが通説だ。

上記のメールの文言は、十分にこれに該当する。要は「お前の書くことは気にいらん。こんな内容だと告訴されるぞ」と拙者を脅していることに他ならない。

こうした脅迫は、自由な言論を弾圧することの何物でもない。そもそも拙者の書く内容なんて、所詮は「批評」の域を出ていない。演奏に対して、自由な批評が言えなくて、それが健全な音楽業界であろうか。

拙者、仕事で記者をやっていて、これまで何度もクレームを頂いた。「名誉毀損だ」「損害賠償を請求する」「御社からすべての広告を引き上げる」などなど。でもそれらはみんな、拙者の書いたどの記事のどの部分が問題なのかをきちんと指摘してきたし、発送者の住所・氏名・所属・役職を明記してきた。これは「脅迫」には該当しない(いずれのケースも最終的には拙者の「勝ち」で終わったが)。

このサイトを始めてからも、拙者の誤解や勘違い、言葉足らずで、多くの方からご叱責を頂いた。その時にも、ご叱責を下さった方は、ご氏名・役職を名乗られ、拙者の記述のどこに問題があるのかを明確にして下さった。これは大変に有り難いことであり、拙者もそれを真摯に受け止め、訂正と謝罪を出して対応してきた。

しかし、今回の脅迫メールは、これらとは明らかに一線を画する。拙者の記載のどこに問題があるのかも指摘せず、単に拙者を黙らせようとして「名誉毀損」などという言葉を持ち出しているのである。

しかも差出人は、匿名。差出人のメール・アドレスも「hotmail」、おまけに発信時刻のタイムスタンプまで偽装する凝りようだ。悪意があるとしか言いようがない。この送信者がさらなる攻撃を加えてくればサイトの運営にも支障が出て、当然民法709条の不法行為を構成する要件を満たすことになる。これは損害賠償請求の対象になる。

で、拙者はどうしたか。当然、弁護士の先生のところに相談に行ったわけだ。今後の対策を練るためである。警察への告訴の準備も進めている。拙者への攻撃が続く、あるいは拙者のサイトに投稿してくださったり編集に協力してくださっている方へ、圧力などがあれば、断固として刑事・民事両面から法的措置を取ることにしている。


...... 2004年 3月 02日 の日記 ......
■[ NO. 162 ]
去りゆくものの残映
晴れ。

朝、起きてみると、またもや喉が痛い。せっかく先日の風邪が治ったのに、ぶり返したようである。出勤して診療所が開くのを待って、ドクターに看て頂く。「これじゃ、痛いはずですよ。真っ赤に腫れています」とドクター。熱がないのが、まだましだ。いろいろ薬を頂いて戻ってくる。

しかし、これほど風邪がぶり返すことも、珍しい。まったく困ったものである。午後は取材に出ようと思ったのだが、今週末締め切りのITエッセイ執筆のための下調べをしなければならず、オフィスに籠もっていた。




夕方からは、もう30年以上付き合ってる友人でフリー・ジャーナリストの「井田道範」氏、元同僚で現在は個人で広告代理店業務をやっている「妙典企画」氏と、都内・神田の「みますや」という飲み屋で会合。

この「みますや」というのが、なかなか風情があって良い。生憎、写真撮影には失敗してしまったが。「こちらのサイト」で紹介されているので、是非ご覧になって頂きたい。

明治38年創業で、現在の店舗は昭和初期に建てられたもの。古い帝都東京が息づいている空間だ。拙者、この手の空間に引き寄せられる。ほっとして落ち着くのだ。まるで戦前にタイムスリップしたかのような感覚が心地よい。

さらにここは、数十種類の酒(かなり珍しい銘柄まである)と肴が良い。安くて旨いのである。当然大人気の店で、聞くところによると、午後6時を過ぎると、ふらりと入るのは難しいとか。拙者たちは、運良く午後7時に席を確保できたが。

20年くらい前まで、東京にはこうした建物・空間がいくつもあった。それがバブル時代、一斉に姿を消してしまった。何とも寂しいことである。そして、今も、古い帝都東京は日々その姿を消しつつあるのだ。

本当は、ここに「みますや」の写真が載るはずだった。
わしらの主人、撮影に失敗しおったわ。間抜けめ。
仕方ないので
1日中ぱぐぱぐしているわしらで代替じゃ!
ぱぐぱぐしていて、文句あっか!



...... 2004年 3月 03日 の日記 ......
■[ NO. 163 ]
笑うぱぐ
晴れ。のち曇り。

3月に入った途端、急に寒くなってきた。NYから入ってきた情報だと、あちらでは2月は猛烈な寒さで、3月になったらいきなり暖かになってきたそうだ。もっともこの冬のNYの寒さは半端でなかったので、「暖かくなった」といっても東京よりも寒いのではないかとも思うのだが。

さて拙者、ネットで知り合った方と折りに触れていろいろなものを交換して楽しんでいるのだが、先般イタリー在住の廣瀬さんから頂き物をした。届いたパッケージを開けると、いろいろなものが出てくる。拙者の大好きな「お香」、美味しいチョコレート、それにもう1つ。とても面白いものが出てきた。それがこのペーパー・ナプキンである。



これには拙者たちも、大笑いで大喜びだ。拙者たち、「ぱぐグッズ」が大好きでいろいろ集めているが、ペーパー・ナプキンは初めてである。

廣瀬さんは「ぱぐが笑ったら、このようになるのでしょうか?」と仰っていた。もちろんぱぐ犬も笑うのだが、残念ながら歯をむき出して笑うことはない。でもこの図柄、何となくありそうな光景なので、とても気に入った。歯を、むき出すところ以外は、実に写実的なのである。この現実と架空との落差が、実に面白い。廣瀬さん、本当に面白いものを見つけて下さった。感謝である。

しかし、ぱぐグッズもいろいろあるけど、こんな面白いものもあるんだね。


...... 2004年 3月 04日 の日記 ......
■[ NO. 164 ]
またもゾンビ
曇り。ときどき雨。

昨日あたりから体調が良くなかったので、あらかじめ勤務先には「おやすみ」を宣言していた。これは正解だった。朝起きると、完全に声が出なくなっていた。おまけにからだもだるい。午前中いっぱい寝ているつもりだったが、あまりに喉が痛いので、近所の耳鼻咽喉科へ行く。少しでも早く、痛みを押さえたかった。

喉が痛くて、昼食を摂るのも苦しい。ただ、熱が出ていないのが幸いだ。昼食後、しばらく横になって、ぱぐたちの散歩に付き添う。そして、また横になる。ピアノのある部屋からは、妻の弾くベネットやバッハ、シューベルトが聞こえてくるが、それを耳にしながら、また眠り込む。薬が効きだして、少しづつ楽になる。

夕食後も眠る。完全に沈没だ。ここまでからだが弱くなったのは、本当に情けない次第である。

梅の大木・満開



...... 2004年 3月 05日 の日記 ......
■[ NO. 165 ]
素敵な笑顔
晴れ。

啓蟄である。それを象徴するかのような、春の陽気。昨日までの寒さがウソのようだ。

体調は優れぬが、いろんな用事があって出社せねばならぬ。「連載エッセイ」の締め切りも今日だし・・・。エッセイは昨日、風呂に浸かりながら完全に内容をまとめたので、30分で仕上がり。その他、諸々の要件を嵐のように処理する。

午後からは、ちょっと外出だ。

数日前のこと。ピヤノ・デュオ研究の第一人者・松永晴紀教授から「ちょっと、お時間を頂けませんか?」と丁重なメール。そこで小生、仕事をちょっと抜け出して、お茶の水まで出かける。春の大風が吹き荒れる中、駅の改札で待っていたら、松永教授の姿が。こちらから手を振ると、いつになくにこやかな松永教授。普段でも穏和な先生が、さらに柔和で、まるで仏様のようだ。

茶店の席に落ち着くと、松永先生「今日、見本刷りの製本が出来てきましてね」と取り出したのは「ピアノ・デュオ作品事典--増補改訂版」である。ああ、何という幸せであろう。拙者、職業柄、多数の献本を受ける。しかし自分が執筆したり編集したりした本を除いて、見本刷りを手にしたのは初めてである。

ピアノ・デュオ作品事典--増補改訂版」。旧版と違って、ハードカヴァーのずっしりとした重たい本である。その見本刷りを手にした喜びと言ったら! この誠実な著者の思いがいっぱいに詰まった本である。その本の重さ以上に、著者のピヤノ・デュオに対する熱い想いを感じ取った拙者だ。こんな嬉しいことは、そうそうあるものではない。

「さあ、ご覧になって下さい」と仰る松永先生に促されて、ページをめくる。旧著を全面的に改訂された上で、最新の情報が「これでもか」と盛り込んである。この労作には、不肖かずみ、思わず胸が熱くなった。

「先生、内容が倍増になった上に、ハードカヴァーになって、旧版から100円しか高くなっていないではないですか」と、拙者。すると松永先生、次のように仰った。

「事典はね、時間が経てば、内容も古くなります。ある程度、時間が経ったら、同じような値段で新しいものを出すのも、研究者としての責任ではないでしょうか」。要は、研究者としての責任を全うしようとなさっていらっしゃるのだ。「もちろん売れるにこしたことはありませんけど、読者の方に負担にならないようにして、新しい情報を提供するのも大切なことだと思います」。

松永先生とは、ひょんなことからお知り合いになった。元はと言えば、先生の「ピアノ・デュオ作品事典(初版)」の誤りを痛烈に拙者のサイトで指摘したことからメールを頂き、お付き合いは始まった。先生は拙者のような、民間で市井の一愛好者(あえて研究者とは言わない)の文言を、実に真摯に捉えて下さったのだ。これには大変に頭の下がる思いである。これだけ立派な研究成果をなしえながら、少しも偉ぶらず、人の意見をきちんと聞く。親しくなった後でも、何度も意見を戦わせたが、そのたびにきちんと論争して下さった。大変に誠実な方である。その誠実さが、「増補改訂版」にも存分に表れているのだ。

この本をじっくりお読みになった方なら、きっとお分かりになるだろう。この著者が、真の意味で誠実な人であることが。

別れ間際、先生の見せた表情が素敵だった。それは「大きい仕事をやり遂げた」という満足感に満ちた笑顔だったのである。


...... 2004年 3月 06日 の日記 ......
■[ NO. 166 ]
明治の形見
晴れ。のち曇り。

午後遅くなってから、まったく久しぶりに東京・本郷の「アカデミア」に顔を出す。このところ、ほとんどすべての楽譜をオンラインで購入しているので、このお店にはご厄介になっていない。

ところがだ。昨日、松永晴紀教授とお喋りをしていたら、「えっ、こんな楽譜、あるのですか?」(不肖)。「ええ、ありますよ。アカデミアに置いてあったよ」と松永先生。その楽譜は、オンラインのどこでも見つからなかったし、その存在すらも知らなかった。

こうなったら、行かねばならぬ。そこで、ノコノコと「アカデミア」まで出向いた拙者たちである。店頭でのすったもんだはあったものの(詳細を記載するのはあえて避ける)、無事に楽譜を落手した。その楽譜とは、アンゲルブレシュトが書いた「古き日本の初雪の日に寄せて」という管弦楽曲の、作曲者自身による連弾版だ。一度でいいから「音」を聴いたみたかったのだが、録音は見つからない。こうなりゃ、全部は弾けなくても、たとえ一部でも自分の手で音にするしかない。まだ音にはしていないが、大変に綺麗な譜面(ふづら)だ。何だかワクワクする。

「新入荷」のコーナーを見ていたら、ジョージ・ロイドの傑作2台ピヤノ曲「オーバード」の楽譜も見つけてしまった。ちょっと高かったけど、これも衝動買いである。これもオンライン書店では、どこも置いていなかった。一緒に、J.S.バッハ=ブゾーニの「シャコンヌ」とドヴォルザークのピヤノ・ソロの楽譜も購入。これは拙者が弾くのではない。

さて、アカデミアを出ると夕食時。「どこで何を頂こうかなぁ」と迷っていたら、妻「東大の近くまできたのだから、“はん亭”で串揚げを頂きましょうよ」。もちろん、異存はない。

しかしなぁ。「東大の近く」と言っても、広いのであるよ。極端な話、「医学部・病院の近く」と「地震研究所の近く」では、同じ「東大の近く」でも全然近くないのである。そのあたりのことを、妻は全く分かっていない。東大南端近くのアカデミアから、うんと東側でちょっと北よりの根津・はん亭までは、ぐるっとタクシーで回って行くしかないのだ。

まあ、それは置いておいて。「はん亭」に突入だ。このお店の建物、明治30年にできた3階建て木造建築で、東京都の有形文化財に指定されている。それだけに、なかなか風情があるのだ。



ここの串揚げ、まったく油こくなくて、素敵に美味しい。



とても上品なお料理である。合間に、「細魚(さより)のカルパッチョ」みたいな、“口休め”が出てきて、嬉しい。これがまたとても美味しいのである。ゆっくりと燗酒を頂きながら、次々出てくる串揚げを静かに頂く。ちょっとした、素敵な贅沢だ。

東京・根津ちかくにいらした方、昼食か夕食時であれば、是非とも訪れて頂きたいおみせである。

ここにも、古い帝都東京が生きている。


...... 2004年 3月 07日 の日記 ......
■[ NO. 167 ]
シャコンヌ
晴れ。時々雪。

「ブゾーニ編曲の、バッハ:シャコンヌって、譜面(ふづら)から感じるほどは弾きにくくないね」と妻。「最初の方を弾いてみたけど、結構楽しいよ」。拙者は妻の弾くのを全然聞いていなかった。午前中、「ぱぐ」と一緒に思い切り眠っていたので、その時に弾いたのであろう。「でもね、まさちゃん(注:中畑淳・福島大学助教授)のようには、上手に弾けないんだわ」。拙者は何も言わないことにした。その方が平和だ。家庭の平和は、世界平和の基本である。

「だけどさ、あのアンゲルブレシュト、何だか全然分からないよ。あなたも一緒に弾いて見て」。と言うわけで、昨日買ってきた「古き日本の初雪の日に寄せて」の連弾譜を無理矢理初見で音にする。まあ、拙者の初見なんて、たかが知れたものだ。音を出すだけでやっとなのである。

最初の何ページかを一緒に弾いてみて、「ふーん、こんなふうになるのかぁ」(妻)。妻は「やっぱり、何だか分からないなぁ。強いて言えば、フランス人の見た、異国日本かな」。あたらずとも遠からず。でも、とても綺麗な音だった。「でもさ」と妻は言う。「これ、本当に上手な人が弾いたら、それは素敵に響くんじゃない?」。そうその通り。とっても魅力的な曲だ。誰か、演奏会で取り上げたり、録音に残したりする“勇者”はいらっしゃらないだろうか。



...... 2004年 3月 08日 の日記 ......
■[ NO. 168 ]
晴れ。

朝7時からの仕事で、頭がぼーっとする。それでも、先週に比べればずいぶん元気になった。喉の痛みも、ほとんどない。今週中に体調を万全にしておかないと、来週からが思いやられる。

今週金曜日、サントリーホールで、コリン・デイビスがロンドン交響楽団を振っての演奏会がある。時間的に行けないこともなかったし、とっても聴きたいプログラムなのだが、とにかく今週中に完全に体調を元に戻す…という大命題があるため、泣く泣く諦めた。

ところで、「鳥インフルエンザ」である。

これについては「国立感染症研究所感染症情報センター」のWebサイトにいろいろなことが出ていて参考になる。拙者も仕事柄、毎日のように関連ニュースにたずさわっているので、いろいろなことが分かる。

だが、1つだけ、分からないし誰も教えてくれないことがあるのだ。

「卵」である。それも「生卵」だ。

誰に聞いても、どこの文献を見ても「加熱すればウイルスは死ぬので大丈夫」と書いてある。拙者、焼き鳥も好きだし、タンドリ・チキンみたいな料理も好きだ。照り焼きも大好物である。こうした料理は高温で加熱されているので、拙者、鳥インフルエンザがあろうがなにがあろうが、全然恐れていない。

ところがである。「生卵」を食しても大丈夫か否かについては、誰も教えてくれない。拙者、生卵を溶いて醤油を混ぜたものを、ご飯にかけて食するのが大好きだ。ちょっとした夜食に丁度良い。で、生卵であるからには、当然に加熱されていないのである。

さて、加熱していない卵を食べても、本当に大丈夫なのであろうか? 現在は流通経路が複雑になっているので、汚染卵がどこから市場に紛れ込まないとも限らない。汚染卵を生で食したら、いったいどうなるのだろう? 感染の危険性はあるのかな? 是非とも何方かにご教授いただきたいものである。

生卵、そのまま食べても大丈夫なのですか???

取り残された「幹」



...... 2004年 3月 09日 の日記 ......
■[ NO. 169 ]
怒り爆発
晴れ。朝方ちょっと冷えるが、午後から暖かくなる。

拙者、またまた怒っている。ウイルスである。いや、ウイルスというより、ウイルスをばらまいている連中に激怒している。

2月末から複数種のウイルスがネットワーク上でばらまかれている。いずれも、(1)メールに添付されたファイルを開かない、(2)ウイルス対策ソフトをパソコンにインストールする--これだけのことで、拡散は防げる。そんなことは、拙者が何回も書いているだけでなく、ネット上のあちこちにも出ているし、ニュースにもなっている。

にもかかわらず、だ。相変わらず、ウイルス付きメールの添付ファイルを開いて、ウイルスを拡散している愚者が大勢いる。こんな連中に、インターネットを利用する資格はない。もう、こうなると、ウイルス・メールを開き、拡散させた段階で、この連中は加害者なのだ。

この2日間で、拙者は400通以上のウイルス付きメールを受け取った。もう、怒り爆発である。こうしてウイルスを拡散させている連中は、無免許で自動車を運転し、周り中に損害を与えているのに等しい。

さらに頭に来ることに、もっと悪い奴が現れた。送られて来たウイルス・メールに「返信」を出す奴だ。送られてきたウイルス・メールは、当然「From」が偽装されている。こんなことは、インターネットを利用する上での常識である。もしそれに返信すれば、全然関係ない人に、とんでもないメールが届く。仮にそのアドレスが何かのメール配信用のアドレスであれば、そのアドレスから本来配信される人、すべてに、そのクレーム・メールが届く。決してウイルス・メールに返信してはならないことは、常識である。

ところがだ。その常識を知らない奴が大勢いる。

拙者のところ(会社のアドレスだよ)にも、身に覚えのないところから、「あんたのパソコンは、ウイルスに感染している。あんたのところからのメールにはウイルスが着いていた」「あんたのメールで、わたしたちは迷惑している」、はては「ウイルス対策くらい、きちんとしろ!」といったものまであった。

で、そうしたメールの「To」を見ると、拙者たちとは全然関係ないアドレスであったり---すなわち、何らかのメールの配信専用アドレス--、受信専用でそのアドレスからは絶対にメールを送信できないようにしてあるアドレスだったりする。そこから「BCC」で拙者の元に届くのだ。今日はこうしたメールが50通くらいあった。

何が「迷惑」だ。お前らが出すメールこそ、迷惑なのだ。ウイルス付きメールに返信しないことなんて、インターネットの鉄則ではないか! そんな初歩的なマナーやルールも分からず、インターネットを使っている奴がいるのだ。

こうしたメールを受けて業務を妨害され、怒り心頭の拙者である。ウイルス・メールも厄介だが、こうした「馬鹿メール」を出す奴も、ネット社会を乱す、不心得者なのである。こうした馬鹿どもは、インターネットの世界から去れ! お前達のウイルス騒動の片棒を担いでいるのだ!

拙者の怒りは、収まりそうにない。

ウイルス対策くらい、きちんとしろ!
それに、迷惑メールは出すな!
うざったいぜ!




...... 2004年 3月 10日 の日記 ......
■[ NO. 170 ]
フランス人のやること
晴れ。風が強い。

喉の痛みはほぼ取れたし、体調はほぼ万全。だけど咳が止まらない。ちょっと苦しい。

今日は、3月10日。何の日だか、お分かりだろうか? 旧陸軍記念日。そして、1945年のこの日、あの世界でも類を見ない、東京大空襲のあった日である。国際法に反して、米軍が、我が帝都を焼き払った、最悪の日である。軍事拠点でもなんでもない、一般市民の住居が攻撃目標となり、罪もない大勢の人が命を失い、被災した日である。そのことを、きちんと覚えていらっしゃる方が、どのくらいいるだろうか? この記憶が年々風化していくことに悲しみを覚えている拙者である。こんな悲惨なことは、2度と繰り返してほしくない。何の罪もない一般市民が、戦闘の犠牲になることなんて。

え、拙者、左翼かって? そんなことはない。穏和な中道勢力だ。少なくとも「防衛庁」が「国防省」に昇格することを願っているくらいの、市井の穏和な市民である。憲法第9条の抜本的見直しも必要だと思っている。




さて、帰宅しようとして、最寄り駅の銀行の駐輪場に違法駐輪している自転車のところまでいったら、見事に転けていた。かつて出勤途中、チェーンが外れてしまった「かずみ1号」ではなく、ビンボなかずみが中古で買った「かずみ2号」である。中古とは言え「かずみ2号」は、立派な自転車だ。ところが、不法駐輪しているうちに何度か、風か人為的か分からないが倒され、前カゴが曲がってしまった。倒されるたび、だんだん曲がっていく。最初は拙者のビジネスバッグが素直に入ったのに、もはや入らなくなっている。ビジネスバッグには傷を付けたくないので、毎日、バッグを片手に持っての運転だ。実に危ないが仕方ない。バッグに傷が付くの、やだからね。

さて、フランスの楽譜出版社、Durand、Salabert、Eschigが、同じ経営母体になっていることを御存知の方は、どのくらいいらっしゃるだろう。恥ずかしながら不肖かずみ、最近になるまで、そのことを知らなかった。どうやら経営統合があった模様である。

で、「Salabertのサイト」にアクセスすると、この3社の出版カタログが手に入る。しかしなぁ、こんなものPDFで配るなよ・・・と思う。もの凄いデータ量で、ダウンロードはともかく、実際参照しようとするとプリント・アウトは必須。こんなもん、自宅の家庭用プリンタでは、とてもプリントできない。何時間もかかってしまう。仕方ないので、とあるところのレーザ・プリンタで一気に出力。それでも結構な時間がかかった。

まったく、このフランスの連中、人の利便性ということをまったく考えていない。何でもPDFにすれば良いというものではない。拙者のように気軽にダウンロードした上で、何十ページもあるPDFを気軽にプリントアウトできる人ばかりではないのだ。

おまけに、このサイトで配っているデータは、何と2001年のもの。そもそもオンラインでデータを配るメリットとしては、できるだけ新しいものを、迅速に公開できるということではないのか。これでは、単なる手抜きである。しかも、新しいカタログは、一般には配布しないというではないか。これでは何のためのオンライン化か分からない。

さらに…である。このカタログに載っている楽譜の、かなりの量が絶版か品切れ状態なのである。本当に酷い話だ。これでは、オンラインでカタログを配布している意味などないだろう。

拙者、フランスは好きだし、フランス人にもずいぶん親切にしてもらった。だけど、フランスを代表する楽譜出版社が、こんな状態では、世界中の音楽家から信頼を失うね。連中、そこのところを分かっているのだろうか? 自分たちがフランスの文化の一端を担っているということを。


...... 2004年 3月 11日 の日記 ......
■[ NO. 171 ]
春の嵐、そして出会い
晴れ。強風。

南からの暖かい風が猛烈に入り、東京近郊では気温摂氏20度を超え、気持ちの悪くなるような陽気だ。我が連弾庵の近辺では、春に大風が吹くと、もの凄い砂が舞う。おかげで妻が折角掃除したカーポートに砂が堆積してしまった。

これだけ急に暖かくなると、さすがにからだがついて行けない。1日中、何となく調子が悪かった。




さて拙者、昨日から、それは面白い連弾曲にハマっているのである。もう、繰り返し繰り返し、覚えてしまうくらい聴いた。水野修孝氏が笠原純子・友田恭子氏の依頼で作曲した「ミューズの時」という曲である。

ジャズやポップスのイディオムを自在に駆使した楽しい曲で、何度聴いても飽きない。特に第1曲の「いつか君と」と、終曲の「ラグタイム“愛の夢”」が素晴らしい。聴いていて、泪が出るほど面白い。演奏が秀逸なこともあるのだろうけれど、久々に「繰り返し聴きたくなる面白い曲」に出会ったのだ。

楽譜を参照していないので正確には分からないが、プリモの手を超えてセコンダが高音域を演奏したり、演奏中にプリモが席を立ってセコンダの背後から左側へ回りベースを弾いたりするらしい。これ、CDを聴いたら、すぐにでもやりたくなる人、たくさんいるのではないだろうか。詳細は、近日中に「今週の1枚」で記述することにする。

さて、拙者も楽譜を入手することにいたすかな。

イングランドから来た、ミススペルだらけの文を書く人



...... 2004年 3月 12日 の日記 ......
■[ NO. 172 ]
フリー・ソフトでPDF作成
曇り。やや冷え込む。

さして気温は低くないものの、昨日が暖かすぎたので、極端に冷え込んだような感じになる。おまけに1日中曇っていたのが、“冷え込み感”に拍車をかけたのであろう。

Webサイトであるドキュメントを公開するために、PDFファイル作りに挑戦だ。厳密に言うと初めてではない。「Adobe Acrobat」を使って、楽譜からPDFファイルを作ったことは何度もある。これらは、サイトの「楽譜ダウンロード」のコーナーでアップしてある。

今回やったのは、「Word」で作られたファイルから、PDFを作成することだ。「Adobe Acrobat」を使えば簡単にできるだろうって? ところが、何故かうまく行かない。何度やっても失敗である。どうも拙者、「Adobe Acrobat」の使い方をほとんどマスターしていないらしい。

で、何か簡単にできる方法はないかな・・・と探したら、フリーソフトで「Word」のファイルからPDFファイルを作るものがあることが分かった。拙者が使ったのは「PDF995」というソフトだ。やってみたら実に簡単に、とても綺麗なPDFファイルが作成できた。これなら応用も利く。

で、何をPDFファイル化しようとしていたのか・・・というと、「ポロニア・ネットワーク」の川田さんから「角野怜子先生によるピヤノ・デュオの公開レッスンがあるので、告知して下さいませんか?」と依頼されて渡された「Word」のファイルだ。折角だからできるだけ綺麗な状態でアップしたいと思い、PDFファイル化を試みたのだ。

実は昨年、日立市の皆さんが頑張って主催されている「VIVA!! ピアノデュオコンサート」の案内をPDFファイル化しようとして失敗しているのだ。そのときはWordファイルを直接PDFファイル化できなくて、あまり綺麗ではないファイルを配布してしまい、日立の皆さんに申し訳ないことをした。日立の皆さん、今年からは綺麗なPDFファイルが作成できますよ。どうぞ、ご案内をWordファイルで送って下さい。

・・・というわけで、綺麗に作成できたPDFファイル。アップしようとしたのだが、力尽きた。明日の作業とさせていただくことにして、沈没だ。

これをお読みの皆さん、WordファイルのPDFファイル化、実に簡単ですよ。Webでの文書配布にはこれで十分。是非試してみて頂きたい。


...... 2004年 3月 13日 の日記 ......
■[ NO. 173 ]
馬鹿正直が仇になる
晴れ。一段と暖かい。

昨夜からイヤな予兆が出ていたのだが、朝起きると本格的になっていた。またも喉の痛みである。痛くてたまらないので、近所の耳鼻咽喉科に駆け込む。やはり扁桃腺が腫れているとのこと。これで今年になって3度目だ。1週間おきに扁桃腺が腫れていることになる。こんなことは初めてである。まったく困ったものだ。仕方ないので、「ぱぐたちの散歩」のほかは、おとなしくしていることにする。

夕方になって、拙者が拙文を寄せた某音楽雑誌の見本刷りが届く。ある特集記事の分担執筆なのだが、よく読むと、やはり拙者のところだけ浮いている。どうも平素の調子で書いたので、まるで新聞か経済雑誌の解説記事みないな語調になっているのだ。妻は「論旨明快で分かりやすい」というのだが、柔らかめの音楽雑誌では、如何なものだろう。ちょっと考え込んでしまった拙者である。まあ、このあたりは読者の皆さんに判断をお任せしよう。

さて、喉も痛いので早めに眠ろうと思ったのだが、思わぬトラブルがそれを阻害した。

パソコンには「Acrobat Reader」がインストールしてあったのだが、ブラウザであるサイトのPDFファイルを閲覧したら「Readerは新バージョンにアップデートした方が良い」という「推奨メッセージ」が出た。で、馬鹿正直な拙者は、Adobe Systemsのサイトへ行って、「Adobe Reader」をダウンロード、インストールした。

で、Adobeのサイトで「Adobe Readerをインストールしたら、Acrobat Readerを削除することをお薦めします」とのメッセージがあった。馬鹿正直な拙者は、またまたサイトの「推奨メッセージ」に従うことにした。Acrobat Readerをアンインストールしたのである。

ところがだ。今度はNetscapeを使っても、Internet Exprolerを使っても、サイト上のPDFファイルがまったく表示されなくなってしまったのである。PDFファイルを表示しようとすると、NetscapeでもIEでも「プラグインがありません」と無情なメッセージ。

で、Adobe Readerのどこを工夫しても、まったくダメなのである。Adobe Readerの「ヘルプ」を見ると、自動的にNetscapeやIEで読み込まれる設定になっているという。Adobe Readerの設定をいろいろいじってみたのだが、どこをどうやってもダメだ。これで2時間を消費した。もう午前3時だ。諦めよう。

仕方ないのでAdobe Systemsのサイトへ行って、旧版の「Acrobat Reader」を持ってきて、再インストールした。すると、しっかりとブラウザ上でPDFファイルが参照できるようになったではないか。何だか、無茶苦茶頭に来た拙者であった。

これをお読みの皆さん、Acrobat Readerのバージョンアップには、どうぞご注意あれ。




...... 2004年 3月 14日 の日記 ......
■[ NO. 174 ]
お洗濯
晴れ。今日も暖かい。

喉の腫れは、まだ退かない。咳も激しく出て、あまり良くない。いったい拙者はどうなってしまったのだろう? この十数年を思い返しても、1度インフルエンザにやられてぶっ倒れただけだというのに。ただ、熱が出ていないのが幸いだ。

今日もぱぐたちの散歩をしてお終いだ。おっと、やつらの「お洗濯」もしたな。1カ月も洗っていなかったら、さすがに「ワンワンの匂い」がしてきた。綺麗に洗って綺麗に乾かしたら、ふんわりパグパグ。いかにバッチイ連中と過ごしていたのかが実感できた。

今日は「今週の1枚」を書いて沈没だ。

街は春の香りでいっぱい。もうあと数日もすると、桜が開くね。




...... 2004年 3月 15日 の日記 ......
■[ NO. 175 ]
早春の夕暮れ
晴れ。異様に暖かい。これではあと数日もすれば桜が開いてしまうではないか。

関東南部に暮らしている者にとって、入学式や始業式のあたりに桜が開くのが正しい。こんなにはやく開くなんて、間違っている。何だか毎年、桜の開花が早くなっているようだが、気のせいだろうか。そうだとすれば、良くない兆候だ。風情が感じられなくなっているのと同義語だからである。これは粋ではない。季節が乱暴になっているだけである。何でも早くなれば良いというわけではないのだ。

朝、起きると、やはり喉が痛い。おまけにからだもだるい。しかし、やることが山のようにあるので、少し早めに出社する。外も、オフィスの中も、とにかく暑い。大汗をかいた拙者である。

滅茶苦茶働いたが、ちょっと理由があって、午後5時に早退だ。行きつけの鮨屋で妻と待ち合わせ、のんびりした夕食。この時期だというのに、細魚(さより)が入っていなかったのは残念だ。鮨のネタにもいろいろあるが、拙者、細魚がいちばんの好物だ。これがないと、何とも寂しい。

でも、旨い鮨を頂きながら、冷酒を呑むのも乙である。それも平日の早い時刻なんて、何とも贅沢なものだ。さまざまなお魚を頂いたが(拙者、鮨ネタでは脊椎動物か、その卵しか食さない。頭足類や軟体動物は、どうも好かないのである)、どれも春の香りがした。

早春の夕暮れに、粋な鮨屋で静かにゆっくり一杯。いいね。

雪柳。これの春の風物詩。



...... 2004年 3月 16日 の日記 ......
■[ NO. 176 ]
不愛想な人たち
曇り。

ちょっとだけ、日本を留守にすることにする。久々の出国。

13:00のルフトハンザでミュンヘン経由でハノーヴァーへ。そろそろ関東南部では桜が咲くという。下手をすると、今年は桜の花を見ることができないかもしれない。それは、ちょっと悲しい。

ミュンヘン行きの機内で、拙者が座ろうとした隣に、ちょっと綺麗な女性がいた。隣に座るので軽く会釈したら、無視しおった。無茶苦茶に不愛想な奴である。まあ、いい。分愛想女は放っておいて、機上の人となる。

機内ではアルコールを浴びるほど呑みながら、到着後の作戦を練る。ウトウトしながら、目の前のスクリーンでやっていた、デズニーの漫画を観る。途中、食事が出るが、エコノミー・クラスなので、ろくなものが出ない。以前のルフトハンザなら、エコノミーでももう少しましなものが出たような気がする。欧州便でいうとJALやANA、BA、エールフランスのビジネス・クラスと比べると雲泥の差だ。エコノミーでもオーストリアやスイス、ヴァージンの方がまだましだ。

拙者、事情があっていろいろ薬を飲まなければならないので、お水が必要だ。だがルフトハンザは、以前の経験でお水を頼んでもなかなか持ってこないのが分かっていた。予防的措置としてお水のペットボトルを2本用意した。

13時間後、ミュンヘン到着。あまりおなかが空かないので、流動食を摂取する。売店で流動食を買おうとしてカウンタへ行ったら、「ボンジュ、ムッシュ。何になさいますか?」。あのなぁ、拙者、日本人なんだよ。見りゃ、分かるだろ。何でドイツまで来てフランス語で話しかけられなければならんのじゃ! おんたんちん。何だかカチンときたので、ドイツ語で「ヴァイツェンを1杯もらおう」。もう、これでお腹一杯だ。

ドイツ到着後、最初に摂取した流動食


ハノーヴァー行きのゲート前でウトウトしていたら、あの不愛想女が来た。こいつもハノーヴァーまで行くのか。ツンツンした雰囲気の、ヤな女だった。まさかこの不愛想女にある記者会見の会場で会うとは思わなかったが(この不愛想女、会見のとき記者が質問するためのマイクを持って会見場を走り回っていた。拙者は「あっかんべー」をしてやった)。

予定より30分遅れて、ハノーヴァー行きが出た。拙者の隣には不愛想女の代わりに、外人の不愛想オヤジがいた。席は3列並びで拙者は通路側。ところがオヤジを挟んで窓際にハンガリー人の美人が座ったら、オヤジは途端にニヤニヤして、そのお嬢さんに無茶苦茶愛想良く話しかけていた。イヤなオヤジだ。

ハノーヴァー到着。荷物を受け取ると、タクシー乗り場へ急ぎ、とにかくホテルへ。30分後、ホテルの部屋にいた。ここに臨時支局を開設せねばならぬ。インターネット接続ができればそれでいいのだが・・・この後のことは書きたくない。

現地時間、深夜0:30、ようやくネット接続ができるようになって「沈没」だ。


...... 2004年 3月 17日 の日記 ......
■[ NO. 177 ]
行動開始
晴れ、時々曇り。

朝食後、朝8:30から行動開始。体調はすこぶる良い。9:00にはプレスセンターに到着してロッカーを確保し、ネット接続を確認する。これで、プレスセンターからもホテルからも、東京に随時ニュースを送れるのだ。

夕方まで、記者会見の連続。東京に向けて、バンバンとニュースを書く。

夕方からはCeBit2004のオープニングセレモニーの取材。くたびれた。

CeBit2004開幕で演説するドイツのシュレーダー首相


首相を迎えてのレセプションでもインタビューの連続。くたびれた。ホテルへ帰って原稿を書いて沈没。


...... 2004年 3月 18日 の日記 ......
■[ NO. 178 ]
真面目に勤労
晴れ。曇り。雨。

天候が激しく変わる。8:30から0:30まで仕事。疲れた。もう、何も書きたくない。夕食はホテルのレストランで、不味い飯を食った。麦酒だけは旨かった。



...... 2004年 3月 19日 の日記 ......
■[ NO. 179 ]
桜が咲いたよ
晴れ。曇り。雨。

今日も天候が激しく変わる。でも、当地では桜が咲いた。相変わらず忙しい。疲れた。あまりに忙しかったので、何も書きたくない。ただ夕食は他社記者のSさん、Yさんとご一緒して楽しく過ごす。ホテルに帰って、また仕事。1:30沈没。

桜が咲いたよ


...... 2004年 3月 20日 の日記 ......
■[ NO. 180 ]
わぁわぁわぁ!
晴れ。曇り。雨。時折激しい雷雨。

夕方までは例によって忙しく過ごす。18:30からは、ハノーヴァー市主催のジャーナリストを対象とした大パーティーだ。拙者も誘われれて行く。

ドイツを初めとして、US、フランス、オランダ、フィンランド、中国・・・いろんな国の人とお喋りしながら呑む。生バンドに合わせて、わぉわぉ踊る。疲れていたところへあまりにも呑んで騒ぎすぎたので、途中で気分が悪くなる。便所に直行して、ゲロした。外国でゲロしたのは、これが初めてである。

しかし、またもとのところへ戻って、呑んで食べて喋って踊って騒ぐ。疲れていたけど楽しかった。まだ騒ぎ足りなかったけど、疲れたので23:00過ぎに、途中で引き上げる。

帰りは、もの凄い風と雨だ。傘を持っていないので、濡れながら帰る。パーティー会場からホテルまで歩いて20分だ。その間、気持ちがいいので「パグ犬の歌」を大声で歌いながら帰る。

 パグ犬だぁ、パグ犬だぁ、
 あぁ、オレたちゃ、パグのファミリィだぁ!
 パグ犬だぁ、パグ犬だぁ、
 かかってくれば、噛みつくぞぉ!
 がぉがぉがぉ!
 わんわんわんっ!

ずぶぬれになってしまった。折角なので日本に電話をする。妻は「馬鹿なこと言ってると切るよっ!」と何故か怒っていた。部屋で飲み直して沈没だ。
旅先でのアイテム。
アルコール、パソコン、パグ犬のペットボトル・ケース


...... 2004年 3月 21日 の日記 ......
■[ NO. 181 ]
そぞろ歩き
晴れ、曇り、雨、時々激しい雷雨。

あまりに喉が痛くて目が覚めた。ついにまた扁桃腺が腫れだしたみたいだ。ずいぶんと用心していたのに、どうやら昨日の大騒ぎと雨に濡れたのがいけなかったようだ。頭痛もする。でも、さっぱりしたいので、熱いシャワーを浴びる。

さっぱりしたところで朝食を摂り、プレスセンターへ。午前中いっぱい、やり残した仕事をする。

さて、午後からはせっかくなので「街歩き」だ。会場は郊外にあるので市電に乗らなければ街まで出られない。幸いなことに、報道用のプレスパスを持っていると、市内の電車のほとんどが無料で乗れる。市の粋なサービスだ。

中央駅まで行き、ガイドブックを片手に出発だ! 実はハノーヴァー市では、観光用の面白い試みをやっている。歩道や人が歩ける道路に赤い線を延々と引き、これを辿って行くと主な観光名所を巡れる・・・という仕組みだ。赤い線は全長4200m。歩ききると、ちょっとした運動不足の解消になる。これを市では「ハノーヴァーの赤い糸」と呼んでいる。

知らない街を歩くのは、ワクワクだ。てくてくのんびり歩いて、写真を撮って、約2時間で一回り。ただ日曜日なので、レストランを除けばお店はどこも休み。クマの縫いぐるみをたくさん置いてあるお店があったのだが、残念ながらここも休みだ。ウインドウ・ショッピングで我慢する。これだけ歩いたのに、おなかが空かない。

ハノーヴァー市のオペラハウス


そこで、さらに市電に乗って、郊外にある王宮庭園まで足を伸ばす。ここはバロック様式の見事な大庭園だ。歩くだけで気持ちがいい。ここでも2時間ほどぶらぶらした。でも、昨日まで取材で走り回っていた足。かなり疲れが出た。またまた市電に乗って、会場のプレスセンターまで引き返す。

夕方5時。ちょっとおなかが空いたので、昼夜兼用の食事をプレスセンターのレストランで摂ることにする。それが終わると、おとなしくホテルへ帰って、仕事の整理と明日の出発に備えて準備だ。外はもの凄い雷雨である。早めに帰ってきてよかった。

足に疲れを感じながら、深夜0時に沈没。


...... 2004年 3月 22日 の日記 ......
■[ NO. 182 ]
さよなら、ハノーヴァー
曇り、しばしば雨。

朝はのんびり9時に起きた。まだ喉は痛い。

軽く朝食を済ませて、出発準備。忘れ物は、ないかな? 荷物を抱えて外に出ると、北ドイツ特有のどんよりした空から、冷たい雨が舞い落ちてくる。

チェックアウトを済ませて、タクシーに乗り込み空港へ。雨は時折激しく降る。車の窓から見ると、街並みが滲んで見えた。

さよなら、ハノーヴァー。また来るね。

・・・往路と同じくミュンヘン経由で成田へ。ミュンヘンの空港はフランクフルトと違って、小振りなので分かりやすい。ただ、お土産屋さんが少ないのが、ちょっと・・・。それでも、いくつか買い物をする。ちょっと高かったけど、真っ黒なクマの縫いぐるみがいたので、連れて帰ることにする。

乗り込んで飛行機は満席。今度の隣は、爽やかな感じのする中年男性だ。何だか最初から気が合い、楽しくお喋りをさせていただく。聞けばニース在住の画家の方だそうだ。音楽もお好きとのこと。音楽と美術の話題で盛り上がって、酔っぱらったところでグー・・・。別れ際、お互いの住所を交換するまでになった。往路と違って、楽しい旅だった。

帰宅して、時差ボケのため沈没。太陽と同じ方向に飛ぶと全然時差ボケはないが、反対側はダメ。これは何度やっても慣れないものである。


...... 2004年 3月 23日 の日記 ......
■[ NO. 183 ]
時差ボケ
曇り、しばしば雨。

・・・とこの日は、太陽と反対に飛んだので、途中で1日“消えて”22日がいきなり23日になった。

前日書いた通り、時差ボケで沈没である。


...... 2004年 3月 24日 の日記 ......
■[ NO. 184 ]
続・時差ボケ
曇り、しばしば雨。

相変わらず時差ボケが治らない。仕方ないので、代休を取得して、家でパグパグすることにした。

サイトを更新したいが、頭がぼーっとして、とてもではないが「日記」の更新くらいしかできない。アップしなければならない「演奏会情報」が溜まってしまったが、これは時差ボケが取れてからにすることにする。呆けた頭で何かをやると、ろくなことがないからだ。

喉も痛く、何だか眼も腫れている。完全に沈没だ。


...... 2004年 3月 25日 の日記 ......
■[ NO. 185 ]
眼までやられた
曇り、しばしば雨。

まだ喉は痛い。それに左目が真っ赤だ。

出勤前に眼科に行く。結膜炎だそうだ。ただ、長時間コンタクトレンズを入れていたのが原因ではなく、疲労で抵抗力が落ちているからやられたのだそうだ。2〜3日で回復するという。明日までコンタクトレンズの着用は控えて、目薬を差せと渡される。

出勤して、溜まった仕事の処理。と、大学時代の同じ研究室だったAさんの奥様(この奥様も、拙者と専攻が同じである)からメール。「あなたの指導教官だったK教授が退官です。明日、退官記念の最終講義が行われます」。ああ、ドイツから帰っていてよかった。K教授には公私ともにお世話になり、共著で本も執筆した間柄だ。

即座にK教授に電話。「ああ、君か。元気? え、退官講義? 明日の13:30からだよ。忙しいだろうから、来なくていいよ」。来なくていい、と言われても、行かない訳にはならぬ。ちょっとだけ仕事を抜け出す算段を立てる。

あれこれ雑用をしている間に、もう夕方だ。あまりに喉が痛いので、診療所へ駆け込む。やはり扁桃腺が腫れている。これで今年に入ってもう4回目だ。新しい抗生剤をもらう。「これでダメなら精密検査をしましょう」とドクター。

20:00近くまで雑用をやって帰宅。あとは、この「日記」を書いて沈没だ。


...... 2004年 3月 26日 の日記 ......
■[ NO. 186 ]
雨、上がる
雨。のち晴れ。

雨が上がった午後、都内某所を歩いていた。拙者にとって懐かしい場所だ。名物の公孫樹は、まだ芽吹かない。ある大学の研究所に向かっていたのである。春の日差しが柔らかかった。

この研究所では、今年4名の教授の方が退官なさる。今日はその最終講義の日だ。拙者の指導教官、J.K.教授は講義のトップバッター。これが助かった。夕方からオフィスで会議があるので、それまでに戻らねばならぬ。ほかの先生方の講義も聴きたかったが、J.K.教授の講義を聴くのが精一杯だ。何でも50音順で講義の順番が決まったとのこと。幸いだった。

少し早めに研究所に到着。急いでJ.K.教授の部屋に行く。幸い先生はいらっしゃった。拙者の顔をみるなり「やあ、来てくれたね」と笑顔。その笑顔と半ば荷物の搬出が済んだ部屋を見て、心なしか寂しかった。いや、本当に寂しかった。もう、この懐かしい部屋で、先生と会うことはないのだ。

「講義の準備があるから」とおっしゃる先生と一緒に部屋を出た。これが正解。研究所の大講義室で何とか席を取ることができた。拙者が入った後に、どんどん人が。補助椅子まで出したが、そこもいっぱい。講義室の階段に座る人、立ち見の人・・・広い講義室が人でいっぱい、満員御礼だ。現役の研究所員の方に加えてOBの方、学生さん、家族の方、報道関係者で大講義室が埋まる。拙者の左隣は共同通信の記者、右隣は2番目に講演されるI.K.教授のご子息だ。

定刻の13:30、講義が始まる。先生は「人間の感性には8つの要素がある」という哲学的なことから話し始め、地震学への特殊相対性理論の導入に話を進め、ご自身の研究と持論に言及なさった。聴いていて目頭が熱くなるような講義だった。在学中は拙者の兄貴分みたいに接して下さった先生。最終講義だというのに、いつもと変わらぬ淡々とした語り口。拙者の視界は、何度も泪で滲んだ。

・・・講義が終わると、会場から割れんばかりの拍手である。拙者も力一杯、心からの拍手を送ったことは言うまでもない。講義が終わって、足早に会場を去った。拙者がそれは素敵な2年半を過ごした、あの懐かしい廊下を通りながら。

研究所を出たら、泪が出て止まらなかった。もう20年も前の、J.K.先生や素敵な仲間たちと一緒だった、それは輝かしい時間を思い出したからだ。想い出の場所、そして想い出の時。ああ、それはもう帰ってこないのだ。そして想い出多いこの研究所に足を運ぶことも、今日限りなのだ。感極まって、研究所の玄関前で、思い切り泣いた。柔らかな春の陽光の下で。

さようなら、素敵な場所。想い出、そして素敵な人。


...... 2004年 3月 27日 の日記 ......
■[ NO. 187 ]
出会い、そして事故のこと
晴れ。

連弾庵近くの桜は3分咲き


穏やかな陽気である。我が連弾庵の回りでは、桜(ソメイヨシノ)が3分咲きだ。都内ではもう7割方開いたところもあるとのこと。それに比べると、こちらは少々出足が遅い。まあそれだけ長いこと楽しめるというわけだ。桜の下をそぞろ歩くのは、何とも言えない気持ちになる。ぱぐたちも心なしか楽しそうだ。




夕方からは「六本木ヒルズ」へ出かける。当サイトと相互リンクしているピヤノ講師の「言葉」さんが東京に来られるとのことなので、お目にかかるためだ。何度もメールを交換しているが、お会いするのは初めて。ちょっと緊張である。

携帯電話で連絡を取り、まず拙者たちがレストランに席を確保。しばらくして言葉さんが2人のお嬢さんと共に登場。自己紹介もそこそこに、ほどなくうち解け楽しい会話。拙者はミュンヘンからの、言葉さんはデトロイトからの、それぞれお土産を交換。とても気持ちの良い爽やかな方だった。会話が弾み、楽しい雰囲気になって、拙者は麦酒を2杯も呑んでしまった。

言葉さん、2人のお嬢さん。楽しい時間をありがとうございました。




で、その「六本木ヒルズ」である。もう、これをお読みの(日本国内の)方は御存知だと思うが、昨日、ここで痛ましい事故があった。六本木ヒルズの中心とも言える「森タワー」の自動回転扉に6歳の坊やが挟まれ、幼い命が失われた。何ともやりきれない話だ。

実は、ここの回転扉、前から拙者も「コワイ」と感じていた。取材で何度もここを訪れているが、このビルは回転扉を通らないと中に入れない。普通のビルだと回転扉の横に、別のドアがあるのだが、ここにはない。以前、別の場所で回転扉に挟まれて痛い思いをしている拙者、できることなら回転扉は通りたくないのである。しかし、このビルでは無理だ。

しかも、この扉、回転する速度が速いので、通り抜けるとき、実にコワイのである。入るときと出るときに、大人の拙者ですら挟まれそうな気がする。いつか大事故が起こる、と思っていたら不幸なことに予感は的中した。

森ビル」は、すぐに記者会見を開いて陳謝した。が、その映像を見る限り、どうも真剣に“陳謝”しているようには見えなかった。

今日になって回転扉の製造元である「三和シャッター工業」も記者会見。会見等によれば、「危険防止センサー」はついているものの、障害物を察知してから30cm近くも回転してしまうというのだ。これでは人が挟まれても、すぐには止まらない。しかし会見では、三和シャッター側から、機材の欠陥を認める発言や謝罪の意思表明は明確に出されなかった模様だ。このままだと、「森ビル」と「三和シャッター」の間で、責任のなすり合いが始まるぞ。きっと。

それにしても可哀想なのは、犠牲になった坊やである。この春、小学校に入学するはずだったとのこと。きっと学校での新しい生活を楽しみにしていただろうに。本当に気の毒だ。当サイトは、謹んで哀悼の意を表明し、坊やのご冥福をお祈りする次第である。


...... 2004年 3月 28日 の日記 ......
■[ NO. 188 ]
事故隠し、そして責任逃れ
晴れ。今日も爽やかな良い天気である。



連弾庵から3分も歩けば、そこは桜並木だ。こちらは、咲いている樹で3分咲き、咲いてない樹は、ようやく芽がふくらんできたところである。

その先にはちょっとばかり広い公園があり、ここは近所でも桜の名所である。拙者たちが住んでいる街には、桜並木だの桜がたくさん植わった公園だのが、そこここにある。ほんの短い期間だけれど、「春のお祭り」の始まりだ。

公園も、うっすら桜色


今年は、開花予報によれば拙者がドイツに行っている間に咲き始め、運が悪いと散り始めの頃に帰ってくることになっていた。ところが関東南部は拙者がドイツに赴いている間、かなり寒かったらしい。実は拙者も帰国して、予想外に寒かったので驚いた次第である。

そのおかげか、拙者も例年通り桜を楽しむことができそうだ。




やっぱりそうか…と思った。「森ビル」め、「六本木ヒルズ」で回転扉の事故が1年間で32件も発生していることを、今日になって発表した。1年間で32件だ。平均すれば、11日に1件起こっていたことになる。中には何針も縫う大怪我をした方もあったとのこと。森ビルめ、これらを隠していたのだ。連中に言わせれば「隠していない」とのことだが、正式に報道発表していないのだから、隠していたも同然だ。拙者が「ここの回転扉はコワイ」と感じていたのは、単なる感覚ではなかったのである。

森ビル」と「六本木ヒルズ」のWebサイトでは「お詫び」が出ているが、今更何だ、というのが正直な感想だ。事故隠しをしていて、死者が出て、初めてお「詫び」か。ふざけるのもいい加減にしろ!

三和シャッター工業」のWebにも「お詫び」が掲載されている。しかし、単なる「お詫び」の文だけだ。自社製品の欠陥については、一切触れていない。しかもだ。この回転扉は、回転速度の調節が可能になっており、森ビルの要請で回転速度が最大になっていたことを記者会見で明らかにした。拙者が「回転速度が速くてコワイ」と感じたのも、単なる感覚ではなかったのである。

これまでに拙者が入手した情報では、三和シャッターに言わせれば、「回転速度を最大にしたのは、森ビル側の要請」とのこと。まるで自分たちには責任がないかのような言い方だ。うがった見方をすれば、「回転速度はいかようにでも調節できます。あんなに速くしろと言ったのは森ビル側で、当社にはその点での責任はありません」とでも言いたげだ。

さあ、拙者の思った通りである。「森ビル」と「三和シャッター」の間で、早くも責任のなすり合いが始まった。双方とも「そうした意思はない」と言うだろう。でも一般の市民感覚、もう少し言えばさまざまな事故・事件の取材をした記者の感覚から言えば、責任を相互に転嫁しようとしているとしか見えない。しかも両社ともに「お詫び」の中で「関係機関の捜査が」という言葉が出てくる。これは、いざ刑事・民事の裁判になったときに、逃げを打つための常套手段なのである。裁判になったときに最初から不利な証拠になるものを残すより、第三者に事件の解明をゆだねたようにしているだけのことだ。

両社の対応を記者の眼で見ると、表向きは謝っていながら、何とか逃げを打とうとする姿が見え隠れする。こんなことでは、亡くなった坊やは浮かばれるはずもない。

そもそも1年間で32件も事故が起こりながら、何の対策も取っていなかった森ビルの責任は重大だ。きっと森ビルは企業イメージ(というより六本木ヒルズのイメージ)が傷つくことを恐れて、32件もの事故を公にしなかったのだろう。そうとしか考えられない。もし、事故対策をきちんとしていたなら、この坊やの命は失われなかった可能性が大きい。森ビルよ、人の安全を何だと考えているのか!

集まってくる情報を見て、怒りが増してきた拙者である。


...... 2004年 3月 29日 の日記 ......
■[ NO. 189 ]
楽譜の1ページ目
晴れ。のち曇り。

ある方から、とても欲しかった連弾曲の楽譜をプレゼントされる。非常に嬉しかったのだが、楽譜を開いてみて「あれっ?」。何と1ページ目だけがミスプリントで、全然違うページの譜面が印刷されていた。明日にでも、出版社に連絡して1ページ目だけでも送ってもらうことにしよう。

今日は午前5時まで原稿執筆。終わった途端、完全に沈没だ。

春の散歩は気もそぞろ。パグ犬もゾロゾロだ。



...... 2004年 3月 30日 の日記 ......
■[ NO. 190 ]
辛夷は難しい
曇り、のち雨。

朝5時に寝て、朝7時に起きるのはさすがに辛い。以前であれば何日も徹夜しても大丈夫だったのに、このところさっぱりダメだ。フラフラしながら仕事を始める。

今日は、これと言って何もなし。ただ忙しいだけの1日だった。帰宅時、電車の中で眠り込んでしまう。危うく下車駅で下りそびれるところだった。体調はまずまずだが、とても音楽を聴く気にはなれない。疲れた。ようやく「演奏会情報」を更新する。

辛夷の写真を撮って、こちらにアップしようとしたら、見事に失敗だった。そもそも辛夷は花が高いところにある上、上を向いて咲いているので花単体の撮影が非常に難しい。今回も失敗だった。

・・・というわけで、沈没である。


...... 2004年 3月 31日 の日記 ......
■[ NO. 191 ]
黒クマ登場
晴れ。ときどき曇り。

相変わらず忙しい1日。今朝から、また喉が痛くなり出した。これで1週間おきに腫れては治り、腫れては治りで、5回目である。もう、いい加減にしてもらいたい。先週木曜日から日曜日にかけて体調は絶好調だったのだが、月曜辺りから、また崩れた。

今日は「楽譜出版情報」を更新。これも厄介な作業であるが、ご覧になって下さる方が多いので、止めるわけにはいかない。そもそもピヤノ・デュオ楽譜の新刊ばかりを紹介しているところなど、ここしかないのだから。

・・・というわけで、わずか30分の乗り継ぎの間にミュンヘンから連れてきた黒クマくんをご紹介して「沈没」だ。ああ、花見に行きたい…。

ねえ、きみは、どこから来たの?